進路
窓の外には、夏模様のもくもくとした白い雲。
エアコンの効いた教室。
差し込んでくる陽射しのぬくもりが、ぽかぽかして心地いい。
二つ前の席の蓮くんは、頬杖をついてノートをとっている。
にんまりしてしまう私。
だって、私と同じ格好してるから。
紙が擦れる音。
消しゴムのかすを払う音。
誰かの咳払い。
シャーペンの芯が走る音。
みんな、それぞれ自習中の一時間目。
来週の期末テストに向けて。
ここんとこ毎日。
放課後に蓮くんと勉強しているんだ。
図書室でも。
自習室でも。
教室でも。
『ムック』でも。
勉強さえも楽しいんだ。
始めたての頃は、ドキドキが勝って。
集中出来なかったけど。
少しは落ち着いてる。
安心しているのかなって想えるの。
こころの中のトキメキは褪せるどころか。
もう確実に体の隅の隅まで蓮くんに染められている。
だから、今でも一緒にいたら。
ドキドキして。
ホッとして。
二つの気持ちが同棲している。
そして。
何をするにしても。
お互いにしたいことを全力で。
一緒に楽しもうねって。
そう想ってるし。
確認し合ってるんだ。
それから。
私は当初の大学進学から、二年制の専門学校で医療事務の資格を取る道を選んだ。
診療報酬請求事務能力認定試験の取得を目標に。
これがあれば、極論、日本全国どこでも働ける。
超難関みたいだけど。
頑張るし。
頑張れる。
きっかけは蓮くんの通院する大学病院の求人を見掛けたからなんだ。
この2週間考えに考えた。
蓮くんの病気のことで看護師も視野にいれたけど。
お母さんの知り合いが看護師をしていて。
勤務先が病院にしろ施設にしろ。
夜勤があるから大変だって言ってた。
出来れば不規則なシフトによる仕事は避けたい。
理由は簡単だよ。
蓮くんといられる時間を作るためだよ。
それに早く社会に出れば自立できる。
お父さんも、お母さんも賛成してくれた。
担任の新塚先生に相談したとき、正直驚いていた。
「急にどうしたの? 央南大学行ってチアをするんじゃなかったの?」
って。
先生方は蓮くんの病気のことを知ってるから。
私は正直に答えちゃった。
先生は、
「後悔しない選択なの?」
そう聞いただけだった。
「分かりました。もう、オープンキャンパス始まってるところもあるから、幾つか候補を先生の方でも調べておくわね」
先生は優しかった。
「そうか。橘さんは、烏丸くんだけのチアをしてるんだ。先生は応援してるよ」
って、言ってくれて。
次の日には都内の専門学校を三つリストアップしてくれていた。
その中には私が気になっていた学校もあった。
蓮くんは写真・映像の専門学校。
今週の土曜日。
お互い、一番の志望校のオープンキャンパスに行く。
理由の一つは、同じ新宿にあるから。
子供じみてるかな。
でも勉強はちゃんとするよ。
少しずつ始めたもん。
そこが実際良かったら、当日、総合型選抜(AO)エントリーをする。
二人とも上手くいけば高校最後の夏休みを堪能できる。
蓮くんと一緒に過ごせる。
麻耶にも進路のことを話したよ。
志望大学は違っていたけど麻耶も大学進学組だったから。
一緒に女子大生出来ないじゃんて。
冗談半分に怒ってた。
そしてね、蓮くんの病気のことも伝えた。
蓮くんが話してもいいよって言ってくれたから。
結衣の親友だからって。
麻耶はしばらく思考が止まっちゃったみたいで。
しばらく、言葉が出てこなくて。
そして――
ニコって笑って。
「そっか」
そう一言だけ言ったら。
私を抱きしめてくれていた。
麻耶のシャンプーの匂いの中で。
「蓮くんが、いいよって言ってくれたからダブルデートしよ」
って、伝えたら。
「やった! 夏休み私も恭一くんも忙しいから、テスト休みにデートしよ!」
って。
私の肩を掴んで、また抱きついてきた。
「デートプランは麻耶さまに任せて」
想っていた事だけど。
麻耶がそばに居てくれて。
ありがたくて。
幸せだと想えて。
感謝しながら、麻耶をぎゅっと抱きしめた。
蓮くんとは勉強だけじゃなくて。
登下校も一緒にしている。
私の部活がある時も、蓮くんが待ってくれている。
「無理しなくていいよ」
って言ったら。
「俺がしたいんだ」
って。
だから、ほぼ毎日一緒にいられる。
あと数年……
限られた年月しか蓮くんが生きられないとしても。
私は一緒にいるよ。
でも、なんでなんだろう。
ショックだったのに。
哀しくて辛いことのはずなのに。
どこか満たされている気分なの。
きっとそれは、今この瞬間を一緒に過ごせてるから?
生きてるからなの?
それとも、蓮くんと――
肌のぬくもりを、想い返しそうで。
腕をさすった。
二つ前の席の蓮くんは首を左右に捻った。
人知れずはにかむ私。
ああいう時の蓮くんは。
集中が切れてきた感じ。
キーンコーン、カーンコーン……
自習の時間が終わる。
ガタガタと動き出すクラスメイト。
私も紛れて席を立つ。
両手を挙げて伸びをする蓮くんの肩をポンポンって叩いた。
私を見上げて微笑む顔。
私のことが好きだって顔。
瞳が真っ直ぐ私を見つめてるから。
――昼休み。
廊下を歩いてきた横山くんと目が合った。
横山くんは、私の顔を見て、少し首を傾げた。
「横山くん、ちょっと行こう」
私は顔の横で人差し指を天に向けた。
小さくうなずいて横山くんは黙ってついて来てくれた。
鋭い陽射しが降り注ぐ屋上。
むんわりした湿気を含んだ熱気。
かすかに吹く風も生暖かい。
わずかな日陰の壁に寄りかかった。
「橘さん、蓮から、聞いたんでしょ?」
「……うん」
大きく息を吐く横山くん。
「大丈夫? それから?」
「うん。最初はショックだったけど……だからって、この想いは消えないし。消せないから」
両手を胸にあてれば。
こころの中の温かい想いを感じられる。
「そっか。以前のあいつじゃ考えられないことだな。そうだ、橘さんには話してると思うけどさ」
「ん?」
「蓮ね、病気だって分かってから、中学の頃ちょっと荒れた時期があったんだ」
「え? そうなの?」
「あ? 聞いてなかった?」
気まずそうに頬を上げた横山くん。
「うん。それで?」
「だよね、聞きたいよね」
コクリとうなづく私。
「もし、自分が余命宣告されたらって考えたら分からなくもない。何もかもが真っ暗で、先が見えないし描けない。だから自暴自棄になって。人付き合いもしなくなって、あいつ、半年くらい引きこもってたんだ」
「そう……だったんだ」
「うん……ただ、あいつには写真があったからマシだったのかも。インスタやってるのは聞いた?」
「うん」
「その中で、蓮の写真に好意的なコメントしてくれる人たちがいてさ。それがきっかけは分からないけど、撮る写真が変わっていた」
「うん。分かるよ。見せてもらったもん」
「そっか。じゃあ、橘さんを好きになった理由も?」
「うん」
「こんなこと言うのおかしいかもしれないけど。橘さんありがとう」
「え? そんなお礼なんていいよ。ただ私が好きなだけだし」
「すごいな。橘さんは。その気持ちっていうか。病気でもそうじゃなくても、蓮に対する想いは変わらないんだ」
「うん。だって。蓮くんが好きだし」
「そうだよね。そこもすごく蓮には合ってるんだと思う」
「どういうこと?」
「あいつ、他の人に病気のこと話してないでしょ?」
「ああ、どうしてなんだろ?」
「それはね、可哀そうとか、こいつ死ぬんだって、色眼鏡で見られるのが嫌なんだって。だからインスタの人にも病気のことは話してないんだ」
「そうなんだ」
「うん。でもさ、知った所で言う人は言うし。僕や橘さんみたいに変わらないでいる人もいる。普通にしててもさ、合う合わない人っているじゃん」
「まあ、そうかも」
「辛くなったらさ、僕で良かったら話聞くよ。蓮の病気の事知ってるの俺くらいだし。まあ、橘さんには村瀬さんもいるから大丈夫かな?」
「うん。ありがとう。麻耶も知ってるよ蓮くんのこと。麻耶にも話していいって言われたから」
「そっか……昔の蓮が戻ってきたような気がする」
「昔の?」
「うん、あいつ自然体でさ、今じゃその片鱗見れないけど、人を笑わせたりしてお茶目な奴なんだよ」
何かを想い出しているのか。
目尻が下がる横山くん。
「あ、それ分かる。なんか意地悪されるもん」
「ハハ、そりゃいい。橘さんの前では、正直になってるんだね」
そう言って笑う横山くんの笑顔。
白い歯がキラッとして。
眩しかった。
ん?
頭の中に疑問が一つ。
「てことはさ、横山くん。諜報部員だったころから知ってたんだ、蓮くんも私も両想いだって」
「え? ああ、そうなるかな。騙したみたいになってごめん」
横山くんは、頭の後ろをかいて、首を捻った。
「違うよ、責めてないよ。どんな想いだったのかなって、ちょっと気になっちゃった」
「そりゃあ、ね。上手くいって欲しいとは想っていたよ。蓮が……」
私は横山くんの顔の前に両手を出した。
「いいよ。ありがとう横山くん。それ以上はいいよ。私はただ信じてるから、今を一緒にいられることだけを」
「そっか……」
空を見上げた横山くん。
「蓮ね、こんな事を言ったことがあるんだ。俺は何のために生まれて来たんだろって」
「え……?」
「さすがに僕は答えられなかった。その時は……」
「ん? じゃあ、今なら答えられるの?」
「正解かどうかは分からないし。本人がどう想ってるか、だからさ」
何のために生まれてきたのか?
難しいこと考えるの好きな蓮くん。
なんだろう?
そっか。
だから。
写真が存在証明。
生きた証なんだ。
なら、私は……
「私は……蓮くんに会うためかなって想ってるよ」
息を呑む音がして。
隣の横山くんの視線を感じた。
見上げた空に、行く先の分からない飛行機がひと筋の雲を引きつれてた。
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