私の好きは……
夏が過ぎ、二学期。
私たちチア部は、秋の大会に向けて毎日練習に励んでいた。
夏休みの終わりに行った合宿では、新しい振り付けも覚えたし、今は完全に自分たちのための練習。
誰かの応援じゃなくて、自分たちのステージのために。
放課後を告げるチャイムが鳴る、私は部活へ向かう準備をしながら、ついついいつものように蓮くんのことを考えた。
今日はいるかな。
ここのところ蓮くんの姿をあまりみれていない。
始業式の時にチラッと見掛けただけ。
きっと忙しいかな、でも寂しくて、蓮くん写真集で我慢してる。
私は部活に行く前に、写真部の部室に寄ってみた。
もちろん、目的はひとつ。
蓮くんです。
扉は開いたままで、中には誰もいない。
今日もどこか違う場所にいるのかな。
ん?
奥の部屋のドアが開いていて、忍び足で近づいてみる。
お邪魔しまーす。
こころの中でご挨拶。
ドアの陰から、こっそり覗いてみる。
み~つけた。
ポッと心の中が温かくなって、食い入るように見つめてしまう。
カメラの手入れをしている蓮くんの横顔を。
真っ直ぐ集中している目。
慣れた指先の動き。
これは、またとないチャンスでしょ。
私は後ずさりして、物陰にしゃがんで、そっとポケットからスマホを取り出す。
そして、少し距離を置いて音が鳴ってもバレないように。
カメラを構えて――
んー、小さいから、少しズーム。
画面にいっぱいに蓮くんの横顔。
にやける私。
パシャリ、パシャリ。
気づかれてない。
よし!
また、勝手に撮っちゃった。
ごめんね、蓮くん。
でも、その無防備な表情も、真剣な目も、たまらなく好き。
画面を見つめてニヤニヤする。
スマホをそっとポケットにしまって、静かに立ち去ろうと振り返る――
ゴンっ。
鈍い音が鳴と、おでこの上あたりに鋭い痛みがはしる。
「うっ……」
テーブルの縁に頭をぶつけた。
そこを手で押さえて、かがみながら部室を抜け出す。
そして廊下の角まで足音を立てないように全力ダッシュ。
大丈夫、バレてない。
壁に張り付いて息を整えて、チア部の部室に向かう。
うきうきルンルンしながら、更衣スペースでユニフォームに着替えていたとき、ふと、あることに気づく。
「……あー、最悪……」
小さく声に出して、頬を膨らませる。
筆箱、机の中に忘れた。
しぶしぶ教室まで取りに返る。
夕方の校舎はひんやりしていて、静かだった。
人の気配が遠くて、トントントンと自分の足音だけが響く。
私は廊下を走って教室に戻り、勢いよく扉を開けた。
「……あれ?」
誰もいないと思っていたのに、一番前の窓際の席に誰かが座っていた。
佐々木瞬くん。
同じクラスで、女子に人気がある。
正直、私は少し苦手だった。
気取っていて、何人もの女子とのエッチな噂を耳にする。
情報源は麻耶だけど。
一瞬だけ、目が合う。
それがなくても佐々木くんの視線の温度が、どこかいやらしくて気持ち悪いと感じてしまう。
あの目で、チアのときの私を見ていたことがある気がして――
今その格好だと気付いて、少し嫌な気持ちになる。
「筆箱、取りに来ただけだから」
声が少し強くなったのは、警戒のせいだったと思う。
私の席はその窓際の一番後ろ。
机に近づいて中に手を伸ばした時、不意に腕を掴まれた。
「えっ……?」
ドンッ、と音がして、鈍い痛みを伴って背中が壁に押し付けられる。
息を呑む暇もなく、顔が近づいてきて。
ユニフォームの胸元をギュッと握りしめる。
鼓動が早くて、吐き出しそう。
彼の顔が近い。
すごく、近い。
なんで?
こうなるの?
片方の手首がすごい力で壁に押し当てられて痛くて、怖くて足がすくんでしまう。
彼の視線が、じろじろと私の身体をなぞるように動くのがわかる。
スカートの裾をつままれて、指がかすかに引っ張った。
「や、やめて……」
震える声が自分のものとは思えなかった。
「俺、お前のこと好きだからさ。……したいんだよね、いいだろ」
彼の熱い息遣いが耳にかかる。
押しつけがましい、吐き出すようなその言葉。
呼吸が止まりそうだった。
キスされる――
その直前、私は反射的に顔を背けた。
「無理っ……!」
どんと肩を押して、必死に身体を捩って、教室を飛び出す。
怖い。
怖くて、悔しくて、気持ち悪くて、涙が滲みそうになるのを、ぐっと堪えて、ただ部室へと走った。
「もう……なんで……」
怒り、不安、恐怖、悲しみ――
ぐちゃぐちゃになって心の中に吹き荒れる。
左の手首には痛みがじわりと残っている。
部室の扉の前で、頭を振って彼の放った言葉を追い出そうとした。
「結衣? どうしたの?」
その様子を見ていたのか、同級生で部員の真奈美が心配そうに顔を覗き込んでくる。
私は咄嗟に笑ってみせる。
「んーん、大丈夫。ちょっと走ってきたから、顔赤いだけ」
本当は大丈夫じゃない。
でも、言いたくなかった。
なんか、言ったら負けな気がして。
私は大きく息を吸い込んで、手足をぶらぶらさせた。
そんなことより、今は練習しなきゃ。
踊らなきゃ。
切り換えよう、忘れよう。
みんなで鏡の前に並び、音楽に合わせて体を動かす。
汗が流れ、頭の中が少しずつ空っぽになっていく。
窓から差してきた夕陽に包まれるころ、休憩時間になった。
私は喉が渇いたので、自販機まで飲み物を買いに行く。
周囲を警戒しつつ、あのやらしい佐々木くんがいないか確認する。
あんなことがなければ、蓮くんのことだけ考えていられたのに。
小銭を握りしめて、売店がある本校舎の方へと向かう。
そこへと続く一階の渡り廊下。
外の空気が汗を冷ましてくれる。
夕焼けの通路の向こうから誰かが歩いてくる。
桜井奏先輩だった。
ホッと胸を撫で下ろす。
ブラスバンド部で、誠実でおだやかな人。
よく応援で一緒になるからか、私たちにも声を掛けてくれる優しい先輩。
「お疲れさまです」
挨拶をして通り過ぎる。
「結衣ちゃん」
涼やかな声に呼び止められて、足が止まる。
振り返ると、奏先輩の目が、まっすぐに私を見ていた。
「はい」
気を付けして、背筋をしゃんと伸ばす。
奏先輩は首を傾げ苦笑い。
「あのね、いきなりこんなこと言って、迷惑だと思うんだけど――君のこと、その、好きなんだ」
「え?」
ひやりとした風が、サーッと通路を横切って、奏先輩のシャツを膨らませていった。
ちょっと、どうして?
先輩の優しくて、真剣なまなざし。
だけど――
「私……、好きな人がいます。ごめんなさい……」
言葉にした瞬間、涙が浮かんでいた。
蓮くんのことも、佐々木くんのことも、そして今の奏先輩のことが、ぐちゃぐちゃになっていて。
でも、気持ちはひとつだった。
蓮くんが、好き。
唇をぎゅーって結んで、涙が溢れないように必死にこらえる。
そんな私を、奏先輩は責めなかった。
ニコって笑うと、
「いきなりでごめん、僕が悪いから。……ありがとう。ちゃんと言ってくれて」
そう言って、タオルを差し出してくれた。
優しさが沁み込んできて、泣いちゃだめなのに。
私はそれを受け取ることなく頭を下げて駆け出した。
スポーツドリンクを買って渡り廊下のそばのベンチに腰かけた。
ペットボトルを両手で持って口をつけると、喉に潤いが染みていく。
「ふうっー」
吐いた息が肩の力を抜いていく。
赤く染まった校舎。
夕暮れが運んで来た少し肌寒い風が、ツインテールの毛先とスカートの裾をふわってさらっていった。
ただ、蓮くんのことが好きなだけなのに。
佐々木くんや、奏先輩から告白された。
けど、だけど。
私の好きは一つしかないし。
佐々木くんからのは正直、嫌だった。
奏先輩からのは正直、悪いなって思った。
蓮くんには何度も振られてるけど、好きな人がいるって言われてはいない。
ごめんと無言の舌打ち……
どう思ってるんだろ。
嫌なのかな……悪いなって感じてくれてるのかな……
私の好きって思い。
でも、それでも。
あきらめないもん。
カア、カア。
家へ帰るカラスの鳴き声が渇いた校庭に響いていた。
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