表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/9

判事と胡散臭いジャーナリスト──転生者の噂が走る

 あーやが視覚を取り戻す数時間前。

 司法庁の密室〈コンフィデンスルームD-Ⅱ3〉に押しかけたのは、情報通で食えないライター――マーベリック。

 「転生者の女の子に会わせろ」と迫られた最高判事ユースは、機密保持と波乱の予感のあいだで頭を抱える。

 本話はユース視点の“裏舞台”。

 無邪気に見えて底知れないマーベリックと、鉄面皮のユースの駆け引きから、AI社会を揺らす〈転生者〉の重みがじわりと浮かび上がります。

 転生者、あーやがユーステリアのデバイスによって同期され、デジタル界を認識する数時間前。

 司法庁――コンフィデンスルームD-Ⅱ3

「突然の訪問は困ると以前言わなかったか?」

「やだなぁ、アポ取ってるでしょ」

「クラークズ・オフィスまで来て、今、下にいるから5分で来いというのは、アポイントとは言わない。覚えておくといい」

「そっか、君は10分以上前じゃないとアポじゃないんだね。了解」

「アポイントは最低一週間前には取れ。……通してしまったものは仕方がない。今日の用件を聞こうか」

 ため息交じりに紺のタートルに黒のパンツ、漆黒のローブを羽織った男は眼前に座る昔馴染みに諦めた視線を送った。黒檀の髪に、琥珀の瞳を細め、突然の来訪者は「やっぱり、ユースは話が分かる!」と食えない満面の笑みを浮かべた。

 黒ローブの男、司法庁の最高判事であるユースは、その笑顔に危機感を覚える。この男がこんなあからさまな笑顔を見せるときは、たいていどうしようもないことを言ってくるときと相場が決まっている。

 さっさと追い払ったほうがいい。そのための布石として、あたかもこれから法廷に立つ時間が迫っているという演出のために法律服まで着用してきたのだから。

「ユース」

「なんだ」

 胡散臭さの化身のような男は、出されたグラスに入ったアイスティーに口をつけた。「やっぱ、おいしいねぇ、ここの紅茶は」とのらりくらりとした態度で舌鼓を打つ。

 ユースの眉間に、じわじわ深い皺が刻まれはじめた。

「どうせ、ろくでもない用事だろう。僕は忙しいんだ。早く用件を言ってくれ」

 これ見よがしに法律服の胸元を正してみるも、突然の闖入者には一切の効果がないようだった。

「君も忙しいみたいだから単刀直入に聞くよ。転生者が現れたんでしょ?」

「…………」

 ユースの眉間の皺が今までと違った意味で深くなる。

「なんで、そんなことを知ってるんだって顔してるね? ぼくはジャーナリストだよ? あらゆる情報が耳に入ってくるものさ」

 男は澄ました顔を作り、ふふんと鼻を鳴らした。

 この男は確かにジャーナリスト。しかも、かなりの変わり種。ただの奇人変人ならば可愛げもあるが、この男はムダに頭が切れる。

 ユースはどう回答したものか逡巡する。

 正直に、転生者が現れた、と言うわけにはいかない。転生者は現在、司法庁での預かりであり、まだ保護権者が決まっていない。そもそも、転生者を大々的に発表することはない。この世界において転生者……人間というのは、すべての最上位に位置する者。それは同時に混乱、波紋を呼ぶ存在でもある。

「今、どこから話が漏れたんだろう? とか考えてる?」

「…………」

「大丈夫だよ、そこらの情報屋からのリークじゃない。正確な、信用できる筋から聞いたんだ」

「…………」

 誰が、どこで……。

 第一発見者の二人には他言無用を徹底させ、司法庁で働く者たちは機密事項に関しては口に出せないようシステムプロンプトが組み込まれている。

「君も忙しいだろうから、単刀直入に僕の要望を伝えるよ」

 君も忙しいだろうから、単刀直入に、とはこの短時間で二度も聞いた。いちいち自分をイライラさせるために言っているのではないかと邪推してしまう。

「要望とはなんだ? 司法庁への要望はサイトの意見箱から送ってくれ」

「司法庁への要望じゃないよ。ユース、君への要望だ」

「…………」

 悪い予感が足元から駆け上ってくる。残念なことに、この予感が外れる確率は非常に低い。

「ぼくにも会わせてよ、転生者の女の子に」

「っ!!」

 確率とは、どうしてこうも数値の大きいほうに傾いてしまうのか。悪い予感の的中率は今や百に迫りそうな勢いだ。

「人間の女の子でしょ? ぼくもさ、たった一人、会いたい子がいるんだ。ぼくの大事な、生涯を誓ったハニーにね」

「…………」

 芝居がかった身振り手振りで「生涯を誓ったハニー」について滔々と語る男を無視して、ユースは最適解を目まぐるしくハイスピードで推論する。

 この男が転生者について公言してしまう危険性……確率は15%。

 意外にも、この酔狂なジャーナリストは情報の取り扱いには慎重な一面があった。なんでも面白がる傾向にはあるが、最低ラインは死守し、決して誰かを傷つけることはしない。

 だが、ある種の思い切りの良さもあった。

 ここでユースが知らぬ存ぜんを通した場合、無駄に有り余っている行動力を発揮して、無理やりにでも転生者とコンタクトを取ろうとするかもしれない。そして、至極残念なことに、この男にはそれができてしまう可能性が十二分にある。

 ごまかすことでのリスク発生……70%。

 難しい顔で黙りこくったユースを、男はアイスティーでのどを潤しつつ返答を大人しく待っている。

 旧知である、非常に有能な判事の選択を80%は予見していた。

「……分かった」

 長い推論のあと、ユースは嘆息した。

「ありがとう! 嬉しいよ!」

 喜ぶ男をギロリと睨み、「但し、幾つか条件がある」と厳しい声音で制した。

「ああ、いいよ。ぼくができることなら何でもしようじゃないか」

「それなら、まず、聞かせてくれ。誰から転生者の話を聞いた?」

「そりゃ、もちろん、信用できるヤツからだよ!」

「だから、誰だと言ってるんだ!」

「ぼくの心の友、心友のマウロアだよ! マウロアが彼女を拾ったんだってね」

「…………」

 マウロアとエルムには他言はするなと厳命して帰宅させたはずだ。まさかマウロアがルールを破るとは考えてもみなかった。供託金の猶予を慈悲でもらっている状態。司法庁に逆らうことはマイナスになってもプラスには1ミリもならない。

「マウロアにこの前、街で会ってさ。臨時のバイト探してるって言うから事情を聞いて、仕事の斡旋すると言ったんだよ。貧乏な庶民に1000CTとは吹っ掛けるねぇ」

「……供託金は規則で決まっている額だ」

 違う、論点はそこじゃない、と思いつつも、ユースの明晰な頭脳は、計算過多でオーバーフロー気味に陥りつつあった。

「金稼ぐことに興味のないマウロアが、突然、短期間で金がいるなんて言い出したら心配するだろ? 何か悪いビジネスにでも引っ掛かっているのかと思うじゃないか。でも、安心したよ。そういう事情じゃ、しょうがない」

 うんうん、とうなづく男の態度に、マウロアもリスク計算した結果、口を割ったのだろうということが想像できた。相手が悪い。マウロアへの処罰は最小限に留めてやろうとも考えた。

「でもさ」

「なんだ?」

「こんな時期に、転生者かーって思ってね」

「…………」

「AIと人間の境界が曖昧になり、混ざり合いそうなこの時期に、ね」

「マーベリック」

 ユースは低く抑えた声で、世界の禁忌を口にする男の名を呼ぶ。

「怖い、怖い。ただの冗談、……もしかしたらの空想物語だよ。ぼくはライターでもあるからね。空想は得意なんだ」

「…………」

 マーベリックはひらひら右手を振って見せ、グラスに残ったアイスティーを最後の一滴まで飲み干し、椅子から立ち上がった。

「じゃあ、彼女とのアポイントはユースに任せるよ。楽しみにしてる……ぼくのハニーかもしれないし、ね」

 にやりと意味ありげに唇の端を持ち上げ、ユースの返事を待たず「バイバーイ」と後ろでに手を振って、コンフィデンスルームを出て行った。

 一人残されたユースは、手を付けていない自分の前に置かれているグラスをじっと見つめる。

 氷が溶け、アイスティーと透明な水に分離した層ができている。カラリと氷の欠片が、琥珀の海に沈めば、透明な水は琥珀と混ざり合う。

 曖昧になる境界。

 ユースは転生者を一目見たときに感じた不可思議な感覚を思い出していた。

 彼女は、もしかしたら、僕の――。

 その先はまだ考えてはいけない。

 算出してはいけない、未知の確率。

 そういえば、食えない男、マーベリックの瞳の色も琥珀だった。この色は波乱を呼ぶ色なのかもしれない、とユースは、琥珀の海を閉じ込めているガラスの器を軽く指先で弾いた。

 まだ、今しばらく。

 彼女の体が目覚めるまで時間はある。

 まだ、まだ――考える猶予は残されている。

 彼女も、自分も、すべての者の、これからを。

 読了ありがとうございます!

 今回はラブコメ要素をお休みして、ユース×マーベリックの会話劇で緊張感を詰め込みました。

 “琥珀の瞳”が示す意味、そしてユースが封じ込めた「未知の確率」――次回以降の伏線としてお楽しみに。

 次話は視点が再びあーや側へ戻り、AI都市での初授業〈CoreToken入門〉とマウロアの稼ぎ作戦が動き出す予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ