第二章 ゲームのはじまり2
――助かった。
誰もがそう思い、胸を撫で下ろした。もちろん僕も、そして恐らく舞香もそう考えた。
――これで、舞香と一緒に外の世界に戻ることができる。
外に出たら、また二人で大好きなテーマパークに行こう。また大好物の魁屋の豚骨醤油チャーシュー麺を食べに行こう。僕は安堵とともに、そんな何でもない未来を思い描いた。思わず笑ってしまいそうになるほど、日常的な未来だった。
僕は舞香にちらりと視線を向ける。予想通り、心の底から安堵した表情だった。僕は、舞香の右手をそっと握り締めた。
しかし、続いてスピーカーから流れた言葉に、僕たちは恩赦の内容が手放しで喜べるほど希望に満ちた内容ではないことを知った。
「恩赦の内容。それは、この部屋にいる一部の人が助かるというものです」
――一部の、人?
明らかに不完全な説明に、ここにいる全員が戸惑いの色を現した。室内の空気が、目に見えない緊張感を孕んだ状態に少しずつ変化するなか、放送は続く。
「今からおこわれるのは、恩赦のための、いわば手続きです。“恩赦の儀式”と言ってもいいかもしれません。その内容は、こうです」
一、偶数番目に部屋を退出した人物は、部屋を出たところで即座に拘束され、“処分”される。
二、奇数番目に部屋から退出した人物は“処分”されず、一定の手続きを終えた後、自由の身になる。
三、部屋から退出する行為を拒否している人物を、一部の人物が身体的暴力その他、類似した方法によって、強制的に部屋から退出させようとする行為は無効とする。
四、三の行為をおこなった人物は、自動的に、次に“処分”される人物になる。
五、人物Aを除く全員が、次の退出者として人物Aを指名した場合は、人物Aはその指名に従わなければならない。
六、全員の承諾を得たうえで退出の順番を決定する話し合いや勝負、投票などがおこなわれた場合には、参加者はその結果に従わなければならない。
七、ただし、六の最中にいかさまや虚偽などが申告され、それが認められた場合は、その話し合いや勝負、投票などは無効とする。
八、この部屋には水も食糧もなく、寝具やトイレもない。それについて便宜が図られることもないので、時間がたてばたつほど、生存には不利になる。
なぜ奇数番目が助かり、偶数番目が“処分”されなくてはならないのか。不可解なルールに、ここにいる誰もが疑問を抱いた。
そんな雰囲気を察知してか、放送がすぐに補足する。
「奇数は高貴な数字。美しい数字です。一は唯一神を現し、三は神の世界を現しています。さらに、七はもっとも大切な完全数です。今回お生まれになったのは、三人目のお子様で、なおかつ初めて、つまり一番目の男の子。いずれも奇数です。また奇数は、より多くの人を救います」
そう言えば、大学での宗教学の授業で、キリスト教の数字の解釈に関して、同じような話を聞いたことがある。恐らく、そのようなキリスト教の考えを自分勝手にアレンジして、教団の教義にとり入れているのだろう。
「つけ加えると、以前お生まれになった二番目のお子様は、残念ながら、生まれてすぐにお亡くなりになりました。偶数は、やはり不幸ももたらす数字。恩赦の対象になるべきではないのです」
「ふざけるな!」
清水が、叫び声を上げながら壁を拳で叩いた。
「そんなことをして皆に嫌われると、ほかの人全員があなたを偶数番目に指名することになりますよ」
茶色いTシャツを着た双子の一人が、呟くように言った。
「なんだと!」
眉を吊り上げて双子を睨み付ける清水を牽制するように、放送の声は冷たく反応する。
「恩赦に異議を唱えるということは、あなたは不参加という解釈でよろしいですか?」
一瞬、動揺の表情を見せた清水は「そうは言ってねえだろう」と小さく呟く。牙を抜かれた猛獣のように勢いを失ったかと思うと、不満そうに床に座り込んだ。
「二人が一度に外に出た場合はどうなるんですか?」
榊原の横に座っていたロングヘアの女性が、問い詰めるような口調で、スピーカーを見上げた。
「その場合は、退出後に本人たちの協議によって、どちらが“処分”対象となるか決めてもらいます。“処分”される本人が十分以内に意思表示をしない場合は、二人とも“処分”されることになります。三人以上の場合も同様です。一緒に外に出た全員が“処分”された場合も、部屋に残された人の運命に影響を及ぼすことはありません。つまり、その場合でも、奇数番目の人が“処分”を免れ、偶数番目の人が“処分”されるというルールは変更されません」
「“処分”とはどんな内容で、助かった人はどうなるんですか?」
今度は、水色のTシャツを着た双子の一人が、スピーカーを見上げた。
「“処分”は、宗教的な解釈によって“死”とは多少異なりますが、ほぼ“死”と考えていただいて差し支えありません。一方、助かる人たちは、一定時間のレクチャーを受けて、施設内での体験を口外しないという誓約書にサインした後、晴れて自由の身となります。ここにいる全員の身元は確認済みですので、解放後に誓約書の内容に違反する行為をおこなうと、ご本人や近しい方の身が危険に晒されることになりますので、ご注意ください」
一瞬、清水の表情が曇った気がした。社会に背を向けた存在であるはずのチンピラでありながら、外の社会に大切な人がいるのだろうか。
そんなことを考えていると、数秒の無言の後、「説明は以上です。皆さんのご幸運をお祈りします」という音声が流れた。続いて、回線が切れるときに特有の「ブツッ」という雑音が聞こえたかと思うと、静寂が訪れた。
その後しばらく、全員が静かに耳を澄ませていたが、スピーカーから再び音声が流れることはなかった。
――馬鹿げている。
僕だけでなく、ここにいる全員が、そう考えていただろう。
しかし、日本の法律が一切通用しない、この閉ざされた空間においては、その馬鹿げたルールを受け入れなければ生き残ることができないというのも、また事実だった。
――それにしても、なぜ恩赦という神聖な儀式を、わざわざゲームに……。
僕の疑問を感じ取ったかのように、榊原が忌々しげに言葉を吐く。
「処分の儀式ってのは、一部の幹部たちにとっちゃ、ちょっとした娯楽なんだよ。処分のようすは、幹部たちの部屋に直接、配信されるようになってる。彼らはそれを見て、楽しむってわけだ。今回のゲームも、恐らく恩赦にかこつけて、幹部たちが勝手にゲームに仕立て上げちまったに違いない。俺たちが命をかけて争う様子を、どこかに仕掛けられた隠しカメラを通して見ながら、留飲を下げてるのさ」
僕は思わず、部屋を見回した。
あるいは、電光掲示板の中辺りに、カメラが仕込まれているのかもしれない。しかし、確認することはできなかった。
全員が無言のまま、次に取るべき行動に迷っていると、
「こうして全員がボケっとしていても、埒が明かねえ」
吐き捨てるように言いながら、清水が勢いよく立ち上がった。
「全員の人間関係を見たところ、俺たちも含めて、全員が二人一組になっているようだ。そうだろう?」
部屋の中の面々は、清水の言葉に警戒の色を示しながらも、おもむろに頷いていた。清水は首をゆっくりと動かし、全員の顔を順番に睨みつけた。
僕は、清水の強い視線に、ごくりと唾を飲んだ。