第一章 拉致監禁1
話は、二週間ほど前に遡る。
その日、僕、浜城彰は、舞香のマンションで夕食を終え、彼女と一緒にテレビを見ていた。すると、彼女が突然、「ちょっと相談したいことがあるの」と僕に切り出した。
ちょうど、僕のお気に入りのドラマがはじまったばかりだった。テレビの続きを見たかった僕は、テレビ画面から目を逸らさずに「何の話?」と確認した。もし重要性の低い話だったら、テレビを見終わった後にしたいと思ったからだ。
ソファで隣に座っていた舞香は、僕の顔を横から覗き込むと、「沙耶の話なんだけど……」と、言いにくそうに答えた。
沙耶は、舞香にとって高校時代以来の友人だ。フルネームを中本沙耶という。舞香とつき合いはじめてすぐの頃、一度だけ会った記憶がある。ショートボブがよく似合う、小柄で大人しそうな印象の女性だった。
舞香とは、同じバスケットボール部で、切磋琢磨した仲だという。初めて会ったとき、「舞香をよろしくね」と、まるで自分の妹を送り出すかのように微笑んだ彼女の笑顔を、僕は今でも鮮明に覚えている。
そんな親友の話ということは、それなりに重要な話なのだろう。僕は仕方なく、舞香の話に耳を傾けることにした。
リモコンのボタンを押すと、お気に入りのドラマのオープニング曲が消え、画面が暗くなった。ブラックアウトした画面に、僕と舞香の顔がぼんやりと写り込む。
「沙耶がね、怪しげな新興宗教団体に入信したらしいの」
舞香が言うには、数年前に入信した沙耶は、一年ほど前から教団施設内で暮らしているとのことだった。彼女は、入信にあたって多額の借金をし、さらには家族の貯金を無断で引き出して、教団に献金したらしい。
残された家族は、少なからぬ借金を背負わされたうえ、教団からのしつこい勧誘に悩まされているという話だった。
その教団の評判は、以前からニュースやワイドショーなどでときどき耳にしていた。強引な勧誘や多額の献金を要求する行為が問題視されている団体だ。
どうやら舞香は、沙耶を何とか助け出せないかと、家族から相談を受けたらしかった。
「私、今度、その教団の施設に行ってみようと思うの」
舞香が言った。
――そんな教団と関わり合って、もし舞香の身に何かあったら……。
驚いた僕は、真っ向から反対した。
「いくら親しい友人とはいえ、個人や家庭の問題に、そこまで踏み込む必要はないよ。もし心配なら、専門家に相談するよう、アドバイスしてあげたほうがいい」
僕は、必死になって説得を続けた。最初は「大切な友人を放ってはおけない」と頑なに教団行きを主張していた舞香だったが、最終的には「そうね」と小さく頷き、僕の提案に納得してくれた。
――僕の言葉を、理解してくれた。
そう思った僕は、一安心して、その会話を終わらせた。
ところが。
その二日後、舞香は簡単な置き手紙をテーブルの上に残したまま突然、姿を消した。
手紙には、こうあった。
教団に話を聞きに行ってきます。
無茶はしないから、心配しないで。
舞香は、僕の説得を受け入れたわけではなかった。自分の計画を、僕に理解してもらうことを諦めたに過ぎなかったのだ。
携帯電話は、繋がらなかった。
僕の今までの人生で、経験したことのない状況だった。頭が混乱するばかりで、自分がどのような行動を起こせばいいのか、僕にはわからなかった。
仕事が忙しかったせいもあった。何も決断できないまま、時間だけが過ぎた。
――沙耶と一緒に過ごしながら、脱退を勧めているだけだろう。
そう自分に言い聞かせて、自分を無理矢理に誤魔化した。
いつの間にか、二週間が過ぎていた。
日に日に募る心配のせいで、いてもたってもいられなくなった僕は、意を決して教団施設を訪れた。
東京の郊外、JRの駅から歩いて十五分ほどの場所にある教団施設は、聞きしに勝る立派な施設だった。高い塀に囲まれた広い敷地内に、真っ白く輝く建物が連なっている。どれも、三~四階建てだった。
僕は、正門で事情を説明し、舞香との面会を求めた。
白い服に身を包んだ担当者が、手元の電話で何やら話すと、しばらくして建物から別の担当者が現れた。僕は、担当者に案内されて建物に入り、入口の奥にある事務室に通された。
正面の机の向こう側には、背広を着こんだサラリーマン風の背広ネクタイの男が待ち構えていた。僕は、挨拶もそこそこに男に詰め寄ると、要件を単刀直入に切り出した。
「二週間ほど前、こちらに伺った網島舞香という女性に会いたいのですが」
できるだけ、柔らかい口調を心がけた。しかし、男の対応は冷たかった。
「そのような女性が、当教団を訪れたという記録はありませんが」
虚言であることは、明らかだった。
その後も、しつこく食い下がったが、男の言い分は変わらなかった。十分ほどが経過した後、男の「私共も忙しいので、お引き取り願えますか」という一言で、部屋から追い出された。
冷たくあしらわれた僕は、建物の出口を出たところで教団の担当者が離れた隙に、建物の中に再び侵入し、施設内を探し回った。
教団の建物は、増築に増築を重ねてきたのだろう。壁の色や柱の張り出し具合などの細かい部分が場所によって異なっていることに加え、通路も迷路のように入り組んでいた。
僕は、信者に見つからないように柱や備品の陰に隠れながら、迷路の中を進んだ。
どの部屋も、ドアに小さな覗き窓がついていた。僕は、一つ一つの覗き窓をそっと、順番に覗いて回った。