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此の世に生まれし者は  作者: 児島らせつ
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第六章 屋舗翔次の場合1

 兄の翔太が床に置いたコインを、すかさず坂沼亜紀が裏返す。

 そして僕たちは、そのコインが示す印に、あるときは喜び、そしてあるときは落胆する。

 一時は、三勝三敗の五分まで持ち込んだ。

 しかし、その後はなかなか勝つことができず、気がつくと三勝七敗と引き離されつつあった。

 目の前の勝ち負けに固執している間に、あれよあれよという間に負けが込んでいく。これも、坂沼亜紀という手練れのディーラーの手腕のなせる技なのだろうか。

 驚嘆すると同時に、自分たちの命運が徐々に尽きはじめていることを改めて実感し、焦燥感に駆られる。

 そして、勝負は十一回目になっていた。

 床の上のコインに示されている刻印は★。そして、坂沼亜紀によって裏返されたコインは、★を示していた。

 眉間に皺を寄せて、思い詰めた表情でコインを睨みつけていた翔太が、悔しそうに目を瞑り、天を仰いだ。

 これで、三勝八敗。

 ――あと三敗で、僕たちは敗者だ。敗者になれば、僕たち兄弟は“処分”される。

 僕は、自分たちの運のなさを嘆いた。


          *


 翔太の横顔に、ふと両親の面影を見た。

 両親が東京で経営する小さな印刷会社は、個人による同人誌の制作にいち早く乗り出し、そこそこの収益を上げていた。会社の業績が好調なおかげで、僕たち兄弟は何不自由ない環境で成長することができた。

 そんな両親が、僕たちが中学生になった頃に、教団に入信した。病気になった父親が、知人に紹介された教団関係者にお祈りをしてもらったところ、症状が回復したというのがきっかけだった。

 間もなく、スーツ姿の見知らぬ人たちが、頻繁に家を訪れるようになった。今考えると、その人たちは教団関係者だったのだろう。

 しばらくは生活に何の変化もなかったが、一年ほどたった頃から、僕たちの生活環境に少しずつ変化が現れるようになった。

 まず、両親が度々家を空けるようになった。どうやら、教団の施設を訪れているようだった。僕たちを家に置いたまま、翌日まで帰ってこないこともあった。

 やがて、父親の自慢だった高級外車が、十年落ちの国産車に変わった。両親の服がブランド物からファストファッションに変わり、食事も心なしか質素な内容に変化した。それまで、少なくとも年に三回は行っていた家族旅行にも行かなくなった。

 家の家財道具が減り、代わりに正体不明の大きな壷や奇妙な抽象画が、家のあちらこちらに飾られるようになった。両親は、それらの前で何かに取りつかれたように祈りを捧げていた。

 両親は、僕たち兄弟にも祈りを強要した。僕たち兄弟は、何が起こっているのか理解できないまま両親に倣って手を合わせながら、微かな不安を覚えるようになっていった。

 変化は、それだけではなかった。

 中学三年生のとき、家の近くにあった父親の実家が取り壊され、更地になった。父親の話では、不動産業者に売ったとの話だった。東京二十三区内で、駅からもそう遠くない。かなりの値段で売れたはずだったが、それによって我が家の生活が豊かになることはなかった。

 僕たちが大学生になった頃、不景気のあおりを受けて、会社は倒産した。父親は会社の土地と建物を売って、負債の返済に充てた。それから間もなく、家も他人の手に渡り、僕たち家族四人は家財道具の大半を処分して、安アパートに引っ越した。

 ――きっと、信仰が関係しているに違いない。

 ある日、僕たち兄弟は、家を失った理由を両親に問い質した。答えは、予想通りだった。

 彼らは、家の土地を教団に寄付していたのだ。

 貯金通帳も確認したが、十年以上前には数千万円あったはずの貯金は、ほぼ底をついていた。この金も、教団に渡ったに違いなかった。

 だが、社会の常識をまだ十分に身につけていなかった僕たち兄弟には、教団に対抗する力も知識もなかった。

 最後の手段というつもりで、知人が紹介してくれた町の小さな弁護士事務所にも相談した。しかし、最初こそ親身になって相談に乗ってくれた弁護士も、やがて関わりたくないという態度をあからさまに示すようになった。

 どうやら、両親が関わらないように連絡をしたことに加え、教団の関係者が乗り込んで恐喝まがいの説得をしたようだった。

 僕たちは、教団の影響力の強さを、今さらながらに思い知った。

 やがて、金銭的に行き詰まって大学を辞めた僕たち兄弟は、何もせずにただ祈るだけの両親に代わって、生活を維持するために取り敢えず働いた。何の資格も持たない僕たち兄弟が手っ取り早く金を稼げる仕事と言えば、肉体労働だった。

 僕たち兄弟は、来る日も来る日もビルの建設現場で建設資材を運び、深夜の工事現場でコンクリートを土嚢袋に詰めた。コンビニのアルバイトとかけ持ちしたこともあった。

 この状況をあくまで家族の問題と捉えていたこと、身内の恥をさらけ出す行為に躊躇したことなどから、知人などに助けを求めることもないまま、時だけが過ぎた。

 そんな両親も去年と今年、相次いで亡くなった。父親は自殺、母親は交通事故だった。

 両親が亡くなり、すべての呪縛から解放された気がした。晴れて、自由の身になったのだ。

 僕は、今後の生活をどうするべきか、兄の翔太に相談した。

 やや直情的である性格の翔太の口を突いて出た言葉は、教団に対する恨みの言葉だった。

「僕たちやお父さんお母さんを縛りつけ、人生を台無しにした教団を、僕は許さない」

 その言葉に、僕は雷に打たれたような衝撃を覚えた。

 僕も、同じことを考えていた。ただ、その考えは、兄である翔太に対する遠慮や今後の生活に対する不安から、心の奥底にしまい込んでいた。

 今にして思えば、短絡的な思考だったと理解できる。だが、そのときは弁護士にも見放された絶望的な状況のなかで、ほかに手段がないように思えた。

「教団に行こう。そして、土地の返還と謝罪を要求しよう」

 その一言に、今まで抑圧されていた感情が一気に解き放たれ、高揚した。

 異存はなかった。

 数日後、僕たち兄弟は教団の施設を訪れ、教団幹部を名乗る人物に「土地の返還」と「謝罪」という二つの要求を突きつけた。しかし、どちらの要求も、受け入れてもらう望みは叶わなかった。それどころか、聞く耳さえまったくもってもらえなかった。

 埒が明かない交渉が続くうち、翔太が次第に冷静さを失っていくのが、僕にはわかった。

 やがて翔太は、「無理矢理にでも、必ず取り返してやる! 覚えてろよ!」と怒声を発したかと思うと、対応していた教団幹部に殴りかかった。座っていた椅子が後ろに倒れ、部屋の隅で様子を窺っていた信者の足を直撃した。

 一発目を相手の右の頬にお見舞いし、二発目を繰り出そうとしたときだった。

 翔太は、他の信者たちに取り押さえられた。同時に、隣にいた僕も拘束された。

「お前たちが俺たちの両親にどんな内容を吹聴していたか、こっそり録音した証拠もあるんだ!」

 羽交い絞めにされた状態で、翔太は叫んだ。

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