表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
此の世に生まれし者は  作者: 児島らせつ
11/26

第四章 コインゲーム1

 高柳瑠理と熱心に話し込んでいた清水は、彼女が首を縦に振った事実を確認すると、勢いよく立ち上がった。

「じゃあ、まず俺たちから行くぞ」と、一同に向かって叫ぶ。

 僕の隣に座っていた舞香が、清水の隙を突いて部屋を飛び出したのは、その直後だった。


          *


 僕は、東京都心に事務所を構えるIT系企業に勤めている。

 IT系の会社というと聞こえはいいが、大手企業の下請けや孫請けで何とか成り立っている、社員十人ほどの零細企業に過ぎない。

 世間の人々が思い描くIT企業というイメージからはかけ離れた、ブラック企業すれすれと言っていいダークグレーの会社だった。

 そんな会社に勤めはじめて一年ほどがたった、二年近く前のことだった。

 学生時代と違って運動不足になりがちだったためか、気がつくと体重が少しずつ増えはじめていた。

 当初はそれほど気にしていなかったが、上司との雑談の中でお腹が出てきたことを指摘され、少々体型を意識するようになった。

 食事制限なども、我流ではあるが試みた。しかし、思ったように効果が上がらず、数ヶ月後、ジムに入会することを決意した。

 ――確か、駅前に二十四時間営業のジムがあったはずだ。

 僕は、仕事が休みの日に、そのジムを訪れた。初めての経験に戸惑う僕に対して、一人の女性が、トレーナーとしてトレーニング内容を指導してくれた。

 その女性が、舞香だった。

 話をしてみると、出身が同じ県内の比較的近い地域であることや、好きな映画のジャンルが似ていることなども判明した。

 その後も何度か顔を合わせているうちに、気がつくとお互いに好意をもつようになっていた。どちらから言い出すでもなく、僕たちはごく自然な成り行きでつき合いはじめた。

 早くに両親を亡くしたために、身寄りがない環境で育った舞香に対する、同情のような気持ちもあったのかもしれない。

 ――舞香を、幸せにしてあげたい。

 気がつくと、そう考えている自分がいた。

 つき合いはじめて一年ほどがたった、今年の二月のことだった。

 舞香が、ベッドの中でまどろんでいる僕に、唐突に尋ねてきた。

「ねえ、もし私たちに赤ちゃんができたらっていう話なんだけど」

 僕のほうに体を向けたとき、布団がずれて、舞香の真っ白な胸元が露わになった。

 僕は、思わず顔を上げた。舞香が赤ちゃんの話をするのは、初めてだった。まさかと思いながら、舞香の顔を覗き込む。

「赤ちゃん、できたの?」

 彼女は、ちょっとためらいを見せた後、続けた。

「もしもの話よ。で、私が病気とかになって、私と赤ちゃんのどっちかの命しか助けられないって状況になったとしたら……。そのとき、あなたならどっちに助かってほしい?」

「縁起でもない話だなあ」

 僕は呆れながらも、一応、心の中に答えを探す。

「そりゃあ……」

 一瞬考えたが、答えは端から決まっていることに気づいた。

「君に助かってほしい。赤ちゃんには可哀想だけど、君と僕が生きてさえいれば、また新しい命を授かることも可能だからね」

 彼女は、僕の顔を見詰めると、一瞬間を置いて「そうね」と頷いた。

 少々意外な例え話ではあったが、舞香が僕と家族になることを意識してくれていることが嬉しかった。その日のうちに、僕は舞香にプロポーズした。

「わかった。じゃあ来年、結婚しよっか」

 舞香は軽く笑いながら言った。

 その後、僕たちは結婚を意識しながら、お互いの愛を温め合った。年が明けたら、僕の実家を訪れて、舞香を紹介する計画も立てていた。


          *


 ――そんな彼女が、僕ばかりか、この部屋の全員を見捨てて、真っ先にこの部屋から逃げ出してしまった。

 信じられなかった。

 そんなことをする彼女ではないという思いと、実際に目の前で起こったできごとを合理的に結びつける方程式を見つけることができずに、僕の頭の中は混乱した。

 ――何か、理由があったに違いない。

 そう考えようとしたものの、舞香を擁護できる理由など、思いつくはずもなかった。

 冷たい汗が頬を伝って、床に落ちた。

 清水は「畜生! あの野郎!」と叫ぶと同時に振り向いた。

「おい、今のはルール違反だろう!」と大声を上げて肩を怒らせながら、スピーカーに向かって悪態をついた。

 数秒の後、何の前触れもなく、放送が流れた。

「彼女が行動を起こした時点で、最初に退出する人物はまだ決まっていませんでした。よって、彼女の行為はルール範囲内と認められます」

 その通りだ。

 放送のルール説明では「全員の承諾を得たうえで退出の順番を決定する話し合いや勝負、投票などがおこなわれた場合には、その結果に従わなければならない」と言っていた。

 だが、舞香が部屋を出た時点で、清水はまだ「自分が一番目」とは宣言していなかった。

 納得がいかない様子の清水は、「ふざけるな!」と叫ぶが、その怒りに対する応答が、スピーカーから流れることはなかった。

 怒りのやり場を見失った清水は「お前、どうしてくれるんだ」と叫びながら、僕に歩み寄って胸ぐらを掴んだ。そのまま、壁に向かって勢いよく突き飛ばす。バランスを失った僕は、壁に背中を強く打ちつけた。

 ほぼ同時に、放送が流れた。

「先程もご説明したように、室内での身体的暴力は、助かる道を自ら閉ざすこととなりますので、ご注意ください」

 拳を振り上げていた清水は、スピーカーに顔を向けて一瞬、静止すると、小さく舌打ちをしながら、ゆっくりと拳を下ろした。

 放送に助けられた形になった。僕は、背中の痛みに堪えながら、部屋の中を見渡す。

 全員の視線が痛かった。

 僕と一緒にいた舞香は、この僕を、いや、この部屋のすべての人間を裏切った。彼らの目には、僕自身も、裏切り者の仲間と映っているに違いなかった。

「こうなった以上、次はお前だ!」

 清水が、僕の鼻先に顔を近づけながら怒鳴った。眉間に深く刻まれた皺が、彼の怒りの大きさを物語っていた。

「お前の連れの女がやらかしたんだ。二人一組って括りで考えると、その時点でお前は、自動的に“助からない側の人”になっちまったってわけだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ