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此の世に生まれし者は  作者: 児島らせつ
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プロローグ

 僕は、冷たい床の上に座り込んだままで、顔を上げた。

 頭が、鉛を詰め込まれたかのように重かった。

 僕の右隣では、同じように床に腰を下ろした(あみ)(しま)(まい)()が、俯いたままで壁に凭れかかっていた。

 視線を、僕たちがいる部屋の内部へと無意味に移動させる。

 広さは、畳十畳ほどだろうか。

 床も、天井も、そして壁も、表情をもたない灰色のコンクリートで塗り固められている。

 まるで五感を刺激することを拒否するかのように、あらゆる特徴を排した無機質な部屋だった。

 部屋というよりも、むしろ“箱”という呼び名が相応しく感じられた。

 そう、人間の魂を拒否するような、無機質な箱。

 天井には、細長い蛍光灯の照明器具が二つ取りつけられており、室内に冷たく弱々しい光を投げかけている。

 僕たちが座っている場所の反対側の壁には、唯一のドアがある。僕たちが入ってきたドアだ。恐らく鉄製なのだろう。金属でできた、見るからに頑丈そうなドアだった。

 ドアの上には、小さな電光掲示板風の長方形の器具があり、その右側の壁には


  イエス様のために、我が身と財産を捧げましょう!


と書かれた、やや古びたポスターが見えた。

 舞香が言うには、この施設を運営している教団は、キリスト教の流れを汲む新興宗教団体という話だった。従来のキリスト教とは似ても似つかない独自の教義をもっているのだが、それでも自分たちをキリスト教の一派だと主張してはばからないのだそうだ。

 視線を右に移動させると、ほかにも


  生まれながらの性別に敬意を! ―LGBT反対―


  お腹の赤ちゃんにも人権を ―中絶反対―


などと、一部のキリスト教保守派の過激な人たちが唱えそうなスローガンが書かれたポスターが貼られていた。

 窓はない。

 僕は、窓がない事実にも驚かなかった。そもそも、必要がないのだ。

 なぜなら、この部屋は教団によって“処分”される人間たちが、そのときを待つための部屋だからだ。

 視線をゆっくりと移動させる。部屋の中には、僕たち二人のほかにも、複数の人物がいた。僕は、視線だけで人数を数える。

 全部で六人の男女だった。六人は、二人ずつで寄り添うように座っている。ときどき小さな声で会話をしている二人もいる。どうやら、それぞれ二人ずつが知り合いのようだった。

 部屋のもっとも奥に座り込んでいるのは、派手な開襟シャツを着込んで茶色の髪をオールバックに撫で上げた、いかにもチンピラといった風情の男と、化粧が濃いめの若い女性だった。

 女性は、遠慮がちな様子で、隣にいるチンピラの視線をつねに気にしている。その姿は、露出度が高めのワンピースと相まって、どう見てもチンピラの愛人にしか見えなかった。

 チンピラは、自分の待遇に納得がいっていないのだろう。苛立ちを露わにしていた。眉間に皺を寄せ、冷たい床に胡坐をかいたまま、足を細かく揺すっている。膝の上に置いた右手の人差し指は、膝頭を小さく連打していた。

 一方、ドアの右側にはいずれも三十歳代半ばぐらいだろうか、二人の男性が力なく座り込んでいた。やや太めの体型といい、表情に乏しいのっぺりとした顔といい、おかっぱに近い髪形にカットされた真っ黒な髪の毛といい、容姿がそっくりの二人だった。茶色と水色というTシャツの色の違いがなければ、区別することができない。

 彼らは、恐らく一卵性双生児なのだろう。あまりにも似ている二人の容貌に、僕はそう判断した。

 そして、双子とドアを挟んだ反対側では、今風のタイトなビジネススーツをそつなく着こなしながらも、口髭と吊り上がった目がいかにも怪しげな紳士がうなだれている。

 絶望的な表情で床を見詰める紳士は、毅然とした雰囲気で傍らに座っているロングヘアのスリムな女性とは、奇妙な対照を成していた。


          *


 僕は、部屋の奥で胡坐をかいているチンピラと、その横で不安そうな表情を浮かべる愛人風の女性を、それとなく眺めた。横に座る舞香も、同様だった。

 当初、チンピラは女性に向かって小声で何やら熱弁を振るっていたが、やがて静かになった。

「お前ら、答えは出たか」

 顔を上げたチンピラが、一同に呼びかけた。

 誰も、問いかけには答えない。

「じゃあ、まず俺たちから行くぞ」

 チンピラは、ほかの七人に向かって高らかに意思表示すると、ドアに向かって足を踏み出した。

 そのときだった。

 僕の隣に座っていた舞香が、僕の耳元で「最後の我儘、許してね」と囁いた。

 言葉の意味がわからなかった。

 真意を確かめようと振り向いた瞬間、彼女は腰を浮かせて、ドアに向かって一目散に駆け出した。

 そのまま、ドアに近づこうとするチンピラの横をすり抜ける。

 チンピラが「あっ」と叫んだ。だが、為す術はない。

 一同が唖然とするなか、舞香は素早くドアを開けると、ドアの向こうに広がる暗闇に消えていった。

 音もなく、閉まるドア。

 あっという間のできごとだった。

 後には、何ごともなかったかのような静寂が残された。

 何が起こったのか理解することができず、僕は呆然とするしかなかった。できることといえば、彼女が消えていったドアを見詰めることだけだった。

 ドアの上に設置された電光掲示板が、「退出確認」と二回、点滅した。

 同時に、先を越されたチンピラが、壁を力一杯、蹴り飛ばしながら叫んだ。

「畜生! あの野郎!」

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