誕生▲▽疑問
(どうやら俺は赤ん坊らしい)
彼はまだ何故自分が赤ん坊になったのかはわかっていない。だが、先程の老夫婦の反応と自分自身の言動から察するに間違いないと彼は判断した。
彼、佐藤蓮は、目が覚めてこんな状況になる前の最後の記憶を辿ってみたが、残っていたのは会社の経営に失敗し取引先から違約金を払わされ、人生で16度目の痴漢冤罪。さすがにこのような事故に手慣れていた筈の蓮はその日初めて裁判で負けた。闇金に手を出し、一攫千金を狙ってFXで金を溶かし、返せなくなった借金をそままにして夜逃げ。
そしてこれを一カ月で成し遂げ、絶望に明けくれて全てを忘れようとやけ酒をしたことくらいしか覚えていない。
(そして目が覚めたらこれだ)
蓮は赤ん坊ながらに口の端を吊り上げると鼻を膨らませ誰に誇るでもなく喉を鳴らした。
(ふっ……我ながら劣悪な人生を送ったもんだ。それも今さらだな……俺の不運はこんなものではない。だが! 今俺は第二の人生を歩むチャンスをもらえたわけだ!)
蓮はポジティブに今の状況に順応していた。
ならばそれを前世のように無下にするほど彼は堕ちていない。
(今世はそんな前世とはおさらばして真新しい人生にしよう……!)
幸い、赤ん坊の蓮には前世の記憶と知識がある。
目の前の老夫婦がどんな人格をしてるか彼には知らないが前世の親と比べたら大した害を加える風にも見えない。
(今度の学生生活はいじめられないように気を付けるぞ!ハッピーライフにするんだ!)
意気込み、覚悟を決めた蓮はゆりかごに揺らされながらゆっくり眠りについていった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
あれから一週間。
蓮はほぼずっと天井を眺めていた。
ゆりかごに揺らされ眠たくなったら眠り、腹がすけばお腹の底から声を出して泣く。そしたら蓮をあやしてくれる老婆が食べ物を持ってきてくれる。それを繰り返し何の変哲のない日々を過ごしていた。
そもそも蓮は体に力を入れられず言葉も話せないために今の彼にできることは泣くことくらいしかない。老婆は歳が歳だからか蓮を抱き抱えることができず、唯一それができる老爺は朝から晩まで狩りに出ているという。
(いやどこのド田舎だよ!)
老夫婦の話す言葉の意味が分かるのでまた日本に生まれついたと最初は思っていた蓮だが、家に帰ってくる老爺が泥臭く、老夫婦の会話の内容があまりに原始的だったため、蓮は日本語を話す外国人の住むアフリカ辺りなのだとかなり無理のある解釈をしていた。
故に蓮は外の世界を知らない上大きな行動を起こすことができない。赤ん坊はこんなものかと最初こそ思ってはいたものの、
(さすがに暇だ……)
今日も今日とて蓮はゆりかごの中から天井を見上げていた。木材で作られた天井の木目模様にも見飽きてきていた蓮にこの一週間になかった変化が訪れた。
カランカラン。
(ジジイが帰ってきたのか?)
玄関と推測される場所から鈴の鳴る音が聞こえた。
(ジジイか?それにしては帰ってくるのが早すぎる)
蓮がいつもと違う変化にそう思考を巡らしてると、
「レイミーおばちゃん!アルメロおじちゃんから聞いけど赤ん坊を授かったんだって?!」
「あらっ授かっただなんて、こんな老人の機嫌を取っても益なことなんてないわよ」
どう見ても子供を産める歳じゃない見た目をしている老婆の機嫌を取る男性がそう言うと揺りかごに揺らされる蓮を上から覗き込んできた。
「これがアルメロおじちゃんが言っていた子だね!」
(これって……俺は物じゃないぞこいつ……)
覗き込んできた男はパッと見三十代前半、アゴヒゲを少し生やし茶髪の髪を後ろに束ねているのが印象的で堀の深い。その男が蓮へと向けてくる黒い双眸の奥からはなにも感じられなず、とくに特徴的なところがなく一言で言ってしまうならば“ダンディーなおじさん”で片付いてしまうような容姿をしていた。
(うおっ!)
男は蓮の両脇に手を通すと高々と持ち上げた。
(……怖い)
この男、手を滑らせて落としたりしないよな?と蓮は男の挙動に多少の不安感を抱いた。これで死んでしまえば蓮の第二の人生天井を見つめておしまいだ。男は喜々とした表情で蓮を抱き上げるが、そんな男の心情とは別に蓮はいつまでも自分を持ち上げる男に段々と焦りを募らせていた。
(……ん?、こいつ意外と鍛えているな)
だがそんな心配はすぐにいらなくなった。
その男はよく見ると筋肉質で、細からず太からずしっかりとした筋肉を体に備えてた。いつまでも蓮を持ち上げる腕には疲れが感じられなく非常に安定している。
ちなみにレイミーおばちゃんとは蓮をあやしている老婆のことで、アルメロが朝から晩まで狩りに出ている老爺のことだ。性はロリオネル、蓮は初めてそれを知ったときは何ともまぁラ行をコンプしに行く名前だなと思っていた。
「あーいよちよちべろべろばー!」
男は突如蓮にアホ面を晒してきた。
「あれ、全然笑笑わないなぁー?」
笑うわけがない。
男が蓮にアホ面を晒してくるのを遠くで眺めていたレイミーがこちらへやってきた。
「あらあら初めてのお顔に緊張でもしてるのかしらねぇ、ほらプレデック、ミー・ロッドおじさんですよー」
どうやら男の名前はミー・ロッドっという名前らしい。
英語にしたら「私は棒です」っということになる、名付け親はよほど性に餓えていたのだろう。
(かわいそうなやつだ……)
「?…………なんか今プレデックに同情の目を向けられた気がするぞ??」
蓮がロッドに哀愁の籠った目で見つめると勘が鋭いのかすぐに感じ取られてしまった。
ちなみにプレデックとは蓮のことで、性はまだ聞いてない。わざわざ毎回フルネームで呼ぶ必要はないもなくレイミーとアルメロは蓮をプレデックと呼んでいる。
「……?レイミーおばちゃん、その指どうしたんだい?」
こちらに近付いてくるレイミーの指の傷に気づいたロッドが、プレデックを抱き抱えながらじっとレイミーの切れた指を見て尋ねた。
「あら気づいちゃったかしら?実はさっき包丁でうっかり指を切っちゃったのよね」
「そうなのか、この歳だと肉体もそう常に頑丈でいられないのかもね、健康第一! 直してあげるよ」
ロッドはそう言うと、レイミーの手を取り傷口の深さを確認した。
「あらありがとう相変わらず優しいのね」
「レディーには紳士に接するのが俺の良いところなのさ」
とても紳士の言葉には聞こえなかったが男はそう言うとレイミーの傷口に掌を覆い被せるとそこから淡い光が互いの掌から溢れ出た。
(……今のはなんだ?、傷がみるみるうち塞がってくぞ!)
二人の重ねた掌から出た淡い光が傷口に入り込み、それが切れていたレイミーの指の皮膚を繋げていった。マジックかなんかなのかプレデックは全く理解が追い付かず目をこれでもかと見開き現状を目に焼き付けていた。
(あの一瞬でババアの切り傷が完全に塞がっていった…)
現代技術でもそんなイリュージョンが過ぎることはできない。それを平然とロッドは実行して見せると、レイミーもまるで当たり前のようにさも"それ"が普通であるかの様に受け入れていた。現状についてけず混乱が取り巻くプレデックの脳に一筋の疑問が浮かび上がった。
(…………まてよ?。見慣れない木の建築物の屋根、あまり気にしていなかったけどロッドの服装に背中から見えた道具の先端……)
とてもとは言えないがプレデックのいる建物の屋根の完成度は荒々しく、現代の木材加工を施されているようには見えない。そしてあまりプレデック自身気にはしてはいなかったがロッドの服装、よくよく考えて見てみれば少し違和感がある。
まるでロビン・フッドなどが着ていそうな中世の狩人のような軽装を見に纏い、抱き抱えられたときに感じた硬い、まさに小手のような感覚。そして抱き上げられた時に見えたロッドの背負ってる物。見えたのは先端、それは頑丈そうな木に太めの糸が張りついており釣竿にしては不便すぎる。アルメロから話を聞いて駆け寄ったのなら多分弓だろう。
仮に狩猟などに使うのならば弓って言うのは少しおかしい。いくらプレデックのいるここがド田舎とは言い狩猟をするのならちゃんと狩猟免許を取っていれば狩りに銃を使うことくらいは許されるはずだ。
なのに、何故銃器を使わない?
明らかに現代、プレデックのいた時代ではコスプレと呼ばれる格好で、少なくともこんな平然とそれを着こなすというのは違和感。
というより、
(若干イタイ……)
プレデックは今の自分の置かれている状況を改めて整理するがそれでもやはり理解ができない。
それもそのはず、プレデック自身前世はさほど転生物には触れてこなかったため彼のいるこの世界が異世界だと、ここが前世の地球ではないと言う結論には至らないのだ。その上、彼自身赤ん坊のせいも相まって外の世界を知る由もない。
(なら……ここはどこだって言うんだ?暦は?本当に……アフリカなのか?)
――そこで蓮基プレデックは、遅すぎる違和感に気づいた――