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東門の眼  作者: 恵梨奈孝彦
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復讐

 この男の物語が数千年後の現代にまで語り継がれてきたのは、いったいなぜなのだろう?

 この男には特別な才能があったわけでもないし、歴史的に特別な功績を残したわけでもない。

 しかし人々は、ある種のあこがれをもってこの男のことを語り伝えてきた。

 人は誰でも、他人をひどく憎むことがある。一度はだれでも、誰かをなぶり殺しにしてやりたいと思うことがある。

 しかし、その思いをずっと持ち続ける者は少ない。いつかはその恨みを忘れる。

 それは、決して怒りが鎮まったからでも、事件が自分の中で風化したからでもない。まして人間として成長したからでもない。

 他人を憎み続けることに、自分が耐えられなくなってしまうのだ。

 人は無意識のうちに、いやなことは少しでも早く忘れようとする。いつもいやな記憶で心がいっぱいでは、とても普通の生活がおくれないからだ。人間の心にこの働きがあるからこそ、心は、いくら傷つこうと、こわれずにすむ。

 他人をなぶり殺しにしたいと思うほどの思い出であれば、それはいやな記憶であるに決まっている。その屈辱を覚えていることに、自分が耐えられなくなるのだ。

 そして、そのうち、どんなに深い恨みを持っていても、いつかは復讐を忘れる。

 だが、それは自分が覚えているのがいやだから忘れただけのことであり、怒りが鎮まったわけではけしてない。なにかの拍子にふと、自分がかつて受けた屈辱を思い出すことがある。

 そんなとき、自分が復讐もできずにただ泣き寝入りをした負け犬であることを思い知らされるのだ。

 しかしこの男は、決してかつて受けた屈辱を忘れようとはしなかった。恨みは何年間でも温存し、けしてその思いに自分が押しつぶされることはなかった。

 人間の性格は年月がたてば変わる。しかしこの男は生涯変わらなかった。自分に屈辱を与えた者が苦しみもだえながら死んでいくところを見たいという執念を死ぬまで持ち続けた。


 伍員は石の上に転がっている平王の体を思い切り鞭でひっぱたいた。

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