報復
「それからおまえはおれを殺すことを命じたが、若いころおれの父に世話になったという刑吏がおれの命を助けてくれた。
楚を脱出したおれは、おまえにおれと同じことをされた白公勝とともに復讐を誓った。
おれは今呉に仕えている。呉王は、おまえを殺すことをおれに命じた。おまえは勝にまったく気を許していた。勝に命じればいつでも殺させることができた。しかしなぜ今までおまえを殺さなかったかわかるか?」
伍員は、平王の蒼白な顔を見下ろしながら、わざと唇をゆがめた。
「それはな、もし宮殿でおまえを殺させたら、おまえが苦しみながら死んでいくさまを、おれ自身が見ることができないからだよ。おれはこの七年間、ひとときとして楽しい時がなかった。飯を食っていても酒を飲んでいても、いつのまにかあの時の事が心に浮かんでくる。『今自分はこんなことをしているが、かつてはあんな屈辱を受けたことがある人間なんだ』これが心に浮かんできたら、もういけない。なにをしていても楽しめなくなってしまう。そんなときは、『いつかかならず楚王を殺す』と考えることによってだけ、その時間を生きることができた。しかし、おれが本当に救われるためには、おまえが苦しみながら死んでいくところを実際に見ることがどうしても必要だ。おまえが苦しみもだえて死んでいくさまを見ることができれば、おれははじめて人間らしい生活をすることができるだろう」
用意しておいた短剣をすらりと抜いた。突然平王が椅子から立ち上がり、扉に向かって走った。そのまま勢いよくぶつかったが、扉はきしむだけでまったく動かない。
「無理だ。さっきそこに鍵をかけたのに気づかなかったのか? 家は朽ちているが鍵は特別にあつらえた。こいつがなければ絶対あきはしない」
そう言って鍵を取り出して見せ、窓から外に放り捨てた。
平王が扉にしがみついている。短刀を左手に持ちかえながら、ゆっくりと近寄った。平王の、冠をかぶっていない髪を右手でわしづかみにして、その右手を胸の下あたりまでぐっと下ろした。
平王の腰がぐっと折れている。伍員は右膝でいやというほど平王のみぞおちを蹴った。平王が、げっ、という声を出してうずまろうとするのと同時に、髪をつかんでいた右手をさらに左下におろした。さらに平王の体が前のめりになる。伍員は平王の体がじゅうぶんに下がったところで、膝をその背中に乗せて思い切り体重をかけた。平王の体が汚れた床の上にうつぶせになった。
平王の顔は見えない。しかしひゅうひゅうという苦しそうな息づかいだけは聞こえてくる。背中に乗せた体重を右側に移して平王の体の下に手をさしこみ、胸の下敷きになっていた左手を無理やり外に出して、背中の上で逆にしめ上げた。
「さて、この指を一本一本切り離してやろうか。両手両足丸坊主にしてやるぜ」
後頭部あたりまでしめ上げた左手首をつかみ直し、その親指のつけ根に短刀を当てた。
「やめろ!」
「どこかで聞いたような言葉だな。なつかしいぜ」
「やめろ!……やめて……下さい……」
「ああ、その言葉もなつかしいぞ」
短刀を握った手に力をこめると、ゆっくりと下におろした。ものすごい、うなり声のような悲鳴が下から聞こえてくる。もとより人間の指が簡単に押し切れるものではない。力をこめるごとに悲鳴が高くなる。刃が骨に当たったような手ごたえを感じた。
その時、扉を激しく叩く音が聞こえた。