第二話:心の痛み
登場人物2
二階堂未来……二つ年が離れた明日香の姉であり幸雄の妹。明日香に優しかったが、幸雄が死んでからは明日香を避ける様になった。
「おはよう、明日香!」
後ろから僕を呼ぶ声が聞こえる。僕が振り返ると長身でポニーテールの少女が笑いながら立っていた。
「……おはよう、葉月…」
彼女は宮崎葉月、幼稚園の頃から毎日の様に顔を合わせている僕の幼馴染みだ。明るくて男勝りな性格で、なにかと僕の面倒を見ようとする。
昔はいつも僕と葉月と兄さんと姉さんの四人で遊んでいた……四年前までは。
「今日は朝ご飯はちゃんと食べたの明日香?」
「……食べてない」
食べれる訳がない。父さん達に嫌な思いをさせてまで食べようなんて思わない。
「もう、また食べてないの!駄目だよ?朝ご飯はちゃんと食べないと!」
葉月は鞄の中からパンの袋を取り出すと僕に差し出す。
「はい、これあげる!お腹がすいたままじゃあ、明日香だって辛いでしょ?」
「……ありがとう葉月」
僕はパンを受け取ると自分の鞄の中に入れた…『今日』も葉月は僕に優しくしてくれる。
「……ねぇ明日香、明日は幸雄さんの命日……だよね?」
「……うん」
「今年も…一人で墓に行くつもりなの?」
「…………うん」
「やっぱり他の皆と一緒に行こうとかは……考えてないの?」
「………行ける訳ないじゃないか」
「……ごめん、明日香」
「いいよ……葉月は何も悪くないから」
そう、葉月は何も悪くない。悪いのは全部僕なんだ、僕が生きているから――。
「明日香…幸雄さんの墓参りの事なんだけど……二人で行かない?」
「………え?」
「だって…明日香だけ一人なんて、そんなの悲しいよ…私も明日香と一緒に行く。
幸雄さんもその方が喜ぶと思うし……ね?」
葉月はニコリと笑いながら僕の顔を見つめる、かつての兄さんの様に。
兄さんが死んでから四年間、葉月だけが僕に優しくしてくれた。葉月だけが僕の側にずっといてくれた、僕に微笑んでくれた。彼女の優しさは僕にとって兄さんが死んでからの唯一の救いだったんだ。
でも、僕は二年前に知ってしまった…葉月の本当の心を。
葉月はいつも使っている財布とは別に、白い財布を常に大切に持っている。何故、財布を二つ持っているのだろうか…僕にはそれが不思議だった。
その理由が分かったのは二年前に葉月の家で二人で会話をしていた時だ。葉月がトイレに行き、一人で待っていた時に僕は机の上に白い財布があるのを見つけた。悪いとは思いながらも僕はコッソリと白い財布の中を見てしまった。……白い財布の中には一枚の写真だけが入っていた。
その写真には兄さんと葉月の二人だけが写っていて二人共笑っていた。その写真を見た僕は何とも言えない気持ちになった。
そして悟る……葉月もまた、僕じゃなくて兄さんに生きて欲しかったという事に。そして葉月の笑顔は僕じゃなくて本当は兄さんに向けられるべきだった事に。
その日から葉月の優しさ、笑顔が僕にとっては救いではなくなった。葉月が僕の事を本当はどう思っているのか、葉月も皆と同じ様に…心の中では僕の事を憎んでいるのではないか。
そんな事を考えている内に僕は葉月が怖くなり、いつしか彼女を避ける様になった。
「……いいよ、葉月は皆と行きなよ。僕は一人の方が良いからさ」
「そんな…明日香だって本当は一人じゃあ辛いんでしょ?だったら私が…」
「僕は大丈夫だよ葉月…。僕は大丈夫だから…君は皆と一緒に墓参りに行くといい。辛いのは僕だけじゃない、皆だって辛いんだ…兄さんが死んで」
そう…葉月を含め皆、僕のせいで辛い思いをしている。その原因である僕が皆と一緒に墓参りなんて事は有り得ないんだ。
それに僕には耐えられない…皆にばい菌を見る様な目で見られながらの墓参りなんて。
「明日香は…今でも幸雄さんが亡くなったのを自分のせいだって思っているの?あれは……」
「もういいよ葉月、全部分かってるから…。それより早く行こう、遅刻しちゃうよ」
僕は葉月の言葉を遮る様にそう言って、逃げる様に走り出す。
葉月……本当にごめんね。兄さんじゃなくて…僕が生き残ってしまって。
その日の夕方、僕は兄さんの墓に供える花や線香を買うためにバイトで貯めたお金を引き出すと家へと向かう。
「早く家に帰らないとお母さんに叱られちゃうぞ!走れ〜!」
「お兄ちゃん、待ってよ〜!」
二人の子供が走りながら僕の前を通り過ぎる。お兄ちゃん、か…僕も昔は兄さんの後を一生懸命に走りながらついて行ってたっけ。
「…………」
僕はその場で無言のまま立ち尽くす。もう、あの頃には帰れない…頭の中では分かっているんだ。でも、もし…あの頃に帰れるのなら。兄さんが死んだあの日に行く事が出来るなら。
「…………本当に僕は大馬鹿だな…」
そんな夢物語、ある訳がない…漫画やアニメじゃあるまいし。僕が今いるのは現実なんだ…兄さんがいない現実、僕のせいで兄さんが死んでしまった現実。
僕はため息を吐くと再び歩き出す。雲が空をおおい、辺りはすっかり暗くなっていた。
「ん……?」
家に着いた僕の頬に冷たい何かが当たる、どうやら雨が降り始めたみたいだ。早く家の中に入ろう…僕は玄関の扉を開く。
「ただいま……」
「おかえりなさい」
突然の返事に僕はびっくりする、返事をしたのは姉さんだ。未来姉さんはとても優しい性格で、父さんに怒られて部屋で泣いてた時も必ず僕を慰めに来てくれた。
料理も得意でいつも作ってくれる卵焼きが僕は大好きだった。
でも…兄さんが死んでから姉さんは僕に冷たくなってしまった。僕とはあまり話をしなくなったし、僕を意図的に避ける様になった。
そんな姉さんが何故、僕の帰りを待っていたんだろう?何か僕に言う事でもあるのだろうか。
「ど、どうかしたの姉さん…?」
僕は恐る恐る姉さんに尋ねた、姉さんは少し眉を顰めると僕の顔を見つめる。
「今日、葉月ちゃんから聞いたんだけど…今年も兄さんの墓参りに一人で行くんだってね?」
姉さんの言葉に僕は思わず後退りをする。葉月…なんで余計な事を姉さんに言うんだ。
「…………はい」
僕は小さな声で言いながら首を縦に振る、僕の返事を聞いた姉さんは僕の顔を睨み付けた。
「絶対に駄目よ明日香。今年は明日香も私達と一緒に行くの…分かった?」
「え……?な、なんで姉さん?今までは何も言って来なかったのに…。別に僕がいなくても…」
「…とにかく駄目なの。明日香、あなたは兄さんが死んだのを自分のせいだって思っているから…一人だけで行くんでしょう?」
ズキン…
姉さんの言葉が僕の胸に刺さり痛みとなる。理由が分かっているのに、なんで姉さんがそんな事を言うのか分からない。
姉さんは…僕が嫌いになったんじゃないの?姉さんだって僕の事をばい菌を見る様な目で見てたじゃないか。
「……お願い姉さん、墓参りには一人で行かせてよ…。僕は一人だけで行きたいんだ」
「いい加減にしなさい明日香!これ以上わがままを……」
バタン!
僕は玄関の扉を勢い良く開けると外へ飛び出した。――僕にはこれ以上、姉さんの話に耐える事が出来なかったんだ。
「待って、明日香!私は……」
姉さんの叫び声に振り向く事もせず僕は逃げる様に走り続けた。
あれから何時間だったんだろう。
大雨から逃れるため、僕は公園の遊具の中で座っていた。身体中が雨のせいで濡れてしまっている…非常に寒い。
鞄の中が濡れていないか確認する、どうやら大丈夫みたいだな。携帯が光っている……姉さんからのメールだ。
『さっきは強く言い過ぎてごめんね。今どこにいるの?今から迎えにいくよ』
僕は少し画面を眺めた後、メールの返信を始める。
『兄さんの墓参りが終わった後に帰って来ますので気にしないでください。本当にごめんなさい姉さん、人に迷惑をかける事しか出来ないクズな弟で…』
僕はメールを送信すると携帯の電源を消した…雨はまだ降り続けている。
涙が頬を伝って地面へと落ちる。姉さんも本当は僕に兄さんを殺した事に対する恨みを言いたかったのだろう。
でも僕はそれを聞くのが怖くて逃げてしまった…僕は臆病で卑怯な最低の人間だ。
ごめんなさい姉さん…兄さんを死なせてしまって…本当にごめんなさい。
僕は心の中で姉さんに謝り続ける…結局、僕は朝が来るまで少しも眠る事が出来なかった。
次回、兄である幸雄の前で明日香は……