聖女と呼ばれた悪役令嬢
コメディにすら分類できないカオスな話です。
頭を空っぽにしてお読みください。
公爵令嬢ガートルードは性根のひん曲がった女である。
昨今流行りの悪役令嬢だが、「実は優しい」とか「事情があって」とかいうタイプではなく、真の悪である。
ところが、彼女に対する評価は『聖女』である。
だからこそ、黄泉の帝王ハディスはうんうん頭を悩ませている。
「ちょっと! このわたくしを待たせるなんていい度胸しているわね! わたくしは天国行きに決まっているでしょう!黄泉の王だかなんだかしらないけれど、さっさと手続きをしなさい!」
目の前で引っ立てられているのは、出来立て……取り立てホヤホヤの魂である。そう、公爵令嬢ガードルードは激高した反徒に殺されてしまったのだ。
魂はまず裁判にかけられる。善行ポイントが高ければ天国、悪ければ地獄。
わかりやすいシステムだ。
ハディスは彼女が連れてこられたとき、「あ、こりゃ地獄行きだな」とデータシートを見もしないで地獄行きにサインしかかった。
ところが、データシートに燦然と輝くピンクの十字マーク。これは一定数善行ポイントが達したときに印字されるもので、これ以上ない位素晴らしい魂であることの証である。
ハディスは二度見どころか三度見した。
側近にも確かめてもらったが間違いがない。
では不正をしたのか。
だがどうやって?
あわてふためくハディスにガートルードは軽蔑しきった眼差しを送る。
「まだできないの? ノロマね!」
傲慢不遜。
これのどこが聖女だというのだろうか。
ハディスは「急いで真実の鏡を持ってこい。あとそこの女の事情聴取を行え!」
と声を上げた。
真実の鏡は過去現在未来(未来は考えられる可能性)に至るまで見通す万能アイテムである。データシートがおかしい時、真実の鏡を確認しながらバグを検出する。
ハディスは真実の鏡でガートルードの素行調査を開始した。
浮かび上がるのは豪華な調度品が並ぶ部屋。
質のいいブラウス姿の美青年がうなだれて椅子に座っている。
「殿下……どうかお食事を召し上がってください。一昨日から何も口にされていません」
侍従の言葉に王子は力なく首を振る。
喉も乾かない。飢えも感じない。
ただ、心が痛かった。
僕の婚約者はとても美しい人だった。
使用人や平民につらく当たる態度を見て以来、冷たい人だと僕は思い込んでしまったが、それはすべて彼女の演技だった。
彼女の優しさを僕が知ったのは、皮肉にも彼女が叔父を庇って倒れた時だった。
僕の叔父、ベルドント公爵。
民に重税を課し、苦役を強いた彼はまさに悪徳領主だった。
昔は優しかったが、いつからか粗暴になり、伝え聞く噂はひどいものばかりだった。
父や僕の追及にも彼は知らぬ存ぜぬを貫き通し、糾弾できる証拠もなかった。
いつからか、彼女はそんな叔父のもとへ行くようになった。
僕はひどく落胆したのを覚えている。
彼女も叔父と同じ人を人と思わない貴族なのだと感じたからだ。
だが、すべて誤解だった。 叔父の懐に入り込むためにわざと悪い女を演じていたのだ。
僕や父が苦悩する様を身近に見ていた彼女は義憤にかられたのだろう。
青臭い僕では何もできないと分かっていたから、彼女は何も言わず、世間のそしりを受けてまで叔父の元へ行ったのだ。
彼女は叔父の不正の証拠を自らの手で調べ、民から徴収した税や食料はすぐに還元できるよう丁寧に資料にまとめていた。
側女として何人もの女性が叔父の屋敷に連れていかれたときも、彼女は憎まれ役を演じて逃がした。
だが、凶刃から叔父を庇って彼女は帰らぬ人となった。
彼女の悲報を僕は父から知らされた。
そして彼女がいかに優しい人だったかを、他の人間から知らされたのだ。
「あの方は寝る暇も惜しんで書類を調べていらっしゃいました。声は聞こえませんでしたが、旦那様と言い争ったことも幾度か……」
叔父に仕える老齢の執事が泣きそうな顔で教えてくれた。
「ガートルード様はわたくしたちにいつも辛くあたりました。でもそれはやめやすいように仕向けて下さっていたのです。わたくしたちは証文があるのでお屋敷から出られません。でも、ガートルード様が『使えない』とおっしゃったから、出れたのです」
涙ぐみながらメイドたちは言う。
僕は婚約者なのに彼女の優しさすら気づけなかった。
彼女が倒れた時、僕の名前を呼んでいたという。
僕はなんて愚かなんだろうか。
表面しか見れず、彼女の行動の意味すら理解しようとせず、優しい彼女を一人だけでいかせてしまった。
謝っても謝り切れない。
好きだよ、ガートルード。
君をはじめて見た瞬間、僕は恋に落ちていた。
ガートルード。君だけが永遠に僕の伴侶。
僕の愛をすべて君に。
王子の心情を読み取ったハディスは変な声が出た。
なんという純情ボーイだろう。
部下からあがってきた本人の事情聴取を読んだ今では、初心さに体中がくすぐったくなる。
なにしろガートルードは印象通りの悪女であっている。
侍女を虐げていたのも性格が悪かったからだし、叔父とやらにすり寄ったのも「弱みを握って分け前ゲットですわオホホホホ」とかいうゲスな考えだし、書類整理も「試算される翌年の生産量はこれだけとすると、もっと税率あげてもよさそうですわねオホホホホ」というドクズな理由である。
食料保管庫に関しては「密輸出でボロ儲けですわーオホホホホ」ともはや犯罪による行動だ。
最後の言葉だって、途中で絶命しなかったら「『バーンハイト……』を傀儡にしてわたくしが女王になるはずだったのに……ゴフっ!」と聞き取れていただろう。生命力が枯渇したため王子の名を切なげに呼んだように見えただけだ。
それにベルドント公爵を庇ったのだってあれは偶然の事故である。
暴徒が押し入った時、ガートルードは公爵を盾にして逃げようとドンっと推したのだが、グラマラスボディの公爵の体を令嬢の細腕で動かせるはずもなく、結果バランスを崩してグサっと刺さったに過ぎない。
だが、世間の目は節穴ゆえ、ドクズ悪役令嬢を『悪徳領主を改心させようとした聖女』と評価してしまったのである。
刺殺した暴徒は無関係な令嬢を刺殺してしまったことを気に病み、獄中で毎日懺悔しているし、ベルトント公爵はガートルードのドクズさを知っているものの、孤独な生活の中、話し相手になってくれた彼女は彼にとって天使だったので「わしが悪かった。すべてわしのせい。彼は悪くない」と犯人を庇い、自ら出頭して罰を願った。
公爵が気を病んだのは、彼の娘が病死してからで、孤独から粗暴になり、誰も信じることができなくなった。
ガートルードと違い根は悪い人間ではなかったのである。
王太子は「人を見る目がない僕に王は務まりません」と王籍を自ら捨て辺境の司祭となり、ガートルードの冥福を祈って細々と過ごした。
ときおり彼女の絵姿を眺めては悲しそうに笑う姿がいじらしい。
哀愁漂う彼の後姿を見ながら、ハディスは『君の思い人は元気に俺の部下を罵ってるよ』と頭の中で突っ込む。
ガートルードはまぎれもなく悪女だ。
態度といい素行といい地獄行き待ったなしなのだが、誰も彼女を恨んでいる人がいないため善行ポイントが減らない。
ハディスは苦悩した。
こいつを天国行きにするのはハディスの良心が許せなかった。
こんな悪女を天国に行かせるのは、美しい楽園に飢えた獣を放つようなものである。穢れなき乙女たちはこの極悪人に蹂躙され、虐げられるにきまっている。
絶対にそうはさせない!
そう考えたハディスは『転生』させることにした。
本来なら、転生はヒューマンエラーならぬゴッドエラーで人間が被害を被った時の救済措置である。
今回はしかたない。
この女を絶対に天国に行かせたくないというハディスの堅い意志のもと、ガートルードは転生した。
バーンハイトが住む村の孤児として。
「……この子、ガートルードに似ている」
バーンハイトは目を潤ませた。
司祭業の傍ら、孤児院も運営している彼は、村はずれに捨てられていた子供を見て既視感を覚えた。
気の強そうな目、つんと澄ました口、小高い鼻。
どれも最愛の人の面影だ。
バーンハイトは言った。
「この子をガートルードと名付けよう。彼女のように優しくて気高い女性になりますように」
今度こそ、幸せにしてあげよう。
バーンハイトは誓う。
だが中身がアレである。
いくら育て方が良くても、根っからの悪女が改心なんてするわけがなかった。
不良グループを率いて奪略行為を働き、盗賊とドンパチやって根城を分捕ったり、はてはやってきた騎士団を壊滅させたりした。
だが、不良グループはもともと食い詰めた貧民の子たちで、ガートルードのおかげで一家が飢え死にせずに済み、盗賊に苦しめられていた民衆は恐怖から解放され、侵略目的でやってきた騎士団を跳ね返したことにより、民は魔の手から逃れた。
今世では『救国の乙女』と呼ばれ、劇的な戦死(敵の天幕に盗みに入ったが見つかった。世間では大将首を取りに行ったと思われている)を遂げた。
善行ポイントがたまりまくり、『聖女』と『英雄』の称号が付与されたデータシートを見てハディスは歯をギリギリする。
「今度こそ! 絶対に! 地獄に落としてやる!」
と再び転生させるのだが、そこでもまた善行ポイントと称号が増え、最終的には100万回転生させたところでハディスの心が折れた。
「……天国でいいです」
力なく言ったハディスの耳に悪役令嬢の高笑いがこだまする。
上機嫌で天国に乗り込んだガートルードだが、天国はぶっちゃけ善人ばかりの国である。
悪の塊のガートルードは逆にものすごい苦労(果てしない居心地の悪さ、虫唾が走る嫌悪感)をすることになる。
ガートルードが罵っても、「まあ、ご気分でも悪いのかしら?」とベッドに放り込まれ、かいがいしく世話をされる。さらに嫌味も皮肉も明後日の方向に曲解されるので、言葉が通じるのに意思の疎通ができない恐怖に苛まされるのだ。
彼女の悪戦苦闘ぶりを知ったハディスは、「今までの苦労は何だったんだろう……。大人しくデータシート通りに処理しとけばよかったんじゃ……」と虚無感に襲われたが、彼の仕事量は膨大なのですぐに忙殺された。
ハディスはすっかり記憶のかなたであるが、ガートルードはいつまでもハディスを忘れていない。
「このわたくしをこんなところへ押し込んだあの男……!必ず復讐して見せるわ……!」
ギリギリを歯を鳴らしながら今日もガートルードは天国から恨み言をこぼす。
しかし、「復讐だなんてダメですよ!」「ガートルードさんはお心が疲れているんですわ!」と邪気のない笑顔に包囲され、彼女の願いは今のところ叶えられる気配はない。