ダーク・ナイト「夏詩の旅人スペシャル」
2014年5月
東京都青梅市伸町の、とあるアパートの一室での会話。
インターネット闇サイト「ダーク・ナイト」を閲覧していたサブロウが呟いた。
「おい、サチ、これ見てみろよ…」
サブがサチコにそう言うと、手にしたスマホ画面を彼女へと見せた。
「何だいこれ…?」
スマホを覗くサチが、怪訝そうな表情で言う。
「これはいわゆる、ヤバイ仕事の依頼ばかり載っている闇サイトってやつさ」
サブがサチへ得意げに言う。
「ふぅ~ん…」
スマホ画面をしげしげと見つめるサチ。
「殺人、盗み、恐喝、暴行、オレオレ詐欺に大麻の運び屋…、いろいろあんだろぉ?」
サブは画面を見つめているサチにそう言うと、ふふふ…と笑った。
続けてサブは、サチに問いかける様に話し出した。
「これってさ、ヤバイ仕事いっぱい載ってるけど、そん中でもこの“誘拐”ってのが、やっぱ一番割が良さそうな感じだな?コスパ的にもよ…」
「サブ、あんたまさか、その依頼に乗るつもりなのかい?」
その問いかけに、少しだけ驚いたサチがサブに聞く。
「いや…乗らないよ…。てかさ…、これって自分たちで直接やった方が儲かるんじゃね?」
サブがニヤニヤしながら言った。
「自分たちって…、あたしとあんたで誘拐をかいッ!?」
「ああそうだ。俺とお前でやる!」
「あたしゃヤダよ!、パクられるのがオチさ!」
「だぁいじょ~~ぶだって!」
ニヤケ顔のサブが言う。
「何が大丈夫なのさッ!?」
安直な考えのサブに、サチは少しイラつく。
「俺に良い考えがあるんだよ…」
「あんた、ワル顔になってるよ!」
ニヤケ顔のサブに釣られて、サチもニヤケ出した。
「サブ…、なんで誘拐なんてしようと思うのさ…?」
突然、誘拐の話を持ち出すサブに、サチは不思議に思い言った。
「カネだよ!、今の俺たちにはカネが必要だからだ!」
サブが急に声を荒げる。
「カネ…?」とサチ。
「そうだカネだ!、俺たちみたいな学歴もねぇ、親もいねぇ孤児院出のやつらは、一生懸命働いたって、所詮手元に残るのは安月給さ!」
「そんなのバカバカしいじゃねぇか!、そう思わねぇかサチッ!?」
サチは、そう話すサブの事を黙って見つめていた。
「金持ちのやつらは脱税したり、弱者からピンハネしたりと、インチキばっかして稼いでるじゃねぇか!?」
「政治家だって教育者だって、会社の社長さんだって、みぃ~んな悪さして儲けてるぜッ!」
「そんなの不公平だ!、なんで俺たちばっか貧乏しなきゃならねぇ!」
「だったら俺たちだって、誘拐ぐらいしてカネ稼いだってバチなんか当たらねぇよ!」
サブが今の世の中に対しての不満を吐き捨てる様に言う。
「確かに、もっと政治家も、あたしたちみたいな人間の事も考えて欲しいよねぇ…」
サブの話に、サチも同調し、ふて気味に言った。
「とにかく政治家が悪いんだよッ!、国も悪いよなぁッ!、だから俺たちが不幸になるんだ!」
「こんな世の中じゃあ、真面目に働いてたら、返って損するぜッ!」
「じゃあ、あんた本気で誘拐をやるつもりなんだ?」
「ああ…、だけどそれにはオメェの協力が必要だ!」
力強くサブが言う。
「サブ…、さっき言ってた良い考えってなにさ?」
真剣な表情で言うサブに、サチも段々興味が湧いて来た。
「これを見ろよ」
そう言うとサブは、さっきとは別のサイトをサチに見せた。
「誘拐の手引き…!?」
スマホ画面を見たサチが、サイトの題名を見て言う。
「そうだ…、最近はこういう便利なものが、みんなネットで検索すればスグ出て来る」
「爆弾だって、毒ガスだって、拳銃だって、みんな作り方が丁寧に載ってるんだ」
そう話すサブの言葉を、黙って聞いているサチ。
そんなサチの顔を見たサブは、更に話を続ける。
「誘拐のマニュアルは、これを参考にして進めてみようと思ってる」
「誘拐するのは、子供の女が良い…、弱くて臆病だから声も出せないと、これには書いてある。確かにそうだと思う」
「そして、誘拐する子供に警戒されないで声をかけるのも女が良い!、つまりお前だサチ…」
そう言って、サチを指差すサブ。
「ふぅん…。誘拐したら、どこに拉致しとくんだい女の子は?」
「奥多摩湖の先に、今は使われてねぇ廃キャンプ場が残ってる」
「そこのバンガローなんかに、監禁しとくのが良いんじゃねぇかな?」
「あの辺はケータイの電波も入らねぇしな…」
「で、ターゲットは、誰にするんだい?」
「もう決めている!」
ギラリと目を光らせたサブが、笑顔で言った。
「あんた早いね、そういう事は…」
含み笑いでサチが言う。
「ふふ…、ホメ言葉として受け取っておくよ…」
そう言ったサブが声を荒げて言い出した。
「こいつだ!、安田ユキオだ!大金持ちだ!」
サブはそう言って、Googleの画像検索した安田ユキオの顔をサチに見せる。
「えッ!安田ユキオって、あの“ヤスダ珈琲”のチェーン展開でハデにやってる、あの安田ユキオの事かい?」
サチがサブに確認する。
「そうだ!、やつは来年には政界にも進出しようと考えてるって噂だ!」
「安田ユキオの豪邸は…、確か青梅市にあったわよね?」
思い出す様にサチがサブに言った。
「そうだ。東京都と言っても青梅市はド田舎さ。人通りも少ねぇし、誘拐する場所としては最高だ」
気分が段々とノッて来るサブ。
「だけど安田ユキオの子供なんて、車の送迎付きで学校に行ってるだろうから、誘拐なんて無理なんじゃないの?」
あくまで冷静なサチは、サブに淡々とした口調で話す。
「そう、確かに安田ユキオの息子や娘たちは、高級車で送迎されて学校に通っている。しかし…ッ!」
まるで独裁者のような身振り手振り、口振りでサブは熱く話し続ける。
「しかし…?」
サチが言う。
「しかし…、何故か一番下の、小学6年生の娘だけは、徒歩で学校に通っているんだ」
サブが複雑な表情で、サチに対して言う。
「ホントなのそれ?」
確認するサチ。
「ああ…、ちゃんと何ヶ月にも渡って下見して来たからな…」
ほぼ間違いないという感じで、サブはサチに言う。
「あんた、そんな前から誘拐を企んでたのかい!?」
サブの事前準備があまりにも早いので、サチはちょっと驚いた。
「俺はもう、早くこんな貧しい暮らしから抜け出したいんだよッ!」
吐き捨てる様にサブが言う。
「カネさえあれば、幸せになれるんだ!好きなものも買える!、自分で商売を始めたって良い…ッ!」
手を振り上げて熱く語るサブを見るサチは、彼が、まるでオペラの舞台で演じている役者の様に見えるのだった。
「そしたらお前は社長夫人だな?、やれなかった結婚式や新婚旅行にも連れてってやるよ!」
「ふふ…、ありがとうねサブ…」
当てにならない夢だが、想像するのはタダだ。
サチは、そんな夢物語を熱く語るサブが可愛らしく思えるのであった。
「身代金は3億円だ」
続けてサブが言った。
「さっ…、3億ってッ!」
驚くサチ。
「ヤスダ珈琲の社長なら、それくらいイケルだろッ!?」
ニヤついた顔でサチに言うサブ。
「なんで3億に決めたのさ?」
「年末ジャンボの宝くじの一等が3億円だからさ…、それくらいあれば裕福になれる気がするんだ」
「ふぅん…。で、一体いつ決行する気なのさ?」
安易な発想だなと思いつつ、具体的な案を聞いてみたいと思ったサチが、サブに問いかけた。
「来週だ!、GW明けで、青梅市の行楽客が減り出す来週に決行する!」
「分かったよ!、あたしもこんな人生まっぴらゴメンだ!、カネを手に入れて、さっさと貧しい暮らしとオサラバしたいからね!」
サブの言葉を聞いて、自分もこの男と共にする覚悟を決めたサチが言った。
「一緒にやってくれるか!?、サチッ!」
嬉しそうにサブが言う。
「あたり前だろ!、あたしら夫婦なんだから…」
サブの賭けに託してみようと、サチは思った。
「愛してるぜサチッ!」
同調してくれたサチに対して、ゴキゲンのサブ。
「ばかッ!」
サブの言葉に、少しだけ照れるサチ。
こうしてサブとサチは、安田ユキオの娘を誘拐する事を決めたのである。
東京都青梅市河辺町
あの中出氏の自宅は、駅から程近い場所にあった。
その自宅の敷地面積は、実に東京ドーム5つ分はあると思わせる広さであった。
その敷地内には、格闘技道場が建っていた。
道場の看板を見たハリーが中出氏に言う。
「ドージョー・チャクレキ~?」
「はい、漢字で書くと“道場 着歴”となります」
中出氏の次男、中出ヨシノブがハリーに笑顔で言う。
「どういう意味で?」
ハリーが中出氏に聞く。
「中出氏の古から伝わる、究極の格闘武術が辿り着いた歴史が、ここに積み込まれているという意味から名付けられました」と、中出氏がもっともらしく言った。
「そうですか…。あっしはてっきり、“ドージョー・チャクリキ”からのパクリだとばっか思ってやしたよ」
ハリーが中出氏にそう言うと、図星を突かれたのか?、中出氏はハリーにそそくさと言った。
「まぁ…、とにかく入ってください」
そう言って、ハリーを道場に入れる中出氏なのであった。
道場に入ったハリーが道場内を見渡す。
道場の中は綺麗に清掃された板の間の道場だった。
正面の頭上には神棚が設置させていた。
「さて、ハリーさん。今日、ここにお招きしたのは、ハリーさんの格闘技術を、より向上させる為に、お越しいただきました」
神殿を見つめているハリーへ、中出氏が背後から話し掛けた。
「へっ!?、あっしの格闘技術の向上?」
そう言って中出氏へ振り返ったハリー。
「そうです。ハリーさんの得意技は基本、グラップル…、つまり組み技や投げ技が主体ですよね?」(中出氏)
「ええ…、まぁあっしは、柔道家のプロレスマニアでやすから…」(ハリー)
「でもそれでは、いっぺんに多くの敵と対峙した場合、投げ技や組み技を仕掛けている最中に、他の敵にやられてしまいます」
「そして何よりも、ハリーさんの必殺技である投げ技へと行くには、相手の隙を作らなければ投げ技に入れませんよね?」
「うう…、たっ、確かに…」
的を得た、中出氏の説明に納得するハリー。
「そこで今日は、我が中出氏に代々伝わる打撃技を、マスターして頂こうかと考えております」(中出氏)
「中出氏代々に伝わる打撃技ぁ~!?」(ハリー)
「そうです。打撃技で相手を崩してから投げ技に移る事が出来れば、ハリーさんは鬼に金棒です!」(笑顔で言う中出氏)
「その打撃技とはッ!?」
ハリーが中出氏に聞く。
「名付けて!、松本明子拳ですッ!」
どうだ!とばかりに、高らかに言った中出氏。
「ショッ…、ショーホーメ…??」
よく聞き取れなかったハリーが言う。
「松本明子拳ですッ!」
中出氏は、再度、ハリーへ説明した。
「どんな技になるんでやすかい?」
「三連弾の打撃技です!」
すぐさま答える中出氏。
「三連弾なんて、まるでリングにかけろ!の、志那虎一城のローリング・サンダーみたいでやすね?」
「ハリーさんッ!真面目に聞いて下さいッ!、マンガじゃないんですよッ!!」
「はぁ…、スンマセン…」
珍しく真剣な表情の中出氏に、ハリーは気まずそうに詫びる。
「まず右正拳突きで、相手の正面から胸元を押すように突きます!」
「その時の掛け声は、“押忍!”です」
中出氏がハリーに、レクチャーを始める。
「押忍…?」とハリー。
「そうです。押忍です!」
中出氏はそう言うとレクチャーの続きを始めた。
「続いて二打撃目は、左正拳突きで相手の頬を突きます!」
「その時は相手を失神させる様な気持ちで…、つまり意識を召さす様な気持ちで打撃を与えて下さい」
「掛け声は、“召す!”でいきましょう!」
「め…、召す…?」(ハリー)
「そうです。“召す!”です」(中出氏)
「そして最後は、フラフラになっている相手に、大技の胴廻し回転蹴りを相手の顔に決めて下さい」
「その時の掛け声は、“喫すッ!”です!これで敗北を喫する事になるであろう相手に対し、“喫すッ!”と叫んで下さい!」
「何の為に、そんな掛け声を…?」
中出氏の説明に要領を得ないハリーがそう言うと、2人の背後から突然誰かが答えた。
「掛け声とは“気”です。“気”を発する事で破壊力が増大する大事な事なのです」
「お兄様ッ!?」
その声の方へ振り向いて中出氏が言う。
声の主は中出氏の兄、ヨシムネであった。
彼らは年齢が1つ違いの兄弟だったが、姿かたちはまるで双子の様に似ているのであった。
「さぁハリーさん始めましょう。今日のコーチは私です」
中出氏の兄、ヨシムネがハリーへ静かな口調で言った。
「なッ…、中出氏兄ィが直々に指導をしてくれるんでやすかいッ!?」
中出氏兄にハリーが聞いた。
「そうです。私が直伝します」
澄まし顔のヨシムネが言った。
「松本明子拳って、そんなに凄いんでやすかぁ…?」
ハリーが素朴な疑問として、中出氏兄に聞く。
「はい!、その破壊力は“カポエラ”にも引けを取りませんッ!」
ヨシムネは、誇らしげにハリーへ、そう言うのであった。
(ビ…、ビミョウだなぁ…)
ハリーは、松本明子拳が、いまいち信用できないのであった。
「さぁ!、ハリーさん!、私に向かって打って来て下さいッ!」
打撃を受けられる様に、ミットをはめた中出氏兄がハリーに言った。
特訓が開始されたのだ。
「わ…、分かりやしたぁッ!」
そう言ったハリーは、先程ヨシノブから聞いた通りに、打撃技の型を始めるのであった。
「お…、押忍!」
右の正拳を中出氏兄に出すハリー。
「そんな掛け声じゃ“気”なんか出ませんよぉッ!」
中出氏兄が、ハリーにもっと気合を入れろとばかりに喝を入れる。
「押忍ッ!」
再び右正拳突きをやるハリー。
「まだまだぁッ!」
こんなもんじゃダメだとばかりに、中出氏兄がハリーへ言った。
「押忍ッッ!」(正拳突きを繰り出すハリー)
「こうですッ!…、オスッッ!!」
正拳突きの見本をハリーに示すヨシムネ。
「オスッッ!」(力強く正拳を放つハリー)
「そうです!その調子ですッ!」(ヨシムネ)
「オスッッ!」(正拳を放つハリー)
「はい次ッ!」
そう言って。顔の頬にミットを移動する中出氏兄のヨシムネ。
「メスッッ!」
そのミット目がけてハリーが左拳で正拳を放つ!
「はい、蹴りッ!」
ミットを更に上へと上げた中出氏兄がハリーに言う。
「キッスッッ!」
十分な勢いをつけ、ハリーがミット間がけて、胴廻し回転蹴りをする!
バシッ!
最後の蹴りを受けた中出氏兄がハリーに言う。
「じゃあ今度は続けて、連続でッ!」
「オスッ!、メスッ!、キッスッッ!!」(ハリー)
「もう一丁ッ!」(ヨシムネ)
「オスッ!、メスッ!、キッスッッ!!」(ハリー)
「もう一丁ッ!」(ヨシムネ)
「オスッ!、メスッ!、キッスッッ!!」(ハリー)
「もう一丁ッ!」(ヨシムネ)
「オスッ!、メスッ!、キッスッッ!!」(ハリー)
「オスッ!、メスッ!、キッスッッ!!」(ハリー)
「オスッ!、メスッ!、キッスッッ!!」(ハリー)
こうしてハリーの特訓は、その日、深夜にまで及ぶのであった。
そして1週間が過ぎた。
東京都青梅市沢井町にあるヤスダ珈琲社長宅
安田ユキオの豪邸の庭には、何故か、みすぼらしいプレハブ小屋が建っていた。
その建物に向かって歩いて行く1人の中年女性。
彼女は安田邸で働く家政婦であった。
家政婦は布巾を被せたトレイを片手に持ち、ドアをノックした。
「ミユキちゃ~ん!、朝食ですよ~!」
「三田さん、おはよう!」
プレハブ小屋のドアが開くと、小学生の高学年らしき女の子が出て、笑顔で家政婦にそう言った。
「はい、これね。終わったらいつもの様に玄関前にお盆ごと置いておいてね」
「はい。いつもありがとう!」
少女はそう言ってトレイを受け取ると、プレハブ小屋の中へと戻って行った。
ドアが閉まる。
はぁ…。
その時、家政婦の三田が、小さなため息をついた。
「不憫だねぇ…。旦那様も何であの子だけ庭に住まわせて…、粗末な食事をさせるんだろう…。自分たち家族は朝から豪勢な食事を取ってるっていうのに…」
三田はそう言うと、少女の暮らすプレハブ小屋を後にした。
「いただきま~す!」
ちゃぶ台に正座したミユキが両手を合わせて言う。
そこに置かれた食事は、茶碗一杯のご飯とみそ汁。
そして、生卵1つと海苔が2枚だけであった。
しかしミユキは、その食事を有難く戴いた。
貧相な目の前の食事を、心から感謝して戴いた。
そんなミユキを姿を見つめる様に、彼女の勉強机の上から1個の写真立てが置いてあった。
写真立てに入った写真は、笑顔で写るミユキの父と母と、ミユキ本人の3人が写った写真であった。
ミユキの両親はミユキが10歳の時に、信号無視をしたトラックにぶつけられ、後部座席に座るミユキを残して交通事故で亡くなった。
夏休み中の楽しい家族でのドライブが、最悪の日となってしまったのだ。
奇跡的に無傷で助かったミユキであったが、その後も彼女の不憫な人生は続いた。
ミユキの両親は、親の反対を押し切って結婚した。
その事から、ミユキは両親の実家、及び親戚連中からも煙たがられ、誰も彼女を引き取ろうとしなかったのだ。
誰も頼る事の出来ないミユキは、孤児院へ入る事となった。
孤児院には、理由があって親に捨てられた子供達が10人ほど暮らしていた。
子供達は皆、ミユキよりも年下で、4歳から7歳くらいまでの子たちであった。
ミユキが孤児院で暮らす様になってからしばらくすると、孤児院で一緒に暮らす小さなその子供たちは、里親に引き取られて行き、どんどん居なくなって行った。
やがて孤児院には、また新しい子供が入って来る。
だがミユキよりも後から入って来た子供たちも、次から次へと里親に引き取られて行く。
その新しい孤児たちも、やはりミユキよりも年下であったのであった。
孤児院で里親が見つけられやすい年齢は、小さければ小さいほど良い。
それは幼少期の記憶が少ないほど、里親と本当の親子の関係になりやすいからだ。
ミユキは11歳になっていた。
もう自分の意思もはっきりと持っており、亡くなった両親の事もはっきりと覚えている。
そんなミユキの里親になろうという人はいなかったのであった。
そんなある日、ヤスダ珈琲社長の安田ユキオが、孤児院へ慰問に訪れて来た。
ビジネスに大成功した安田の次の目標は、政界への進出であった。
そして、孤児院を訪れた安田は、ミユキを見て閃いた。
この子を引き取れば、自分のイメージが上がる!
11歳の子供なら、私への感謝の言葉を自分の言葉ではっきりしゃべる事ができるはずだ!
そうすれば、それはメディアが取り上げて話題になる。私の好感度は上がり、選挙戦が有利に進むはずだ!
安田はミユキの里親になる事で、来るべき選挙に少女を利用する事にしたのだ。
「行って来ま~す!」
安田の実の息子と娘が名門私立学校へ向かう為、玄関前に停めてある高級外車に乗り込んだ。
「いってらっしゃいませ!、おぼっちゃま、お嬢様…」
家政婦の三田が笑顔で2人に言う。
その後ろでは安田ユキオも笑顔で頷きながら立っていた。
走り去る高級車。
そして時間差で、ランドセルを背負ったミユキがプレハブ小屋から出て来た。
彼女は公立小学校通いであった。
ミユキは毎日、歩いて30分も掛る学校まで通っていた。
「行って来ます!」
明るい声で家政婦の三田に言うミユキ。
「行ってらっしゃい」
笑顔の三田が言う。
「行って来ます」
ミユキが安田にも言う。
「ふん…」
だが安田は、気分がすぐれない様な顔をミユキに向けると、黙って家の中へと入ってしまった。
ちょっと寂しそうな表情のミユキ。
だがすぐに気分を切り替えて、清々しい表情で学校へと向かった。
「駐在さんおはよう!」
ミユキが駐在所の前に立っている警察官に挨拶をした。
その警察官の名は、寺島イサムと言った。
元は警視庁捜査一課で活躍する敏腕刑事の彼であったが、上司の命令を無視して犯人を逮捕した為に、青梅市の駐在勤務に左遷させられてしまった男である。
地元の人は誰も知らないが、実は彼こそがテレ東の人気ドラマ「駐在刑事」のモデルとなった人物なのである。
「おう!、ミユキちゃんかぁ!おはよう!」
寺島が少女に言う。
「ポチもおはよう!」
少女はそう言うと、駐在所前の犬小屋から出て来た犬の頭と喉を撫でる。
尻尾を振って喜ぶポチ。
「じゃあね!」
ミユキは笑顔で寺島にそう言うと、駐在所を後にした。
寺島も笑顔でミユキを見守った。
「よしッ!、来たぞ!サチ行けッ!」
青梅街道の路肩に停車した車。
ハンドルを握るサブが、こちらに向かって歩いてくるミユキの姿をルームミラーから確認すると、助手席のサチに合図した。
ガチャ…。
車外へ出るサングラスをかけたサチ。
「お嬢ちゃん…」
地図を手にしたサチが手招きして、歩いて来るサチに言った。
「はい…?」
何だろうとサチ。
「ねぇ…、ここへ行きたいんだけど分かるかしら…?」
停めてある車の横に来たミユキが、そう言ったサチの持つ地図を覗き込む。
次の瞬間!、ジエチルエーテル(吸入麻酔剤)を染み込ませたハンカチで、ミユキの口をサチがイキナリ塞いだ!
「うぐッ…」
口を塞がれたミユキが言う。
そしてミユキは沈み込む様に気を失った。
サチが急いでミユキを後部座席へと押し込んだ。
「行ってッ!」
サチが急いでサブに言う。
車を急発進させるサブ。
サブの運転する車は奥多摩湖方面へと走り出した。
40分後、三頭橋付近で車を停めたサブが、誘拐したミユキの所持品から調べた安田の自宅番号へ電話を掛けた。
「はい、安田でございます」
電話に出る家政婦の三田。
「おい!、お前んとこの娘をさっき誘拐したッ!嘘だと思うんなら学校へ問い合わせてみろッ!」
「20分後にまた電話する。そんとき安田に代われッ!身代金の要求をするッ!」
電話口でしゃべる男が三田に言った。
「えッ!?、えッ!?…」
たじろぐ三田を無視して、サブが急いで電話を切った。
ツー…、ツー…、ツー…。
蒼ざめた表情の三田が受話器を無言で見つめる。
「たッ…、大変だわッ!」
「ご主人様ぁ~ッ!、お嬢様がぁ~ッ!」
家政婦の三田が、慌てて安田の元へと走り出した!
「何ぃぃぃいいいいッ!、麗華が誘拐されただとぉおおおおッ!?」
三田の報告を受けた安田が仰天の声を上げた。
「はッ…、早くッ!、平成女学園へ問い合わせるんだぁッ!」
急いで三田に指示を出す安田。
「はいッ!、旦那様ぁッ!」
三田がまたもや大慌てで、安田の書斎を飛び出した。
「ああ…、麗華…、麗華ぁぁぁ…」
ソファに座り込む安田は、下を向き両手で頭を抱え込みガタガタと震えていた。
10分後、安田の携帯が突然鳴り出した。
着信相手は娘の麗華からであった。
「もしもしッ!」
慌てて電話に出る安田。
「なぁにパパぁ~大騒ぎして…?、誘拐がどうのこうのって?、三田さんが学校に電話して来たわよぉ~!」
声の主は麗華本人からであった。
「麗華ッ!、ホントに無事なのか、麗華ぁッ!」
何度も確認する安田ユキオ。
「今、学校にちゃんといるわよぉ~!、イタズラじゃないのぉ~?」
そんな父親の心配をよそに、娘の麗華は淡々と話すのだった。
「ぬぬぬ…ッッ!!、ふざけやがってぇ~!、誰がこんなイタズラをッ!?」
麗華からの電話を切った安田が、怒りの表情で言った。
ガチャッ!
その時、家政婦の三田が再び部屋に飛び込んで来た。
「旦那様ぁッ!、お嬢様は無事です!、念の為、おぼっちゃまの学校にも問い合わせてみましたが、そちらも無事でしたぁッ!」
「おんのれぇぇ~ッ、どこのどいつだぁッ、まったくぅッ!」
安田がそう言った瞬間、再び自宅の固定電話が鳴り出した。
今度は安田の書斎から電話に出る三田。
「はい、安田でございます…」
「はい…、はい…」
受け答えする三田。
「旦那様…、さっきの誘拐犯という方から、旦那様に電話を代わるように言っておられますが…」
受話器を押さえながら家政婦の三田が安田に言う。
「よこせ!」
安田はそう言うと、三田から受話器を奪った。
「もしもしッ!?」
怒り声の安田が電話越しの相手に言う。
「へへ…安田かぁ?、どうだ驚いたかぁ?、身代金は三億円でどうだ?、もし警察にこの話をしやがったら…」
「ふざけるなぁぁぁあああッ!」
安田はそう怒鳴ると電話をガチャンと乱暴に切るのだった。
ツー…、ツー…、ツー…。
「ああんッ…!?、どういう事だぁ~?」
ケータイを手にしたサブが不思議そうに言う。
「身代金が高すぎたのかねぇ?、あまりにも非現実的な金額なんで、パニクッてるんじゃないかしら?」
サブにサチはそう言った。
「じ…、じゃあ、後で電話する時は、一億円に負けてみるかぁ…?」
サブはそう言うと、車を廃キャンプ場方面へと走らせた。
「かぁ~ダメだ!、一億円でもノッて来ねぇよぉ!」
あれから3時間後、電波が入らないキャンプ場へ戻って来たサブが、サチに言う。
「一体、安田は何を考えてるんだろうねぇ?」
木のテーブルの側にあったイスに座っているサチが、サブにそう問いかける。
「分からん…。おいサチ、あの娘はどうした?」
誘拐した娘が部屋にいないので、サブは室内をキョロキョロ見回しながらサチにそう聞いた。
「2階の部屋に鍵かけて監禁してるよ」
部屋の奥に見える階段を指差して、サチがサブに言った。
「そうか…」
サブはそう言うと、部屋のイスに腰を掛けるのであった。
「ねぇサブ、五千万くらいで良いんじゃない?」
目の前に座るサブにサチが言う。
「くっそッ!五千万かぁ~!、しかたねぇ、明日それで電話をしてみるよ!」
悔しそうな表情のサブがそう言った。
「大変です旦那様ぁ~ッ!」
家政婦の三田が、安田の書斎に慌ててやって来た。
時刻は19時になろうとしていた。
「今度は何だ三田!?」
安田が面倒臭そうに三田へ言う。
「ミユキちゃんが、まだ戻って来ていませんッ!」
息を荒げながら家政婦の三田だ安田に言った。
「ミユキが戻ってない?」
ゆったりとした革張りのイスに腰掛けた安田が、イスを回転させて三田の方へ身体ごと振り向いた。
「はいッ!、もしかして誘拐された娘というのはミユキちゃんの事なんでしょうかッ!?」
両手を前につないで立つ三田が、不安な表情で安田に言う。
「……。」
何かを考えて黙り込む安田。
「旦那様、警察に連絡して来ますッ!」
そう言って部屋を出ようとする三田。
「馬鹿ッ!ヤメロッ!」
三田の方へ手を差し出した安田が慌てて言った。
「それじゃあ…、犯人の要求を呑むんですね…?」
ドアノブを掴んでいる三田が、安田に振り返って言う。
「なんで私が他人の身代金を払わなきゃならんのだッ!?」
三田の言葉に少し憤慨した表情で安田が言った。
「では、どうするおつもりで…?」
神妙な面持ちで、三田が安田に言う。
「ほっとけ!」
安田は吐き捨てる様に言った。
「え!?」
どういう事?と、驚く三田。
「ほっとけば良い!」
イラつきながら安田が三田に言う。
「でも、それじゃミユキちゃんの命が…」
なんて薄情な人なんだろうと思いながらも、遠慮気味に意見する家政婦の三田。
「そうなったらそうなっただ。私は娘を殺された不幸な父親として、選挙では多数の同情票を集める事ができる!」
表情一つ変えずに、安田は言い放った。
「そんなッ!」
安田の余りにも非情な言葉に、三田は声を上げた。
「大丈夫だ。犯人だって殺人を犯せば、どうなるか自覚してるはずだ。そのうち諦めて、ミユキをどこかで解放するさ…」
安田はそう言って、三田を突き放すのであった。
仕事帰りの三田は駅へ向かって歩いていた。
家政婦は、誘拐事件を警察に話すべきかどうか悩んでいた。
やはり警察に知らせるべきではと思った三田は、駅前の電話ボックスに入るのであった。
駅前の電話ボックスは、いたるところにピンクチラシがベタベタと張り付けられていた。
受話器を手に110番へダイヤルしようとする三田。
だが安田の言いつけを思い出すと、勝手に警察へ電話をするという勇気が出なかった。
そうして三田は、受話器をまた元に戻してしまうのだった。
「はぁ…、どうしましょう…?」
悩む三田。
その時、1枚のピンクチラシが三田の目に留まった。
「何これ…?」
ピンクチラシを手にした三田が言う。
東京都青梅市河辺町の中出氏豪邸
「あ~あ、ヒマでやんすねぇ…?」
横長のソファでくつろいで伸びをしながらハリーが言った。
中出氏一族の裏の姿は、彼らの莫大な資金を使ってバットマンもどきの活動をするご当地ヒーロー活動であった。
次男のヨシノブは、ハリーと2人で“8の字無限大”というワケの分からない社団法人を立ち上げていたが、長男のヨシムネは、デッシマンとして東京都下限定の正義の味方として活動している。
「お兄様…。お兄様は事件が無い日はどうやって過ごされているのですか?」
弟のヨシノブが、兄のヨシムネにそう聞いた。
「ヨシノブ…、事件のない日など1日たりともありませんよ」
デッシマンこと、兄のヨシムネがソファでくつろぎながら弟に言う。
「でも現にヒマじゃないですかい?」
ソファに座り、両手を頭の後ろで組んでいるハリーも、中出氏兄にそう言った。
「こういう時の為に、私は広告を出しています」
中出氏兄のヨシムネがハリーの方へ向いて言う。
「広告~?」とハリー。
「これです…」
中出氏兄はそう言うと、2人にタバコの箱くらいの大きさの紙を見せるのだった。
その紙は、どぎついショッキングピンクに彩られ、大きく「無料!」と書かれていた。
「何ですかこりゃあ?」
その紙を手にしたハリーが中出氏兄に尋ねる。
「これは、デッシマンに事件解決を頼みたい人たちに向けた、募集チラシです!」
中出氏兄のヨシムネがハリーに説明する。
「募集チラシ~?、なんでまた、こんな小さいサイズにしたんでげすか?」(ハリー)
「町中の電話ボックスに貼り付けたり、集合住宅のポストに投函するのにこのサイズは便利なのです…」(中出氏兄)
「こんなデザインじゃあ、ピンクチラシと区別がつきやせんよッ!」
呆れ顔のハリーがヨシムネにそう言った。
「仕方ありません。そのサイズだと怪しまれずに、素早くポスティングできますからね…」と、澄まし顔で言うヨシムネ。
「こんな怪しいチラシで、依頼が来るワケないじゃねぇですかぁッ!」
ハリーがそう言うと、突然中出氏宅の電話が鳴った。
インカムマイクをかぶって、中出氏弟ヨシノブが素早く対応する。
「依頼が来ましたぁッ!」
こちらに振り返り、明るくそう言う中出氏弟。
その言葉にガクッと崩れるハリー。
「代われッ!」
そう言うと兄は弟からインカムマイクを慌てて奪った。
「どうしましたッ!?」
電話相手にそう聞く、兄ヨシムネ。
「えッ!誘拐事件ッ!?」
「分かりましたぁッ!、その娘さんの顔、容姿、髪型、服装、出来る限りの情報を今から言うメールアドレスに送信して下さいッ!」
中出氏兄が、電話相手にテキパキと指示を出した。
「どうしやしたぁッ!?」
電話が済んだ中出氏兄に近づいて、ハリーが聞いた。
「ヤスダ珈琲の社長さんの娘が、今日誘拐されましたッ!」
神妙な顔つきで、兄ヨシムネがハリーにそう言った。
「何ですってぇッ!?」と驚くハリー。
「お兄様ッ!、娘さんのデータが届きましたぁッ!」
パソコン画面に向かって座っていた、弟のヨシノブが兄にそう叫んだ。
「一体、どうやって探すつもりで…?」
送られてきたメール内容を確認している兄ヨシムネに、ハリーは尋ねた。
「中国のハーウェイ社が開発した顔認証システムを、中国共産党が街中の全ての防犯カメラに導入しているのはご存じですかッ?」
パソコン画面を見つめながら、ハリーに話し出す中出氏兄。
「いえ…知りやせん…」
ハリーが言う。
「そのシステムは、瞬時に街中の人たちの顔画像の横に、登録された名前や住所が反映される仕組みのカメラなのです!」
メール内容を見つめながら、ハリーへの話を続ける兄ヨシムネ。
「それを使うのですかい?」
画面を見つめている中出氏兄の背中越しにハリーが話し掛ける。
「私はこれを更に応用して使います!」
ハリーに振り返った中出氏兄が言った。
「応用?」とハリー。
「はい、この誘拐された娘さんのデータと照合するシステムを、日本中の防犯カメラ、ドライブレコーダー、室内カメラ、パソコンカメラ、ケータイ、そしてカーナビの人工衛星までにハッキングして監視します!」
「そのどれかに、誘拐されたミユキちゃんという子が少しでも写し込まれれば、瞬時に場所を特定させるシステムが作動するという仕組みです」
「あとはその場所へ、追跡ナビゲーションが案内してくれるというワケです!」
その説明を聞いたハリーは、大金持ちの中出氏一族らしい、スケールの大きい捜査方法だと思った。
「すげぇですね。でも犯罪ですよねそれ…?」(ハリー)
「私の人生、バーリトゥード(何でもアリ)ですから…」
そう言うと、中出氏兄はサングラスのフレームを中指でグイッと押し上げるのであった。
ヤスダ珈琲社長の娘、ミユキを誘拐してからの翌日。
「何で私がミユキに一千万も払わにゃならんのだぁッ!断るッ!」
安田にそう言われて、またもや電話を切られたサブ。
「ちくしょう~…、大サービスして一千万で言ってやったのに、それでも断りやがったぁ!」
バンガローに戻って来たサブが、一向に身代金の話し合いが進まない進捗状況をサチに嘆いた。
「どういう事!?」
サチが聞く。
「こっちが聞きてぇよ!」
サブはふてくされて言った。
「ねぇサブ、あの子本当に安田の娘なのかい?」
おかしいと思ったサチは、サブにそう確認した。
「間違いねぇよ!、それに所持品にだって、安田ミユキって、ちゃんと書いてあったじゃねぇか!?」
俺はヘマしてないぞという口振りで、サブがサチに言う。
「おかしいねぇ…、自分の娘が可愛くないのかねぇ…?」
サチは安田の行動に不思議がる。
「まぁ、俺たちみたいに、親に捨てられたガキも、この世の中にゃいっぱいいるしな!」
サブが自分たちの過去に触れる話を言う。
「金持ちの家の娘でも、実態は孤児院出のあたしたちと変わらないって事かい?」
サチもまた、幼少期だった頃の事を思い出しながら言うのであった。
「そういう事なんだろうな…。考えてみたらあの子も気の毒だな…」
「生まれて来た事の意味を持たない子供として存在してる…。まるで俺たちと一緒だな…?」
サブが言う。
「生まれて来た事の意味を持たない子供かぁ…。あたしらがガキの頃、そうやって近所のガキにバカにされた事があったっけねぇ…」
遠くを見つめて、古い出来事を思い出しながらサチが言った。
「ああ…、今思い出しても腹が立つ!、『お前たちは親に捨てられた、生まれて来た事の意味を持たない子供だから、一緒に遊んじゃいけないってママが言ってた』とかバカにしてきたあの金持ちボンボンがよぉッ!」
昔の事を思い出したサブが、ちょっと怒った感じで言う。
「ふふ…、あんたそのガキを殴りつけて泣かしてやったんだよねぇ?」
その事を思い出したサチが、サブに微笑んで言った。
「ああ、あんときはスッとした。でもよ、その後が気に入らねぇ!」(サブ)
「孤児院の先生と一緒に、その金持ちの家まで謝りに行かされた事かい?」(サチ)
「そうだッ!俺は悪くねぇって言ってんのに、先生が向こうの母親にペコペコ頭下げやがってッ!」
拳をキュッと握りしめたサブが壁を睨みつけて言う。
「だからあんたは、最期まで謝らなかったんだよね?」
だがサチは優しい口調で微笑んでサブに言った。
「ああそうだ!、でもそしたら向こうの母親が、『一体、親はどういう育て方してるのか?、親の顔が見てみたい!、あ!、ごめんなさい親は居なかったんだっけ?』とかほざきやがって、その後、笑い出しやがったんだ!」
「あんときは悔しかったねぇ…?」
サチが言う。
「ああ…、悔しくて涙が出たよ…。なんで俺たちばっかこんな目に合わなきゃならねぇんだって、ほんと世の中を恨んだぜ!」
その時の出来事が、未だに納得できないサブは、サチに向かって力強く言うのだった。
「ああ…もうこんな時間だ…。あたしあの子に昼食を置いてくるよ…」
自分の腕時計をチラッと見たサチがサブにそう言った。
「分かった。頼んだぞ」
イスに掛けていたサブは、そう言うと足を荒々しく組むのだった。
ガチャ
鍵を開けて部屋に入るサチ。
ミユキは部屋のベットにうずくまって、シクシクと泣いていた。
「ご飯だよ…」
コンビニで買って来たサンドイッチとジュースを手にしたサチが、ミユキにサバサバとした口調で言った。
「あ…、ありがとう…、おねぇちゃん…」
ミユキは声を詰まらせながら、サチに振り向いてそう言った。
泣き顔のミユキの目は充血して、瞼が少しだけはれていた。
「ねぇ…、あんたのお父さんはあんたの身代金を払いたがらないんだよ。なんでだろうね?」
サンドイッチの包みをはがしているミユキに向かって、サチが聞いた。
「わたしが本当の子供じゃないからかも…」
ミユキはサンドイッチを見つめながら、サチにそう言う。
「え?」
ミユキの言葉に、ちょっと驚くサチ。
「私、元々は孤児院にいて、今のお義父さんに引き取られたの。でもお義父さんには本当の子供がいるから、私が居なくなっても困らないんだと思う…」
サンドイッチの包みを剥がす手を止めたミユキが、ポツリと言った。
「あんたが孤児院に…?」
どういう事なんだ?と思ったサチが、ミユキに聞いた。
「うん…」
パンを手にしたミユキが頷き言う。
「親に捨てられたのかい?」(サチ)
「ううん…、違う…」
そう言いながら、首を横に振るミユキ。
「じゃあ何で?」とサチ。
「交通事故で、お父さんとお母さんが一緒に死んじゃったの」
しょぼんとした顔で下を向いているミユキが、サチに理由を話した。
「そうか…、そうなのかい?、あんたも不憫だねぇ…」
サチがミユキを眺めながら言った。
「フビン…?」
どういう意味?という感じで、ミユキが顔を上げてサチを見つめる。
「ああ…、不幸せな人生だって意味だよ」
そう言って、少し哀れんだ表情でミユキを見つめるサチ。
「あたしは不幸せなんかじゃないわ」
ミユキは、自分を不幸せだと言ったサチの顔をしっかりと見つめながら言った。
「不幸せじゃないか!」
意地を張るなという感じで、サチはミユキに言う。
「どうして?、だって健康で、毎日ご飯が食べられて、学校に毎日行けて、幸せじゃない?」
不幸せと思っているサチの事を、ミユキは心の底から不思議に感じるのであった。
「そんなのあたり前だよ」
サチが言った。
「違うよ!、お母さんが私に言ってた。世界には戦争があったり、すごく貧しい国があったりして、私たちが当たり前に思ってる事ができない人たちがいっぱい居るって…」
「だから、当たり前に暮らせる平和な毎日に感謝しなさいって…、そう言ってたよ」
ミユキがサチに説明する。
「本当に今、自分は幸せだと思ってるのかい?」
少女の考えを理解できないサチが、ミユキに聞いた。
「思ってる…。お父さんもこう言ってた。幸せか不幸せかというものは、自分の考え方次第だって」
「お金持ちになっても、人をねたんだり、恨んだりしてたら幸せになる事はできないぞって、あたしに教えてくれてたもん…」
ミユキはサチの質問にそう答えた。
「スマホやゲームとか欲しくないのかい?、可愛い服着て、アイドルのコンサート行ったり、美味しいデザート食べたり、幸せってそういうもんだろ?」
サチが言う。
「おねぇちゃん、それ間違ってるよ」
サチに指摘するミユキ。
「う…ッ」
まだまだ子供だと軽く見ていた少女が、意外にも、しっかりした考えの持ち主だった事に驚くサチ。
「あたしはちっともそんな事考えてないよ。それよりも早く大人になって働きに出たい!」
「15歳になれば働けるから、働いてお給料貰って、早くお義父さんに恩を返したい!」
目を輝かせながらミユキが言う。
「でも、身代金が高かったら、お義父さんに返すお金も増々増えちゃうから大変だわ…」
だが最後は沈んだ声で、ミユキがため息をつきながら言った。
「あのオヤジは高い身代金なんて払ってくれないさ。それどころか身代金なんて一銭も払う気なさそうだね」
サチは、変に遠回しに言うよりも、はっきりとした現実をミユキに言ってやろうと思い、ありのままに話してやった。
お前なんか、今の父親には愛されてなんかいないんだと分からせる為に。
「ねぇ…おねぇちゃん、そうしたら…、身代金払ってくれなかったら私は殺されるの?」
ミユキが困った表情でサチに聞く。
「え?」
その質問に驚くサチ。
「私は嫌!、まだ死ねない!、だってお義父さんに迷惑をかけたまま死ねないもの!」
「お願い!、私が働いてお金をお義父さんに全部返したら、必ずここに戻ってくるから!」
「約束する!、そうしたら私の事、殺していいから!、お願い!それまで待って!」
ミユキはムキになってサチへ懇願する。
だが、それは命乞いをしている様な懇願ではない事に気づくのであった。
「あんた何でそこまでして、あのオヤジに恩を返したいのさ!?」
この少女の考えている事が、まったく理解できないサチは、またミユキに質問をする。
「だって、このまま死んだら…、このまま他人に迷惑だけかけて死んだら…、私の生まれて来た意味が、何にも無い事になっちゃうよ!、そんなの嫌!」
ミユキが理由を言った。
「人間なんてもんはねぇ…、誰も、意味なんて持って生まれてなんか来ないんだよ!」
「勝手に親が産んだだけさ!、自分だけが生きる価値や意味があるなんて思うのは大きな勘違いだよッ!」
ミユキの青臭い考え方に、現実を分からせてやるつもりでサチは言う。
「分かってる…。だから生まれて来た意味は、自分で作らなきゃダメなの!」
小さなミユキが、しっかりとした口調でサチに話し出す。
「えッ!?」
ミユキのそんな言葉に驚くサチ。
「お父さんとお母さんが死んでしまってから、いろいろ考えたの!」
「投げやりになっちゃダメなんだって、自分の生まれて来た意味は、自分で作らなきゃダメなんだってッ…!」
目に涙をいっぱいに溜めたミユキが、サチを見つめながらそう言った。
「そ…、そうかい…。あんたの事を不幸だなって言ったりして悪かったね…」
「あんたは幸せだよ。そんな良い両親に育てられて…、うらやましいよ…」
こんな子供が自分なんかよりも、しっかりした考えを持っていた事に、サチはショックを受けた。
「あたしも実は孤児院育ちだった。あんたと一緒だよ」
サチが言う。
「おねぇちゃんも孤児院に…?」
驚くミユキ。
「そうさ。でもあんたと違うのは、あたしは親に捨てられて孤児院に入ったって事さ」
虚しい笑みでミユキを見つめて言うサチ。
「どうして捨てられたと思うの?」
いつも悪い方へ考えるサチに、またミユキが不思議に思って聞いた。
「捨てたに決まってるさッ!」
あまり思い出したくない過去の話に、サチが少しイラついて言う。
「そんなの分かんないじゃない!?、調べてないんでしょ!?」(ミユキ)
「調べてないけど、分かってるさ」(サチ)
「何か理由があったのかも知れないわ!、だって自分が産んだ子供の事を忘れられる親なんているもんですかッ!?」
ミユキはサチの考え方が間違っていると思い、懸命に話すのだった。
「あんたみたいなガキに何が分かるッ!」
だが、子供の言葉など受け入れられないサチは吐き捨てる。
「分からないよ…。でも…、そんな気がするの…」
そう言われたミユキは、少しだけしょげてしまう。
「ふん!、じゃあ、あたしはもう行くよ!」
そう言うとサチは立ち上がって、ドアの方へ向かった。
「おねぇちゃん…」
ミユキが言う。
「ああッ?」
面倒くさそうに、振り返るサチ。
「ご飯ありがとう…」
ミユキがサチに感謝した。
「ちッ…!」
サチが舌打ちする。
バタンッ!
気まずくなったサチはドアを閉めて出て行った。
「そうか…、あのガキがそんな事言ってたのか?」
1階のリビングに戻って来たサチに、ミユキとのやり取りを聞いたサブが言った。
「ああ…、まさかあの子も孤児院出だとは思わなかったね…」
あの子は、自分たちと同じ境遇で育った子供なんだと、サチは思った。
そして、そういう子供を今、監禁している自分たちはどうなんだろうと考えていた。
「ねぇ、サブ、身代金取れないんだろう?、だったら、もうあの子を解放してやらないかい?」
サチがサブに問う。
「バカいうなよッ!、俺たち顔を見られてるんだぞ!」(サブ)
だがサブの考えは、変わらない。
「じゃあどうすんのさッ!?、まさかあの子を殺す気じゃないだろうね?」(サチ)
「分からん…、何か良い方法が無いか考える」
口元に手を持って、天井を見つめながらサブが言う。
「あの子は『私たちの事をしゃべらなければ逃がしてやる』と言えば、きっと警察にはしゃべらないよ」
分かってくれないサブに、サチはしつこく言う。
「そんなの分かるもんかッ!」(サブ)
「だって、働いてお金を安田に返したら、ここに殺されに戻って来ても良いって言ってたよ」(サチ)
「そんなオメデタイやつなんか、この世にいるワケねぇだろうッ!」(サブ)
「サブ…、あたしさ、あの子としゃべってて思ったんだ。あたしたちって、自分が不幸なのは政治家や国が悪いんだって…、そうやっていつも他人のせいにしてたんだって…」
「そういう考え方じゃ、金持ちになったって幸せになんかなれないって、あの子そう言ってたよ…」
サチがサブを説得し始めた。
「サチ…、お前一体どうしちまったんだよ?」
おかしなことを言い始める共犯者に、サブが言った。
「サブ…、あたしたちってさ。いつからこんな風になっちまったんだろうね…?」
「あんただって、あのくらいの齢の時は、あの子みたいに、生きる意味を懸命に探し続けてる子供だった様に見えたよ」
サチはサブに説き続ける。
「ダメだ!ダメだ!、あのガキを逃がしたら、俺たちはパクられるッ!それだけは絶対にダメだッ!」
顔を左右に振って、乱暴に言うサブ。
「だからっていつまでも、こんなとこに監禁しとくワケにゃいかないでしょッ!」
分からず屋のサブに、イラついて来たサチ。
「だったら売り飛ばすッ!」
サチを見つめながらサブが言った。
「売り飛ばす…?」
サチが聞き返す。
「そうだ…。ダーク・ナイトに出てるヤバイ仕事で、ガキを買い取ると言ってた募集があった」
サブは続けてそう言った。
「あんた!あんな子供に、売春をさせるつもりかいッ!?」
サブの言葉に呆れたサチが、怒って言った。
「しかたねぇだろ!、身代金が貰えなきゃ、いつまでも置いておけねぇ!」
面倒くさそうに言うサブ。
「見損なったよサブッ!、気分が悪いッ!、あたしゃこの仕事から降りさせてもらうよッ!」
もう付き合いきれないと感じたサチは、サブに対して吐き捨てる様に言った。
「なんだよサチ、裏切る気か!?」
ちょっとオロオロし出すサブ。
「あたしゃね、あんな子供に売春させてまで、カネなんか要らないよッ!」
イスから立ち上がってサブを睨んで言うサチ。
「ケッ!、勝手にしろいッ!、あとで分け前欲しいって言っても、分けてやんねぇからなッ!」
イスにもたれ掛りながらサブがサチの背中に向かって言う。
「ふんッ!」
サチはそう言うと、バンガローから出て行くのであった。
廃キャンプ場の中をスタスタと歩くサチが、ふと思った。
(待てよ…?、あたしがこのまま出て行っちゃったら、あの子は闇サイトの人身売買に連れていかれちまう…)
「ちッ!」
サチはそう舌打ちすると、バンガローへと引き返して行った。
「サブ…、さっきはゴメンよ…。あたしも感情的になっちまってつい…」
バンガローに引き返して来たサチが、作り笑顔でサブに言った。
「何だよ?、やっぱり分け前が欲しいんじゃねぇか?」
イスにもたれたサブが、ちょっと呆れ顔でサチを見て言う。
「へへへ…、まあね…」(サチ)
「やっぱり俺たちは、同じ穴のムジナだな?」(ニヤケ顔のサブ)
「そういう事…」
サチは笑顔でサブにそう言うが、心の中では嫌気が差していた。
そしてサブはサチにこう言い出すのであった。
「なぁサチ…」
「何だい?」
「さっきお前が出て行ってる間に、俺は人身売買の連中とコンタクトを取っていた。そしたら今、返事が来たよ」
「意外な事に、たまたま隣町に来ているそうだ。4時前にはここに現金300万持って来れるそうだ」
「そ…、そうかい…」
そう言って時計を見るサチ。
時刻は15時になっていた。
「ねぇサブ…」
「あん?」
「あたし、あの子の様子を見て来るよ」
「最後に別れの挨拶くらい、させとくれよ」
「ああ…好きにしな…」
サブがそう言うとサチは2階の部屋へと歩いて行った。
その時サブは、サチの行動に怪しさを感じ取っていた。
ガチャ…。
サチがカギを開けて、ミユキが監禁されている2階の部屋に入って来た。
「おねぇちゃん…?」
部屋に入って来たサチを見つめながら、ミユキが言った。
「さぁ!逃げるよ。あんたも手伝っておくれ…」
サチは小声でそう言うと、ミユキの部屋のベッドのシーツをビリビリと裂き出した。
「あんたは窓のカーテンを外しておくれ…、さぁッ早く!」
サチに言われるがまま、ミユキは窓のカーテンを外し出した。
「これで良し…」
サチはシーツとカーテンをロープ状にしてから、それらをきつく縛る。
その長さは10m程の長さになった。
「これだけあれば大丈夫だろう…」
そう言うとサチは、そのロープ状になったものを、ベッドの足に縛り付け、開けた窓の外へと垂らすのであった。
「さあ!、あんたはこれを使って早く下へ降りるんだ!」(サチ)
「おねぇちゃんは…?」(ミユキ)
「あたしはここに残る。誰かがサブを止めておかないと、あんたが捕まっちまう!」(サチ)
「ダメだよ!、おねぇちゃんも一緒に逃げようよ!、一緒に逃げなかったら…」(ミユキ)
「ヘタしたらあいつに殺されるかもね…」
そう言ったサチの笑顔は引きつっていた。
「ダメだよ!、おねぇちゃんも一緒に逃げようよッ!」
そう言って、サチの袖を引くミユキ。
「いいかい?、よくお聞き、あんたにはもうすぐお迎えが来る」
ミユキの肩に手を置いて、少女の顔をしっかりと見つめながら、サチはゆっくりとしゃべり出した。
「お迎え…?」
それは何?という感じのミユキ。
「そう、お迎えだ。その連中の手に渡ったら、あんたは2度と元いた場所へは帰れなくなる!、だから早く逃げるんだ!」
サチが早口でミユキに説明する。
「いやッ!、いやッ!、おねぇちゃんも一緒に逃げてぇ!」
「そうしないとおねぇちゃんは、自分のお母さんが、おねぇちゃんの事を手放した理由を調べられないよッ!」
半ベソになったミユキが、サチに懇願した。
「ふふ…、ありがとうね…。あんたはホントに優しい子なんだね?」
「あたしはもういいのさ…。あんたは、あたしの分まで、この世に生まれて来た事の意味を作っておくれ…」
ミユキを見つめながら、虚しく笑顔を作るサチ。
「いやぁッ!」
泣き出すミユキ。
「怖い思いさせてごめんよ…。幸せになるんだよ…」
「さぁ!、早くお行きッ!」
サチはそう言って、ミユキの背中を押し、窓の近くまで移動した。
「オイッ!、サチ!、てめえ何してやがんだぁッ!」
その時、様子がおかしいと感じていたサブが、監禁部屋までやって来た!
「サブッ!?」と驚くサチ。
サブはドアを閉めると、こちらへ近づいて来た。
「サブッ、もうこんな事やめようよッ!」
サブの方へ歩み寄るサチ。
「もう、今さら引き返せねぇんだよぉッ!」
「世の中はなぁ、カネが無きゃ幸せになれねぇんだよぉッ!」
自分の考えが分かってくれないサチに、サブは感情的になって叫ぶ。
「幸せなんて、本人の考え方次第だよサブッ!」
なだめる様にサブへ話し掛けるサチ。
「サチ、そこをどけ…」
そう言うとサブは、刃渡りの大きいサバイバルナイフを取り出した。
「早く行けぇッ!」
サチはミユキに振り返りそう言うと、猛然とサブに飛び掛かった!
「おいッ!、バカやめろサチッ!危ねぇッ!」
サブが脅しのつもりで出したナイフに、サチは必死に奪おうと掴みかかる!
ミユキは逃げるに逃げられず、涙目でその光景を見つめている。
「ぐッ…!」
サブのナイフを奪おうと暴れたサチの首に、サバイバルナイフが突き刺さった!
プシューーーーーーッッ!
サチの首筋から血吹雪が出た。
「うわぁああ!サチッ!」
驚いたサブが、手からナイフを落とす。
「おねぇちゃんッッ!」
窓際に立つミユキが叫ぶ。
「バカ野郎ッサチッ!、何やってんだよぉッ!、しっかりしろッ!サチーーーーーッ!!」
がっくりと崩れるサチを泣いて抱きかかえるサブ。
「今、救急車を呼ぶからなッ!」(サブ)
「はぁはぁ…、いいんだよ…天罰さ…」(サチ)
「サチーーーーッ!、うわああ!サチーーーッ!死ぬなサチーーーーッ!!」
サチを抱きかかえながら、泣きわめくサブ。
「はぁ…はぁ…。サブ…、お願い…、あの子を逃がしてあげて…」
サブの腕の中で、力無く言うサチ。
「わッ、分かったから、もうしゃべるなッ!」
オロオロするサブ。
目にはいっぱいの涙が溢れていた。
「良かった…」
それだけ言うと、サチは静かに目を閉じた。
「サチーーーーッ!、サチーーーーーーーーッ!、うわあああああああ…!!」
サブは泣き叫びながらサチの亡骸を抱きしめていた。
そしてミユキはその光景を泣きながら見ているしかなかった。
コンコン…。
その時、部屋をノックする音が聞えた。
だがサブはサチを抱きかかえたまま、跪いていた。
コンコン…。
再びノック音。
それでもサブは泣きながらサチを抱きかかえている。
サブがドアを開けないので、ノックをする者がドアを開けた。
ガチャ…。
そこへ大柄な男性3人が入って来た。
彼らは全て黒いスーツに身をまとい、サングラスをかけていた。
中央に立つリーダーらしき男が言う。
「ガキを受け取りに来た…」
「ん…?」
目の前で泣き崩れているサブに気づく男。
その男は続けて言った。
「なんだ?分け前で揉めて仲間割れか?」
「うッ…ううッ…、すまねえがあのハナシは無しだ…」
振り返らずに、サチを抱きかかえているサブが言った。
その光景を、窓際に立つミユキが震えながら見つめる。
「どういう意味だ…?」
顔色一つ変えずに、その男はサブに質問する。
「うッ…ううッ…、だ…、だからもうあのハナシは取りやめだ…。すまねぇが帰ってくれ…!」
サチを抱えながら、泣いて震えるサブの背中が男に言った。
「ふざけるな…。もうガキの買い手がついた」
「クライアントがお待ちなんだ。さっさとガキを渡せ…」
低いトーンでサブに冷たく言い放つ、リーダー格の男。
連れの2人は無言で立っている。
「お前…、あんなガキに売春なんかさせたって、大したカネになんかにならないだろ…?」
男に振り返り、涙目のサブが言う。
「売春…?」とサングラスの男。
「そうだ売春だ…。違うのか…?」
「お前、なんか勘違いしてる様だな?、そんな売春ごときのはした金で、お前に300万も払うわけないだろう…?」
男はニヤリと笑った。
「違うのか!?」
相手の目的が分からないサブが聞く。
「臓器だよ」
大柄な黒いスーツの男が、ニヤリと笑う。
「臓器ッ!?」
意味が理解できないサブ。
「大人のドナーはなんとかなるが、子供のドナーは滅多にいない…」
「世界中のセレブのおぼっちゃんやお嬢ちゃんがお待ちかねなんだよ…」
大柄の男がサブに説明した。
「聞いてねぇぞッ!そんなハナシッ!」
とんでもないやつらを呼んでしまったと、気づいたサブは焦り出す!
「お前に言う必要もない…」
「お前知らないのか?、身代金の要求が来ない子供の誘拐は、ほぼ臓器売買が目的の誘拐だ…」
「ガキの臓器は高く売れる…。それはもう数十億というカネになる」
表情ひとつ変えずに、冷たく言い放つ黒いスーツの男。
「お前…それでも人間かッ!?」
怒り顔で相手を睨んでサブが言った。
「ふふふ…、お前がいうなバカ…!」
「もとはと言えば、お前が俺たちにコンタクト取ってきたんじゃないか…?」
そう言うと大柄のリーダーはクスクスと笑い出した。
「……ッ!」
その男を見て絶句するサブ。
額から一筋の汗が流れ落ちる。
「さぁ…、ガキをこちらに渡せ…」
そう言って手を差し出す男。
「だッ…、ダメだッ!」
そう言って、ミユキに近づかせない様に立ちふさがるサブ。
「その子は孤児なんだろ…?」
「しょうがないじゃないか、生まれて来た事の意味を持たない子供の運命だ…」
男は低い声で淡々と言うと、ふふふ…と含み笑いをした。
「てんめぇ~~~ッ!!」
男が言った「生まれて来た意味のない子供」という言葉にキレたサブが、男に殴りかかった。
バシッ!
だが片手でサブのパンチを簡単に受け止める男。
「……ッ!」
力の差に愕然とするサブは絶句する。
「バカな事はやめろ…」
サブの拳を掴んだまま男が静かに言う。
次の瞬間、サブが男に抱き着いて叫んだ!
「にッ、逃げろぉガキッ!、逃げろぉ~~ッ!」
えっ!?、えっ!?と言う表情で驚くミユキ。
「はぁ、やぁ、くぅ、いけぇぇぇえええ~~ッ!」
力強くサブが言った。
ミユキは黙って頷くと、ロープを使って、慌てて窓から素早く滑り降りた。
「チッ!」
サブに押さえつけられている男が言った。
「おいッ!、お前ら!、早く追えッ!」
後ろにいる仲間の2人に指示するリーダー。
彼らは急いでドアから出て行く。
「離せッ!」
大柄の男はサブの両腕を掴むと、凄い怪力で引き離しサブを放り投げた!
「うッ!」
ドスンと尻餅を付くサブ。
「ヤロウッ!」
すぐ起き上がり殴りかかるサブ。
ドカッ!
「グッ…!」
向かって来たサブへ正面から蹴りを出す男。
跪くサブ。
胸を押さえ片膝を付いているサブの顔へ、男が履いている革靴が蹴り上げた。
ガシッ!
「がぁッ!」
顔面に蹴りを喰らったサブが仰け反る。
「はぁ…、はぁ…」
うつむくサブの鼻と口から、ポタポタと血が垂れる。
「お前バカだなぁ…」
跪いたサブの前に立つ男がそう言って、懐から拳銃を出した。
「黙ってガキをよこせば、カネ貰えて死なずに済んだものを…」
そう言うと男は、サブの髪をグイッと鷲掴みして、サブの顔を上へ向けた。
男が立膝を突いて、手にした拳銃をサブの額に向けた。
「……ッ!」
目を見開き、絶望的な表情のサブ。
「死ね…」
男が引き金を引いた。
ガーーーーーーーーーーーーンンッ……。
窓から下に降りて走り出していたミユキが、その銃声に振る返る!
バンガローの開いた窓を涙目で見つめるミユキ。
少女はサブが殺られたのを確信した。
「いたぞッ!、あそこだッ!」
バンガローから出て来た追手が、ミユキを指して叫ぶ声。
ミユキが再び走り出す。
少女は林の中へ駆け込んで行った。
その時、高度2万Km上空の大気圏
カーナビのGNSS衛星が、ヒュンと日本の上を横切った。
ピピッ!
「ヒットしましたぁッ!お兄様ぁッ!」
中出氏邸で追跡モニターを見つめていたヨシノブが、兄のヨシムネに振り向き叫んだ!
「何ですとぉッ!?」(ハリー)
「場所はッ!?」(ヨシムネ)
「ここだと恐らくは、奥多摩の廃墟となっているキャンプ場の辺りです!」
モニター画面を見ながら、中出氏弟のヨシノブが素早く言う。
「画像を見れるかッ!?」(兄ヨシムネ)
「衛星が通過しちゃったんで、その時の静止画像なら…ッ」(弟ヨシノブ)
「見せなさいッ!」(兄ヨシムネ)
ヨシノブがモニターの画面を切り替えた。
モニターに映る蒼白い画像には、上空から子供が走っている姿を映し出していた。
「何かから逃げている様でげすね?」
画面を見ながらハリーが言う。
「ミユキちゃんは脱走出来たんだ!?」
画像を見ながら兄ヨシムネが推測する。
「中出氏兄ィ…、ここ…」
ハリーがそう言うと、画面の端に2人の男がミユキの方へ走っている姿が写りこんでいた。
「あの子は、今まさに逃走中なんだ!」
こりゃあ大変だと、兄ヨシムネは思った。
「ミユキちゃんが危ねぇッ!」(ハリー)
「デッシマンスティルスを緊急発進させましょうッ!」
兄にヨシノブが慌てて言う。
「ダメだ…、あそこじゃ木が多くて着陸できない」
兄ヨシムネが神妙な顔つきで言った。
「じゃあどうするんで!?」(ハリー)
「デッシ・ハーレーで向かいます!」(兄ヨシムネ)
「デッシ・ハーレー?」(ハリー)
「はい、ハーレータイプの大型バイクです」
「イギリスが開発した世界最速の車、“ブラッドハウンドSSC”と同じ速度が出せる13万5000馬力のバイクです」
中出氏兄ヨシノブが、ハリーに説明した。
「13万5000馬力ぃ~ッ!?、どんだけスピード出せるんですかぁ?」(驚くハリー)
「ロケットエンジンを搭載した“ブラッドハウンドSSC”の最高時速が1600Kmです!」(兄ヨシムネ)
「げぇッ!?、マッハ1(音速)が時速1200Kmだから、それ以上というワケですかいッ!?」(ハリー)
「そうです。デッシ・ハーレーはバイクだから、それよりも車体が軽いのでもっと出せます」(兄ヨシムネ)
「では早く行きやしょうッ!、あっしも行きますッ!」(ハリー)
「ハリーさん、その恰好じゃ無理ですよ」(兄ヨシムネ)
「えっ?」(ハリー)
「空気抵抗の摩擦熱で燃えてしまいますよ。これに着替えて下さい…」
そう言ってデッシマンことヨシムネは、真っ黒いツナギをハリーに手渡す。
全身タイツの様なそのツナギ。
頭から足の付け根まで、ピッタリフィットするそのツナギを着たハリーが言った。
「なんすかこれッ!、股間がモッコリしちゃって恥ずかしいでやすよッ!」
股間を両手で恥ずかしそうに隠すハリー。
「さぁ行きますよ!」
そんな事はお構いなしに、デッシマンこと、中出ヨシムネはハリーに呼びかけるのであった。
「GATE OPEN…、GATE OPEN…」
中出氏邸の裏側にあるガレージのシャッターが、アナウンス音やブザー音と共にゆっくりと開く。
ビィー…、ビィー…、ビィー…。
ゴゴゴゴゴ……ッ
プューーーーーーンンッ!
シャッターが全開となった。
その目の前には、航空機の滑走路を思わせる直線の道が、遥か彼方まで続いていた。
「この道はどこまで続いてるんでやすか?」
後部シートに跨ったハリーが、ハンドルレバーを握るデッシマンに聞く。
デッシ・ハーレーからはボッボッボッ…と、重い排気音が響き、車体が微かに上下して揺れていた。
「この道は、我が家を抜けたら新青梅街道へダイレクトに繋がる滑走路です」
「我々は新青梅街道から、旧青梅街道、そして奥多摩周遊道路を使って、ミユキちゃんの救出に向かいます」
デッシマンがハリーに説明した。
「ほぇぇぇ…」(感心するハリー)
「ヨシノブ!、お前はここに残って、ミユキちゃんの位置と状況を随時知らせてくれッ!」(デッシマン)
「分かりましたお兄様ッ!」(弟ヨシノブ)
「それからハリーさん…」(デッシマン)
「へぇ…?」
何ですか?という感じのハリー。
「我々の会話は、全てこのヘルメットに内蔵されているマイクで行いますから…」(デッシマン)
「何の為にでげすかい?」(ハリー)
「音速を超えたら、我々の会話は聴こえないからです」(デッシマン)
「えッ!そうなんでやすかいッ!?」(ハリー)
「だって音より早く走るんだから、音が追い付かないでしょ?」(デッシマン)
「うひゃあ~分かりやしたぁッ!、では行きやしょうッ!」
デッシマンにしがみついたハリーが言う。
「まだです」
正面の滑走路を見つめながら言うデッシマン。
「まだ?」
後ろで、デッシマンにしがみついているハリーが聞く。
「まだエネルギーが充填されていません」(デッシマン)
「じ…充填?」(ハリー)
「はい、デッシ・ハーレーの出力を最大に上げておかねば、このバイクの真の力を発揮できませんからね…」(デッシマン)
「へぇ…」(ハリー)
ウィンウィンウィンウィン…。(エネルギーが充填されていく音)
「エネルギー充填、90%…」(デッシマン)
ウィンウィンウィンウィン…。(エネルギーが充填されていく音)
「エネルギー充填、100%…」(デッシマン)
「100%になりやしたよ中出氏兄ィッ!、さぁ早く行きやしょうッ!」(ハリー)
「まだです…」(デッシマン)
「まだぁッ!?」(ハリー)
ウィンウィンウィンウィン…。(エネルギーが充填されていく音)
「このバイクは波動エンジン搭載です…」(デッシマン)
ウィンウィンウィンウィン…。(エネルギーが充填されていく音)
「はッ!、波動エンジンってッ!?、もしかして…ッ!?」(ハリー)
ウィンウィンウィンウィン…。(エネルギーが充填されていく音)
「エネルギー充填、120%…」(デッシマン)
「宇宙戦艦ヤマトじゃないすかぁッ!」(ハリー)
ウィンウィンウィンウィン…。(エネルギーが充填されていく音)
「発進…ッ!」(デッシマン)
ドッッゴォォォォーーーーーーーーーーーーーンンッッ!!
デッシ・ハーレーのマフラーから炎が噴き出した!
「うッひょぉぉおおおおおおーーーーーーッッ!!」
ハリーが叫ぶ!
新青梅街道に向けてデッシ・ハーレーが、物凄いイキオイでスクランブルしたッ!
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
誘拐されたミユキを救出に、デッシマンのバイクが有り得ないスピードで、新青梅街道を疾走する!
時速は既に500Kmを超えていた。
ヒュンッヒュンッヒュンッ…。
車と車との僅かな隙間を縫う様に、デッシ・ハーレーがジグザグ走行でかわしながら走る!
「すげぇやッ!、すげぇテクニックじゃねぇですかい中出氏兄ィッ!」
「ふふ…、このバイクは強力な電磁波を発生させながら走っているのです…」
「電磁波?」
「そうです。電気が発生すると電場が生まれ、磁気が発生する場所には磁場が生まれます。これを合わせたものが電磁波です」
「電気にはプラスとマイナスがあり、磁気にはN極とS極がありますよね?」
「へぇ…」(頷くハリー)
「物質とは、全てにおいて僅かながらも電気が、静電気が発生しています。このバイクもあの車も人間も全てです」
「ハリーさん、磁石のプラスとマイナスはくっつくけど、プラスとプラスだと反発し合いますよね?」
「このバイクが他の車両にぶつからない原理もそういう事です」
「ぶつかりそうな対象物に対して、瞬時にその対象物が発する電極と同じものを、このデッシ・ハーレーが発生させ、互いを反発させる様にしてるのです」
「つまり相手から勝手に、こちらを避けてくれるというワケですかい?」
「そうです」
「でも、そんなことしたら相手の車は押し出されて、クラッシュしちまいやせんか?」
「大丈夫です。我々が通過中に、今度は逆の磁力へと瞬時にリバースさせて、対象物をすぐ引き寄せます。このバイクは、それをオートメーション化しているのです」
「何だかよく分かりやせんが、とにかく凄い装置が付いているってことでげすね?」
「お分かりになりましたか?」
「いやぁあんま良くは…、」と言ったハリーが突然叫んだ!
「ああッ!中出氏兄ィッ!、前ッ!、前~ッッ!」
前方には青信号で横断歩道を渡る老婆の姿が…ッ!
「間に合わねぇッ!」
顔を伏せるハリー。
「むんッ!」
ハンドル右側のボタンを親指で押すデッシマン。
バシュッ!
デッシ・ハーレーの車体下部からスノボの板みたいなものがイキナリ飛び出した!
その反動でバイクは上にジャンプッ!
大きな弧を描き、デッシ・ハーレーが信号上空をフワ~と飛び越える。
「あわわッ!」
老婆はそう言いながら空を見上げ、驚いた表情でデッシ・ハーレーを見た。
ザンッッ!
着地するデッシ・ハーレー。
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
バイクはそのまま減速する事なく、物凄い勢いで老婆の元から去って行った。
「すげぇじゃねぇすかい中出氏兄ィッ!、まるでタツノコプロの“マッハGOGO!”のマッハ号じゃねぇですかいッ!」
ジャンプしたデッシ・ハーレーに、声を躍らせたハリーが言う。
「実はこのバイクは、マッハ号を開発した三船モータースに発注して作っていただきました…」
「えっ!?、三船モータースって…、アニメの世界の話じゃねぇんでやすかい?」
「ふふ…、あの会社は本当にありますよ」
「今では当時ドライバーだった息子の三船剛さんが、お父様の後を継いで立派にやっておられます」
「有り得ねぇでやすよぉッ!」
「私の人生、“バーリトゥード(何でもアリ)”ですから…」
そう言うとデッシマンはハンドルレバーを握りながらニヤリと笑った。
青梅市沢井町にある駐在所
警察官の寺島イサムは駐在所の前に立って、大きく伸びをしていた。
「ふぁああああ…、ヒマだなちくしょう!」
寺島がそう言うと、彼の胸元にある無線マイクが鳴った。
ピィピィ…。
「はい、寺島ぁッ!」
無線を素早く取った寺島が言う。
「寺島君…、私だ…」
独特のしゃがれ声が無線から聞こえて来た。
「えッ!、その声は、署長ですかぁッ!?」
「ふふふ…、そうだ私だよ…、平泉だよ…」
無線の主は青梅警察署の署長、平泉からであった。
「署長、一体どうしたんです?」
「寺島君、デッシマンが現れた…」
「えッ!、デッシマンって、あのデッシマンですかい!?」
「そうだ。やつは現在あり得ない速度で青梅街道を走行中だ」
「有り得ない速度!?」
「うむ…、推定時速800Kmで走行中だと報告が入った」
「はぁッ!、800Km~~~ぉぉおおッ!?、あんな狭いジグザグの道をですかいッ!?」
「そうだ。だから署の車両では、誰も追いつけず、やつを止める事が出来ないのだ…」
「そりゃそうでしょうね…」
「そこで君に頼みたい…、デッシマンを止めてくれ!」
「ちょっと待って下さいよぉ署長~!、いくら何でも、私にどうやって800Kmで走ってるやつを止めろって言うんですかぁ~?」
「ふぉっふぉっふぉっ…、知ってるぞ寺島君…」
「なッ…、何をですかいッ!?」
「青梅警察をナメてもらわんで欲しいね寺島君…。君の過去を我々が知らないとでも思っていたのかね?」
「……ッ!」
「君は若かりし頃、伝説のライダーとして、この奥多摩の峠を滑走する、誰よりも早い走り屋だったってことをね…」
「知ってたんですかぁ署長ッ!?」
「ああ知っている。君が“黒豹”と呼ばれ、この奥多摩の峠では誰にも負けなかったライダーであった事もね…」
「ううッ!」
「その“黒豹”と呼ばれた謎の男は、警察に一度も掴まる事なく、30年前に峠から忽然と姿を消した」
「そのタイミングは、君が警察官になった時期と重なる…。違うかね?」
「峠から消えた君は、伝説のライダーとして語り継がれ、あの池沢さとしが描く、“サーキットの狼”に登場した“ハマの黒ヒョウ”のモデルにもなった」
「まいったなぁ…、平泉署長は何でもお見通しなんですね?」
「寺島君!、デッシマンを止められるのは世界広しと言えども、君しかいない!」
「やつは青梅街道を爆走中だ。君は吉野街道から回り込んであいつを止めるんだ!」
「止めろって言ったって、それに対抗するバイクがなきゃ無理ですよ署長」
「ふふふ…、寺島君、駐在所の犬小屋の柱を押してみたまえ…」
「へっ?、ポチを繋いでるあの柱の事ですかぁ?」
「そうだ」
「押す…?」
ガクンッ!
寺島が柱を上から押すと、その柱が沈んだ。
ゴゴゴゴゴ……。
すると駐在所前の地面が割れて、何かが持ち上がって来た。
「うわわッ!、何だこりゃぁッ!?」
ゴゴゴゴゴ……。
ゴウン…。(動きが止まった)
そこに現れたのは、およそ有り得ない大きさのエンジンを積んだ漆黒のハーレーダビッドソンであった!
「しょッ、署長これはッ!?」
「これこそが、我が青梅警察が極秘に開発した交通機動隊バイク、“Symboli Deep Inpact (シンボリ・ディープ・インパクト)”だッ!、通称“S・D・I”だぁッ!」
「“S・D・I”ッ!?」
「イギリスの諜報機関“MI6”と共同開発したバケモノバイクだ」
「MI6って、あの、ジェームス・ボンドのッ!?」
「そうだ。彼らはこういうメカを作らせたら天下一品だからね…、ふふふ…」
「いいか寺島君!、そのバイクは、排気量が一千350万ccある。ハーレーが最大でも1800ccだから、いかに“S・D・I”が凄いか分かるだろう?」
「うう…、すげぇ…」
「そのバイクには、ジェットエンジンとロケットエンジンをツイン搭載している。最高速度は音速も優に超えるだろう」
「この荒馬を乗りこなせるのは、君しかいないッ!」
「今こそ“S・D・I”を使う時が来たのだよ寺島君ッ!」
「分かりましたぁ署長ッ!、この“S・D・I”で、デッシマンを何としても止めて見せますッ!」
「エンジンをかけてみろ寺島君!」
「はいッ!」
そう言ってエンジンをかける寺島。
ボンボンボンボン…ボボボボボボボ…。
ズズズズズ……。
「くぅ~たまんねぇなぁ…この排気音…」
“S・D・I”の振動が微かな地鳴りを起こす。
「寺島君…よく聞け」
「はい署長…」
「もし“S・D・I”のスピードに耐えられず、クラッシュしそうになった時には、速度メーターの下にある脱出ボタンを押せ」
「脱出ボタン?」
「そうだ…。そうすればシートごと上に飛び出す。戦闘機の脱出ポッドと同じ様にね…。まぁ君が使う事は無いと思うが…」
「もちろんですッ!」
「よしッ!行くんだ黒豹ッ!」
「はいッ!」
「うぉりゃぁあああッ!」
寺島が叫ぶ。
バッッゴォォォーーーーーーーンンッ!
もの凄い音を出し、寺島の“S・D・I”が発車したッ!
「うらうらうらぁ~ッ!、どけどけどけぇええいッ!」
寺島のバイクは、吉野街道を走る車を次々とすり抜けながら爆走するのであった!
一方、廃バンガロー近くの林の中
ミユキは木の根元にある、獣の住処の様な穴の中に身を潜めていた。
ふっ…ふっ…。
声を押し殺して震え泣くミユキ。
「くっそーどこだぁッ!?、どこに隠れやがったぁ?」
遠くでは追手の1人が怒鳴る声。
「まだ近くにいるはずだッ!、探せッ探せッ!」
リーダーの男が、2人にそう指図した。
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
旧青梅街道を疾走するデッシマンのバイク。
ピィッ!
デッシマンに、弟のヨシノブから無線が入った。
「何だ?ヨシノブ」
「お兄様大変ですッ!、今、吉野街道を有り得ないスピードで並走するバイクを確認しましたぁッ!」
「有り得ないスピードだって?」
「はい、このデッシ・ハーレーに匹敵するスピードです。だけど巧みなコーナリングのテクで、徐々にそちらまでの距離を詰めて来ていますッ!」
「このまま行けば、万世橋から青梅街道に合流して来ますッ!、そのバイクより先に万世橋横を通過しなければ、お兄様は前に回り込まれて停められてしまいますッ!」
「何者ですか?」
「分かりません!、ですが警察車両には間違いありませんッ!」
「やつじゃ…」
その時、ヨシノブの後ろにいた老人が言った。
「爺やッ!?、知ってるのかッ!?」
爺やと呼ばれたこの老人は、明治時代から中出氏に仕える執事なのであった。
「30年程前に、この奥多摩の地で峠を攻める伝説のライダーがおりました…」
「その伝説のライダーの走りには、白バイも含め、誰も追いつけませんでした。ふぉっふぉっふぉっ…」
「その男は、ある日突然この奥多摩から姿を消しました」
「この規格外の走り方は、その男の走りにそっくりです。あれは間違いなくやつの走りです」
「あの男が現れたらもう誰も逃げきれません…」
「坊ちゃま残念ですが、ミユキちゃんの救出は諦めるしかありませんぞ…」
「爺やッ!、誰なんだそいつは一体ッ!?」
「分かりません…ただ人はやつをこう呼びました…」
「“多摩の黒豹”と…」
(“タマの黒ヒョウ”……ッ!)
デッシマンの額から一筋の汗が流れた。
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
「うらうらうらぁ~ッ!、どけどけどけぇええいッ!」
寺島が“S・D・I”を操縦しながら雄たけびを上げる!
ピィ…。
その時、寺島に無線が入った。
「はい?」
寺島が言う。
「寺島君、すごいな君は。やつに追いついたぞ」
「この先の万世橋を渡ると青梅街道へ合流する。君は何としてもやつより先に出て、デッシマンを迎え撃つのだッ!」
平泉署長が寺島に言う。
「りょ~~~~かい~~~~~ッ!!」
寺島がスロットルを全開にふかすッ!
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
万世橋に向かって更に加速する寺島の“S・D・I”であった。
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
旧青梅街道のヘアピンカープを疾走するデッシマン!
「中出氏兄ィッ!、どうするおつもりでやすかぁッ!?、タマの黒ヒョウからは誰も逃げきれないって…ッ!」
「大丈夫ですよハリーさん…、私が何の為にこのデッシ・ハットをかぶってると思ってるんですか?」
ヨシムネは自分のかぶっている、ネコ耳が付いた様なデザインのヘルメットの事を言う。
「その変なデザインがお好きなんでやすよね…?」
「違いますよぉッ!、このヘルメットの能力を知ってるでしょッ!?」
「へい…、あの映画“マトリックス”みたいに、ヘルメットにダウンロードしたデータを脳へインストールする事で、努力しなくても同じフィジカルが発揮できるという装置でやすよね?」
「努力しないは余計です!」
「てぇことは…、世界的なオートレーサーのデータをインストールしたんでやすかい?」
「ええインストールはしましたが、世界的なオートレーサーのデータではダメです」
「え?」
「それではタマの黒ヒョウを振り切る事は、出来ないと言ったのです!」
「それじゃ誰を…ッ?」
「グンです!」
「グン?」
「バリバリ伝説の主人公、巨摩グンのデータを先程インストールし、完了しました!」
「バリバリ伝説のグンってッ!、あの“イニシャルD”の作者、しげの秀一センセエのデビュー作にして出世作となった、あのバリバリ伝説の巨摩グンでやすかぁッ!?」
「そうです。タマの黒ヒョウに対抗できるのは、あり得ない体重移動で峠を攻める、あのバリバリ伝説のグンしかいませんッ!」
「少年マガジンで連載してたマンガじゃねぇでやすかぁッ!?、そんなデータで大丈夫なんでやすかいッ!?」
「とにかく、やるっきゃッねぇんでいッ!」
「な…、なんすかそのしゃべり方は…?」
「おっとイケない…。ふふ…、副作用ですね…」
「副作用…?」
「ワクチンとかを接種すると、一緒に副作用も多少出るじゃないですか?」
「ええ…」
「グンのデータをインストールした事で、どうやらグンの口癖とかも出てしまう様ですね…」
「ええッ!そーなんでやすかぁッ!?」
「みたいです…。おっとハリーさん、急なS字カーブが見えます。しっかり掴まってないと振り落とされますよ」
「ゲゲッ!」
慌ててデッシマンに抱き着くハリー。
カーブが迫るッ!
デッシマンが、あり得ない角度にバイクを傾け、減速せずにヘアピンカーブを曲がったッ!
「カメッッ!」
ギュンッッ!!
またもやグンの口癖を言って、ヘアピンを曲がったデッシマンなのであった。
一方、臓器密売人から身を隠しているミユキ。
「くっそぉぉ…、どこに隠れやがったぁ~!?」
辺りを見渡しながら、サングラスに黒いスーツ姿の男たちが言っている。
その状況を、木の根の下にある小さな穴に隠れているミユキは、声を殺して隠れていた。
ガサ…。
その時、ミユキの顔の傍で何かが動く。
パッとミユキが振り返る!
ミユキの顔の目の前には、舌をチョロチョロと動かす蛇の姿が!
「きゃあッ!」
思わず叫んでしまったミユキ。
「いたぞッ!、あそこだッ!」
ミユキに気が付いた追手の一人が、指を差しながら言った。
穴から飛び出したミユキが走り出す!
「待てぇ~!」
追手の3人組がミユキに向かって走り出した!
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
JR青梅線の古里駅の近くまで走って来た、デッシ・ハーレー。
ピィッ
デッシマンに弟のヨシノブからまた無線が入る!
「お兄様ッ!まもなく万世橋の横を通過しますッ!、例の黒ヒョウもすぐ側です!、絶対にインを取られないで下さいッ!」
「分かりました…」
そう言うと中出氏兄はスロットルを回した。
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
加速するデッシ・ハーレー。
キラッ!
その時、多摩川を間に挟んだ吉野街道から太陽の反射で何かが光った!
「中出氏兄ィッ!あれッ!、あれッ!」
背中にしがみつくハリーが、それを知らせようとデッシマンに叫ぶ!
「来ましたね…」
デッシマンが言った。
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
「うらうらうらぁ~ッ!」
寺島が操縦する“S・D・I”が、万世橋を渡って向かって来た!
青梅街道を走るデッシ・ハーレーの前へ回り込む気だ!
「ああ…ッ!中出氏兄ィィィッ!!」
ハリーがデッシマンの背中に強くしがみつく!
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
デッシマンが加速する!
「うらうらうらぁ~ッ!」
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
寺島の“S・D・I”が、青梅街道に向かって合流して来るッ!
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!(デッシ・ハーレー)
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!(S・D・I)
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!(デッシ・ハーレー)
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!(S・D・I)
ギャンッッ!!
すんでのところで、“S・D・I”をかわすデッシ・ハーレー!
「チィッ!」
寺島が悔しそうに舌打ち。
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
すぐさま“S・D・I”の向きを変え、デッシマンを追跡する寺島!
「やった!やった!、やったぁッ!」
後ろにしがみつくハリーが叫ぶ。
「喜ぶのはまだ早いです…。本当の闘いはこれからですよ…」
デッシマンがハリーに静かに言う。
「うらうらうらぁ~ッ!」
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
物凄いスピードでデッシマンを追随する寺島!
「うわぁああ、中出氏兄ィッ!、どんどん迫って来てやすよぉッ!」
「止まれこらぁ~~ッ!」
寺島が、西部警察の舘ひろしばりに、両手離しで拳銃を構えたッ!
「止まらんと撃つぞぉ~~~ッ!」
寺島が言うが、デッシマンはそのまま突っ走るッ!
「うらぁッ!」
ガーーーンッッ!!
寺島がデッシ・ハーレーに向かって発砲したッ!
「うわぁッ!」
ハリーが叫ぶ!
その瞬間、デッシマンがハーレーを最大速度にする為、エンジンを全開にした!
パンッッ!!
何かが弾けた様な音!
デッシ・ハーレーの後ろに、光の輪が出来た!
光の輪はソニックブームという現象である。
ジェット機などが音速を超えた瞬間に起きる、あの光の波動である。
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
「あちゃちゃちゃッ…、あちちち…ッ!」
空気の抵抗摩擦熱で、ハリーが叫ぶ。
デッシ・ハーレーに向かって弾丸が向かって来た!
だが弾丸の勢いが落ちたと思ったら、ハリーの手前でピタリと止まった!
「あ?、あれ?、弾があっしの前で止まってやすよ?」
ハリーが中出氏兄に言う。
「今、デッシ・ハーレーの速度は時速4000Km以上です。弾丸の等速直線運動とまったくおなじスピードになったので、弾が止まって見えるのでしょう…」
「んなッバカなぁッ!?」(ハリー)
「私の人生…、“バーリトゥード(何でもアリ)”ですから…」
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
デッシマンを追う寺島の“S・D・I”。
「ヤロウ…ッ」
「寺島君ッ!、正面のレバーを引くんだッ!」
「レバー!?」
「そうだ!、そのレバーを弾けばロケットエンジンが点火し、“S・D・I”も音速に入るッ!」
「分かりやしたぁ署長ッ!」
「うらぁッ!」
寺島がグイッとレバーを引いた!
パンッッ!!
“S・D・I”の後ろにもソニックブームの輪が広がったッ!
バゴォォォーーーンンッッ!!
音速に突入した寺島がデッシ・ハーレーを追随する!
ピィッ!
その時、デッシマンに弟のヨシノブから再び無線が!
「何だヨシノブ!?」
「お兄様大変ですッ!、ミユキちゃんが追手に掴まりそうですッ!、急いで下さいッ!」
「分かった…」
「ハリーさん、いよいよ奥多摩周遊道路に入ります。ここからはRのキツイカーブの連続です」
「ついに峠道に入るんでやすねッ!?」
「そうです。この峠道でタマの黒ヒョウと決着をつけます!しっかり掴まってて下さいよぉッ!」
「分かりやしたぁッ!」
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
デッシ・ハーレーが、奥多摩周遊道路に入った!
「峠に入りゃあこっちのもんだぜ…。峠では誰も、この“タマの黒ヒョウ”の前を走る事はできねぇぜッ!」
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
寺島の“S・D・I”も、奥多摩周遊道路に突入した!
「カメッ!」
ヘアピンを猛スピードで曲がるデッシマン。
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
続いてS字カーブが連続で現れた!
「カメッ!」
ギュンッ!
「カメッ!」
ギュンッ!
「カメッ!、カメッ!、カメッ!」
ギュンッ!、ギュンッ!、ギュンッ!
「驚れぇたな…、滅茶苦茶な体重移動なのに、転倒せずにあのヘアピンカーブをかわしてやがる…ッ!」
デッシマンを追跡する寺島がハンドルバーを握りながら言う。
「中出氏兄ィッ!、ミユキちゃんのいる場所にはまだ着けねぇんでやすかぁッ!?」
「もうとっくに通過してますよ…」
「何ですとぉッ!?」
「だって音速で走ってるんですから、とっくに通過しちゃいますよ…」
「黒ヒョウを振り切れないので、さっきから同じルートを周っていたの気が付きませんでした?」
「周りの景色がゆがんで見えるんで、全然分かりやせんでした」
「次のカーブへ黒ヒョウを誘い込みます…」
「次のカーブ?」
「はい、あのカーブだと、この速度では曲がり切れません」
「わざと減速せずにそのままカーブに突っ込み、私はカーブに入る直前にデッシ・ハーレーを急停車させますッ!」
「追って来た黒ヒョウの方は、止まれ切れずにガードレールにクラッシュするという作戦です」
「そんな急に止まるなんて事、出来るんでやすかぁ?」
「出来ますッ!、では行きますよぉッハリーさんッ!」
そう言ってたデッシマンがバイクを加速する!
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
「うわぁぁああああッ!死ぬッ!、死ぬぅぅぅうううう~~ッ!!」(ハリー)
「面白れぇ…あのカーブで決着をつける気か…?」
「受けて立つぜッ!」
そう言うと寺島もスロットルを全開にした!
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
グォォォォオオオオオーーーンンッッ!!(カーブに突っ込んで行く、デッシ・ハーレー)
グォォォォオオオオオーーーンンッッ!!(それを追い詰める、寺島の“S・D・I”)
目の前にカーブ!
「うわぁあああああ~~~ッ!」(叫ぶハリー!)
ボワッッッ!
次の瞬間!、デッシ・ハーレー後部から、3段仕掛けのパラシュートが飛び出したッ!
「何ッ!」(寺島が驚く!)
ギュンッ!
瞬間、“S・D・I”がデッシ・ハーレーの横を通過!
「ぐへぇッ!」
物凄いGを身体に受けたハリーの内臓が押しつぶされる!
「おわぁあああ~~ッ!」
ガードレールに突っ込んで行く寺島が、曲がり切れずに叫ぶ!
そうだッ!!
平泉署長から聞いていた、速度メーター下のボタンを思い出した寺島が、急いでそれを押すッ!
ボンッッ!
寺島を乗せたシートが、勢いよく上へ飛び上がったッ!
「うわぁああッ!」
上空高くへ舞い上がった寺島が叫ぶ。
ドカーーーンッッ!
“S・D・I”がガードレールに激突し、大爆発した!
バッッ!!
そして寺島を乗せたシートから、パラシュートが勢いよく飛び出した!
黒煙が立ち込める中、寺島の脱出ポッドがゆっくりと地面に向かって降りてくる。
ザシッ…。
無事に着陸する寺島。
「ふぅ~助かったぜぇ…」
額に冷や汗をかいた寺島が着陸した場所は、農家の畑の中であった。
“S・D・I”が大破した爆破音で、近所の住民たちが家の中から何事かと飛び出して来る。
「大丈夫ですかぁッ!?」
ブォンブォンブォン…。
大勢の野次馬が見守る中、デッシ・ハーレーが寺島の元へやって来た。
「あっ…ああ…」
デッシマンに力無く応える寺島。
「お巡りさん、実は私たちは今、誘拐された女の子を救出しに向かっていたのですッ!」
「誘拐ッ!?」
「はい…、ヤスダ珈琲社長の娘、ミユキちゃんです」
「ミッ…、ミユキちゃんがぁッ!?」
「お知合いですか?」
「ああッ、よく知っているッ!」
「ミユキちゃんは今、犯人たちに追われて逃走中です。このままではあの子の命が危険ですッ!」
「……ッ!」
「我々は急いでそこへ向かいます!、あなたたち警察も急いで向かって下さい!、場所はここです!」
そう言うとデッシマンは寺島に、記しを付けた地図を渡した。
「では、また!」
そう言ってエンジンを吹かすデッシマン。
「おっ…、おうッ」
寺島が言う。
バォォォォオオオオオーーーンンッッ!!
デッシマンが立ち去って行った。
「デッシマン…、案外いいやつなのかも知んねぇな…」
デッシマンの姿を見つめながら寺島がポツリと言う。
「ああッとイケねぇッ!」
一瞬、間を開けてから冷静になった寺島が叫ぶ。
「誘拐事件だぁッ!、署に、署に連絡だぁッ!」
「おいッ!、バァさん!、電話だッ、電話貸してくれぇッ!」
寺島が近くにいた野次馬の1人を指差して言った。
「ひぃッ!」
老婆は寺島の勢いに驚き、仰け反るのだった!
場面変わって、奥多摩の山中。
「きゃあッ!」
臓器売買の密売人に、ついに捕まってしまったミユキ!
「このガキャあッ!手こずらせやがってッ!」
ミユキの腕を掴んでいる男が息を上げて言った。
「さぁッ!、こっち来いッ!」
あ~ん…、あ~ん…。
男に引っ張られていくミユキが泣く。
ブォォォ…ンン…。
その時、どこからかエンジン音が微かに聴こえた。
「ん?」
ミユキの腕を掴んでいる男が言う。
ブゥオオオーーーーンン…。
排気音は段々近づいて来る。
男は慌てて左右を見渡すが、辺りには何も見えない!
だが確かに聴こえて来るエンジンの音。
バォオオオオオオオーーーーーンンッ!
明らかに近くで聴こえるその音。
一体どこから聴こえて来る音なんだと焦る密売人たち。
その時、ミユキを捕まえている男に影が差す!
「えッ!」
何だ?と思ったその男は、バッと空を見上げた。
すると男の上空に、大型バイクの姿がッ!
「うぁッ!」
そう叫んだ男の目の前には、デッシ・ハーレーの前輪が顔の近くに来ていたッ!
ドカッッ!
「ぐぇッ!」
デッシ・ハーレーのタイヤを、モロ顔面に受けた男がひっくり返った!
ザンッッ!
その男のすぐ横に着地するデッシ・ハーレー!
「デッシマン参上ッ!」
バイクに跨ったヨシムネが叫ぶ!
「ハリーもいやすぜ…」
その後ろに乗っていたハリーも同時に言った。
「あ~ん…、あ~ん…、あ~ん…」
「さぁ…もう大丈夫ですよ…」
デッシマンが、泣いているミユキの頭を撫でながら優しく言う。
「てッ…、てめえらぁ何モンだぁッ!?」
失神してる仲間の、すぐ近くに立っていた2人組の密売人が叫んだ。
「デッシマンをご存じない…?」(ヨシムネ)
「デッシマン…ッ!?」(黒スーツの男)
「東京都下限定に、町の治安を守る正義の味方です」(ヨシムネ)
「なんだぁッ!?、ご当地キャラか何かかテメエはッ!?」(黒スーツの男)
「本物の正義の味方でげすよ…」
バイクから降り立つハリーも言った。
「黙れッ!変質者がぁッ!」
全身黒タイツで、股間モッコリ姿のハリーを見た密売人の1人がハリーに言う。
「ぐぅッ…!」
顔を赤らめたハリーが言葉を呑む。
「おいッ!、そのガキをこっちによこせッ!」
「中出氏兄ィ…、ここはあっしにやらせて下さい…」
「えっ?、ハリーさんが?」
「ええ…、今こそ特訓の成果を見せる時が来やした」
「松本明子拳を使う時が来たんでやすッ!」
「何ごちゃごちゃ話してるッ!?、この変質者がぁッ!」
「あっしも変質者と呼ばれて、黙っておりやせん…ッ!!」
「あの人たち、よくハリーさんが変質者だって事に気が付きましたねぇ…?」
「あらッ…」
その言葉にガクッと崩れるハリー。
「あっしはAVマニアですけど、変質者じゃありやぁせんぜ中出氏兄ィッ!」
「じゃあどんなジャンルのAVをご覧になってるんですか?」
「✕✕✕✕✕…なものや、✕✕✕✕✕…みたいなのを好んでおりやす」
「やっぱ変質者じゃないですか…!、普通の人は✕✕✕✕…なものや、✕✕✕✕✕…みたいのなんて観ませんよ!」
「ぐぅッ!」
中出ヨシムネの言葉に、反論できないハリーが言う。
「と…、とにかく、ここはあっしがやつらを叩き伏せやすッ!」
そう言うとハリーは、自分の事を変質者だと見抜いた男の前に立った。
「なんだこらぁ…、チビがぁ…」
密売人たちは身長が2m近くあろう大男たちであった。
そのうちの1人がハリーを挑発している。
「覚悟はいいでげすか?」
ハリーが黒スーツへ静かに言う。
「ああんッ!?」
口を大きく開けて男が言う。
「松本明子拳ッ!、デビューシングルの型ッ!」
昔のアイドル歌手が、両手でマイクを握っている様なポーズでハリーが叫んだ!
「オスッ!」
ハリーがイキナリ、右正拳で男の胸元を突くッ!
「グッ」
男が後ろにフラッと一歩下がる。
「メスッ!」
今度は左正拳で男の頬を突くハリー!
「がぁッ!」
男の顔が左へ振れたッ!
よろめいて立っている男。
ハリーが身体を大きく回転させ、胴廻し回転蹴りを放ったッ!
「キッスッッ!」
UWF時代の、前田日明ばりの凄まじいフライングニールキックが、相手の顔面に炸裂したッ!
バシッ!!
「あああッ!」
ズダ~ンンッ……!
男は仰向けに倒れ、失神したッ!
(決まった!)
蹴り足を上げたまま、ハリーがピタリと止まっている。
「このヤロウ~…、もお生かしちゃおけんッ!」
その光景を見ていた大柄な相手のリーダーが、懐に手を入れた!
ジャキッ!
そして拳銃を出して、ハリーに向けた!
「うッ!」
拳銃を向けられ固まるハリー。
「おらぁ~ッ!、待てこらぁ~ッ!、おとなしくお縄を頂戴しろぉ~~ッ!」
その時、林の奥から寺島を先頭に警官隊が走って来た。
まるで火曜サスペンス劇場の、船越英一郎ばりの絶妙なタイミングで現れた寺島たち警官隊!
「ッ!!」
それに驚いた密売人が振り返る!
一瞬の隙が見えた時であった!
(今だッ!)
大男の前に踏み込むハリー!
「オスッ!」
男の胸元に正拳突き!
「うッ」
相手が不意をつかれ、苦しそうな声を上げた!
「メスッ!」
すかさず左拳で相手の左頬をフック!
「ぐッ!」
男の顔がグルッと左へ流れた!
「キッスッッ!」
十分に反動つけて飛び上がったハリーが、大技、胴廻し回転蹴りを決めたぁッ!
バシッッ!
「ぐぁッ!」
顔面に蹴りを喰らった男!
だがまだ倒れない!
男は顔を押さえながら、フラフラと揺れながら立っていた。
「とどめでやすぅ~~~ッ!」
ハリーはそう言うと、大男の腕を掴んで、スッと屈んだ!
「チョリソォォォーーーーーッ!」
井上康生ばりの一本背負い!
大男の身体が浮いたぁッ!
ズダ~ンンッ……!
巨体が地面に叩きつけられる!
大地が揺れた!
「う~~~ん…」
大男は、そううめき声を上げると気絶してしまった。
「やりましたねハリーさんッ!」
傍で見ていたデッシマンこと中出ヨシムネが、笑顔で拍手しながらハリーに近づいて言った。
「完璧な、松本明子拳でしたよ!」
ハリーの肩に手を置いたデッシマンが言う。
「ありがとうごぜぇやす…。これも中出氏兄ィのおかげでやす」
「それじゃあ、我々はそろそろずらかりましょう!」
「へっ!?、どうしてでやすか?」
「スピード違反で逮捕されてしまいます」
デッシ・ハーレーに跨りながらヨシムネが慌てて言う。
「わかりやしたぁッ!」
ハリーも急いで後ろのシートに跨った。
「お嬢ちゃん!、後はお巡りさんが守ってくれやすよ」
涙目で立ちすくんでいるミユキに、ハリーが笑顔で言う。
「じゃあ行きましょう!」
デッシマンがそう言うと、デッシ・ハーレーを急発進させた。
バァォォォオオオオオーーーーーーーーンンッッ!!
「あッ!、待て!お前らぁッ!」
それを見た警官隊の1人が言った。
「追えッ!、追うんだぁ~ッ!」
すぐに刑事の1人が部下たちに叫ぶ。
すると寺島がボソッと言った。
「やめとけ…」
「えっ?」
隣の寺島を見て、追う指示を出した刑事が言った。
「やめとけ…。おまいらじゃ無理だ…」
「……?」(寺島を見つめる刑事)
「追いつけねぇよ、あいつらには…」
「あの“タマの黒ヒョウ”でも止められなかったんだからな…」
走り去って行くデッシマンたちを見つめながら、寺島が言った。
(デッシマン…。何モンなんだあいつぁ…?)
そう思う寺島なのであった。
それからミユキは無事保護され、安田ユキオ邸に帰る事が出来た。
メディアを意識して、胡散臭い笑顔をしながら安田はミユキを向かい入れた。
ミユキが安田邸に戻る事は、果たして少女の幸せにつながるのかどうかは、考えさせられるところだ。
しかしミユキは自らの意志で、安田ユキオの元へと帰って行った。
自分の生きる意味を作り出す事を、まずは安田ユキオの元で、始めてみようとミユキは思ったのかも知れない…。
そしてあの事件の翌日
中出氏邸の応接間
「それにしても、ミユキちゃんが無事で良かったでげすね!?」
ソファに座っているハリーが、TVを見つめている中出氏兄のヨシムネに言った。
TVからは、昨日解決した誘拐事件の事を放送していた。
「昨日のやつらは、臓器密売人だったみたいですね…?」
ヨシムネがポツリと言った。
「これで一安心ですね、お兄様!?」
弟のヨシノブが、明るい表情で兄ヨシムネに言う。
「いえ…、やつらはただの下っ端です。本当の犯罪組織は、まだ捕まっていませんよ…」
冷めた表情でTVを見つめるヨシムネが、静かに話す。
「でもそれは、やつらが警察の尋問でゲロッちゃうから大丈夫でやすよ」(ハリー)
「やつらは話しませんよ…絶対にね…」(兄ヨシムネ)
「え!?」
ハリーと弟ヨシノブが、声を揃えて言った。
「組織の事をしゃべったら、やつらは消されます。殺し屋はムショの中にも、刺客を送り込んでくるでしょうから…」(兄ヨシムネ)
そのヨシムネの話を、黙って聞いているハリーと弟のヨシノブ。
「だからやつらは、しゃべりません。殺されるくらいなら、ムショ暮らしを選ぶのでしょう…」
中出氏兄のヨシムネはそう言うと、ソファから立ち上がり部屋から出て行った。
「ところでハリーさん!」
ヨシムネの話を聞いて神妙な顔をしているハリーに、突然話し掛ける笑顔の弟ヨシノブ。
「何でやすか?」
ハリーがヨシノブに言う。
「実は、我々の法人“8の字無限大!”で、今度運送業を始めてみようと思ってるんですよ!」
「運送業~?」
「はい…、デッシ・ハーレーの波動エンジンをヒントに、良い方法を思いたんですよ」
「波動エンジンでで、やすかい?」
「ええ…、今研究中ですが、そのうち実用化できると思います。そうしたら、バンバン稼げますよ~ハリーさん!」
「あの…、聞こう聞こうと思ってたんでやすが、何で、宇宙戦艦ヤマトの波動エンジンなんか造る事が出来たんでやすかぁ…?」
「設計図がありますから…」
「せッ、設計図がぁ~!?、何で、波動エンジンの設計図があるんでやすかぁッ!?」
「その話はいずれまたしますよ…。現在、中出氏のテクノロジーが、世界中のどの国よりも優れている秘密が、そこにありますので…」
「どうせまた、あり得ない事、言うんでやしょ?」
「はい…、私の人生、バーリトゥード(何でもアリ)ですから…」
そう言ったヨシノブは、中指でメガネのフレームを、くぃっと押し上げるのであった。
THE END