9話 新道空
家に帰り、俺は服の前で悩んでいた。
どんな服を着ていこう。淡い青のワンピース? 白のブラウスにスカート?
「レーン! デート! デートの服装で悩んでるの?」
ニヤニヤと笑みを浮かべたお姉ちゃんが後ろから抱きついてくる。
「そ、そうだけど……」
「なら、お姉ちゃんが選んであげようか?」
「うーん」
俺は少し悩んだが、首を横に振る。
「いや、自分で選びたい」
「そっか」
お姉ちゃんは俺からそっと離れると、涙を指で拭った。
「お姉ちゃん、嬉しいよ。女装を嫌がっていたレンが、進んで女装するなんて……もう、立派な変態だね!」
グッジョブ、と親指を立てるお姉ちゃん。
確かに最初の頃は、女装は嫌だった。けど、今は当たり前であり、自分を可愛く見せたいと思っている。
気が付かないうちにお姉ちゃんの言う、立派な変態になっていたのかもしれない。ショックである。
だが、今更辞めるつもりはない。
「お姉ちゃん、今日の夕飯遅くなっても良い?」
「デートでしょ? 良いよ。それとも、私が作ろうか?」
「それなら、ピザでも頼んで」
「もう、酷いなー。私の手料理が食べられないの?」
「炭になった卵焼き、もくもくと変な煙が上がる紫色のカレー、鍋爆発回数……何回だっけ?」
そう、お姉ちゃんは料理がド下手なのだ。
料理本のレシピ通りに作っているのに、出来上がるのは未知のもの。どんなに甘く採点しても食べて良いものではない。
「そこはドジっ子お姉ちゃんが作った手料理て、ことで食べられるでしょ?」
「ドジっ子? どこが? ドジっ子て言うのは塩と砂糖を間違えた程度で可愛げがあるものだよ。お姉ちゃんの手料理はその範疇を超えてる」
「むー、手厳しい……仕方がない。手料理は諦めてピザでも取るよ」
「そうしてくれ」
お姉ちゃんは部屋を出て行こうとしたが、ドアノブに手をかけて止まった。
「デート、楽しんできなよ」
「うん」
お姉ちゃんはバイバイと手を振って部屋から出て行く。俺はもう一度服に目をやる。
うん、これにしよう。
選んだのは、白のブラウス、ピンクのロングスカート。
着替えて、鏡の前で変なとこはないか確認する。
「よし」
化粧等の準備を済ませる。慣れたもので自分一人でできるようになった。
小さめの赤いバックを手に持ち、部屋を出た。
「いってくる」
「いってらっしゃい!」
リビングでくつろいでいるお姉ちゃんに声をかけて、家を出る。
時間は午後三時五分。
ゆっくり歩いても、待ち合わせ喫茶店には余裕をもって間に合う。
寄り道するか? いや、止めて置こう。
喫茶店に着き、店内を見回すが、綾の姿はまだない。
空いているテーブル席に座ると、店員が水を持ってきた。
「注文良いですか?」
「はい、どうぞ」
「コーヒー、ミルクと砂糖もお願いします」
「かしこまりました」
数分後、俺はコーヒーを片手に、綾からの告白の返事について考えていた。
伝える内容は決まっている。男だと正体を明かし、それでも付き合って欲しいと。
問題はいつ伝えるか、だ。
今日、伝えるか? だが、せっかくの楽しいデートに、水を差すんじゃないか。
じゃあ、日を改め俺から……。
「お待たせ」
「……ん? 綾……」
視線を上げると、テーブルの横に綾が立っていた。
考え事に夢中になって、気が付かなかった。
「大丈夫?」
「……ああ、少し考え事をしてただけだから」
俺は安心してと笑みを浮かべると、綾も笑みを浮かべた。
「そう、じゃあ、行きましょうか」
「ああ」
「と、その前に」
「ん?」
「レン、その服とても似合ってて、可愛いわよ。思わず抱きしめたくなるわ」
「っ!?」
俺は顔を真っ赤にさせる。そんな俺の照れる様子を見て、綾はクスリと笑った。
それから、会計を済ませて、喫茶店を出る。
ケーキバイキングのお店は、喫茶店から十分程、歩いた場所にあった。
中に入った瞬間、甘い匂いと、女性独特の良い匂いがした。
壁際には様々なケーキとお茶類。お客の大半が若い女性客で、うちの学校の生徒もいる。男性客も数人程度いたが、彼女連れだった。それでも、男には居心地が悪い空間だろう。
ケーキは好きだけど、もし、俺一人だったら絶対にこない場所だ。
俺と綾は空いているテーブル席に着く。店員が来て説明を始めた。
「ご来店ありがとうございます。当店では、一時間の食べ放題となっております。ケーキや飲み物類はあちらにございますので、ご自由にお取りください。また、一時間経ちますとこちらのブザーが鳴りますので、そこで終了となります。それから、食べ残しが多い場合などは、追加で料金を請求させて頂きますのでご注意ください。ここまでで何かご不明な点はございますか?」
「ありません」
「わかりました。でしたら、今から一時間スタートとさせていただきます」
店員がテーブルに設置されてるブザーを押す。ブザーの上には、残り時間が表示されていた。
「私は荷物の番をしているから、先に取ってきて良いわよ」
「……わかった。ありがとう」
俺はお盆と皿を手に取り、ケーキを選ぶ。
いちごのショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、チーズケーキ、タルト、などなど。
色々な種類があって、どれもおいしそうだ。
全部、食べてみるか? でも、食べ残したら追加請求が……。様子見で三個にしよう。
選んだのはチョコレートケーキとモンブラン、りんごのタルト。
飲み物はロイヤルミルクティー。
「あら、少ないわね? もっと取ってくると思ったのに」
「まずは様子見しようと思って」
「私もそうしましょう」
綾が選んだのはいちごのショートケーキ、桃やキュウイが入りのロールケーキ、チーズケーキ。
飲み物はブラックコーヒー。
食べ始めてみたが、普通の味だった。美味しくはあるけれど、お店で出す味としては物足りない。はっきり言って、コンビニのスイーツの方が美味しい。
「微妙ね。まあ、値段と種類を考慮すれば、お得だけど」
綾も同じ気持ちのようだ。
「せっかくの食べ放題だし、食えるだけ食おう」
「そうね、ただ、食べ残しだけは注意しましょう」
せめて、元は取らないと。
再度、ケーキを食べようとした時だった。
「あれ? もしかして、綾ちゃん?」
声の方に視線を向ける。うちの学校の制服で、上に、ピンク色のパーカーを羽織っていた。
肩まで伸びた茶髪、背は低く、俺と同じくらいだろう。
綾も声の方に視線を向ける。
「空?」
「やっぱり! 綾ちゃんだ!」
空、と呼ばれた女の子は、ぱぁと表情を晴れやかにさせると、綾に抱き付いた。
「こんなとこで会えるなんて、奇遇だね」
「そうね、空も友達と来たの?」
「いや、一人だよ。ちょっと甘いもの食べたくなって……」
綾に抱き付いたままの空と目が合った。
睨まれたと思ったが、一瞬で笑顔に戻る。
「ねえ、その可愛い子、誰? 紹介して」
「ええ。相川レンよ。私の友達で、今は告白の返事待ちなの」
「っ!?」
な、何を言ってるんだ! 綾!
空が俺の事をジーと見つめる。俺は冷汗をかく。
「ふーん、そうなんだ。初めまして、私は綾ちゃんの親友の新道空。よろしくね、レンちゃん」
「よ、よろしく……」
あれ? 反応薄くないか?
そこはもう少し驚いたりしないだろうか?
俺のそんな視線に気づいたのか、空が言った。
「綾ちゃんが女の子が好きて事は知ってたよ。だから、安心して」
「空は数少ない私の親友なの。だから、何でも話せるわ」
「そうなんだ……」
俺は安堵した。
カミングアウトして二人の友情にヒビが入るのではないかと不安だった。
「それにしても、綾ちゃん、酷いなー。ケーキバイキングに誘ったのに、私を断ってレンちゃんと行くなんて」
「ごめんなさい。どうしても、レンとデートがしたかったの」
「っ⁉︎」
友達を前に失礼だが、友達よりも俺を優先してくれたことを嬉しく思った。
「そっか……仕方ないね。じゃあ、今度私と遊んで。彼女ばかり優先してると、友達の私はすごーく寂しいんだから」
「わかったわ」
「じゃあ、私はそろそろ時間切れだから帰るね。バイバイ、綾ちゃんレンちゃん」
空が俺たちに手を振って去って行く。俺たちも手を振り返した。
「良い友達だな」
「ええ、自慢の友達よ。レンは大切な友達はいる?」
「いるよ。幼馴染で男勝りなやつだけど優しいんだ。この前も、体育の授業で気絶した時、心配で起きるまで一緒にいてくれて、帰りも送ってくれたんだ」
「そうなの……ちょっと、妬けちゃうわね」
「なっ……! そ、そいつとはそんな関係じゃ……!」
俺は言い切れなかった。
今話した幼馴染とは司のことであり、恋人関係ではない。だが、司が俺に好意を持っていることを知っているのだ。
そんな俺の様子に気づいたのか、綾は疑うような眼差しを俺に向ける。
「つまり、今はそんな関係じゃない、てことね」
「え、えーと……」
俺が視線を彷徨わせ、冷汗を流していると、綾が「ふぅ」と笑った。
「まあ、良いわ。相手が幼馴染だろうと、私は引く気がないもの。絶対に好きになってもらうわ」
「っ……⁉︎」
綾は俺の頬に手を伸ばす。
妖艶な笑みを浮かべ、瞳は肉食動物が獲物を狙うようであった。
好きになってもらうか……俺が正直に言えないだけで、すでに好きなんだけど。
「さあ、早くケーキを食べましょう。時間がなくなっちゃうわ」
「そ、そうだな」
俺はケーキを食べるが、緊張のせいか、味がよくわからなかった。