09 何とか置いてもらえせんか?
夕餉は気まずい雰囲気となった。さっきの図々しい態度を詫びると、彼は面倒くさそうに頷いただけで、ささっと食事を済ませると台所から去ってく。
先ほど怒らせてしまったので、再び雇ってくれとしつこくは頼めない。しかし、夕餉も用意されていたし、同席しても怒られなかったし、きっと今夜追い出されることはないだろう。
「なんかあったのかい?」
ネリーが心配そうに聞いてくるので、リズは先ほどのいっけんを話す。
「そりゃあ、あんた、そんなややこしいことお言いでないよ。ただ、金がないから、ここに置いてくれって頼んでみたらどうだい?」
そういうものかと思った。
「はい、やってみようかと思います。ただ、ご主人様は、すべて「おじき」にまかせていると……あの、ご主人様の叔父様のことなのですよね。きのういらしたご夫婦のことでしょうか?」
「私は、詳しいことはしらないけれど、そのようだね。まあ、でもやさしい坊ちゃんのことだから、困ってるっていやあ、どうにかしてくれんじゃないかね」
「坊ちゃん?」
「ああいや、なんでもないよ」
ネリーはなぜか慌てていた。別に「坊ちゃん」と呼んでも不自然ではない。彼女が昔からこの家に仕えていたことは見ていればわかる。
しかし、ダニエルはなぜ、あのように粗野なのだろか。荒々しい演技をしているとも思えないし、実際所作からも品の良さは伺えない。何より自分の屋敷でそのような演技をする必要はないだろう。
そのあと、ネリーから「おじき」と呼ばれる人のことを少し聞いた。紳士はゴードン、夫人はアンヌといってダニエルの叔父でグレイ子爵を名乗っている。彼らがダニエルの代理人として、この屋敷をひいては領地を取り仕切っているとのことだ。
なぜそのような事態になったのか詳しいことを聞いてみたいきもしたが、好奇心で踏み込んでいいことではないだろう。よほど特殊な事情があるとしか思えない。今は人の家の事情より、明日の寝床だと思い、考えることをやめた。考えても一銭にもならないし、ゲスな好奇心を満たしても腹が膨れるわけではないのだ。
♢
翌朝、リズは明け方に目覚めた。
この時間ならば、きっとダニエルを捕まえられるはずだ。冷たい水で顔を洗い身繕いをすると気合を入れて台所に向かった。
夜明けのピンと張った空気が漂う廊下の先に、明かりが漏れている。ネリーがもう支度しているのだろうか。慌てて台所に入ると、ダニエルがいた。リズは少し緊張した。
「おはようございます! ご主人さま」
ダニエルがリズの声にぎょっとしたように振り向く、見ると彼は暖炉に薪をくべていた。
「私が、やります。ご主人さまは休んでいてください」
慌てて、彼のそばへ行く。
「いや、別にいい、いつも俺がやっている。冷えはネリーの体に悪いんだ」
「え? ネリーはどこか具合が悪いのですか?」
心配になって聞いてみる。
「いや、そうじゃないが、もう年だから、冷えると膝や腰が痛くなるようだ」
ネリーが言っていたように、粗野で乱暴な口の利き方をするが優しいようだ。
「でしたら、私が、毎朝やります」
「は? その話なら断ったはずだが」
彼の体がこわばる。ここに住むことを拒否されているのが分かった。ネリーの忠告とおり、自分の能力をアピールするのではなく正直に苦境を告げることにした。
「実は、私、文無しなのです。帰りの旅費がないのです」
「え? あんた、男爵家の娘だときいたが……。どこかで、金でも盗まれたのか? それとも落としたのか? それくらいなら、おじきに言って用立ててやろう。いくら必要だ」
言い方はぶっきらぼうだが、申し出は親切だ。それにやはり財布を握っているのは「おじき」のようだ。この家の事情がますます気になったが、まずはいったん置いておく。今は住む場所の確保が先決だ。思い切って真実を告げる事にした。
「帰る家がないのです」
「……」
ダニエルが言葉を失った。本当の事ではあるが、この発言には勇気がいる。悪い相手ならば、売り飛ばされてしまうかも知れない。
ダニエルの沈黙が、リズの不安を煽る。事情を聴かれたらどうしよう。さすがに婚約解消や家のことは話したくない。まだ心の傷が癒えていないのだ。しかし、そんなことをいっていられる状況ではないのかもしれない。
あまりにも沈黙が長く、息苦しくなった頃、ダニエルが口を開いた。
「そうだな。ずっとってわけじゃねえが、しばらくなら置いてやる。ネリーも体がきつそうだしな。仕事を手伝ってやってくれ」
ダニエルのその言葉を聞いた瞬間ぽろりとリズの目から涙がこぼれる。今まで気が張っていたのだ。当面住む場所ができると思うとほっとした。それに彼は理由を聞かずに承諾してくれた。
「お、おい……。なんでだ? どうして泣く。仕事内容が不満なのかよ」
ダニエルが慌てる。リズは急いで涙を拭う、礼を言わねばと。そこへネリーが入ってきた。
「まあ、リズ、どうしたいんだい?」
そういってリズの元へ駆け寄ってくると、ダニエルをキッとみあげる。
「坊ちゃん、いったい何をなさったんです?」
「いや、俺はっ」
リズは慌てて止めに入った。ネリーはダニエルがリズを雇ってくれると聞いて大喜びだ。
「おい、待てよ。俺はしばらく置いてやるといっただけだ」
などとダニエルがぼやいていたが、リズはここに居座るつもりだった。存外居心地がよさそうな職場だ。