08 私を雇ってください!
掃除は一部屋が限界で、それも今日中に終わるかわからない。しかし、掃き清めることは結構好きだし、先行きの不安を忘れるには持ってこいだった。
手元が暗くなり、一日が終わりを告げていることに気付く。慌てて、掃除道具を片して、食堂へ向かおうとした。しかし、明かりを準備していなかったので、薄暗い廊下に出た途端、足元のごみに躓き、派手な音を立てて転んだ。
「おい、大丈夫か」
ランプの明かりが、ちらちらと廊下を照らす。ダニエルがやってきた。彼はランプを床に置き、散乱した掃除道具を手早く集めてくれる。親切なようだ。
リズは立ち上がりスカートの埃をはたくと、居住まいを正す。
「ご主人様、先ほどは大変失礼いたしました。心よりお詫び申し上げます」
頭を下げると、彼がぎょっとしたように後退る。
「お、おう……別に、たいしたことじゃねえ。俺はこのなりだしな」
ぼそぼそと、そういうと彼は踵を返した。
「あ、お待ちください」
リズが慌てて追いかけると、粗野な男は面倒くさそうに振り返る。
「なんだよ」
「ここに置いてもらえないでしょうか?」
「はあ? なんでだ。こんな何もないところで、退屈だろう。何でこんなところにいたいんだ?」
ダニエルが心底驚いたように言う。そのうえ、自分の屋敷をこんなところ呼ばわりしている。
「いえ、やることならばいっぱいあります! 例えばここのお掃除」
「ああ、まあ、確かに、だが別に使ってない部屋の掃除は必要ない」
きっぱりと言いきった。
「あの、では、食堂のお掃除やお洗濯を」
リズは縋る様な思いだ。
「俺は別に構わないが、あんた王都から来たんだろ。なら、こんな田舎でそんな仕事して楽しいのか? 遊ぶ場所だってねえし、買い物だってろくにできねえ。あんた良いとこのお嬢さんなんだろ」
「俺は別に構わない」と彼は言った。そこだけはしっかりと耳に入れる。言質は取ったとばかりにリズは畳みかけた。
「楽しいです! お掃除大好きです。遊ぶ場所がなくとも平気です。それに買い物は好きでもありません。ご主人様が『別に構わない』のなら、ここにいてもいいんですよね」
ぼさぼさの髪で隠れていてダニエルの表情は分からないが、困っているようだ。しかし、迷惑だとしても今は帰る旅費すらない。若い娘が野宿するわけにはいかないのだ。
「まいったな。おじきが断った話だったんだが……」
「それは家庭教師の話ですよね」
勢い込んで続ける。
「ならば、私は掃除も洗濯も料理もできますし、薬草の知識も少々ございます。ご主人様のお役にたてると思います。何卒、私をお雇いくださいませ」
深々と頭を下げるリズにダニエルはしばし途方にくれた。自分に対してこんなへりくだった態度をとる相手は初めてだ。だいたい怖がられるか、侮られる。
「まいったな。頭あげろよ。そんなに頼まれても、この家のことはおじきにまかせているんだよ。俺にはどうにもならねえ」
「失礼ながら、このお屋敷の主人はあなた様ですよね。ならば実権もお持ちかと。いかようにもできるのでは?」
リズは必死だった。ここで帰れと追い出されれば、荒野で野垂れ死にだ。失礼だとかそんなこと考えている余裕はなかった。彼を逃がすまいと更に言葉を継ぐ。
「それに、ウォーレン伯爵様からの紹介状及び推薦状も持参してきております。今もってまいりますので、どうかお目を通してください」
リズは、必死なあまり気付かなかった。だんだんとダニエルが不機嫌になっていることに。リズが紹介状を持ってこようと踵を返すと彼の不機嫌な声が追ってくた。
「なんなんだよ。さっきから、がたがたとうるせえ。あんたが、頭がいいってのはわかった。だったら、なおさら出ていけよ。
そんなに優秀なら、どこででも雇ってもらえるだろうさ。こんな田舎にいたって仕方ねえ。
でなけりゃ、あんた、ずいぶん器量がいい。いくらでももらいてはあるだろ。どっか嫁にでもいけばいい」
そう言うと彼は足音あらく掃除道具とともに去って行ってしまった。今度こそ取り付く島もない。リズは呆然と見送った。
失敗した………。
「嫁にでもいけばいい」その言葉が深く心に突き刺さる。しかし、彼はリズの事情など知らない。傷つける意図はなかったのだろう。
ここの主人を怒らせてしまった。何が悪かったのかわからない。いや、押しつけがましくて図々しくて、失礼だったのだ。わかっているが、他にやり方を知らない。
家庭教師の仕事は口コミや紹介で成り立っている。自分を売り込むことなど今までなかった。リズは、暗い廊下で途方に暮れる。
床にはぽつりと、掃除道具の代わりに、彼が持ってきたランプが残されていた。
あれ?やっぱり、親切……なの?