04 グレイ伯爵邸
延々と続く一本道の両側にはのどかな田園風景が広がっている。そしてはるか先の丘の上にはいくつか尖塔のある城のような堅牢な屋敷が見えてきた。
ノースエデン領グレイ伯爵邸、リズの目的地だ。屋敷が近づくにつれ彼女の心は沈んでいった。
遠目には立派だが、近くで見ると老朽化が激しく手入れされていない様子がありありと見て取れる。
着いてみると壊れかけた門扉の先にも庭と呼べるものはなく。草や木が手入れもされず、ぼうぼうと生い茂っていた。これだけのお屋敷なのに庭師も雇っていないようだ。
すべての窓は苔色のカーテンで閉め切られている。古くてもいい、せめて明るく清潔な感じならばと思っていたが、その期待も裏切られる。
無愛想だが腕のいい御者に賃金を払い、リズは覚悟を決めて正面玄関に立つ。
この勤め先についてほとんど何も知らない。教える子供の年齢も性別もわからない。ただ家庭教師をして欲しいと言われただけだ。非常にセンシティブなことだから、あとは、ついてから聞くようにと。高位貴族にそういわれては黙るしかない。
屋敷は閑散としていて荒れ放題だ。人が住んでいるのかと思うほど、静まり返っている。リズは意を決して、立派だが錆の浮くライオンの形をしたノッカーをならした。
だが、返事はない。締め出されるわけにはいかないので、どんどんと分厚いドアを必死で叩く。するとしばらくして、少し離れた場所にある納屋から、男が出てきた。
「うるせーな。なんだよ、あんた。そこは鍵がかかっている。勝手口にまわりな」
不機嫌な低い声で、粗野な口を利く。手入れのされていないぼさぼさの黒髪は顔を半分隠し、髭もあたっていない。おそらくこの家の下働きの男だろう。汚れた鼠色のズボンに元は白かと思われるシャツとこげ茶のベストを身に着けている。
「その勝手口はどちらにあるのですか?」
「ふん、何だあんた、偉く気取った話し方をするな。ここら辺の者じゃないだろ。よそ者か? まあいい。屋敷を左手に回れ」
いきなり「よそ者」と言う言葉をかけられ、リズの表情がひくりと引きつる。王都にはあのような口を利く者は、下町の治安の悪い地区にしかいない。伯爵家とはいえ田舎の使用人などこんなものなのかと諦める。
ここが閉鎖的な土地柄ではないといいのだけれど、と祈らずにはいらない。
今日着くと連絡していたはずだが、出迎えもない。リズはため息を一つ吐くと勝手口を目指して歩き始めた。荷物は殆どなかったが、それでも服やノートやペンも入っているので旅行鞄はそれなりに重い。ここではすべてを一人でやらなければならないようだ。
名家から、仕事を紹介され、今まで一生懸命仕事をしてきたかいがあったと思ったが、楽観が過ぎたようだ。
いつものように早々に諦める。すると今度はここに置いてもらえるのだろうかという不安が頭をもたげた。見たところ、勉強を必要としている子供がいるような屋敷には思えない。それとも長く留守をしていて、これから帰って来るのだろうか。
リズは「マゴットが、体が弱くて夜会にも出られないのに、お前、一人で楽しんでくるつもりか」と言われて、社交をしてこなかった。そのため貴族の家格や噂話に疎い。伯爵とはいえ、この家がどの程度のものなのかもわからなかった。
勝手口のドアは開いていた。風で揺れ、蝶番の軋む音が聞こえる。壊れているのかもしれない。実に不用心だ。王都では考えらない。
なかを覗くとふっくらとした年配の女が一人、野菜を洗っている。
「ごめんください」
リズが声をかける。
「おや? あんた見かけない顔だね。ここら辺のもんじゃないだろ。何のようだい?」
老齢に近い中年女性が珍しそうな目でリズを見る。やはり、どっからどうみてもよそ者なのだろう。
「私は、エリザベス・アーデンと申します。こちらのお屋敷の家庭教師としてきました。リズとお呼びくださいませ」
「家庭教師? なんだいそりゃ、聞いていないよ」
出迎えがないことから、そんな予感はしていていた。
「上級使用人のようなものです。今日からここのお屋敷でお世話になることに決まっているのですが、どなたかわかる方は?」
屋敷の荒れようから、執事がいるとは思えない。逆にいたらびっくりだ。期待せずに聞いてみる。
「使用人かい、そりゃ丁度いい。居間の掃除をしてくれないかね」
「え? あの、だから、私は家庭教師……」
「私の名前はネリー、まったく老体に鞭打って働いていたけど新しい使用人がくるってんなら、少しは楽できるね」
そういうとネリーは人のよさそうな快活な笑みを浮かべた。