03 旅立ち
婚約解消を告げられた一月後、家庭教師の住み込みの仕事が決まり、遠い領地へ旅立つことになった。
家族はいままで病弱で辛い思いをしてきた姉を祝福できないのかと、客人の前で恥をかかされたと、怒り冷めやらない。リズにとっては彼ら全員に裏切られたも同然だ。
なぜ、エリックが姉の婚約者にかわったのかいまだに分からない。そして、いつそうなったのかも知らされていない。まさか、姉に婚約者を奪われるとは思ってもみなかった。そのうえ祝福しろと言う。
それ絶対無理だから。
しかし、家族全員になじられるうちに、自分がおかしいのかと、心が狭いのかと、罪悪感を持つようになった。
♢
馬車を乗り継ぎ、三日かけてアスワンデル王国の北方にあるグレイ伯爵が治めるノースエイデン領へ行くことになった。これは片道切符と言っていい。リズは家を追い払われたのだ。それとも国外ではないだけまだましなのだろうか。
無駄なことだとはわかっていても、リズは婚約解消に至った理由を考えずにはいられない。おそらく忙しく働いているリズとエリックはすれ違ってしまったのだ。
エリックが、家に訪ねてきてくれているのにもかかわらず、二年間もリズと会えなかったのだから。
今思うとリズはのんきだった。お互いに好きだから、会えなくてもどこかで気持ちは繋がっていると思い込んでいたのだ。つくづくおめでたい。
きっと二人が仕事ですれ違っている間、エリックは姉との愛を育んだのだろう。しかし、それは浮気とは言わないのか。
エリックは優しい人で、誰かを裏切る人ではなかったはずだ。そんな誠実そうなところが好きだった。しかし、彼はリズを捨て、姉を選んだ。
あれから一度だけエリックと話したことがある。「済まない」と言われた。家同士で決めたことで、次男の自分にはどうすることもできなかったと。
確かに、彼は実家の爵位をつげない。彼が貴族であり続けるためには、貴族の家に婿いりするしかないのだ。それに爵位のあるなしは出世に響く。こればかりはどうにもならない事だった。
「頼むから、マゴットを責めないでくれ、彼女は苦しんでいる」
エリックのこの言葉に打ちのめされた。誰も責めてなどいない。ただ祝福出来ないだけ、自分がみじめになるから呪いもしないけれど。
もう、彼を諦めるしかないのだ。
気付くといつも、皆リズから離れ、マゴットの味方になっている。
ガタゴトと田舎道を行く。巧みに二頭の馬を操る御者の横で、リズはあくびをかみ殺す。馬車旅も今日で三日目になる。街道を随分北上した。
エリックとの婚約がいつの間にか解消されていたことを知ってから、三週間後、富豪で名家のウォーレン伯爵家から代理人という人物がやってきた。名をマーカス・アボット卿といい、ウォーレン卿が優秀な家庭教師を探しているという。
その三日後にウォーレン伯爵ハロルドと面談をした。宮中伯でもあるハロルドは威厳があり、少し怖い感じの紳士だ。ノースエイデン領の当主が急ぎ家庭教師を探しているという。
相手はどんな人たちなのか詳しいことは分からないし、説明もなかった。不明点の多い話に不安はあったが、家は居心地が悪く、追い出されそうな勢いだったので、受ける以外に選択肢はない。
その際、推薦状と紹介状も受け取る。名家から紹介状を貰い、リズは満更でもなかった。ずたずたになった自尊心がこれで少しは慰められる。
しかし、リズは実家を追い出されるも同然なので一人で向かわねばならない。気に入らないと向こうの家に追い返されるかも知れないことを考えると不安だった。
実際高位貴族には残酷なくらい気まぐれな者もいる。何か気に入らないところがあれば、あっさり首をきられる。雇ってもらう側の立場は弱いのだ。
ウォーレン伯爵家のお墨付きもあるし、向こうへ行って無下にされることもないだろうと思いなおし、自身を鼓舞した。
リズは自由になる金を持っていなかったので、父アイザックから旅費を受け取ったが、それは行きの分だけ、もう帰ってくるなという事だ。
今まで自分が働いて稼いでアイザックに渡っていた金はどうなったのだろう。リズの結婚の為に支度金として貯めるというのは嘘だったのだなと少し悲しい気持ちになる。
お守りのように大切にしていた祖母の形見の宝石は取り上げられ、数少ない宝飾品を持ちだすことは許されなかった。数枚の着替えに夜着、ペンに紙。彼女の荷物はちっぽけなトランク一つにまとめられたのだった。