20 台所でお茶を
早いもので、気付くとこの屋敷にやって来てから、一年が過ぎていた。最初の頃の居心地の良さは人が増えるにつれて消えていったが、王都よりずっと暮らしやすい。
それに見た目だけは貴族然としてきたダニエルは、いまも変わらず親切だ。
がらんとした使用人用の食堂でリズが茶を飲んでいると主人がやってきた。
「今日はあんたにこれを渡しに来たんだ」
そういって箱を差しだす。ダニエルは遠出をするとリズに土産を買ってきてくれる。たいてい菓子や文具だ。リズはそれが楽しみだった。
わくわくしながら、包みを開くとエメラルドを散りばめた小さな髪飾りが入っていた。飾りを貰ったのは初めてだ。
「これ、高価なものではないですか?」
「そんなことはない。あんたの目と同じ色の石だ。いつも髪をひっつめにしているから、たまには飾りを付けるといい」
確かに若いのに地味過ぎると、ネリーにたびたび言われる。貰うには高価そうで少し気が引けるが、とても嬉しい。リズは素直に礼を言った。それを聞いたダニエルが満足そうに微笑む。
久しぶりに髪をおろしてつけてみよう。
♢
その晩も使用人達が部屋へ下がった後、リズは台所でひとり茶を飲んでいた。ボロボロだった絨毯も今では清潔なものに変わっている。
そういえば、永らく姿を見ないが、ダニエルの叔父夫妻はどうしているのだろう。
こんこんとノックの音が響いた。
「ちょっといいかな」
顔をのぞかせたのはアーノルドだ。リズは席を立ち彼の分の茶を淹れた。彼とは初めのころこそぎくしゃくがしたが、今は上手くやっている。
「ねえ、リズ、今度の休暇に王都に帰るんだけど、君も行かないか?」
ただ最近彼はとても気安い口を利く。リズの前では、家令としてのいかめしい態度は鳴りを潜めていた。そこは「よそ者」どうし仲良くしようという事なのだろう。今のところ王都出身の使用人は彼とリズ二人だけだ。
年は確かダニエルより三つほど年うえだ。
「また、馬車代をシェアしようという話ですか?」
アーノルドはしっかり者でしまり屋なのだ。
「もちろん、それもあるが、王都が懐かしくならないか? もう一年くらい戻ってないんだろう?」
「はい、ちっとも懐かしくないです。私の噂はご存じでしょう?」
「まあ、多少は……」
アーノルドにしては歯切れが悪い。どおりで、ここに来た当初リズに対するあたりがきつかったはずだ。今は誤解がとけたのだろうか?
「私は、あのような噂は信じていない。君はそんな人じゃない」
それほどひどい噂なのだろうか。どのような噂か聞いてみたい気もしたが、立ち直れないレベルのものだったら嫌なのでやめた。
「ありがとうございます」
しかし、同僚の意外な言葉は正直嬉しかった。同時に心が揺さぶられる。姉のマゴットに会ってもこの人は同じことを言ってくれるだろうか。
なぜか皆、マゴットの言いなりになってしまう。父も母もエリックもそうだった。ここに来てからというものがむしゃらに働いていたので嫌なことは忘れていた。久しぶりに思いだしが、やはり不快だ。
「王都の者は移り気だ。皆、もう君の噂など忘れている。気にせず、帰ればいい」
彼が気楽に言う。
「その帰る先がないのです」
リズはため息を吐いた。
「帰る先がない? 君は、アーデン男爵のご息女だろ」
ついうっかり愚痴をこぼしてしまった。アーノルドにならば、打ち明けていいだろうか? 迷ってやめた。行きの馬車代しかもらえなかったなど体裁が悪すぎる。
今思うとダニエルもネリーも口が堅くて助かった。アーノルドは仕事についてはもちろん口は堅いが、使用人の噂話に関してはわからない。
「なんか、警戒されてる?」
「基本貴族は信用しないことにしているんです」
「まあ、無理に事情を聴こうとはおもわないけれどね」
彼が節度のある人で助かった。しかし、ちょっと悔しそう。やはり、この手の醜聞はみな好きなようだ。話すのはもう少し、彼を見極めてからにしよう。
その前にダニエルが優秀なので家庭教師の仕事が終わりそうだが。
数か月が過ぎると、家庭教師の仕事もやることがなくなり、そろそろ首かと心配していたが、新しい仕事を与えられた。書類整理を手伝うようになったのだ。この領地は何年もずさんな管理のされ方をしていたので、いくらでも仕事はあった。
最近ではダニエルに教わることもしばしばだ。もともと読み書きが出来なかっただけで、酪農や農業の知識が豊富だったので、最近、領地経営で頭角を現してきたようだ。
そういえば、いつのまにかダニエルの叔父夫妻がこなくなった。どうしたのだろうか……。
彼は代理人マーカス・アボット卿が来てから変わった。あの日、いったい何が話し合われたのだろうか。




