18 新しい使用人
ダニエルが読み書きもできるようになり、髭もあたり髪もとかし、つめの手入れもきちんとするようになった頃。新しい使用人がやってきた。
ウォーレン伯の計らいで、アーノルド・ロベルタという家令が新しく雇われた。下位貴族の三男だ。彼は来てすぐに使用人を募集し、面接して雇い入れた。これで、ここの主人が自ら掃除や洗濯をしないで済むようになる。
空いた時間をダニエルは勉強にあてていた。もともと頭もよかったのだろう。農場の仕事に加え、いつも夜遅くまで勉強している。新しい家令もリズにあたりは厳しいが頼りになるようだ。いつの間にか家のことについての相談相手は、リズから家令のアーノルドに移っていた。
ダニエルは領地の経営も学ぶようになった。リズは主に基礎学問に一般教養担当だが、一年もすればお払い箱になりそうだ。後は彼が読書をすれば吸収できる知識ばかり、下地はできている。
ダニエルの能力が上がるにつれて、使用人も増えてきた。彼らは近くの村や街から来ていて、なんとなく王都出身のリズを遠巻きにする。「よそ者」とはっきりと口にする者もいるが、人手がないよりはましなので、気にしないことにした。
ネリーとの間は良好だが、前ほど一緒にいる時間がとれない。もう主人を一人でみる必要はないので、彼女は週四日ほどの通いとなったのだ。昼過ぎには帰ってしまう。それが少し寂しい。
最近では掃除をしていると、「あなたは家庭教師なのですから、そういう真似はおやめください」と新しく来た使用人に仕事を取られてしまう。リズのその行動は彼女らにとって、嫌味に映るらしい。そう気付いてすぐにやめた。
そしてジェシーと言う名の若いメイドが来てからは使用人達との距離がさらに開いた。彼らはリズには敬語を使い「エリザベス様」と呼ぶようになった。正直やめて欲しい。
リズがいると他の使用人が気を遣うので、自然と時間をずらして食事をとるようになった。彼らと距離をつめようと街にでると土産を買ってくるのだが、相変わらず警戒されている。
ダニエルはアーノルドが来るとすぐに本館で食事をすることになった。主人が使用人と一緒に台所で食事をするなど言語道断だと、リズはアーノルドに大目玉を食らったのだ。今いる使用人達は、ほんの少し前の粗野な主人を知らない。
それほど前でもないのに、着古したシャツを着ていた頃の主人が懐かしい。
何度か一緒に本館で食事をしようとダニエルに誘われたが、気が引けるので断った。愛人などと街からきている使用人達におかしな噂を立てられると困る。そのうち彼には縁談も来るだろう。ダニエルにはまだ伯爵としての自覚が足りないようだ。
そんなある日、夜更けの台所にダニエルが、やってきた。この時間、他の使用人は朝が早いのでもう休んでいる。いるのはリズだけだ。彼女は最近ここで本を読みながら寝る前の茶を楽しんでいる。
「どうしたのですか、ご主人様。お腹が空いたのですか? 何か作りましょうか?」
その言葉にダニエルがゆるゆると首をふる。
「なんだか、疲れた。この姿は気が張るし、自分の屋敷にいるのに、始終周りの目を気にして気を遣う」
そういうと、倒れ込むように椅子に座った。そんなダニエルをみていると思わず笑みが漏れる。
今日は来客があったらしくシルクのクラバットをしていた。巻き方も、アーノルド直伝で王都風。光沢のある黒地に銀の刺繍があるベスト、飾りのサファイヤが彼の瞳にあっている。
どこから見ても今の彼は立派な青年貴族だ。いつの間にか手の届かない人。違う。最初から手の届かない人だったのだ。
「何をおっしゃっているのですか。これからではないですか」
リズが茶を淹れると彼が一気に飲み干した。
「まあ、ご主人様。お行儀の悪い。サロンかお部屋にお持ちしますのに」
窘めるとダニエルが情けなさそうな顔をする。
「あんたの前でくらいいいだろ。自由な暮らしが懐かしいんだ。いまじゃ、農場に毎日いくことも馬のお産に立ち会うこともできねえ」
ダニエルは自由な暮らしと言うが、以前は不衛生な暮らしをしていた。遅かれ早かれ、あれでは病気になっていただろう。
「本当に、あの暮らしが良かったのですか?」
「まあな。解放された直後はな」
「解放された直後?」
彼はそれには答えず。ポケットから出した懐中時計にちらりと目を落とす。
「アーノルドがうるさいから戻るよ」
物憂げに言うと出て行った。まだ仕事が残っていたようだ。最近は口調も貴族らしくなってきたが、ここでは砕けた口を利く。
彼が使い分けているようなので、最近は注意しなくなった。屋敷の中は新しい使用人が増え、噂話も蔓延しやすい。家の中でも気が抜けないのだ。ここでの息抜きくらいは大目に見よう。
それにリズも前とは違い、周りに人がいるときはきちんと口を慎む。いま思うと、ここに来たころは随分気安い口をきいていた。
今でもダニエルがこの家でネリーの次に付き合いやすい相手なのは変わらない。彼は年上なのだが、純朴なところがあるので弟の成長を見ている気分になる。
ここにいる使用人達は、ほとんどが、この土地の人間で、貴族というものをしらない。そのせいか、家庭教師という珍妙な使用人が扱いにくいようだ。ここで浮いている自覚はある。
「私は、よそ者だしね」
リズはぽつりとつぶやいた。




