14 長く勤めたいのです
リズは昨日、気を失ってしまいネリーに迷惑をかけたので、今日はその分を取り戻そうと、朝から張り切って働いていた。このお屋敷はやることに事欠かない。もともとは立派なお屋敷なので、修繕したり、もっと手を入れたりすればきっと見違える。もったいないと感じていた。
草がぼうぼうとはえた庭を、掃除の手を止めて、眺める。雑草を刈り、花を植えればきっと素敵だ。
馴染むにつれてここの職場が気に入って来ていた。出来る限り綺麗にしたい。ふらりとテラスの外に出ると、朝の瑞々しい空気を吸い込んだ。草や木々の香りに満たされる。
そういえば、ここに来てから、庭で散歩を楽しむような心の余裕もなかった。掃除の途中ではあるが、休憩がてら少し歩いてみることにした。
雑草の生い茂る踏みしめられた小道をしばらく歩くと、鶏の鳴き声が聞こえてくる。そういえばネリーが言っていた。ここの屋敷の東側には家畜小屋があり、鶏などを飼っていると。主人が自ら世話をしているという。
どういった事情があるのか見当もつかないが、ここの主人は見た目も行動も野生児のようだ。家畜の世話はしたことないが、教えてもらえば自分がやるのに。
気持ちよく歩いていると、目の前の草むらがカサカサカッとなり、どきりとした。野兎だろうか。ネリーがここらではよく見かけると言っていた。
見てみたい。リズは音のする方のへ足を向ける。すると茂みからは鶏のような不思議な生き物が……。
茂みを疾走するそれは、血が滴り首から上のない鶏だった。
「ひっ!」
あまりの恐怖と衝撃にリズの意識は遠のいた。
「はっ」
目覚めてガバリと起き上がると、また、台所のソファーで寝かされていた。そして先ほどの怪現象を思い出し、震えあがる。幽霊などは信じていないが、これだけ古い屋敷だ。秘密の地下室もあることだし、何かあるかもしれない。
「リズ、大丈夫かい?」
心配そうにネリーが声をかけてくる。水を一杯持って来てくれた。
「ああ。ネリー、私ったら、またあなたに迷惑をかけてしまって」
「いや、そんなことはないよ。あれは誰だって驚くだろう。どうも若い者が鶏の屠畜に失敗したらしくてね」
「はい? 屠畜?」
あれは幽霊でも、疲れからくるリズの幻覚でも、なかったようだ。
「ああ、ご主人様が持って帰って食うといいって、使いできた若いもんに鶏を持たせたんだ。だが、屠畜は不慣れだったらしくて、どういうわけか首をこうスパーンと落としたら」
「いやああー! もういいです。わかりました! ごめんなさいっ!」
リズはがたがたと震え、耳を塞いで、ネリーの言葉を遮った。
田舎怖い。でも慣れなきゃ。
その日は朝の首なし鶏事件があってくたくただったが、夜半まで主人の帰りを待った。昨日の「叔父」との話が気になった。またリズをやめさせろという催促だろう。
主人が帰ると早速夕餉の支度をした。
「おい、別に俺の帰りを待たなくてもいいぞ。先に寝てろ」
「いえ、ご主人様にご不便をおかけするわけにはいきません」
リズが真面目くさってこたえる。このリズが姉の婚約者を誘惑したなど信じがたいなとダニエルは思った。まあ、ダニエルに魅力を感じていないだけなのかもしれないが……。
「なあ、あんた、なんで王都の実家に帰れないんだ? 家が没落したわけじゃないんだよな」
リズの顔が引きつる。いよいよこの質問がきてしまった。嘘を言ってもしょうがないし、かといって正直に答えたくもない。
結局、リズは黙り込んでしまった。
「まあ、言いたくないなら、いいや。おじきから一つ伝言がある」
ダニエルのその言葉に、リズは嫌な予感がした。
「あんた、おじきの家で働く気はあるか?」
リズは驚いてぱっと顔を上げる。
「いやです! どうかここに置いてください!」
即答だった。ダニエルが「お、おう、わかった」とリズの勢いに押されたように答える。リズはひとまずほっとした。あの「おじき」のもとで働くくらいなら、街に出て仕事を探す。
それにここが気に入っている。主人であるダニエルは怖そうで粗野な見かけとは違って、温和な性格で気を使わなくていい。
ネリーはとてもおおらかで良い人だ。最初は田舎のおばちゃんと思っていたが、草木や野草の知識の広く、キノコなどにも詳しい。ワイルドな田舎暮らしに慣れなくてはならないので、リズも少しずつ教わっている。
そのうえ、ネリーは屋敷に精通していて、料理もうまい。リズはいつの間にかネリーを尊敬し、頼るようになっていた。
もう、家庭教師の仕事に未練はなかった。あんなに必死に頑張ってきたのに、信用が崩れるのは一瞬だ。それよりも、お屋敷で使用人として働けた方がよっぽどいい。長く仕事ができそうだ。一生勤め続けたい。
エリックの件から結婚にはリスクがつきものだと学んだ。それは決してゴールでも逃げ道でもない。
だから、一人で生きていくために、しっかり働いて金を貯めたいとリズは思う。




