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勿忘草

作者: 一年卯月

 私には好きな人がいる……。いや、正確にはいた―――。

 

 もしも、過去に戻れるとしたらいつの頃に戻りたいかと聞かれたら、私は間違いなくあの日に戻りたいと願う。

 強く、強く願う―――。


 期末テストも終わり、夏休み目前の学校に行くと私の下駄箱に可愛らしい封筒が入ってあった。なんかのキャラクターみたいだけどなんだっけ?封筒には私の名前が書かれている。手に取りひっくり返して差出人の名前を確認してみるが名前はない。いくら考えてみても手紙を出すような相手に心当たりはなかった。子供じみた悪戯(いたずら)をする相手は多少いるけれど。私は歩きながら大雑把(おおざっぱ)に封を開け、中にふたつに折り畳まれた紙を取り出した。そこには、


『今日の放課後、中庭で待っています』


と丁寧な文字で書かれていた。そこにも差出人の名前はなかった。予想はしていたがラブレターだった。

 そうしているうちに教室に着き、私は誰に向かってでもなくおはようと言いながら自分の席に向かう。私の席には我が物顔で座っている人がいた。よく一緒にいる悠美だ。前の席には有紗が後ろ向きに座っている。

 私が来たことに気が付くと悠美はごめん、ごめんと軽く言いながら隣にどいた。なんで、ここで話すかなぁと思いながらも口にはしない。カバンを机に付いてあるフックに掛けて椅子に座った。悠美と有紗が何かこそこそ話している。

「今ね、悠美と話していたんだけど放課後カラオケ行かない?」

「今日の放課後?」

「そう。男友達が千里(ちさと)も誘えって、うるさいの。だから……どう?」

有紗が様子を伺いながら聞いてきた。

「私ムリ。放課後呼び出しくらっちゃった」

と封筒を軽く掲げた。

 それを見た瞬間、2人の目つきが変わったのを私は見逃さなかった。

「そっか。じゃあまた今度だね」

 何でもないかのように言っているが、私が手紙をもらったのが気に食わないのだろう。高校に入ってからの付き合いだが2人の性格はよくわかる。2人は常に私より上にいることを望んでいる。それは学習面であったり恋愛面だったりする。

 それなら、遊びに行くことを誘わなきゃいいのに……。私はあんたたちのように誘われなかったからと言って(ひが)んだりはしないのだから。有紗が前に向きなおして、誰誘うなどとはしゃいでいる。所詮(しょせん)、うわべだけの付き合いはこんなものだ。

 差出人にたいして興味もなかったがこんな女の子が好むファンシーな封筒を使う奴の顔が見てみたいという好奇心で、その日の授業は身が入らなかった。授業中、何度か悠美が睨んでいるのが視界の隅に入ったがそんなことどうでもよかった。


 放課後になり掃除当番でもない私は早速、中庭に向かった。中庭には掃除当番の生徒が数名いて、男子がほうきでふざけていて女子に怒られている。高校生にもなって何をやっているんだか。呆れつつ、私は掃除の邪魔にならないようにベンチに座って待つことにした。

 日陰にいるが、日射しは強く背中からじんわりと汗が伝う。

 掃除の時間も終わり数分が経った頃、息を切らしながら1人の男子が走ってきた。

「……ごめん。…………待った……?」

相手も立っているので私も咄嗟(とっさ)に立ってしまった。相手の顔を見ても全くといっていいほど思い出せない。

……誰だっけ?少なくとも同じクラスになった事はない。彼は呼吸を整えてからしゃべりだした。

「えっと。手紙読んだから来てくれたんだよね」

「そうだけど。ごめん、誰だっけ?」

彼は呆気(あっけ)に取られた顔をした後、少し笑いながら自己紹介をしてくれた。

 どうやら彼、梶山君は1年の時に私と同じ委員会だったらしかった。名前を言われてもいまいち、ピンとこない。数分が経ってやっと繋がった。

「えぇ?すごい変わったよね?」

確かに以前の梶山君とは変わっていた。前よりも痩せて、心なしか筋肉も付いたように思える。

「俺、あれから頑張ったんだ」

何の為に?なんて馬鹿な私でも、聞かなくてもわかる。 

 彼は少し、恥ずかしそうに目線をそらしたが、すぐに私の方を向いて、

「君の事が好きなんだ。俺と付き合ってほしい」

そう落ち着いた声で言った。

何度、告白されても私の気持ちは変わらない。

そう、きっといつまで経ってもこの気持ちは、変わらない―――。

変わっちゃいけないんだ―――。

私は、息を大きく吸って静かに吐き出した。

「ごめんね。私、好きな人がいるの」

「え?友達の話だといないって」

「うん。ここにはいない」

小さく、空を指さしゆっくり小さく、

「私の好きな人、天国にいるんだ」

涙を流す必要なんてない。無理をして笑顔を作って風で言った。ここで大体の男は(ひる)んで私に近寄ってこない。ずっと、こうやって断ってきた。

 放心状態の梶山君を残して私は家に帰った。



 気が付いたらここにいた。

 立ち上がってみると何故だか目線がいつもより随分と高い。周りを見渡すと川があったから顔を映してみるとそこには見たこともない高校生くらいの男がいた。いや、見たことはあった。

 それは、僕の小さな頃に亡くなり祖母にせがんで見せてもらった祖父の若い頃の写真。そんな見たこともない祖父と同じ顔だった。

「あなたはおじいちゃんの若い頃にそっくり」

と言いながらカサカサの手で頬を撫でてくれた祖母。それから何度もこっそり見た祖父の写真。

腕を組ながら考えてみたけれどいくら考えてもわからない。

なんで、僕はこの場所にいる?

小さい頃よく遊び、まるで自分()の庭のように駆け回っていた。大好きで大好きだけど大嫌いになったこの場所に。

僕は13年前に死んだはずなのに――――。



 その夜、私は久しぶりに子供の頃の夢を見た。幼馴染みの博巳(ひろみ)君と遊んでいる夢だ。

 私の住む町は超が付くほどのど田舎で遊ぶところは野原か川原がほとんどで、夏になると毎日ずぶ濡れになってかなって川で遊んだ。大人になってからの1日と違って子供の頃の1日は長く感じられ、暗くなるまで遊んではよく博巳君と一緒に怒られたものだ。

 隣には博巳君がいて、こんな毎日がずっと続くと思っていた。

それなのに博巳君は……。

 目覚ましが鳴り、手探りで止める。眼を軽く擦ると涙を流していたことに気が付いた。重い体を何とか起こし、制服に着替えて学校に行く準備を済ませる。今日は終業式。明日から夏休みだ。だからあんな夢を見たんだと自分に言い聞かせた。

 いつものように朝食を食べ学校に向かう。下駄箱を開けると上履きのみ。まぁ、そう簡単にラブレターなんて入っているわけないよねーと思いながら教室に向かう。

 悠美と有紗は今日は廊下で話をしていた。

「おはよう。昨日、どうして来なかったの?すごい盛り上がったんだよ」

「だって、ほら、呼び出しされたじゃん」

悠美が有紗を肘で小突いている。

「そうだったね。で、どうだったの?」

2人してにやにやしながら聞いてきた。

「あぁ。あれ?なんか悪戯(いたずら)だった」

嘘だけど。

「なーんだ。悪戯(いたずら)かぁ。」

ひどいことする人がいるんだねと言っているが本心じゃないことぐらい私にだってわかる。チャイムが鳴り、私たちは教室に入った。

 担任が来て軽いホームルームをやったあと廊下に並び、全員で体育館に向かう。長ったるい校長先生らの話が終わって教室に戻り、通知表が配られる。私は5センチくらい開け薄目で中身を見る。まぁ、まずまずだ。学校の評価がすべてじゃない。うん。来学期がんばろう。

 私は、通知表を鞄の奥底に押し込み教室を出た。



 ほんの出来心と言ってもいい。僕がいない世界がどうなっているのか知りたかった。超が付くほどのど田舎が、どんな未来都市になっているのか。家族は元気か。僕が大切で大好きだったあの子はどんな女の子に成長しているか。僕がいなくて泣いたりしていないかとか。理由は沢山あった。

 だから見てみたくなった。会いたくなった。 

 今いるのは丁度、僕が死んだ所。つまり事故現場。顔をキョロキョロと辺りを見渡す。そしてそれを見つけた。今も変わらずそれはあった。思わず口元が緩む。

 立ち上がりジーンズについた土埃を叩き落とす。

 しかし、あれだな。幽霊とかってふよふよと浮かんでいるイメージだったけれど違うんだな。昔と目線こそ違うが何も変わっていない。まるで時が止まってしまった錯覚に陥る。止まってしまったのは僕自身なのに。

 小学校の前を通り過ぎようとすると、2人の子供が勢いよく飛び出してきた。思わず避けようとして体をのけ反らせるが、そんな事もむなしく2人の子供は僕の中を通り抜けて行った。先に女の子か駆けて行き、その後ろを男の子がついて行く。まるであの頃の僕らみたいだ。

 元気だなぁ。と年寄りじみたことを呟いて彼女の家へ目指す。覚えている自信はないけれどきっと大丈夫だ。何度も通った道だ。体が覚えている。 

 彼女の家に行く途中、僕の家の前を通りかかった。ついでに見てみようと思いドアノブに手を伸ばした瞬間に頭の中に過った。

 家族が僕の事を忘れてしまっていたら?

 この家に僕の居場所なんてないことは分かっているつもりだけど、それを認めるのが怖かった。いつから僕は臆病者になったのだろう。いや、僕はずっと臆病者だった。だから大切で大好きなあの子に何も伝えられないまま死んでしまったんじゃないか。僕は結局、中に入ることができずに彼女の家に向かった。

 (さいわ)い彼女は同じ家に住んでいるようだった。引っ越しているかもという事は全くといっていいほど頭になかった。誰も聞こえていないかもしれないけれど僕は小さな声でお邪魔しますと言って彼女の家に入った。

 彼女はまだ学校から帰ってきていないようで台所でおばさんが鼻歌交じりに昼食の準備をしているようだった。少し老けたかもしれないけれど、あの頃のままだ。優しいけれど怒ると少し怖かったおばさんだ。

 毎日、彼女と暗くなるまで遊んで一緒に怒られた事が昨日の事かのように思い出されてくる。

 懐かしさで胸がいっぱいになる。

 そういえば今日って何日なんだろう。すでに死んでいる僕にはあまり関係のない事だけれど。壁に掛かったカレンダーに目をやると僕の死んだ前日だということに気が付いた。

 僕は彼女の部屋で待つことにして部屋に行く事にした。2階にはいくつかのドアかあって僕が覚えているのは奥のドアが彼女の部屋。覗いてみるとやっぱりそうだった。遊ぶのは決まって野原か川原だったからお互いの部屋に入るのは雨の日くらいだったから少ないけれどこの部屋は間違いなく彼女の部屋だ。あの頃に比べて少なくなったぬいぐるみ。教科書や参考書。勉強机には写真が飾られていた。小さな女の子と男の子が写っている。

また会えるんだ。

大切で大好きなあの子に。



 家に帰り冷蔵庫から飲みかけの牛乳パックを取り出し部屋に行きながら飲む。後ろから、

「お行儀悪いわよ」

とお母さんが言っている。

「はぁーい」

私は足を止め、空になった牛乳パックをゴミ箱に投げ入れて自分の部屋に行く。ドアを開けると黒い人影が目に入った。お母さんは友達か来ているなんて、ひと言も言っていなかった。そかも、その人影は男の子だった。

「ど、ど、ど、泥棒っ―――」

私は思いっきり叫んだ。その言葉を聞いて階段を駆け上がる音かしてドアが勢いよく開けられ、何故かオタマを持っているお母さんか飛び込んできた。

「何?何?泥棒?」

オタマを持って構えているがそんなのじゃきっと子供にも勝てやしないと思う。いや、お母さんなら勝てるかもしれない。母は強しだ。

「知らない男の子がいるの!」

私は男の子の方を指さした。だが、お母さんは私が指をさしたあたりを見て、

「え?誰もいないじゃない。びっくりさせないでよ」

と首をかしげながら部屋を出ていった。

 私は、そんなお母さんを見送った後、もう一度男の子を見た。誰もいなくなんかない。まだそこにいるのに。

「ちーちゃん」

男の子はそう言うと軽く手を挙げた。私の事をちーちゃんと呼ぶ人はもういない。

 昔、親がそう呼んでいたけれど小学校に上がる頃にはちーちゃんと呼ばなくなった。あとのひとりは……。

 その瞬間、私の頭の中にフォトグラフのようなものかばら撒かれ、涙があふれ出した。


―――13年前―――

「ねぇ。待ってよ」

そう言いながらちょこちょこ後ろを付いてくる男の子が可愛くてより一層、足早になる。

「知らない。博巳くんが悪いんでしょ?」

「待ってってば」

私は急に足を止め、追いかけていた博巳くんが背中にぶつかった。痛そうに鼻を押さえている。

「じゃあ、あれ取ってきて」

私は崖の上にひっそりと咲いていたパステルブルーの花を指さした。

「あ、危ないよ」

私は取りに行けないことを知っていた。高いところが苦手な博巳くんに取ってこられるわけがないのだ。とにかく独りになりたい一心でそう言ってしまったんだと思う。

「取ってきてくれなきゃ◼◼◼◼だよ」

私はその場で立ち竦む、博巳くんを残して家に走って帰った。

 明日になればまた会える。何度もケンカした事だってあったし、次の日には何もなかったかのようにいつものように遊べると思っていた。でもそれは一生、叶わぬ事になった。

 家に帰り、ひとりで遊んでいた私に両親から告げられたことは、博巳くんが死んでしまった事だった。

 最初、何を言われたのか解らなかった。ただ、お母さんに手を引かれお葬式というものに出たという事。博巳くんのお母さんに今までありがとうと言われた事が今でも忘れられない。

お礼を言われる覚えなんてない。

 あの頃、『死』というものが解っていなくて、燃やされて灰になっていった博巳くんを見ても実感が得られずに涙を流す事が出来ないでいた。

 朝、いつものようにふと迎えに来てくれるんじゃないかという思いが消えなかった。また、私に笑いかけてくれるんじゃないかという思いがずっと消えなかった。


「博巳君?」

「うん」

「本当に博巳君なの?」

「うん。そうだよ。ちーちゃん」

あの頃と変わらない笑顔で言った。気が付くと私は、鞄を放り出して博巳君に飛び付いていた。

 私と博巳君は近所に同年代の子がいないせいかずっと2人で遊んでいた。

「あの頃のようにみー君って呼んでくれないの?」

私より少し背の高くなった博巳君は私の顔を覗き込む。あの頃は私の方が背は高かったのに何故だかくやしい気持ちになる。

 あだ名も博巳(ひろみ)の『み』を取ってみーくんと呼び、みーくんも私の千里(ちさと)の『ち』でちーちゃんと呼んでいた。

 その彼が今、目の前にいる。妄想でも偽者でもない。みーくんだ。触れられる。幽霊って触れるんだっけ?まさか死んでいなかったとか?そんなわけはない。何度もお墓参りもしたし、お線香だってあげに行った。だけど、そんな事はどうでもよかった。また私の前に現れてくれた事が何より嬉しかった。

 そんな私を見てみーくんはクスクス笑っている。あぁ。変わってないなぁ。どんな男の子になっていたのだろうと彼に似た人の面影を探してしまう。未来のみーくんの面影を求めて街中を歩き回った事もあった。そんな事に意味なんてない事は理解(わか)っていた。

だけど今、その男の子が目の前にいるのだ。



 やっぱりちーちゃんは変わっていなかった。いつも強がっているけれど、人一倍泣き虫なあの頃のままだ。

 いつも僕の先を歩いて手を引いていたけれど空き家とか探検するときにはいつの間にか僕の後ろに隠れ何もないことが分かると安心した顔になり強がる彼女。僕の大切で大好きな女の子。

 あの時も些細な事で僕は、ちーちゃんを怒らせてしまって僕がいくら謝っても許してくれなかった。きっと僕が怒らせた理由もわからずに謝っていることをちーちゃんは見透かしていたんだ。だからきっと僕を試すようにあんなことを言ったんだと思う。

 ちーちゃんは学生鞄を投げ出し僕に飛び込んできた。あの頃はちーちゃんが僕より少し大きかったのに今では僕の方が大きい。それがなんだか嬉しくなる。そんなことを言ったらきっとまた怒らせてしまうかな。



「なんで、ここに来たの?」

「それが僕にも分からないんだよね。気が付いたらここに来ていたんだ」

恨まれていると思っていた。恨まれてもいいと思っていた。それは、みーくんがこの世に未練がある証拠だから。成仏してないということはまた、会えるかもしれないと思ったいた。私は思いきって聞いてみることにした。

「恨んでいる……とか?」

そんな私の問いかけにみーくんはきょとんとしている。

「ごめん。ごめん。今の事、忘れて」

私はパタパタと手を振った。

「恨んでないよ」

私の目を真っ直ぐに見てそう言ってくれた。

下から私を呼ぶ声がする。

「行ってきなよ」

みーくんは笑顔でそう言った。それでも私が迷っていると、

「僕はどこにも行かないから安心して行ってきなよ」

と、頭を撫でてくれた。子供の頃は私の方が少しだけ身長高かったのになんだか悔しい。しかもなんか見透かされている。

 下におりると行くとお母さんがお昼ご飯を作ってくれていた。

「勉強しながら食べていい?」

「勉強?熱でもあるの?」

そう言いながら私のおでこに触れた。我が母ながら失礼なことを言う。

「ないし。宿題を早く済ませようと思っただけ!」

飲み物とお昼ご飯の焼きそばを持って部屋へと向かう私の後ろでお母さんが、

「あとで、通知表出しなさいよ」

と言った。

 私は、生返事をして部屋へと急ぎ足で向かった。

 飲み物と焼きそばを持っているせいで両手がふさがっている。どうしょうか、ドアが開けられないとまごついているとドアが急に開いた。私は安心して息を吐く。それを見たみーくんは、

「どうしたの?僕がいなくなっているかと思った?」

「そ、そんなことないよ」

私はあの頃と同じように今でも素直になれないでいる。机の上に飲み物と焼きそばを置きながら言った。

「いなくならないよ。僕はどこにも行ったりしない」

そう言いながら、みーくんは小指を差し出した。私も小指を出し絡めた。

「約束」

「……約束」



「約束」

そう言いながら僕は絡めた指を離した。離した小指を見る。こうして温もりを感じることができる。

「早くお昼食べて遊びに行こうよ」

「うん。みーくんも食べる?」

「ううん。僕はいいよ」

温もりを感じることはできるけれど空腹は感じないんだよな。

 ベッドに座って改めて部屋を見回してみる。あの頃に比べてぬいぐるみが減った代わりに小物が増えていたり参考書が並んでいたりしていた。そんな彼女に少しだけ寂しさに胸がちくりとした。

「……あんまりじろじろ見ないでよ」

ちーちゃんが焼きそばを咀嚼(そしゃく)し、お茶で流しながら言った。

 机の上には小さな頃のちーちゃんと僕が写った写真が飾ってあった。僕は、子供の頃、上手にピースサインが出来なくて3本指になってしまう。その写真も3本指になっていた。

 お昼ご飯も食べ終わり、食器となにかの紙を持って出掛ける準備をしている。僕がなにそれと聞くと、ちーちゃんは少し言いにくそうに通知表と教えてくれた。

「ちょっと気分転換に出掛けてくる」

おばさんにそう伝えると靴を履き出掛ける。

 ここの角を曲がるとちーちゃんと通った駄菓子屋。まだあったんだ。ずいぶんと経っているはずなのに何ひとつ変わっていない。 


通いなれた坂道

鳥たちの鳴き声

どこまでも続く青い空

ふてくされた横顔

握られた手の温かさ

いつも僕の手を引いてくれた

ずっと一緒にいたいと思っていた

ずっと一緒にいられると思っていた。


 懐かしい。僕があの頃を懐かしんでいるとちーちゃんは、

「あの頃のままでしょ?」

と聞いてきた。

「うん。何も変わってないね」

変わったのは僕がいない事だけだ。そう続けようと思ったけれどやめた。

駄菓子屋の先には犬を飼っている家があって2人で撫でに行った。大きい犬で初めて見たときはビクビクしながら触った。まだいるのかな。

家では飼えないからこっそり神社の軒下で飼った猫。気が付いたときにはいなくなっちゃった時には2人して泣いた。

川原では水切りをして何回跳ねたか競い合った。僕に負けたときは本気で悔しそうに叩いてきたときには少し痛かったな。

後でごめんねって言ってくれたから許せた。

ずぶ濡れになって遊んで陽がくれるまで2人でいた。

この街には想い出が溢れている。

 

 いつも遊んでいる川原に行く途中、ちーちゃんの同級生に会った。当然ながら僕の姿は見えていないのだから話すことはできないからしょうがないことなのだけれど急に真っ暗闇に取り残されたような感覚に陥る。

どうしたら君の中に僕はいられるんだろう。

また会えたのは奇跡だと思った。あの頃は間だ小さかったこの胸のざわめきは、今では大きくなっていてもっと一緒にいたい。まだ一緒にいたい。

この熱く胸を焦がす衝動。

なんで隣を歩いているのは僕じゃないんだろう。

他の男と話なんかしないで。

僕だけに笑いかけて。

他の誰かじゃ嫌なのに。なんでそこにいるのは僕じゃないんだろう。と頭の中を駆け巡る。

連れて行ってしまおうか。

ずっとこの先も隣を歩いているのは僕だけかと思っていた。

あの頃には芽生えていなかったどろどろとした黒いものがどんどんと溢れてくる。

連れて行きたい。連れて行きたい。

でも、このままじゃダメなんだ。

 だから、僕は、あの日をやり直すことにした。やり直したことで何かが変わるわけではない。僕が生き返るわけではない。でも変わることができるのは今を生きている大切で大好きなちーちゃんだ。

また出会えたことに意味があるのなら。また、悲しませるかもしれない。今度は泣かせてしまうかもしれない。

それでも。それでも僕は―――。



 みーくんが私のベッドに座って部屋を見回している。なんだか恥ずかしい。小さい頃は雨の日くらいしかお互いの部屋に行くことはなかったから不思議な感じだ。

 お昼ご飯を食べて私たちは出掛ける事にした。憂鬱(ゆううつ)な通知表をお母さんに渡して小言を言われる前に出掛けることを伝える。

 ここの角を曲がるとお小遣いを握りしめ、みーくんと通った駄菓子屋。中学生になると行くことはなくなったけれどまだあったんだ。改めて見ると懐かしい。ずいぶん経ったのになにひとつ変わっていない。


通いなれた坂道

鳥たちの鳴き声

どこまでも続く青い空

照れた横顔

繋いだ手の温もり

いつも私の後ろをちょこちょこついた来てくれた

ずっと一緒にいたいと思っていた。

ずっと一緒にいられると思っていた。


 みーくんを見てみると彼も懐かしんでいるようだった。同じ気持ちで私まで嬉しくなった。

駄菓子屋の先には犬を飼っているお家があって初めて見たときはびっくりした。でも馴れるとよく撫でに行った。

家で飼えないからこっそり神社の軒下で飼った白くてかわいかった猫はいつの間にかいなくなっちゃった時には2人で泣いた。

川原で水切りをして何回跳ねたか競い合った。何回やっても勝てなくてその度に本気で叩いた。痛かったんだろうな。

後でごめんねって言えば許してくれた。

ずぶ濡れになって遊んで陽がくれるまで2人でいた。

この街には2人の想い出が溢れすぎている。


 いつも遊んだ川原に行く途中、梶山君に会った。告白されてから会うのは初めて出なんだか恥ずかしかった。やっぱり梶山君にはみーくんは見えていないようだった。

 梶山君はいつもと同じように私に接してくれて少しほっとした。いつもの冗談で私を笑わせてくれる。



 ちーちゃんの同級生と別れて川原に着いた。さっきも思ったけれど、ここも変わっていない。もう一度、出会えた事に意味があるのなら僕にはやらなければならない。この街はどこも変わっていないけれど、このままでいていいはずはないから僕は、

「あの日のやり直しをしよう」

そう、ちーちゃんにそう告げた。

『竹下 千里』という人物をどんな性格かと問われたら誰もがきっとこう言うだろう。

明るく元気で、誰にでも分け隔てることなく接する女の子だと。そんな彼女、ちーちゃんに内向的な僕はいつも助けられていた。助けられていたのに僕は何かしてあげられていたのかな。あの時ですら僕は、立ち尽くして追いかけることもちーちゃんの願いも叶えてあげられなかったんだ。

僕は彼女を救いたかった。

彼女を救えるのは僕だけだと思っていた。

他の誰かに救われるのを傍で見ているんじゃなく。

ころんでしまったら手を差し出したかったし、悩んでいたらいつでも相談にのって、彼女の一番の味方でいたかった。彼女の一番の味方は僕だけだと思っていた。

 

 あの頃は電波塔の高さほど感じられたこの忌まわしい崖はまったくそんなことはなくて大きくなった今ではあっという間に登ることが出来た。約束のものを取って飛び降りる。泣きじゃくり下を向いているちーちゃんに差し出した。

 大切で大好きなちーちゃんと別れを言わなければならないんだ。



 『柏木 博巳』という人物をどんな性格かと問われたら誰もがきっとこう言うだろう。無茶をしても無謀な事をしない男の子だと。そんな彼がどうしてあんなところにいたのか。なんで頭から血を流しているのか。何故、近くに花が落ちていたのか。そんなことは誰が見ても一目瞭然だったのに誰一人として、私の事を責めたりしなかった。

 夏休みに起きた不幸な事故として片付けられた。


「ねぇ。あの日の約束を覚えている?」

「うん。覚えているよ」

忘れるわけない。忘れられるはずなんてない。

「だから、あの日のやり直しをしよう」

「いやだよ」

私はみーくんの意図が分からなかったし、そんなことに意味があるとは思えなかった。

「いいから。いいから」

みーくんは私の後ろに回り込み背中を押して、あの忌まわしい場所へと向かった。川原に着くとここも何一つ変わっていなかった。みーくんにさぁと促された。

「取ってきてくれなきゃ……」

「ちゃんと言って?」 

「取ってきてくれなきゃ」

私は涙をぼろぼろと溢しながら言いたくない言葉を紡いだ。きっと、鼻水も垂れていたかもしれない。こんな姿を誰にも見られたくないのに。私は理解が出来なかった。ううん。出来ないふりをしていたんだ。忘れたふりをしてみーくんからもこんな私の事を好きだと言ってくれた梶山君にもあんなことを言って誤魔化して逃げたいたんだ。このままでいていいはずないと思ってみーくんは私を変えるためにこんなことをしているんた。そんな優しいみーくんに私は残酷な呪いの言葉を吐いたんだ。

「取ってきてくれなきゃ絶交……だよ」

「うん。わかった」

泣き顔を見られたくなくて下を見ていた私の視界に花が見えた。

「これで絶交は取り消しだね」

顔を上げるとあの頃と変わらない笑顔で笑いかけてくれたのを見て涙が止めどなく溢れた。

「ごめんなさい」

やっと言えた13年目の謝罪の言葉。

みーくんは大きく息を吐き出し、

「やっと渡せた。13年も待たせてごめん。もう、お別れだね」

「いや。いやだ」

こんなのまるで駄々っ子。

「……。もう、ちーちゃんに触れることが出来ないんだ。涙を拭ってあげられない」

手の甲で、涙を拭おうとしたけれど涙の粒は拭えずに滑り落ちた。

 そして、絞り出すようにごめんと呟いた。

「また私の前からいなくなるの?」

「……うん」

「また私の声が届かないところに行くの?」

「…………うん。ごめん」

「もうどこにも行かないって。いなくならないって約束したのに」

みーくんは絞り出すようにごめんと呟いた。

誰かが近づいてくる声が聞こえてきた。

「やだ。他の人が見てる」

「こうすれば、誰にも見えないよ」

みーくんは大きな手で私の目を覆いこう言った。

「君が笑顔になれる魔法の言葉」

真っ暗な世界に彼の声だけが届く。

「ちーちゃんとまた会えたのは僕の幸福。ちーちゃんの事が大切で大好きだよ」

目の前が急に明るくなった。恐る恐る、目を開けるとどこにもみーくんの姿はなかった。そのかわりに私の左手の薬指にはあのパステルブルーの花で作った指輪が付けられていた。


 画用紙に夢を(えが)いた事はあっても大人になった自分は想像できず、このまま同じ時を過ごしていくんだと思っていた。隣にはみーくんがいてずっと私に笑いかけてくれているあの頃と変わらない未来。

 

もっと話したかった。

もっと遊びたかった。

もっと触れていたかった。

もっと、もっと……って。抑えきれなくなる。感情が止まらなくなる。

 私は他の人が見ているのも構わずに泣きながらひとりで家に帰った。帰る途中で梶山君とばったり会って声を掛けられた。

 泣いている私を公園のベンチに座って梶山君がこんな話をしてくれた。



「本当はずっと前から知っていたんだ」

彼女は急に俺を見上げた。見上げられた瞳は涙でいっぱいでそれでいて真っ直ぐな瞳に俺はドキリとする。

「夏になると毎年、俺は父の田舎に来ていて楽しそうに遊んでいる君たちを見ていた。あの頃の俺は今より引っ込み思案で声もかけることもできずにいつも見つからないように影からこっそり見ていた」

俺はひと呼吸置いてこう続ける。

「そして、しばらく経ってからあいつが死んだことを聞かされた」

俺は彼女の真っ直ぐな瞳を見ていることが出来ずに視線を外してしまう。空を見つめあの頃の彼女を思い浮かべる。

「記憶の中の君はいつでも笑っていて、あいつも君に笑いかけていて。なんでそこにいるのは俺じゃないんだろうって思っていた。けれどあいつが死んでから君から笑顔が消えていた。そして、高校に入って君に再会した。時折、見かける君はどこか寂しげで気が付くといつも目で追っていた。友達と話をしていてもつまらなさそうに話を合わせているようだった。だから笑ってほしくて、だけどやっぱりどう話したらいいのか何を話したらいいのか分からなかった。同じ委員会に入っても交わした言葉は数少ないけれど俺の言う冗談に少し笑ってくれたときは嬉しかった。あの頃の俺は知っているとは思うけれど太っていて自分に自信がなかった。でも、君は分け隔てなく接してくれた。それが何より嬉しかった。友達を使って好きな人がいないか聞いてもらった事だってあったんだぜ」

俺の言葉に耳を傾けてくれている。もしかしたら傷つけてしまうかもしれないのに。

「そして、好きな人が死んだって言った時、まだ時が止まっているんだと同時にあいつの事が憎いと思った」

「大切な人を亡くした気持ちなんて分かるわけない!!」

「あぁ。分からねぇよ」

泣き叫ぶ彼女の両手首を掴んだ。

「そんな過去に囚われていてあいつは喜ばないって言ってんだよ」

「何がいけないの?誰にも迷惑かけてないじゃん」

「かけているよ」

「え?」

「俺にかけている。俺は君の事が好きだし、諦めるつもりもないから言わせてもらうけど」

彼女の目が見開かれたがそれでも俺は続ける。残酷かもしれないけれど事実を突きつける。

「あいつはもういない。どこにもいないんだよ」

彼女が肩を震わせて泣いている。

 周りの大人達が言っていた。仲良しの友達が亡くなったのにこの子は涙を流さない、冷たい子だと。でも俺は、いつも一緒だからこそ泣けなかったんだろう。そう思っている。

「ごめん」

俺はそれ以上、何も言えなくなった。


俺は彼女を救いたかった。

彼女を救えるのは俺だけだと思っていた。

他の誰かに救われるのを遠くで見ているんじゃなく。

何かあったら手を貸したかったし、悩んでいたら相談にのって、彼女の一番の味方になれなくても唯一の理解者になりたかった。 

 


 持久走でもこんなに速く走ったこともないくらい私は走って家に帰った。急いで帰ればもしかしたらみーくんがまだいるかもしれないという気持ちでいっぱいだった。

 自分の部屋のドアを壊れてしまうんじゃないかと思うほど勢いよく開けた。けれど、当然のようにみーくんはいなかった。

 どこからか風が吹いてきて、窓が開いていたかと思い顔を上げると閉まっていた。

どこからか彼の匂いがしてきて、

「ずっと、ちーちゃんの事を好きでいさせてくれてありがとう」

と聞こえた気がした。

 私の目からまた涙が溢れた。一生分の涙かと思えるほど。

きっと好きな人なんてこの先、出来ないと思っていた。

みーくん以上に好きな人なんて出来ないと思っていた。

それなのに私は心のどこかでみーくんの面影を探していた。


 次の日、私は梶山君に会いに行った。

「あの頃は独りだったかもしれないけれど、今は俺がいるよ。俺は独りにしない。この先もずっと。俺のこと嫌い?」

私は首を横に振った。

「俺と付き合うのは嫌?」

私は必死に首を横に振った。 

 私は、心のどこかで梶山君に惹かれていたんだと思う。みーくんと君が似ているのかと言われればそういうわけではない。

「今はまだみーくんのことが忘れられないけれど、だけどそれじゃだめ……?」

私は思い切って梶山君に聞いてみた。

「今はまだそれでいいけど。君の中のあいつも含め好きになったんだからしょうがないか」

そう言って、梶山君は私を抱き締めてくれた。


通いなれた坂道

鳥たちの鳴き声

どこまでも続く青い空

照れた横顔

繋いだ手の温もり

ずっと、一緒にいたいと思っていた

ずっと、一緒にいられると思っていた


 私の好きになった人はもういない。でも。隣を見たら笑いかけてくれる新しい好きになった人。



こっそり後ろを歩いた坂道

鳥たちの鳴き声

どこまでも続く青い空

幸せそうな笑い声

触れたかった右手

ずっと、一緒にいたいと思っていた

ずっと、一緒にいられたらって思っていた


 振られて数日しか経っていないのに君は俺に会いに来てくれた。まだ、あいつのことが忘れられないという君に好きになった弱味だと思い、俺は、

「君の中のあいつも含も好きだからしょうがないか」

と言うと彼女は俺に笑いかけてくれた。

 忘れられない夏はまだ、始まったばかりだ。

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