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人形師の舘  作者: 夏目璃子
第1章
3/4

人形と来客

 数時間が経ち暗い森が更に闇夜へと包まれる頃、告げられた通りルイは迎えにやって来た。


「レイモンド伯爵様、食事の用意が整いましたのでご案内致します」


 恭しい執事の彼に対し、伯爵は明るく返事をしながら扉を開けると、相変わらず人形のような整った顔立ちでルイは待っていた。


「やあ、わざわざ案内助かるよ。あっ、君も気軽に名前で呼んでくれて構わないから!・・・これからお世話になる身だし、長い付き合いになりそうだから」


 何食わぬ顔で伯爵は執事の彼にそう言いながらさらに意味深な言葉を投げ掛けたが、これといった反応も無く素直に頷いて見せる。

 期待外れの反応にも伯爵は臆する事無く共に食堂へと向かうと、やがて鼻腔を擽る良い香りが漂い始め、中へと入るとマナが丁度出来上がった料理をテーブルに並べているところだった。


「良い匂い、とても美味しそうだね!本当にマナが作ってるなんて驚いたよ」


「伯爵様のお屋敷の様に本格的な物は用意出来ませんが・・・」


無愛想にそう言って伯爵が席に着く前に彼女はさっさと料理を口に運び始めてしまった。


『相変わらず無表情で何考えてるか分からないけど、よく観察したら意外と・・・』


 伯爵は席に着きながら黙々と食事をする彼女の表情を観察するうち、少しだけだが表情に変化があると分かってきた。

 誰がどう見ても彼女の表情は何一つ変わっていないように見えるが例外は居るもので、いつも人形相手に話掛けている伯爵はちょっとした変化にも気付きそういった発見をするのが得意だった───。

その為マナの反応が新鮮で愛おしく、思わず伯爵は小さく綻ぶ。


「今日出会えた事も、マナの手料理が食べられる事も、一緒に食事が出来た事も凄く感激してる!」


「・・・それは良かったです。伯爵様もこちらを見てばかりではなくどうぞ召し上がって下さい」


 つい高揚して話す伯爵に対し温度差はあれど、何事にもあまり興味が無いのかと思っていたがそれは間違いで、こちらの行動も把握していた事に伯爵は益々彼女への興味が湧いた。

 他の貴族に対してマナの態度は誤解を招き兼ねないが、伯爵はそんな彼女を咎める事もなく席に着き共に食事を続けた。

 本当にこんな日が来るとは思っていなかったため、伯爵は嬉しさで浮足立っていると、暫くしてマナが側にいた()()()()であろう侍女にワインを持ってくるように促した。


「えっと・・・マナはお酒飲めるの?」


 料理を口に運びながらマナを観察しているうちに、伯爵はふと思った事がつい口に出てしまった。

 明らかに自分より幼い顔の彼女は、とても飲める歳とは思えない容姿をしている。

 見た目だけで判断するのはあまり良くないが、疑わずにはいられないほど伯爵の目にはどうしても幼く見えていた。


「飲めない年齢・・・ではないと思いますが、今日は伯爵様に飲んで戴こうかと・・・久しぶりのお客様ですし、前に他のお客様から頂いた上等なワインがあるんです」


 そう言ってテーブルの上にグラスに注がれたワインが置かれ、伯爵は黙認するなり何処となく違和感を感じた。

 そんな彼を不思議に思ったのか、マナが訊ねてくる。


「申し訳ありません。伯爵様はワインがお嫌いでしたか?」


「いや・・・嫌いじゃないけど、今日は止めておくよ。初めての君の手料理の味を酒で忘れるなんてしたくないからね」


「・・・そうですか」


 キザに聞こえたであろう返しだと感じたが咄嗟にそう言うと彼女は疑う事もなくどこか呆れた様子で伯爵を見つめ、それ以上は何も言わず粛々としたマナとの晩餐を楽しんだ。

 食事を終え、早々と席を立とうとした彼女を伯爵が呼び止める。


「ところで、マナの作ったドールが見たいんだけどいいかな?」


「・・・・・・注文を受けた以上、断る理由は無いのでご自由に見て頂いて構いません。後でルイにドールの保管部屋にでも案内してもらって下さい」


「欲を言うと、君とも話がしたいんだけど」


「伯爵様にばかり時間を割けるほどあまり暇ではないのですが」


「そこを何とか!・・・他に注文が入ってるのは知ってるよ、作業の邪魔はしないから」


 懇願する伯爵の姿にマナは面倒くさそうに肩を落とし、小さく溜め息を吐いた。


「分かりました。後で時間を儲けましょう・・・物好きなお客様からの注文が幾つかあるので長くは無理ですが・・・」


 彼女は意味深にそう言いながら、ちらりと伯爵を見ると小さく微笑んだ。


「なんだか僕もそのうちの一人みたいな言われようだけど、僕はちゃんと人間の女性が好きだよ!・・・えっと、そのお客様達ってやっぱり・・・?」


 苦笑を浮かべながら伯爵が問うと、マナは傍に居た侍女の頬にそっと手を添えながら答えた。


「それは・・・伯爵様のご想像にお任せします。ただ・・・言える事は──────いえ、何でもありません。そろそろ作業に戻ります」


「呼び止めて悪かったね。あっ、人形が完成したら是非見てみたいな」


「・・・やはりお帰りいただけますか?」


 冗談めかしにそう言って彼女は微笑んだ。

 本心なのか、冗談にはとても聞こえず幼げな顔で怪しく艶めいた笑みを浮かべるマナはとても魅力的だ。


『本当に・・・年下とは思えないな──────』


 伯爵が考え事をしている間、いつの間にか彼女は食堂を去り執事と二人きりになっていた事に、先が思いやられると小さく肩を落とした。


「ねえルイ、彼女の本当の歳っていくつなの?」


「もうじき十七歳になられます」


『今は十六・・・・・・』


「いや、見えないよね・・・今日は本当に驚いてばかりだ」


「・・・・・・」


『調子狂うな・・・』


 伯爵は側にいた執事のルイに話し掛けたつもりだったが、あまりの寡黙さに虚しさを感じつつ、気持ちを切り替え先程マナが言っていたドールの保管部屋の事を持ち掛けた。


「えっと・・・早速マナの言ってた保管部屋に案内してくれないかな?」


「・・・かしこまりました」


 伯爵がそう言うと、ルイは一瞬思案するような目で伯爵を見つめ静かに頷いて見せた───。

 互いに疑り深い質なのか、伯爵も笑顔を向けてはいるがルイを写す瞳は警戒を解いてはいなかった。

 探り探りの状況の中でどうしても伯爵は彼の正体が気になっていた。


『本当に人形じゃないよね・・・それとも幽霊の方?』


 さりげなく足元が透けていないかと確認をしつつ、食堂から廊下を西の方角へ進むと、ルイが照らす灯りの先に三つの扉が並ぶ薄暗い場所が見えてきた。


「こちらの部屋が、ドールを保管している場所となっています」


 一番手前にある部屋の扉を開けると、眼前に現れたのは棚や室内の中央に置かれたテーブルの上に沢山のドールが飾られていた。

 部屋にはもう一つ扉があり、そこから隣の部屋に行ける造りになっているようだ。


「すごい!こんなに沢山・・・・」


 同じ形でありながら、大小様々で一つ一つ全く表情が異なるドールは傑作とも言えるものばかりで、マナがどれだけドールを愛し力を注いで来たか、同じくドールを愛する伯爵自身、言葉にならないほどの感動を覚えた。


「隣の部屋も見ていいかな?」


 伯爵は興奮気味にルイからの許可を得て二つ目の扉を開けると、一つ目の部屋同様に何体ものドールが飾られていた。


「部屋の作りもドールも同じ───じゃない・・・?さっきのドールとは何処か違うね・・・ここにあるドールも全部マナが?」


「今のマナが作ったものもあれば、先々代のマナ達が作ったものもあります」


「成る程・・・言われないと解らない程だけど、ほんの少しだけ今のドールとは少し違うなって思ったんだ。間違ってなかったんだね」


「お気づきになったのは伯爵様を入れて二人目です」


「えっ!僕以外にもこの部屋に来た人が居るの?」


「はい、お嬢様が人形師になられたばかりの頃に()()・・・」


「そうか、この保管部屋には初期の頃に作られたものもあるんだね。これからもこの部屋に入って構わないかな?一体ずつゆっくり観察したいんだ」


「それは・・・お嬢様次第かと」


 一人の人物の話をした後、もともと寡黙な彼ではあるが何処かよそよそしくなり、それ以上の情報は得られなかった。

 伯爵同様に、違いに気付いた人物の事が気になったが、優先順位として彼の素性をまずは探ろうと暫くドールを観察するフリをして見ていると、ルイが棚から一体のドールをそっと抱き上げた。


「そのドールは?」


 思わず気になり話掛ける伯爵に、ルイは淡々と応えた。


「少し劣化が激しいのでお嬢様の元に・・・・」


 ルイの抱えているドールはとても古く、腕全体が少し壊れ掛けていた。


「このドールは今のマナが作ったものじゃないみたいだけど、製法は変わってないの?」


「修正程度ならお嬢様でも可能です。基本的な作りは昔も今も変わりありませんから」


「人形も作り手も本当にすごいね、人形好きで良かったよ。幸せ過ぎて今夜は眠れそうにないな!あっ、三つ目の部屋もいいかな?」


「申し訳ありません。三つ目の部屋は扉の鍵が壊れており今は入る事が・・・・・・」


「出来ないの?」


「はい」


 伯爵自身、ある程度の知識は持っていたがこの屋敷で得た情報は初めて知り得たものが多かった。

 その中でも、登場した一人の人物がずっと気がかりとなっている。

 本当に鍵が壊れているのか半信半疑だが、これ以上の情報を彼から聞き出す事は難しいと感じ今夜は断念する。


「そっか、残念だけど少し体も冷えてきたしまたの機会にするよ、案内ありがとう」


 保管部屋を後にした伯爵は、二つ目の部屋に次の部屋へ通ずる扉は無く三番目の部屋が他の部屋とは明らかに違っている事に気付いていた。

 だからこそ慎重に探りを入れていたが、壊れているから入れないと先に言われてしまえば元も子もない。


『嘘を吐いてまで隠さなければならないもの──────』


 マナは【Secretdoll】の存在を知らないと言ったが、こうなるといよいよ怪しく伯爵は思い悩んでいた。

 先を歩く寡黙な執事を気にしつつ、これからどうするべきかと模索する。

 部屋へ戻っても執事である彼と、急に浮上してきたマナや人形と深く関係がありそうな一人の謎の人物。

 保管部屋での会話の中、一瞬だがルイは話すのを少し躊躇ったようにも見えた伯爵は、彼にインクと便箋を用意してもらうと部屋に備えられていた小さなテーブルに向かい、とある人物や各方面の者達に送る為手紙を(したた)めていく。

 そうしているうちに時間はあっという間に経っていった──────。

 手紙を封に仕舞い一段落した頃、部屋の扉をノックする音に気付き伯爵は返事をすると、カチャカチャと食器の音をさせながらか細い女性の声がし、扉を開けるとそこにはマナの傍に居た侍女の恰好をしたドールがお茶を持って立っていた。


「レイモンド伯爵様、お茶をお持ち致しました。今夜は冷え込むのでどうぞとマナが」


「それは嬉しいな、ありがとう」


 伯爵は部屋に招くと、彼女は手慣れた手つきでお茶を淹れテーブルに菓子と共に用意された。

 その様子を横目に、伯爵は手紙に封をしようと傍らに置いていた鞄から封を閉じる際の蝋と印璽(いんじ)を取り出し数枚の手紙を丁寧に閉じていく。

 伯爵が再び手紙から視線を上げると、彼女は不思議そうに首を傾かせ徐に覗き混んで来た。


「あの、これはお手紙でしょうか?」


「うん・・・暫くこの屋敷にお世話になるから、この事を家族に報せたいんだ。でもこの辺りに他の建物とかって無いよね?」


「それでしたら、明日街の方に行くのでその時にお出ししておきましょうか?」


 優しく微笑みそう訊ねてきた彼女を見て、伯爵は一瞬マナの顔が脳裏に浮かんだ。


『マナそっくりだな───』


「それはとても助かるよ、えっと・・・」


「ローズと申します」


「じゃあローズ、頼めるかい?」


「はい!お任せ下さい」


 彼女は頼ってもらえる事がよほど嬉しいのか、とびきりの笑顔を見せた。

 伯爵は嬉しそうにするローズに数枚の手紙を預ける。

 その間も彼女は笑顔を絶やす事は無く、少し怖いとも思わせてしまう表情はまさしく人形そのものだ。


『見た目は普通の女の子だけど性格は何だか幼い子供みたい』


 彼女にもし感情があるのならば純真や天真爛漫と言った言葉がぴったりだと伯爵は思い、とにかく調べなければ全く分からない存在だと改めて認識する。

 好奇心旺盛な動くドールを前に、初めて恐怖心にも似た緊張感を気付かぬうちに伯爵は感じていた──────。


「手紙の事なんだけど、マナとルイには内緒で出してくれるかな?」


()()ですか?」


「そう、手紙の事は僕とローズだけの秘密って事。この森を抜けてハルデンベルグ街にある【ビアンカ】っていう店分かるかな?すぐに分かると思うからそこの店主にこの手紙を渡して欲しいんだ。お願い出来るかな?それとマナにお茶ありがとうって伝えといてくれると助かるんだけど・・・・」


「【ビアンカ】というお店ですね、かしこまりました」


「ありがとう、助かるよ」


 手紙を受け渡すと、大切そうに手紙を持ち使命感に満ちた表情でローズは部屋を出ていった。

 一抹の不安と頼もしさが入り混じった伯爵の心を落ち着かせたのは、マナがくれた温かいお茶だった。

 安心し疲れが出ているのか、急に眠気に襲われたため、明日に備えようと天蓋付きの寝台に横になり伯爵はそっと目を閉じた───。


 ***


 食事を終え、伯爵の傍を早々と退散していたマナは、薄暗い作業場に保管部屋から戻って来たルイと共に居た。


「伯爵は・・・本当に此処に留まるみたいね」


「ドールの事を詳しく調べると申していました」


「・・・そう」


「どうなさるおつもりですか?」


 マナは怪しげに微笑みルイから受け取ったドールをそっと抱きしめた。

 その様は、まるで敵から大切なモノを奪われないよう守ろうとするようで――――――。

 ルイは、そんな彼女を何処か哀しげにただじっと見つめていた。


「ドールさんは治しておきます。ルイも今日は休んで」


「いえ、お嬢様が眠るまでお傍に・・・」


「嬉しいけど、今日中にドールさんを仕上げるつもりだから」


 マナはそう言って有無を言わさぬように笑顔を向ける。


「・・・かしこまりました、くれぐれも無理はなさらないで下さいね」


「お休みなさい・・・・・・」


 マナは返事の代わりにそう返すと、何も言うことなく小さく会釈をしルイは作業場を後にした――――――。

 伯爵が眠りについた頃、寝室の扉の前に何者かの影があった。

 その影は音をたてる事なく静かに扉を開き眠っている伯爵の元にそっと近付く。

 そして伯爵の横に立つと、彼の身体に覆い被さるように跨ぎ、懐から小さなナイフを取り出し振り翳した。


「僕は殺せないよ・・・・・・」


「・・・・・・・・・」


『マナが命じた・・・?でも、様子が』


 眠っていたはずの彼は目を閉じたまま上に跨がる影にそう告げ、翳されたままの腕を掴んだ。


「君は・・・ドールだね。僕に何の用だい?これは主の命で動いてるの?それとも君には意思があるのかな・・・・・・」


 伯爵は彼女達の行動全てが自分の意思での事なのかとずっと悩んでいたため、これは良い機会だと思い問い掛けると彼女はそれに答えるため口を開いた。

 お互いの顔も見えない暗い部屋の中で、静かにドールである彼女の声が響く。


「マナは人殺さない・・・・・・だけど()()()()()


 再びナイフを伯爵に向けて翳すような布と布が擦れるような音がした。

 理不尽で片言の(つたな)い言葉には、明らかに殺意が含まれている。

 それでも伯爵に焦りは無かった。相手が人形だからとかそういう訳ではなく、理由が解らない事の方が伯爵にとって重要だからだ。

 暫く相手の出方を観察していたが、殺すと言っておいて次の行動には出ようとしない彼女に一言発して伯爵は行動に出た。


「本当は女の子に無理矢理こんな事したくないけど――――――」


 殺すと言われて素直に従う事は出来ないため伯爵は大きく息を吐きドールが持っていたナイフを刺される前に素早く取り上げ、彼は被さっていた彼女の腕を引っ張ると大きく寝台を軋ませながら横に寝かせるような体勢をとり逆に覆い被さった。


「・・・・・・」


 普通ならここで悲鳴の一つや二つ上がってもおかしくないが、あまりにも無反応なため思わず伯爵の顔には苦い表情が浮かぶ。


「すごく反応に困るな・・・・・・」


 伯爵がドールの彼女にそう言った時だった。

 突然寝室の扉が開き燭台を片手にローズが勢いよく入って来た。


「やあローズ・・・君も遊びに来たの?」


「伯爵様、彼女を離して下さい」


 ローズは当たり前の事の様に伯爵の言った事を無視し、そう訴えてきた。


『こちらの意見は聞き入れてはくれないか・・・・・・』


「襲われたのは僕の方なんだけどな」


「離して下さい」


 何を言ってもローズは離せの一点張りでこのままでは拉致が明かないと思いふと手に持っていたナイフを見つめ伯爵は怪しく微笑むと、ローズの言葉を無視して襲って来た彼女に伯爵は後ろから腕を回し首もとにナイフを突き付ける。


『ドール相手に変だけど、人知質作戦と行こう』


「彼女を解放する前に、マナと話をさせてほしいんだけど」


「彼女を・・・離して下さい」


 人知質効果はあったようで、ローズの話し方が先程より慎重になった。

 反応に満足した彼は、満面の笑顔を向けて告げる。


「この娘を壊されたくないよね・・・・・・」


 そう言ってナイフをさらに突き付け煽ると、ローズは一言も話さなくなってしまった。


「・・・・・・」


 それを見かねて伯爵はそっとローズにもう一度問う。


「ローズ、マナの所に案内してくれるね?」


 そう言うとローズは不安そうな表情を見せ何度か口を開閉させ何か訴えようとするが何処かまだ躊躇っている様子だった。


「・・・・・・案内すれば、離してくれますか?」


「案内してくれるなら解放するって約束するよ」


 そう言うとローズはゆっくりと頷いて見せた。


「分かってくれて嬉しいよ、さっそくだけどマナは今何処にいるの?」


「作業場だと思います・・・あの、まだ離してくれないのですか?」


 人質はまだ解放せず、共に部屋を出て静まり返った廊下を伯爵は進む。

 彼はローズの問いに、突き付けたままのナイフを軽く持ち直すと優しく応えた。


「移動中に僕も襲われたくないからもう少し我慢してもらうよ」


 捕えたままの彼女(ドール)を健気に心配するローズに伯爵の心は酷く痛んだ。

 今ここでローズに刺されてもおかしくない状況なのにそうしないのは、彼女達にやはり意思のようなものがあるからだと確診した。


 ***


 その頃マナは、一人作業場で白く冷たい物体を長椅子に座らせ見つめていた。

 ぽつんと存在する動かない物体は、憂い顔でマナを見つめ返している。


「貴方は綺麗ね・・・汚れた者達の捌け口にされる事が、私はとても哀しい・・・だからせめて、今だけは・・・・・・」


 そう物体に話しかけながら近付き上に跨がるとそっと自らの唇で、冷たい物に触れようとした時だった――――――。

 作業場の扉が勢いよく開き、ローズともう一人の侍女を人知質にしてこちらの光景に驚いている伯爵が立っていた。


「あれ?お邪魔しちゃったね」


「そう思ったのなら今すぐ彼女を離して出ていって下さい」


 マナは白い物体に跨がったまま冷やかな眼差しでそう訴える。


「解放はするよ、僕を襲った理由を聞かせてくれるならね・・・・・・」


 伯爵もまた、有無を言わさぬ鋭い視線を向けマナに言い放った。

 暫くそんな彼を吟味するかのようにマナも見つめ返し、跨がったままの体勢を戻すと彼の方へ向き直り小さく息を吐いた。


「・・・事情はお話します、ですから彼女を離してやって下さいませんか」


 真剣な表情でそう訴えてきたマナに、伯爵は素早くナイフを収めるとそっと彼女を解放した。


「ローズはその娘を皆の所に、それからルイにお茶を頼んでくれる?」


「かしこまりました」


 ローズはマナの指示通りもう一人の侍女を連れて作業場を出ていった。

 静まり返った部屋の中、マナは警戒するような視線を向けながら伯爵を手招く。


「隣の部屋へどうぞ」


 マナは伯爵に作業場の奥にあったもう1つの扉へ入るよう示しながら長椅子に座っていた物体を伯爵から隠すように白い布を被せた。

 隣室に入ると、人の身長と同等のドール達が何体か硝子張りの棺のような物に収められて飾られていた。

 部屋に月明かりが射し込む窓辺付近には、小さなテーブルを挟むように両サイドに長椅子が置かれている。

 マナは無言のまま長椅子に腰を下ろすと、伯爵の事をじっと偵察するような目で見つめながら座るよう促した。

 伯爵はそんな彼女の対面側に腰を下ろすと、満面の笑顔を向けながらさっそく本題へと入る。


「扉を開けた時は本当に驚いたよ。まさか君が男性を襲う側だったなんて」


 業とらしくそう言ったが、無表情という相変わらずな彼女は、落ち着いた声音で伯爵に言い返す。


「襲っていたように見えたのなら伯爵様の目は節穴ですね・・・」


「酷い言われようだね、もちろんドールだって気付いてたよ。でもどうしてあんな事してたの?」


『まさか君も変態な趣向の持ち主・・・?』


 伯爵は彼女の機嫌を損ねないよう胸中での問い掛けをする。


「それは知る必要の無い事です。伯爵様は何故襲われたのかを聞きたいのでは?」


 マナがそう言った時と同時に扉がノックされ執事のルイがお茶を持って入って来た。


「失礼します・・・お茶をお持ちしました」


『タイミングいいな・・・・・・』


 間がいいのか悪いのか、意図的に邪魔をしている様なルイの行動に伯爵は疑念を抱く。


「ありがとうルイ、起こしてしまったかしら?」


「いえ、執務室にいたので・・・」


「任せてばかりでごめんなさい」


「お気になさらず・・・また何かあればお申し付け下さい」


 ルイはそう言うと会釈をし部屋を出ていった。

 伯爵はルイが出ていった扉を見つめながらマナに話し掛ける。


「本人にも聞いたけど、ルイって本当に人間だよね?」


「彼は少し寡黙な部分があるのでよくドールさんに間違われやすいですが、正真正銘人間の男性です」


 そう言うとマナは立ち上がり、部屋の角に置かれた本棚から分厚い何冊かの手帳を手に戻ってくるとテーブルの上に積み重ねるようにして置かれた。

 伯爵は置かれた手帳を一冊手に取りながらマナに質問する。


「これは・・・?」


「伯爵様を襲った理由です・・・・・・」


 彼女は意味深にそう言うと、手帳の中を見ろというような視線で執拗に訴えてくる。


『中を見ろって事かな・・・?』


 視線を手帳へと戻しそっと開くと、頁には沢山の人物の名前が記されていた。


『顧客リスト・・・?にしては何か違うな。もしそうだったら依頼状にも記されてるはず・・・・・・』


 所々名前は横線で消されている部分があり、日付等事細かく記されていた。

 あれこれと考えていると、マナがじっとこちらを見ている事に気づき伯爵は顔を上げる。


「何のリストか分かりますか?」


「いや・・・お手上げだよ、教えてくれるかい?」


 正直にそう言うとマナは一口お茶を啜り伯爵の手から手帳を徐に奪った。


「これは・・・刺客リストです。私やドールさん達を狙う者達の・・・・・・」


「えっ・・・刺客・・・・・・?」


 そう問い直すとマナはすぐに手帳を元の本棚に戻し静かに頷いて見せた。


「えっと・・・僕の事も刺客の一人だと思ってたの?」


 伯爵がそう聞き返すとマナは素直にこくりと頷いた。


「正直言うとお客様には全く見えません」


「すごく素直だね・・・」


 あまりにも率直な返答に伯爵はお茶を手に取りながら苦笑を浮かべる。

 何故か遠まわしに嫌いだと告げられた様な気分にさせられ伯爵の心は酷く打ちひしがれていた。


「試したんです、伯爵様を・・・」


「違ってたら悪いけど・・・・・・もしかしてワインとお茶に薬盛った?」


「はい・・・と言ってもただの痺れ薬です。あの時素直にワインを飲んで下されば刺客かどうか聞く事が出来たのですが、伯爵様は勘が鋭いようでお飲みになりませんでした」


 お茶に関しては出すようには頼んだが眠り薬までは知らなかったようで、マナはあくまで伯爵が悪いと言い、詫びれる事をしない。


「飲んでも僕に何のメリットも無いよね、本当にお客だけど飲んでたらどうなってたの?」


「安心して下さい、刺客でなかった場合はちゃんと解毒を用意してますから」


 だからと言って薬を盛っていい理由等無いと伯爵は呆れるしかなかった。


『今まで会ってきた人達とは感性がずれてるとは思ってたけど・・・・・・』


「ねえマナ・・・君はこの屋敷から出たことはあるの?」


 何故そんな事を聞くのかと不思議そうな声音でマナは応える。


「両親が亡くなる前と、ドールさんの受け渡しに二回ほどふもとの街へ行ったきりです。それからはずっと屋敷の敷地内から出たことはありません・・・それがどうかしましたか?」


「いや、どうもしないよ。なるほど・・・ご両親と・・・・・・」


 彼女自身がこういう考え方をするようになったのではないと思い知った瞬間だった。

 どこか哀しい気持ちにさせられ伯爵は周りの環境がそうさせているのだとすれば、彼女を責めるのはお門違いだと、急に哀れに思えてしまいすごくいたたまれない気持ちになってしまう。

 そんな中、マナは表情一つ変えず淡々と話を進めていく。


「話が逸れましたね。とにかく伯爵様を襲った理由は自身を守るためにした事です・・・だからと言って悪いとは思っていません」


『だから謝る気はないか・・・本当に素直なお嬢様だ』


「解ったよ・・・刺客だと思って仕掛けた事なら仕方ない。但し・・・僕にドールを作る処を見せてくれたらね、特にさっきの光景がすごく気になるんだよね――――――」


「嫌だと言えば・・・?」


「そうだね・・・それ相応の対価を貰うよ、君は僕の命を奪おうとしたんだから。今までもそうして来たんだと思うけど、同じドールを愛する者として僕は見過ごす事は出来ない・・・・・・」


 そう言いながら侍女・・・いや、ドールから奪ったナイフを伯爵はマナに返そうとそっと差し出した。


「伯爵様の事を信頼した訳ではありませんが、そのナイフはまだ持っておいて下さい。この屋敷は安全ではありませんから・・・今も森の何処かに居ます・・・・・・」


 首を横に振り、マナは伏し目がちな表情で暗くそう告げた。


「マナ、君は――――――」


「話はここまでです。今日は疲れたので私も休みます・・・契約の事が気になるのでしたらお見せしますから、明日作業場に来て下さい」


 一方的に話を断ち切られたが、頑なにドールとの接触を拒んでいたマナが、自ら種明かしをする気になったのは大きな進展だと伯爵は感じた。

 その一方で、彼女達がまだ何かを企んでいる気もして胸騒ぎがしてならない。

 やはり気が変わった等と突然言われ、断られるのではないかと伯爵は一抹の不安に駆られ再度確認する。


「信頼もされていないのに、ドールにも酷い事した人間なのに、本当に教えてもいいの?」


「確かに先程そう言いましたし・・・変態ではありますが、とりあえずお客様と分かった以上依頼はお受けします」


『変態か・・・』


 マナ自身も充分変態だと伯爵が思う中、落ち着いた声音でそう言ったマナの表情は不敵な笑みを浮かべていた。

 人形のような微笑みは伯爵の思考を鈍らすほどに美しく怪しく、時に緊迫した空気に包まれる。

 こうしている間にも、彼女は何者かに狙われているというのに何故平気な顔をしているのかと新たな情報に伯爵は頭を悩ませた――――――。


 ***


 マナと別れ、伯爵が寝泊まりする自室へと入ろうと扉を開けた時、音も無く急に背後からルイに呼び掛けられ伯爵はぎょっとする。


「伯爵・・・」


「うわっ、びっくりした!」


「突然申し訳ありません・・・・・・」


「・・・何か言いたい事があるみたいだね」


「マナの事で、お話があります」


「それは奇遇だね!僕も君に聞きたい事が山ほどあるんだ。立ち話も難だから座って話そう」


 真っ直ぐと見据える彼に、伯爵は瞬時に有力な情報が聞けると期待を胸に部屋へ入るよう手招き話しに応じた。

 お互い長椅子に腰掛けると暫く沈黙が続き、窓から照らす月明かりが二人を蒼白の世界に誘う中、最初に口火を切ったのは伯爵だった。


「それで・・・マナの事で話しって何かな?」


 伯爵がそう言うと、ルイは少し背筋を伸ばし懐から一つの古びた鍵を差し出した。


「この鍵って・・・もしかして三つ目の保管部屋の・・・・・・?」


「はい・・・部屋には伯爵が仰った【Secretdoll】が保管されています」


「えっ、そんな簡単に教えていいの?」


「構いません、中身は空ですから・・・・・・」


 ルイの口から思ってもいない事が告げられた。


『えっと・・・・・・空・・・?そんなもの僕に見せて何考えてるのかなこの執事君は』


「何か企んでる?」


 伯爵が笑顔を引き攣らせながら問うと、ルイは素直に頷いて見せた。


「伯爵に・・・どうかお力を貸していただきたい――――――」


 ルイは尚も真剣な表情で強くそう告げた。

 伯爵はそんな彼を見つめ返し、やがて小さく息を吐くと慎重な面持ちで応えた。


「それは、マナの命に関わる事?それともドール?」


「どちらも・・・ですが・・・・・・」


 何を躊躇っているのかルイは伯爵から視線を逸らし話すべきかと悩んでいた。

 そんな彼に疑念を抱きマナの言った一言が頭に思い浮かんだ・・・。


「もしかして僕を本当に変態コレクターだって思ってる・・・・・・?」


「・・・いいえ」


『今の間は何だろう?』


 伯爵は乾いた笑いをこぼしおそらく彼もどこかで話の内容を聞いていたのだろうと思いつつそっとルイに鍵を返した。


「マナも君も酷いな・・・。ルイ・・・僕はね、どちらかを選べと言われたら迷わずマナの命を護るよ。ドールはもっと後・・・・・・だからこの鍵は要らない・・・」


 ルイは手の平に返された鍵を暫くの間まじまじと見つめると、懐に戻しながら今一度伯爵に問う。


「・・・では、協力は出来ないと言うことですか?」


 ルイの問いにけしてそうではないと首を横に振って見せる伯爵は、先程のマナとのやり取りを思い返していた。


「マナが、今も命を狙われてるって言ったんだ・・・・・・でも、平気な顔して言うから後で君に聞こうと思ってたんだけど」


 伯爵はそう言って様子を窺うような鋭い視線で彼を見つめ返した。


『僕がここに来てルイが最初に現れた時、微かに彼から血の匂いがした・・・花束を持っていたけどあの時彼が森に居たとすれば・・・・・・』


 伯爵は彼が敵を始末し、それを悟られぬよう花でカモフラージュしていたのではとずっと考えていた――――――。

 そしてルイは、勘が良いみたいだから薄々気付かれている事を知っているはずだ。

 だからこうして取り巻くような方法に出たのではと伯爵は思い立ったのだがどうも様子がおかしい。

 よほど追い詰める様な訝し気な表情でもしていたのか、ルイは伯爵に訊ねられてもいない事をぽつりと語り始めた。


「現在この屋敷は、私とドール達で護っています・・・・・・」


「え?ドール達って、操り人形なの?」


 話し始めたかと思えば、謎めいていた人形達の話しが急浮上し思わず前のめり気味に伯爵は反応してしまう。


「彼女達にはマナから与えられた()()があります・・・ここでは詳しくお話し出来ませんが、時にはそういった事も可能かと」


『マナが操ってるのかな・・・?彼女が言ってた契約と凄く関係ありそうだな・・・・・・』


 ルイの話しを聞きながら、伯爵は彼の企みを暴こうと模索する。


「つまり僕にしてほしい事って権力的な問題って事かな・・・?」


「伯爵は、マナを買う力があると仰いました」


「確かにそう言ったね、でも現実にはならないと思うけど?」


 そう言うとルイは首を軽く横に振り否定的な態度を見せたかと思うと、懐に収めていた鍵をもう一度取り出し無理矢理伯爵に手渡した。


「伯爵様にはマナを買っていただきます。これはお嬢様とは関係なく俺個人の願いです・・・どうかご協力願いたい」


「ルイ――――――?」


「鍵を受け取って下さい・・・伯爵はマナの主です」


 強行突破・・・という事なのだろうか、意図は分からないが無理難題を押し通そうと彼は真剣だった。


『どうして僕に鍵を受け取ってほしい?とにかく素性が分からないな・・・受け取るべきなのか。いずれにしても良い方向には転ばない気がする・・・・・・だったら――――――』


「じゃあ、僕がマナの主なら君は僕の執事でもあるよね?」


 伯爵は形勢逆転と言った態度でルイに明るく告げた。


「・・・・・・やむを得ないでしょう」


 寡黙な執事が、個人の願いとして告げた言葉に伯爵は心を衝き動かされた。

 マナに対する彼の想い描いているものが一体何なのか、ただの御令嬢とその執事という関係では言い表す事の出来ない何かを二人は抱えているのだろうか・・・ふと見遣れば、彼の冷めきったような哀し気な瞳は暗い部屋に小さく揺らめく蝋燭の灯りのように儚さを宿していた。

 そんな彼の願いを叶えたいとも思い始めた中、本当に一歩踏み出していいものかと迷ったが、進まなければ何も始まらないと覚悟を決め今度こそ鍵を受け取った。


「うん、君の言いたい事は何となくだけど理解したよ・・・でもまだ保証は出来ない。絶対とか、確証というものを得たいから・・・・・・だから僕の意見も聞いてくれるかい?」


「・・・はい」


 伯爵がそう言うとルイは素直に頷き応えた。


「まず、少し整理したいんだけど幾つか質問いいかな?」


 どこか愉しげに話す伯爵にルイはこくりと頷いて見せる。


「マナは何歳の時から人形を作ってるの?それと、僕が聞いた限りでは二回しか街に行った事がないって聞いたんだけど」


「四歳からです。ご両親が亡くなってすぐに、マナとして人形師を継がれました。街へ行かれたのは継がれる前と、完成した人形を街へ持っていった時以外無いと思われます」


『マナと同じ答え・・・・・・つまり前の人形師は彼女の親でもあるって事かな?両親のどちらかがマナ?それとも二人で?』


 彼女自身が()()として生きる事を拒んだりしなかったのかと伯爵はふと考える。

 いくら人形師の家系だったとしても、もし両親が今も健在で、後を継ぐのがもっと遅ければ、他にやりたい事は無かったのだろうか。

 そもそもずっと【Secretdoll】を守るために此処から離れられないと屋敷に籠り、日々人形を造らなければならず忙しいからという理由で他人との接触を避け続けている。

 三つ目の部屋には、ドール以外に一体何を隠しているのかあまりにも不明瞭で謎めいているこの屋敷とその住人に、伯爵は手を焼いていた。

 当時の彼女はマナとして継がざるを得ない状況にあったと考えるのが妥当と判断し伯爵は話しを進めていく。


「君はいつからこの屋敷に?」


「此処へ来た時は九つの頃です・・・・・・」


『うん・・・やっぱりルイは彼女以上に何か知ってる気がする・・・』


 伯爵は話しに期待を膨らませつつ、あれやこれやと質問を投げ掛ける度に順を追ってルイが説明していく中、新たな疑問がまたいくつか浮上した。


「ルイは僕と歳が近そうだけど何歳なの?」


「おそらく二十三かと・・・」


『彼女が今年で十七って言ってたな・・・六つ離れてるのか・・・・・・マナが三、四歳の時に出会ってるとしたら・・・すごく怪しい』


 まさかの年上に少し驚いたがますます彼に興味を持った瞬間でもあった。


「その時君は手伝ってたの?」


「共に造る事はしませんが・・・先程の様に修繕が必要なドールをお嬢様の元へ運んだり、執事ですから本来のお嬢様の身に回りの事もしています」


「出会ってからずっと見てたけど、本当にルイは万能執事だね・・・これから僕が屋敷の主になったら君は僕の執事でもあるんだよ?・・・・・・正直嫌だよね?」


「必然的にそうなりますね。嫌かどうかは俺にはあまり分かりません」


 伯爵はずっと彼との違和感を感じていた。

 いつも彼と話す時や目が合った時、どこか見えない線引きをされあまり深く関わろうとしていなかった彼の雰囲気が少しだけ変わってきた事に気付いていた。

 今でも詳しい事は話そうとはしないがおそらくマナの命に関わっているからだと判断し、伯爵もこれ以上の詮索はしなかった。


「意見を君に聞いてもらおうと思ったけど、この事は直接マナに話した方が良さそうだから辞めておくよ。君の彼女に対する気持ちも何となく解ったし、これからはお互い協力しあおう!」


 そう言って伯爵は彼に手を差し伸べ微笑んで見せると、ルイもその手をそっと取った。

 互いに協定を結び今の現状を大体把握出来た伯爵は、マナがいかに悪い状況下にいるのかと胸中で嘆いていた。


「あっ、後さ!マナってドールの事ドールさんって呼んでるよね?」


「お嬢様は()()()()だと仰ってました・・・ドールはお嬢様にとって家族のような存在ですから・・・・・・」


「家族・・・そっか――――――」


 伯爵は暫く黙ったまま窓から見える月明かりに目を細め思いに耽っていた。


『ドールは見つからないし、マナは命狙われてるし出会って早々最悪なシナリオだけど、避けて通る事は出来ないな・・・これは思ってた以上に大変かも――――――』


 詳しい話は後日という事になり、ルイが去った後の静まリ返った部屋の中で伯爵は何度目かの溜め息を盛大に吐いた――――――。


 ***


 翌日、マナと伯爵は昨夜交わした約束通り作業場に居た。


「見せてくれる前に、少し伝えておきたい事があるんだけどいいかな?」


 伯爵がドールに被せていた布を剥ぎ取るマナにそう問い掛けると、あからさまに軽蔑するような眼差しを向けられ思わず気後れしてしまう。


『あ・・・嫌そう』


 断られるかと内心覚悟していたがマナはこちらへ向き直り頷いて見せた。

 よく観察してみれば、昨日と違って心なしか何処か雰囲気が和らいでいる気がする。

 やはり昨日は警戒されていたのかと内心思いつつ、そうだとすれば今の素直な態度にも納得がいった。

 互いに長椅子に座り、ドールの隣に腰掛ける彼女は相変わらずで、負けず劣らず美しい。

 灰色掛かった淡い紫の瞳が伯爵を真っ直ぐと見つめ、伯爵もそんな彼女に微笑み返したがすぐに視線をドールの方へと逸らしてしまい、マナはぎこちなくドールの手を握ると口を開いた。


「それで・・・話しとは?」


「うん、昨日マナ達が刺客に狙われてるって事を聞いて僕なりに考えてたんだ」


「その事でしたら、伯爵様に危害を加える事は致しませんので依頼された通りドール探しに励んで下さい」


「そんなつれない事言わないで。まあ、そう言うと思って人形探しはもちろん、主として君とドールを刺客から守る事にしたんだ。僕はマナを()()()者だから・・・改めてよろしく!」


 伯爵が高らかに宣言すると、マナは無表情のまま固まり何も言い返せずただ困惑していた。

 暫く沈黙が続き、ぼそりと呟かれたのは後悔の念に駆られたものである。


「・・・・・・今、依頼を受けた事をものすごく後悔しています・・・屈辱的です」


『無表情で遠回しに言われると余計に傷付くな・・・・・・』


「マナは本当に素直だね。別に君自身の存在を否定している訳じゃないよ、寧ろ尊敬してる。でも、依頼を受けた以上は約束してくれるね?僕に、君とドール達を守らせてほしい――――――」


 真剣な眼差しを向け伯爵がそう言うと、まだ疑念は残っているようでマナはどっちつかずな曖昧な返事をした。


「ありがとうマナ・・・それとあと一つだけ、昨日僕を襲ったドールの事だけどローズ達って操り人形なの?」


「それぞれ意思があります・・・私はドールさんに命を与える手伝いをするだけです」


 マナは握っていたドールの白い手を両手で包むようにし、どこか悲し気な表情を浮かべながらそう答えた。


「じゃあ昨日僕を襲ったドールは自ら行動を?」


「おそらく私が伯爵様を異様に感じていたので、ドールさん達はそれを敏感に感じ取ってあのような行動に至ったんだと思います。彼女達に悪気はありませんので言いたい事があるなら私に言って下さい」


 第一にドールの意思を尊重し自らを攻め、他人の機嫌取りをするのかと伯爵はそんな彼女を攻める気にはなれなかった。


『根っからの商売人と言えば聞こえは良い・・・けどマナはドールを人形扱いせず生きた人のように接してるって昨日ルイが言ってた。でもそれは、彼女が幼くして大切なモノを失ったせいでもあるからで・・・寂しいから?』


 彼女の孤独な思考をどうにか変える事は出来ないかと独り悩んでいると、黙ったまま伯爵の様子を伺っていたマナが怪訝そうに話し掛けてきた。


「伯爵様、妄想中悪いですが早くドールを完成させたいのでお話はもういいですか?」


「考え事はしてたけど妄想はしてないよ。聞きたい事も聞けたから満足しました・・・という事で早速昨日の続きを見せてくれるかい?」


「どこまでも自由な変態思考ですね・・・」


 呆れ口調でマナはそう言うと小さく息を吐き、隣に腰掛ける動かないドールの方へ体ごと向きを変える。


「伯爵様はそこから動かないで下さい・・・」


 横目で伯爵を見つつ注意を促すとドールの着ている服をそっと脱がし始める。


「何だか見てるこっちが緊張してきたよ」


 伯爵は引きつった笑顔でそう呟くとマナはくすりと笑った。


「まるで同じような事を経験したようなもの言いですね」


 マナは服を脱がす手を止め商品に傷が無いか確かめていく。

 図星を指され思わず伯爵は作り笑顔になる。


「あはは・・・そこは聞かないでほしいな、あまりいい思い出じゃないから」


 そう返すと始めから興味は無いといった表情で微笑み返された。


『鋭い観察力だ・・・というかマナって本当に・・・・・・』


 伯爵はマナに聴こえぬよう小さく息を吐き速まる鼓動を落ち着かせる。

 ドールに触れるマナの手があまりにも艶かしく伯爵はこくりと喉を鳴らした。

 普段女性に言い寄られても全く動じなかった彼だが、マナの放つ異様なオーラのせいか、伯爵は目を反らす事が出来なかった。

 するとそんな伯爵に気付いたマナは妖しく微笑み口を開いた。


「男性の方は皆女性に言い寄られると喜ぶと聞きましたが、伯爵様も同じでは?」


「うん。間違った情報だね、一体どこでそんな事覚えたの?」


 そう聞き返すとマナは何故そんな事を聞いてくるのかと言う口振りでこう答えた。


「実体験を述べただけです・・・」


「体験!?君が!?・・・相手は?」


『まさか刺客・・・とか――――――』


「刺客です。お客かを判断する時の一つの策として、まあ希にドール目的でない方も――――」


「あっ、それから先はもう言わなくていいよ、間違ってる事は確かみたいだから」


 伯爵は引きつったままの笑顔を向けながら胸中では彼女のあまりの無防備さに困惑していた。


『全く困ったお嬢様だ・・・。人間不信みたいな態度でそういう事はさらっと言葉にして無防備にも程がある・・・間違った情報を正すべきだけど彼女が聞くとは思えないから今後僕が見張ってればいいか・・・』


「君にはいろいろと教える事がありそうだね・・・まっ、とにかく今はドールが優先だ!」


「?・・・では始めます」


 伯爵を怪訝な目で見つめがらそう言うと、露わになったドールの首もとにマナはそっと顔を近付ける。


『やっぱり襲ってる構図にしか見えないな・・・・・・』


 伯爵がマナの行動を静かに見守る中、マナは伯爵を気にすることもなく露わになっている白いドールの首筋に唇を添わせ、すぐに離れると伯爵の方に向き直り身なりを整えると椅子にすとんと腰かけた。


「・・・これで終わりです」


「えっ、終わり?今のってただドールの首にキスしただけだよね」


『これで完成・・・?僕の聞いてた情報と違うな』


 伯爵にはただ目の前で見せつけられていたようにしか見えず、呆気にとられ見入っていただけだった。


「キスではありません、これは契約です」


 そんな伯爵の胸中を察したのかマナは真剣な顔でそう訴えた。


「契約って何のためにするの?」


「契約はマナとして、このドールさんを作ったという印です」


「じゃあこれでドールが動く訳じゃ・・・?」


「ドールさんは依頼主の命で初めて生を受けます。簡単に例えると人の子に近いです・・・伯爵様もそう感じたのではありませんか?」


 何もかも分かっているといった口ぶりで、マナはドールに服を着せていく。 そんな中、新たな疑問がまたいくつか浮かんだ。


『じゃあドールの性格が異なるのは依頼主の命で変わるって事かな?』


「ローズって・・・依頼主は誰?」


 そう訊ねるとマナはほんの一瞬手を止め伯爵を横目に見つめ返し口を開いた。


「何故そんな事をお聞きに?」


 すぐに返されたのは答えではなく、逆の問い掛けだった。

 その時伯爵も何故自分がそう思ったのか分からず、気付いた時には声に出していた。


「何となく――――――かな?」


 伯爵は笑顔でそう言うと、嘘くさいといった表情でマナから溜め息が漏れる。

 彼女にはどんなに嘘を言ってもお見通しで、全て分かってしまうと伯爵は苦笑を浮かべた。


「ローズは、私が初めて作ったドールさんです。ここにあるほとんどのドールさんは、私が主だと思います・・・・・・」


『何処となく別の場所にもあるみたいな言い方だけど隠し部屋でもあるとか?3つ目の部屋の鍵を渡そうとしてきたり、ルイも思い詰めてる感じだったし・・・ご両親が亡くなった理由はドールと関連性があるとか?』


「凄い!初めて作ったようには見えないよ、何歳の頃に作ったの?」


「・・・・・・」


「マナ・・・?」


「何歳だったかなんてそんな事忘れました」


 黙り込んでしまったかと思えば、急に冷めた口調になりマナはドールにまた白い布を被せると、その場から逃げるように立ち上がり部屋の入口へと向かった。


「そっか・・・色々質問して悪かったね、ドールも見せてくれてありがとう」


 伯爵は今にも立ち去ろうとするマナにそう言って微笑みそれ以上問い質す事はしなかった。


「いえ、仕事ですから・・・昼食にしましょう。準備をしてくるので伯爵様はそれまでお好きなようになさって下さい」


「僕も何か手伝うよ、これからお世話になる身だからね」


「では、商品には手を触れないようお願いします」


 マナは冷たくそう告げると踵を返し作業場を出ていった。


『断られた・・・』


「相変わらず信用なしか――――――」


 一人残された伯爵も、マナが去った部屋を後にしドールの作業場となっている隣室へと向かった。

 部屋には昨日と変わらずガラス張りの棺に飾られたドール達がずらりと立ち並んでおり、少し不気味さを感じさせる。

 伯爵は一体のドールの前に立つと、反射する硝子の中を除き混むようにして確認した。


『ここにあるドール達も保管部屋にあるものと作りは同じだけど、印っていったい・・・』


「これは本当に全部依頼されたドール・・・?」


 何か思い立ち、マナが見せた刺客リストが記された手帳を棚から何冊か手にすると伯爵は自室へと向かった。

 さっそく持ち帰った手帳を開きリストの名前を他の紙に書き写していくと、暫くして名前に横線を引かれた箇所に目が留まり伯爵は手を止める。


『横線を引かれてる名前がたぶん刺客だよね・・・日付の時が襲われた日?』


「今晩ルイに聞いてみようかな・・・」


 ルイは今、食料調達にローズを連れて街に出ているため直ぐに話しを聞く事が出来なかった。

 伯爵はドールであるローズに預けた手紙が無事に届く事を祈りつつ、途中となっていたリストの写しを書き進めて行った。

 全ての名を書き終える頃、マナが呼びに来たため二人で食堂へ向かい侍女服を着たドール達に囲まれながら静かなひと時を過ごした。

 伯爵は昼食の後に保管部屋へ向かおうと決めており、食事を済ませマナから保管部屋の出入り許可を得ると書き写した名簿リストを手に保管部屋へと向かった。

 本当はマナと共に例の人形を探そうと誘ったが、ドールさんの受け取り人が来るからとあっさり断られてしまった。

 仕方なく伯爵は一人保管部屋に向かい1つ目の部屋に入ると、さっそくリストを部屋の真ん中にある空いたテーブルに置き、ドールが保管された棚に隣接されている本棚に手を伸ばした。


「確かルイが、今までの依頼状もここに保管してあるって言ってたな」


 何冊もある本の中から目的のものを探し出すというのは時間を要するが、冴えているのか、勘が鋭いのか伯爵はあっさりと依頼状らしき何枚もの紙が、古びた大きな本の間に挟まれている事に気付いた。


『リストを見る限りでは、顧客はかなり多い気がするけど・・・他の部屋にもまだありそうだな』


「二人とも何かまだ隠してる気がする――――――」


 独り言を呟き、考えながらも本から依頼状を抜き取りテーブルに置くと書き写したリストと依頼状を交互に見比べ、書かれている名前を一枚ずつ新たに紙に記していく。

 すると依頼状に記された一人のサインを見て伯爵は手を止めた。

 依頼状の方にも何故か横線が引かれており、リストの方にも同じく名前に横線が引かれ、いくつか同じ様な個所がある事に違和感を覚えた伯爵は顔を歪めリストと依頼状をもう一度照らし合わした。


『まさか・・・線を引かれてる名前が顧客の方だったなんて・・・・・・日付はドールを受け渡した日、依頼状の日付と同じだ』


 気付いてしまった真実に伯爵は絶句した。

 線引きされていない名前の依頼状には受け渡しの日付は無く、代わりに黒く塗りつぶされている。


「これは多すぎる・・・マナが警戒するのも当たり前だ・・・・・・」


 伯爵は一人呟くと、また依頼状に目を通し自分の知っている名前も幾つか見つけ、少しでも情報を掴むため書き写しのリストに記していった。

 その頃マナは、作業場で昨日ルイが保管部屋から持って来たドールを見ていた。

 少女の姿をしたドールはマナの膝に乗せられひび割れている左手首をそっと掴み関節部分の動きを確かめていく。


「他のドールさん達も壊れてないか確かめておかないと・・・・・・」


 マナは動かないドールに話掛けるように呟くと、立ち上がり自分の腰掛けていた椅子にドールを座らせ今朝伯爵の前で完成させたドールをそっと抱きかかえた。

 そして傍に用意されていた黒塗りの木製の棺に布をくるませたまま壊れぬようそっと寝かせ、その周りに白い薔薇の花びらを散らせた。

 その光景は、(とむら)いの義のように見えどこか寂しさを感じさせる――――――。

 ドールを棺にいれ終えた頃、外に馬車が来たと侍女から告げられマナは受取り人に作業場に来るよう伝えた。

 二つ目の保管部屋にいた伯爵は、リストと依頼状の確認を終えドール達を観察していた。


『マナは契約をする時、ドールの首にキスしてた・・・』


「契約でドールが動く訳じゃないって言ってた・・・じゃあここにあるドール達は動かないのかな?全てが彼女の作品ではないけど、印って一体――――――」


 伯爵は話し掛けてくる事のないドールに語りかけそして行き詰まる。

 視線を彷徨わせ、微かな陽の光りに照らされる小窓近くの棚に置かれている小さなドールの方へと伯爵は近寄る。

 ぽつりと一体だけ置かれた憂い顔のドールは、相変わらず生きているようで美しかった。


『このドールは彼女が作ったものだな・・・』


 暗がりの部屋の中、伯爵はそっとドールを手に取り印の意味を探ろうとじっと見据える。


「いつ見ても綺麗だな・・・あれ、汚れてる?」


 よく見えるように微かな明りに翳されたドールの首元には、黒っぽくなっている箇所があり、伯爵は眼を凝らし確かめる。

 何分小さいため、汚れではなく紋章が描かれている事に気付くのに時間が掛かった。  

 ドールの首筋には青い薔薇の紋章が小さく描かれていた。


「薔薇の紋章?首筋に・・・マナが契約に口づけてた部分だ」


 伯爵は他のドール達に同じ紋章があるかすぐに確認していく。

 異なる大きさのドール達には、紋章が描かれている場所は違うがドール全てに描かれていた。


『首筋以外にも掌や足の辺りにも印されてる・・・・・・』


「もしかして今朝見たドールにも同じ紋章があって、これが契約の印って事?」


 顎に手を添え伯爵は記憶を辿っていく。

 数時間前に見た光景が鮮明に記憶されていた伯爵は受取り人がドールを取りに来る前に確かめたくなり、すぐさま保管部屋を後にした。

 作業場へ向かう途中、丁度マナが受け取り人と共に重たげな箱を運んでいる姿が見え、伯爵はマナの元へ駆け寄った。


「マナ!」


「伯爵様・・・」


『ルイ達はまだ帰ってないのか・・・』


「それドールだよね?重そうだから僕が運んであげるよ」


「ですが・・・よろしいのですか?」


 マナは断る事はせず躊躇いがちにそう聞き返す。

 ドールとは言え人と同じほどの大きさなため、彼女が運ぶにはやはり無理がある。


「構わないよ。力仕事は男の方が有利だから」


 伯爵はそう言ってマナが答える前に強引に場所を変わりマナからドールの入った棺を軽々と手に持った。

 彼女はそんな伯爵に一瞬戸惑った様子を見せたが、直ぐに平静さを取り戻し素直に願い出た。


「ありがとうございます。では、お願いします・・・・・・」


 伯爵はマナの返事を聞くと、受け取り人と共に外へ向かった。

 本当は正体を隠した刺客ではと思っていたが、ドールを受け取りに来た者はどうやら本当に使いの者だったらしく屋敷の外には大きな馬車が停まっており、傍には高齢の背の高い男性が一人立っていた。

 伯爵は遠目に立っている男性を見つめ次第にはっきりとしてくる顔に見覚えがあると目を見張った。


「あれ?君は確か・・・ヴィンセント家の執事さん?」


「おや、これはフレデリック様ではありませんか!こんな所でお会い出来るとは、伯爵もドールのご注文に?」


「注文も兼ねて、遣いで来てるんだ。君も彼女のお使い?」


 伯爵は素直にそう言うと、相手も朗らかな笑みを浮かべ返した。


「左様でございましたか、伯爵のご趣味は誰もが存じておりますよ。お嬢様も伯爵様に憧れてこのようにマナ様にドールを頼むようになられてしまって」


「僕の影響を受けたのなら、いつかドールコレクションを見てみたいな。その時はよろしくね」


「では、お嬢様にそうお伝えしておきましょう。ドールを一緒に運んで下さり本当にありがとうございました」


「あっ・・・それと、ちょっと頼み事があるんだけど、注文したドールを少し見せてもらってもいいかな?」


 本来の目的を思い出した伯爵は馬車に積まれた棺を徐に指差し彼に頼み込む。

 執事はもう一人の使いの者と顔を見合わせ不思議そうにしたが、それ以上は疑る事もせず直ぐに見せてくれた。


「それは構いませんよ。伯爵お墨付きのドールならお嬢様もお喜びになりますから」


 あくまでヴィンセント家の執事はお嬢様を第一に思っているようで、まるでマナとルイを見ているようだった。


「ありがとう、助かるよ」


 伯爵はそう言うとさっそく棺の蓋を開けドールにくるまれた布をそっと剥ぎ取ると薔薇の紋章が描かれているか確認する。

 作業場での様子を思い出しマナの触れたドールの首元を見ると、そこにあると思われていた印は何故か無かった。


『無い・・・じゃあ契約って・・・・・・?』


 暫くドールを見つめたまま考えていると、隣で共に見ていた執事に話掛けられ我に還る。


「美しいドールですね。マナの作品は本当に素晴らしいです」


「僕もこの美しさに惚れて注文したんだ。君もドールの知識があるみたいだね」


「いえ、私はお嬢様から覚えてしまうほどドールの事を耳にしていただけで、それほど詳しくはありません。ですが素人目にもこのドールは素晴らしい作品だと分かりますよ」


「ドールに関心を持ってくれる人が増えると何だか親近感が湧いてすごく嬉しいな。見る事が出来て良かったよ、ありがとう」


 伯爵は笑顔でそう答えると、また機会があれば話しがしたいと約束を取り付け、軽く挨拶を交わすと彼らは自分の主にドールを届けるべく屋敷を去って行った。

 伯爵は一人、風に吹かれながら馬車の去って行った方向を静かに見つめていた。


『ドールに紋章は無かった・・・でもマナは確かに首筋に契約だと言って口づけてたはずだ。保管部屋のドールには紋章が印されてたから何か分かると思ってたけど――――――』


「また振り出しか・・・・・・」


 伯爵はため息交じりに小さく呟き屋敷の方を振り返ると、作業場の見える窓の方をじっと見据えた。


『あと紋章の事が分かるとすれば、作業場の隣の部屋と・・・』


「鍵の掛かった3つ目の保管部屋――――――」


 伯爵は何かを思い立ち踵を返すと屋敷の中へと戻り、刺客リストを手に作業場へと向かった。

 その途中で、侍女であるドールと出くわしこれから茶会を開くからと食堂に誘ってきたが、今は調べたいものがあるからと断りを入れ、足早に向かった。

 手に持っていたリストを本棚に戻し、傍に飾られていたドールに目を凝らしてみるが、昼夜問わず暗くガラスの反射で小さな紋章までは見えず仕方なくルイが戻るまで待つ事にした。


「・・・・・・やっぱりお茶貰いに行こうかな」


 ドールが造られる此処に来れば何かが分かるかとつい焦ってしまい、伯爵は一度落ち着いて行動しようと気持ちを切り替えるためマナ達の誘いを受けようと食堂へ向かった。

 マナからの誘いを嬉しく感じながら伯爵が上機嫌で食堂の扉を開けると、何故か侍女であるドール達がマナに抱き付き愉しそうにしている光景が伯爵の目に飛び込んできた。


「さすが、マナはドールにも人気だね。僕もお茶を貰いに来たんだけど一緒にいいかな?」


「こちらは気にせずどうぞお座りになって下さい。先程は手伝って下さりありがとうございます。それと・・・」


 最後に何か言いかけたが何故か口を噤んでしまいそんなマナを不思議に思いつつ、相変わらず感情の無いほとんど棒読みの言葉だが、半笑いでそれが彼女だと伯爵は自分に言い聞かせた。

 おとなしく席に着くと肩の力を一気に抜き用意されたお茶を啜り一息吐く。


「・・・・・・」


「随分とお疲れのようですね・・・」


 静かな時間が流れる中、先に口を開いたのはマナだった。


「君は観察力が鋭いね・・・実の処調べものしてたらどんどん解らなくなってきて瞑想してるんだ・・・・・・」


「調べものならゆっくりなさって構いません。別に追い出す気もありませんし、ここにあるドールさん達は皆呪いの人形と噂されているいわくつきなものばかりですが、この屋敷から逃げたり等しませんよ・・・伯爵様も噂はご存知なはずです」


 あまりにも自身の作品を無下に扱うようなマナの言葉に伯爵は苛立ちを見せた。

 噂を否定する事も無く、ただ沈黙し続けているこの場所と、主であるマナは見た目とは裏腹で見事に追い込まれてゆくばかりだがそれ以上に心地の良い場所であり、伯爵にとって頼もしい存在となっていた。


「いいかいマナ・・・僕は純粋にドールが大好きなお客で、君は依頼の内容上僕のドールの主だ。マナが他人の事に興味が無いのと同じで、僕も噂とか他人の言う事なんて興味がないし、全く信じようとも思わないよ」


「伯爵様をお客様として信頼していない訳ではありません・・・最初に依頼された時、あんな事を言いましたが本当に興味がない訳でもないです」


 マナが少し俯き加減で答えると、マナに腕を絡めていたドール達が慰めるように反応し身体をさらに擦り寄せた。

 相変わらずマナは無表情だが、ドール達はマナの感情を敏感に感じ取っているようで、何となくドールの表情も哀し気に見えた。


「マナは、もっと人を頼るべきだと思うよ」


「え・・・?」


 気付けば伯爵はそう呟いていたが、マナはドールとの話に夢中で伯爵の声等届いていなかった。

 虚しさを感じつつ伯爵は頭を振ってマナに応えた。


「いや、何でもないよ・・・それより聞きたい事があるんだけど後でいいかな?」


「今ここでは駄目ですか?」


 マナがそう訊ね返すと、伯爵はマナをまじまじと見つめ苦笑を浮かべる。

 伯爵の視線に気付いたマナは今の自分がどんな状態か察したらしく、暫く考えたが結局このまま話してほしいと言われ伯爵も話そうとしたが、ドール達の前でドールの事を聞く事はどうしても出来なかった。


「やっぱりここでは話しにくいからまた後でいいよ」


「分かりました。今日はドールさんを作る予定は無いので夕食の後にでもお聞きします」


「助かるよ。それと僕の事はフレッドでいいから、あっこれも主として約束の1つだからね」


 約束だと言わなければ永遠に名前では呼んでもらえないだろうと思った伯爵はそう告げた。


「・・・分かりました、善処はしてみます」


 何とも答えになっていない返事だがとりあえず約束を取り付け満足した伯爵はマナやドールと共に茶会を楽しんだ――――――。


 太陽が西に差し掛かった頃、ルイとローズは屋敷にようやく戻って来た。

 調達してきた食料やドールに使う材料等を一通り運び終えると、食堂の方からマナと口々に呼ぶドール達の賑やかな声が聴こえそちらに向かう。

 軽く扉をノックし返事を待つ前に開くと、食堂ではドールに囲まれたマナと、それを見て愉しそうにお茶を飲んでいる伯爵の姿があった。


「お嬢様・・・」


「あっ、今は話し掛けても無理だよルイ」


 一体何が起こっているのかと状況確認しているルイに伯爵は笑顔で対応する。


「これは一体・・・」


「お疲れ様・・・僕もマナに話しがあったんだけど、彼女達がマナを解放してくれそうにないからお茶でも飲んで君の帰りを待ってたんだ」


 伯爵は笑顔を作りながらも声音は真剣だった。

 そんな伯爵を見て瞬時に何かを感じ取ったルイは、直ぐにサロンの方で話そうと静かに言ってきた。


「流石ルイだね、察しが良くて助かるよ」


 伯爵はルイにだけ聞こえるようにそう言うと、マナ達に手を振りながらルイと共に食堂を後にした。

 薄暗い長い廊下を進んで行く中、伯爵は話の続きをしようと先を歩きサロンへと案内するルイに話しかける。


「悪いね、帰って来たばかりなのに」


「それは構いませんが――――――」


 寡黙な彼ではあるが、マナやドールとは違って話をすればそれなりに対応に応じてくれるので伯爵はとても助かっていた。


「正直君の驚いた顔を見れるなんて思わなかったよ」


「お嬢様があんなに楽し気になさっていたのはいつぶりかと思いまして・・・」


「楽しんでるって良く分かったね」


「伯爵様に出会われて以来、ほんの少しですがお嬢様も変わられた気がします」


 入り組んでいる廊下を暫く進むと、大広間の隣にある小サロンへと二人は入った。


「・・・他の部屋と違ってちょっと殺風景だね」


「使われる事があまり無い場所なので物はあまり置かれていません」


 サロンには必要最低限のテーブルと椅子が置かれており、部屋の角に花が置かれているだけだった。


『あの花確か・・・』


 遠目に花瓶の花を眺めながら伯爵は執事に話し掛ける。


「早速ドールの事で質問なんだけど、契約と青い薔薇の紋章って関係があるの?」


 伯爵は慎重にドールの秘密を探っていく中、紋章の事がずっと気がかりとなっていた。

 ルイは伯爵の口から紋章の事を聞いて暫く黙り込み驚いている様にも見えたが、薄暗くなり始めた部屋に燭台の火を灯すと、徐に伯爵の傍に近付き手にはめていた真新しい手袋を取って伯爵に手の甲を見せた。


「え?薔薇の紋章・・・ドールだけじゃないの?」


「この紋章はマナと契約を交わした者、もちろん契約されたドールにも印されています・・・何故このような事をするか分かりませんか?」


 ルイは手袋をはめ直すと、静かに問い掛ける。

 意味深な質問に伯爵は頭を悩ませた。


『何故紋章を印さなければいけないか・・・それはマナを護るため?それとも彼がやっぱり【Secretdoll】・・・・・・?』


「ごめん・・・お手上げだよ。だから答えを見つけにこれから三つ目の保管部屋に居るから何かあった時は知らせてくれる?」


 結局何も応える事が出来ず、心苦しい言い訳のように伯爵は無理矢理話を変えた。

 それでも尚、彼は従順な態度を見せ伯爵の言葉を黙って聞き入れる。


「・・・かしこまりました」


 そんな彼に関心を抱きつつ伯爵は紋章の事は深く追求せずそう言ってサロンにルイを残し保管部屋へと向かった。

 静かな廊下を進み伯爵は3つ目の保管部屋へと足早に向かった。


『何か上手くはめられてる気がするな・・・・・・』


 三つ目の保管部屋の前に着くと伯爵は扉の前で鍵を開けるべきなのか迷っていた。

 今ならまだ鍵は返せるが、返した後何をされるか分からないため戻るに戻れなくなり受け取った自分を呪いつつ、伯爵は鍵をゆっくりと鍵穴に通した。


「・・・・・・」


 一度深く呼吸をし鍵を慎重に廻していく。

 鍵は静かな廊下に重苦しい音を響かせ開いた。

 そっとドアノブに手を掛け開くと、ずっと立ち入っていなかったのか分厚い木製の扉は重々しく軋みながら開き、伯爵は部屋の中を片方に持っていた燭台で照らした。


「・・・!?」


 薄暗く埃っぽい部屋の中へ一歩足を踏み入れてみれば、思ってもいなかった物が伯爵の目に映り込んできた。


『これは・・・確かに保管部屋だけど、まさか――――――』


 三つ目の保管部屋で、伯爵の目に映された物は、ドールではなくこの屋敷にはあまり似つかわしくない剣や火器、宝石類の入った小さな箱や大きな箱までがこの場に存在していた。

 そして一際目を惹いたのは黒と金色の装飾で施された二つの美しい大きな箱だった。


『ルイはこれらの物を僕に託してどうする気だろう・・・?この部屋にある物が紋章の答え?』


 混乱している中、伯爵は部屋にある剣など一つ一つ見ていき宝石類の中で一番大きな箱を開けた。

 すると中には大きな青い石が中央に嵌め込まれ、その回りにも同じ石で飾られた美しい首飾りだった。


「この首飾り・・・何処かで」


 何故高価なこれらの物が一つの部屋に纏めてあるのか不思議に思いつつ、伯爵は首飾りを見つめながら顎に軽く手を添え必死に自分の記憶を辿り思い出そうとする。


『この首飾り、前に何処かの国で見た気がする。宝石以外にも・・・そうだ!この部屋にあるのはよく見てみれば全て他の国から消えたっていう有名な物ばかりだ・・・・・・でもどうしてこの屋敷に?』


「マナ達が盗んだ・・・?」


『は、あり得ないか・・・』


「お客がマナを誘惑する道具に使ったとか?」


 一人自問自答しながら悩んだ結果、何の手懸かりも掴めず、最後に中身を見ていなかった大きく細長い箱に目が留まる。

 箱には首飾り同様青い石が嵌め込まれ、その回りには美しい彫刻が施されていた。


「この箱・・・各国にある聖剣の箱に似てるけどまさかね・・・・・・」


 そんな大切なものが無造作にこんな場所に保管されている訳がないと、伯爵は箱に手を掛け中身を確認しようとしたその時だった。

 サロンで別れたはずのルイが背後から現れ開きかけていた箱を伯爵の手から勢いよく奪った。


「えっ、ルイ!?」


「突然手荒な事をしてしまい申し訳ありません。言い忘れていた事を思い出したのですが、この部屋にある物に関しては、どうか今は何も聞かないで下さい・・・お願いします」


「それは別に構わないし、その箱の中身はまだ見ていないから安心して」


「お気遣い感謝します・・・食事の用意が出来ましたのでお越し下さい」


 ルイは目を逸らさず何かを訴えるような眼差しで伯爵を見つめ、聞きたかった答えは聞けなかったが言葉とは裏腹に一枚の手紙をそっと差し出してきた。


『ん?・・・手紙?それじゃあこの箱の中身はやっぱり?』


 伯爵は手紙を受け取りつつなに食わぬ顔で交互にルイの顔と箱を見てにこりと笑顔を向け答えた。


「ありがとう、すぐに行くからマナに先に食べるよう言っといてくれる?」


 伯爵の指示にルイは小さく頷き軽く会釈をするとそのまま食堂へと向かっていった。

 その事を確認するや否や伯爵は渡された手紙の封を開け中身を見ると、中には古びた鍵とそれに関するであろう封書が数枚入っていた。

 伯爵は手紙の内容までは確認せず懐にそっとしまうと周囲に置かれている様々な大きさの箱を見つめ肩を落とした――――――。


『マナは人形師、ルイは執事に成り済ました誰かで・・・第三者である謎の人物もこの部屋やドールと深く関わりのある重要な人物・・・てとこかな?』


 この場を後にし小さく見えているルイの背中を伯爵は目で追いながら、渡された手紙をどうするかと暫くの間悩んだがそっと懐に入れるとマナの居る食堂へと向かった。

 食堂へ入ると、何故かマナの姿は無く食事も一人分しか用意されていなかった。


「あれ、マナは?」


「お嬢様は要らないと・・・」


「具合でも悪いの?この後話す約束してるんだけどな・・・・・・」


「お約束は守りますよ」


「具合はいいの?別に焦ってないから無理しなくて大丈夫だけど」


 背後から唐突に現れたマナに驚くこともなく、伯爵もマナの方へ振り返り答えると、予想していた反応と違っていたのか彼女は少し驚いたような表情を見せたがすぐに首を横に振り美しく笑みを浮かべる。


「平気です。ただ食べたくないだけですから、私は作業場に居るので食べ終えたらいつでもどうぞ」


 相変わらず人形の様なマナは坦々と話し終えるとそのまま踵を返し去っていった。


「・・・僕だけかな?何だか嫌味のように聞こえるんだけど」


「・・・・・・申し訳ありません」


 テーブルの傍に立っていたルイに伯爵はそう話し掛けると、けして彼が悪い訳ではないのだが一言そう呟いた。

 そんな彼を見て初めて寡黙な彼から人間味を感じた伯爵はおかしな感情だと思わず笑ってしまった――――――。

 簡単に食事を済ませると、ルイに後でお茶を作業場に持って来るよう頼み先に伯爵は自室へと戻ると長椅子に勢いよく腰掛け一息つくと独り嘆いた。


「・・・先に謝罪されると嫌な予感しかしないな」


 懐に閉まっていた手紙を取り出し伯爵は国宝等の情報について一度宮殿へ戻って報告すべきか、謎の執事や人形と第三者の存在の事についてどう対処すべきかと悩み続けている。

 ドールの事については詳しく聞けそうだが、肝心な【Secretdoll】については全く分かっていない。

 このままでは本当に人形好きの金持ちが人形のような容姿をした主ごと手に入れようとやって来た変態になりかねない。

 だからと言って否定するつもりは端から無いが、出来れば真っ当に彼女と関係を気付きたいため、その為にも今はまず多くの情報を集める事が先決だと伯爵は立ち上がりマナの居る作業場を足早に目指した。


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