ルーという娘①
朝日が眩しいほど輝きを放っている。基地へと登営する準備をしていたアサギを、待ち受けていたのは見慣れた少女の姿だった。
彼女は案の定、「ルー、ルー」と嬉しそうな声を上げる。
アサギは玄関の前で、目の前が暗くなっていくような絶望感に苛まれた。少女の方はご機嫌な様子で左右に体を揺している。
すぐに保護施設員のメアリに連絡を入れると、ルーが輸送時に脱走し、捜索していた所だったという。
しかも、最悪なことに今すぐに迎えに行く事はできないらしい。仕方が無く、後日にアサギが直接施設へ連れて行く約束で決着が付いた。
こうしてルーと共に基地へ向かう事になってしまったのだ。
移動手段はモノレールを利用した。物珍しさからか、窓に張り付く少女と同じ様に流れる景色を眺めているとそれは海を渡って滑るように進んで行く。
しばらく乗車していると、先の尖った形の白いモニュメントが見えてきた。それは行政機関の集まるリブラ地区の中心にあり、特徴とも言える建築物だ。
ターミナルへ到着すると移動手段を変える。それはモニュメントの立つ場所から基地までを往復しているシャトルバスだ。
ルーは移動ばかりで緊張しているのか、縮こまって座席に腰掛けている。彼女の様子を窺いつつ到着を待った。
基地へ辿り着くまでに随分と時間がかかってしまった。アサギは滑り込むように執務室へと足を踏み入れる。
室内では、青年が準備運動のように体を伸ばしていた。
「あっ、隊長。おはようございます!」
「よう、ハル。お前はいつも元気だな」
「はい、元気です! ってあれ、その子は確か……」
「そう、あのスローターだ。どうも施設から脱走してくる」
少女が楽しそうに両手を動かしている様を見て、青年は「それは災難でしたね」と苦笑する。
そこで高い機械音と共に扉が開いてタイランが入って来た。彼はルーを見つけるとすぐ様、腰元に下げていた単剣に手をかける。
「――惨殺人ッ!」
「タイラン、落ち着け。これはスローターだが、危険はない」
「……これ、アサギ隊長、無事?」
「大丈夫だ。こいつの名前はルー、一時的に預かっているだけだからな」
「納得しました。承諾です、保護」
タイランは頷く。全員が揃ったところで、朝のミーティングを行うことにした。本部から入ってくる任務をタブレット端末で確認して、ハルが明るい声を上げる。
「おおっ、今日は外回りですか。いつも事務作業ばっかりなので、体が動かせそうで嬉しいです」
「ああ。今、出動できるのはニ班だけだからな。一番隊が基地の警備、俺たちが近隣の巡回だ」
「それって。もしかしてうちの隊は信用されてないってことですか?」
「いや。あっちは古参の大隊だからな。再襲撃に備えて基地へ残るのは当然だろう。しかし、こいつをどうしたもんか。ここに閉じこめとくのもな」
「隊長、別の隊員に預けるのはどうでしょうか?」
ハルの提案に、アサギは「それはそれで心配だが」と思った。
「うーむ。一番隊以外で信用できそうなのはケヴィンぐらいか……。ジルの奴は確か休暇中だったな?」
「はい、しばらく休みを取っているようです」
「そうか。ならば、ケヴィンに相談しよう」
ケヴィンは二番隊の隊長をしている男である。穏やかな性格の彼は、アサギにとっても信頼の置ける同僚といえた。
アサギは通信機の電源を入れ、二番隊の執務室へ連絡を入れる。
『――はい。SS、二号執務室。こちらはケヴィンです。どうぞ』
「こちらは三番隊のアサギだ。ケヴィン、元気か。怪我の具合はどうだ?」
『ああ、元気だよ。足を痛めたから、しばらくは動き回れそうにない。部屋に缶詰状態さ』
「そうか。その、色々と大変だったらしいな。大丈夫か?」
『……大丈夫だよ。心配してくれて有り難う。それで、何の用かな?』
「実は相談があるんだが。一日だけスローターの様子を見ていて貰えないか」
『スローターの様子をかい?』
「事情があって、預かっている娘なんだが。ちょっと幼すぎる。心配だから監視していてほしいんだ。今日は外回りで帰りは遅くなるが、頼めないだろうか」
『こちらに連れてきてくれるなら構わないよ。拘束具が必要ならついでに持ってきてくれると助かるけど』
「いや、危険はない。ただ飯を食わせないと暴れるので、それも頼みたい」
『はははっ、それじゃあ、動物の世話みたいだね。分かった、名前は?』
「ルーだ。今から連れて行くのでよろしく頼む」
最後にケヴィンの『了解』という返事で通信は終わった。
******
巡回任務は滞りなく進み、夕日が傾くより早く基地へと帰還することができた。
アサギは部下たち執務室へ残して、少女を迎えに行く。二番隊の執務室の扉に付いた呼び出しベルを鳴らした。
扉が開くとそこに、髪を後ろに撫でつけた長身の男が立っている。
「やぁ、アサギ。お疲れさま」
「ケヴィン、面倒をかけたな」
「いいや、構わないさ。彼女は遊び疲れて眠っているよ。どうぞ」
室内へ入ると、ボックスソファで少女が寝ていた。彼女の体には毛布がかけてある。
「ずっと大人しくしていたからね」
その言葉にアサギは胸を撫で下ろす。ケヴィンは怪我した足を庇いながら歩行して、何枚かの紙を持ってきた。
「僕は業務があったから、絵を描かせていたんだ。よかったらどうぞ」
「絵を?」
今まで何かを描かせようなどとは思いつきもしなかった。
ケヴィンはアサギと同世代だが、結婚して娘がいると聞いていた。さすがに親というものは違う観点で子供を見るものだと感心する。
ケヴィンは柔和に笑む。
「本当は色のついた筆記具があれば良かったんだけど、鉛筆しかなくてね。紙は真っ黒さ。でも」
「なんだよ?」
「これは全部、傑作品だよ。何を描いたのか尋ねると、彼女は言うんだ」
「なんだって?」
「『あしゃぎ』だってさ」
「これが俺なのか」
黒丸でぐちゃぐちゃと書き殴られたそれは到底、人の形には見えない。
「子供の絵なんてそんなものさ。彼女はずっと真剣に君を描き続けていたよ。アサギ、君はすいぶん懐かれているんだな」
懐かれているという言葉にアサギは疑問を抱いた。内心で「そうでもない」と答えていると、ケヴィンが話を続ける。
「一時的に預かっているんだったね。最終的には保護施設かい?」
「その予定だが」
「……彼女は誰かに危害を加えるような子じゃないと感じたけどね」
彼はどこか遠い目をしながら言う。
「施設に隔離するばかりが最善とは思えない。ああ、これは僕の個人的な考えだから、君は気にしないでくれよ」
「ああ、分かった」
男はもう一度、紙に視線を落とした。そこには真っ黒に書き殴られた『アサギ』の姿がある。
「さて、お休みのところで可哀想だが、彼女を起こそう。僕も早めに帰宅したい」
「ああ、本当に世話をかけた。ありがとう」
寝起きで不機嫌そうなルーを連れて、アサギは執務室を後にした。移動する前に、背後の少女へと体を向ける。「お前さ」と、話しかけるとルーは大きな欠伸をしながら首を傾げた。
「なかなかの画伯だな」
「うぇ?」
「絵が上手いってこったよ」
「ふぇ?」
「(ケヴィンはどうやって会話してたんだ……)」
どうやら、気持ちが伝わらないのでそっと頭に触れた。ルーは撫でられると気持ちが良さそうに目を細めた。