運命からは逃れられない②
暗闇に街灯の明かりだけが輝いている。深夜近くになってようやくアパートへ帰宅できた。
アサギは、洋間で携帯電話に未登録の着信履歴が残っていることに気が付いた。すぐにかけ直したが留守番電話になっている。
ズボンのポケットへ携帯を仕舞い込んだ矢先、玄関の扉がドンドンと大きな音を立てた。
「なんだ。こんな時間に」
男が扉を開けると、すぐに何かが飛びついてきた。アサギは体制を崩して、床に尻餅を付く。
水分で湿った黒髪の少女が、腹部にしがみついていた。
その赤い瞳に見つめられて、アサギは彼女が何者であるか気づく。
「ルー……」
「うぉーっ、あしゃぎぃ!」
彼女は興奮気味にそう叫んだ。
続けて「ルー、ルー、ルー」と腕を上下に振る。
「なんでお前が居るんだ。
施設に行ったはずじゃ」
少女が顔に頬ずりしてくるのでやめさせてからもう一度、問いかける。
「ルー、どうしてここにいるんだ」
「おぉ」
彼女はタタッと洋間へ向かっていく。その後を追うとキッチンだった。
ルーは冷蔵庫を開けて何かを探している。
ピーナッツバターの小瓶を見つけると嬉しそうに微笑んだ。
彼女はそれを「開けろ」と催促する。
蓋を開けて渡すとベロベロと舐め始めた。
「お前、施設から脱走してきたんじゃないだろうな」
ルーは「んっ」と短く返事らしきものをして、中身を舐め続けている。アサギは弱々しい声を漏らした。
「……冗談じゃねぇ」
「うまぁーっ」
彼女が歓喜の声を上げたところで、アサギの携帯電話が鳴る。それは先ほどかけ直した未登録の電話番号であった。
「はい、アサギ・フェイサー」
「夜分に申し訳ございません。私、施設クロノスのメアリ・アダムズで御座います」
何かあった時は本部へ連絡して欲しいといったはずだと男は不満に思った。しかし、彼女が何を目的に電話をしてきたかは想像できる。
「スローターの件ですか」
「はい。チルドレン、そうです。実は彼女が見ていない間に施設から出て行方不明でして」
「ああ。彼女はたった今、捕獲しました」
ルーの腕を掴んでソファへと向かう。スピーカーの向こう側からほっとしたような息が聞こえた。
「お手数をおかけして申し訳ございません。こちらの不徳の致すところです。すぐにお迎えに参ります」
「分かりました」
一時間後に彼女と会う約束を取り付けると、アサギは乱暴に携帯の電源を切った。
そして「今日の業務は終了しました」と脳内でアナウンスする。いわゆる現実逃避というやつだ。
「あしゃぎ」
袖を引かれたので彼女を見ると、空の瓶を振って不満そうにしていた。
「ないっない」
「もうねぇよ」
「――ないっ、ないっんがぁーっ!!」
「バカ、静かにしろっ」
頭を小突くとルーはそれを抱える。「いや、そうしたいのはこっちの方だ」と男は肩を落とした。
約束した時間ちょうどにメアリは大きめの護送車でやってきた。
今回は運転手の他に黒ずくめの男が二人付いていた。彼らは嫌がるルーを羽交い締めにしながら車に押し込んでいる。
メアリが男に対して深々と頭を下げた。
「お手数をおかけ致して申し訳ありませんでした」
そんな彼女にアサギは少しばかり嫌みを言ってやりたくなった。
「そちらさんは、どうも保護したスローターを逃がすような警備体制のようですね」
「誠に申し訳ありませんでした。こちらが保護施設の選択を見誤った結果です」
「……自分は施設に関して詳しくはないですけど。そんなに種類があるもんですか」
「はい、保護施設には隔離レベルが設けられております。施設内を自由に散策できるような開放的なものから、個室で管理される閉鎖的なものまでさまざまなのです。そして、我々クロノスが保護したチルドレンを選別する窓口の役割を担っております」
「じゃあ、あいつは?」
「クロノスでは、彼女の隔離レベルは弱と判断し、近世代の多くいる施設への入所を決定したのですが」
「逃げ出すのでは話にならないですよ」
「はい、こちらとしても誠に遺憾でございます。これからは隔離レベルを上げるように致しますので、どうかご容赦ください」
そこで男は隔離レベルとやらが上がったらルーはどうなるのかと疑問に思った。
「そのレベルって、上がるとどうなるんですか」
「そうですね。彼女の場合ですと警備が厳重な施設か、個室に入れるほかないでしょう」
「つまり軟禁状態ってことか」
アサギが独り言のように呟くと、彼女は大きく頷いた。
「そうですね。私としては、彼女に融通の利く施設で自由な暮らしをして頂きたかったのですが。こうなってしまっては仕方がありません」
それを聞いたアサギは護送車を見た。その窓にルーが眉を下げながら張り付いている。
男が黙っていると、メアリが再び頭を下げた。
「それでは、この辺りで失礼いたします。今後はこのような事がないように努めさせて頂きます」
車が闇夜に消えていく。その様を見ていたアサギは複雑な思いを抱いた。