運命からは逃れられない①
少女を施設へ送ってから三日が経っていた。その日の天上は機嫌が悪いらしく、朝から激しい雨が降ったりやんだりを繰り返している。
緊急時以外での外任務や、訓練には参加できそうにない。アサギは事務処理をするため、執務室にある大型液晶のパソコンに向かっていた。
男はどうも最新機器が苦手で、近くの棚の書類整理をしていた青年に声をかけてばかりだ。
「あ、ハル。これはどうやって調べるんだけっか」
「またですかー、隊長ってばこれで三回目ですよ。はい、これで検索してください」
「悪いな、さっきから」
「別にいいですよ。あ、そういえば。タイランさんって今日、帰って来るんですよね?」
ハルの言った『タイランさん』とは、他国基地からアサギの部隊へ配属されてきた新入隊員である。
額から顎にかけて一本傷があるその男はまだこちらの環境に慣れていないために、合宿型の軍事演習に参加している。
アサギはパソコンの画面に浮かんだ時刻を確認して声を上げた。
「もう十時か。帰還は九時半の予定だったはずだが……遅いな」
「この天候ですから、きっと遅れているんですよ。僕だったら豪雨で外へは出たくないなぁ」
そんな呟きに混ざって、室内へ警報音が鳴り響いた。続いて緊急時の放送が流れる。
――SS各個隊へ、緊急放送。施設内へ、スローターと思われる侵入者あり――。
二人が顔を見合わせると、設置してあった古い通信機が点滅をする。アサギは急いで通信用のマイクを手に取った。
「はい。こちら、三番隊のアサギ」
スピーカーから雑音の混じった男の声が聞こえてくる。
『通信部より。至急、出動は可能か』
ハルを見ると彼はすでに武装して待機していた。それを確認するとアサギは戦闘用ベストを着用しながら「可能だ」と答える。
『一番隊不在につき、二番隊と四番隊が正面側へ向かった。三番隊は裏側の警戒へ当たれ。別動隊も向かわせる』
「了解」
男は曲剣を腰元へ差すと、ハルが持ってきていた銃器を背負った。
二人が裏口へ辿り着いた時には、扉は無惨にも破壊されていた。
管理室の壁は緋色に染め上げられ、室内には死体と思われる職員たちが無惨な姿を晒している。
ホールの床に座り込んでいたのは、フリルのワンピースを着た幼い子供だった。
アサギはその側に倒れ込んでいる女の姿に目を見開く。
「――ケイティ!」
その名を叫ぶと床に伏せた彼女の指がピクリと反応を見せる。子供が二つに縛ったスカイブルーの髪を揺らした。
「わ~い、新しいおもちゃきた~!」
ハルが一歩前に出た。手にした短機関銃を構える。
子供は無邪気な顔で言う。
「お兄ちゃんたち、『セレナ』とあそんでくれるの?」
子供、セレナは武器を手にした。それは彼女の小さな姿とは対照的な、蛇の様にうねった形状の長剣である。
「――負傷者の救助を優先する。ハル、後方支援頼む!」
アサギが曲剣を引き抜いて走り出すと、セレナもまっすぐに突撃してきた。
刃を横に薙ぐと彼女は飛び上がった。小回りの利く体で天井に手を付き、跳躍すると男の背後に回り込む。
そこでハルの銃器が唸りを上げた。セレナが攻撃を回避する度、コンクリートに弾痕が残される。
アサギはその隙にケイティを抱き起こした。彼女の体には切り傷が複数箇所に渡っている。顔の生気は薄いがまだ息はあった。
「しっかりしろ」
彼女を安全な場所へ避難させるべく、その身を抱え上げる。空薬莢の散らばる音に混じり「隊長、行ってください」という声が響いた。
アサギは迷わず、霧のような小雨の最中へと飛び出した。
しかし、セレナが男の逃避を許さない。
ハルの弾薬が切れた瞬間を狙って外へと駆け出し、男の背へと飛びかかる。
「にがさないよっ」という幼声に混ざって、キンッと金属を弾く音が木霊した。
剣撃を防いだのは、黒づくめの男が持つ単剣である。
かの男の後ろには、銃器を持つ二人の隊員が控えていた。
セレナが素早く後退してから、プーっと頬を膨らませている。
そのタイミングで、大きな爆発音が響きわたった。
外門の方で消炎が上がっている。
「合図だ。セレナ、もういかなきゃ」
彼女は野外を目指そうと外壁へ顔を向けた。しかし、子供の背丈を優に越える壁をよじ登れるとは到底思えない。
アサギの「逃がすな」という一声で、黒づくめの男を筆頭に二人の隊員たちが彼女を取り囲んだ。
「もう、まだあそびたりないの? しょうがないお兄ちゃんたちだねっ」
彼女は眉を八の字にしてから、単剣の男へ特攻する。その強撃を受けきれずに彼は弾き飛ばされた。
セレナは残りの隊員たちを切り刻みながら笑う。
「きゃあっ~、たのしいっ!」
弾倉を入れ替えたハルが銃の連射を再開する。負傷者を地面へ寝かせたアサギは、担いでいた散弾銃を構えた。
重い射撃音が轟く。強烈な威力の散弾を避けきれず、セレナの腕は剣を握ったままの形で吹き飛ばされた。
男は冷静に銃のハンドグリップを前後に往復させた。弾を再装填させると、迷わず彼女の足部へ二発目を放つ。
セレナの膝下が吹き飛ぶと、彼女は体制を崩して地面へ転がった。悲鳴を上げ、暴れながら鮮血をまき散らす。
「今だ、投薬しろっ!」
アサギは照準を合わせたまま、そう命じた。黒づくめの男が彼女を押さえ込み、ハルが注射筒を投与する。
すでに治癒を開始していた小さな体はその動きを停止させた。
別働隊が到着するとセレナは捕縛、連行されて行った。
外門の方も鎮圧は完了したと耳にしている。医療班が怪我人たちを運んで行く様を見届けながら、アサギは黒づくめの男へ声をかけた。
「無事か、タイラン」
それを聞いた男は深々と頭を下げる。そのままの体制で「すみません、でした、アサギ隊長」とたどたどしい声を上げた。
「なんだ」
「装備が……。武器、不十分でした、私」
「ああ、そうだ。帰還直後に駆けつけたにしても剣一本というのは判断ミスだったな。いつもの銃はどうした」
「は、破損? ……や、故障です」
「そうか。武器の点検は怠るな」
「あい。気を使います、以後」
「タイラン、そういう場合は『気を付ける』と言う」
「気を付け、ます」
タイランはこちらの言葉が上手く話せない。母国語であればまだ話ができるそうだが、アサギには分からないのでなかなか難儀をしている。
雨足が強まってきたので、二人で正面の方へ回り込んだ。
そこで初めて被害の状況が確認できた。地面には複数のクレーター痕、外門は破壊されてしまっている。隊員たちが忙しく駆け回る間を縫って施設内へ入った。
玄関ホールではハルと髭面の男が立ち話をしていた。男の方がアサギたちに気づいて手を振る。
「よう、アサギ。そっちの状況はどうだ?」
「ああ、ジル。こちらは死傷者が出た。ケイティも重傷だ」
ジルは四番隊の隊長で、女性がらみの問題が多いという色男だ。彼は顎髭を撫でながら言う。
「ケイティ? ああ、キャサリンか。そういや、そんな売女がソワレ通りにいたような気がするな」
「こんな時に何を言っているんだ」
「そんな怖い顔するな、ジョークだよ。ジョーク」
怒りを露わにするアサギを見て、ジルはフンと息を漏らす。
「それよりも正面を見たか、酷い有様だろ? うちも若いのがやられた。
死にはしなかったが、しばらくは不自由な生活だな。そういう訳で四番隊は、しばらく出動できないぜ」
「そうか。他の負傷者は?」
「ああ、二番隊で生存したのはケヴィンだけだ。あいつもしぶとい野郎だぜ、ハハッ、さすがは俺の盟友だけはあるな」
「……そんなに被害が出たのか」
「しかし、奴らも知恵が付いたもんだ。まさか爆撃で来るとはな。次は用心しねぇと、俺は黒こげにはなりたくねぇ」
「そっちのスローターはどうしたんだ」
「捕まえられたのは一匹だけだったが、ありったけのシリンダーぶち込んでやったぜ。
部下の敵を討つのはリーダーの役目ってな」
ジルは「当然だろ?」と肩をすくめる。そんな彼の様子を見たアサギは複雑な心境だった。
視線を逸らすと、ジルにその動揺を悟られてしまう。
「アサギよ。そっちはどうも討ち漏らしたらしいじゃねぇか。相変わらず、お前は甘い奴だ」
それを聞いてハルが表情を強ばらせた。
「捕虜から情報を聞き出すというのは、当然の判断です」
「ハッ、お前らは玉無し野郎なのか? いつから三番隊はひ弱なカマの巣になっちまったんだよ」
「ジル。悪いが、用がないならもう行ってくれ」
「そんなに怒るなっての。さて俺はしばらくフリーだし、避暑地で休暇とたれ込むかな」
そう言ってジルは場を後にした。彼の姿が消えた後、今度はアサギが肩をすくめる。
「いけ好かん奴だ」
「本当にそうですね。僕は四番隊が苦手です。嫌みな奴らばっかりで。タイランさんもそう思いますよね?」
「あの人、分からない意味。言葉が、高速で」
「あはは。早口で、くだらないことばっかり話すんですよ。タイランさんは聞かなくて正解です」
「ハル、その辺にしとけ。……まぁ、タイラン良かったな」
アサギの言葉に対してハルは「ですねっ」と嬉しそうな声を上げた。
タイランはよく分かっていないのか微妙な表情を浮かべていた。