表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/34

Call for help②


 玄関のチャイムが鳴ると、男は目でリタに行けと合図する。彼女は短く息をつくと、玄関へと向かった。「いらっしゃーい」というリタの声が響く。


 さらさらとした栗毛を揺らす男が、眼鏡を怪しく光らせながら現れた。アサギは何事もなかったような態度でソファへ座ると口を開く。


「マツバ、どうした。珍しいな」


「あなたに会いにわざわざ足を運んだ訳ではありません。勘違いはしないでください。アサギ()()


「お、おう」


 マツバはアサギに対して他人行儀な態度である。それは昔からという訳ではなく、まだ若い頃は「兄さん、兄さん」と慕ってくれていた。

 男が長い息をはくと、リタが台所から飲み物を運んできた。


「コーヒー入れたから、皆でゆっくりしようよ。は~い、ダーリンはミルクとお砂糖が多めね」


「ここは俺の家なんだが……」


「まぁまぁ、兄弟なのにほとんど生き別れ状態なんだし。久々に再会したんだから二人とも嬉しそうして」


 リタは婚約者の珈琲カップをかき混ぜながら微笑む。


 マツバが、ソファと反対側に置いてあった丸椅子に腰を下ろすと、洋間は冷戦時のような冷ややかな緊張に包まれる。しばらく無言の時が流れた。


 その静寂を破ったのは、室内へ響きわる「うおぉーっ」という絶叫だった。


 興奮した様子のルーがソファの隣に出現している。


「――おまえはああっ」


 そんな雄叫びを上げた男は、少女を抱え上げて素早く寝室に投げ込んだ。扉を閉めてから背で体重をかけて開かないようにする。


 向こう側からドンドンとそれを叩く音がする最中で、マツバが怖い顔を向けてきた。


「今の彼女は、どちら様ですか?」


「い、いやっ」


 アサギは必死に扉を押さえるが、押す力が強すぎて耐えられない。彼女の登場を容認せざるを得なかった。

 少女は扉から飛び出て、床に手を付きながら疲弊する男を大きな瞳で見つめる。


 その何かを訴えるような眼光に、アサギは「なんだよ」と問いかけた。


「――たらふくぅ!」


 少女はペロペロと舌なめずりをしながらそう答える。先ほどの言葉通り、彼女は部屋の中で少しの間だけ大人しくしていたようだ。


 それを悟ったアサギはさらに落ち込んで頭を下げた。


「兄さん、もう諦めなよ。折角だからマツバさんにも紹介したら?」


 落ち込んでもいられない。まだ少女がスローターだとは感づかれていないのだから、その方が誤魔化しが効くのではないかと気を強く持った。


「マツバ、紹介するよ。彼女はルー。友人の娘さんだ。今、一時的に預かっていてな」


 そう口からでたらめを言うと、マツバは椅子から立ち上った。しかし、黙っていればいいものをリタが余計な発言をする。


「そうだ、マツバさん。ルーちゃんを診察してあげて。彼女、さっきアロエベラの食べ過ぎで倒れていたの」


 マツバも可愛い婚約者の言葉には逆らえないのか、無言で立ち止まってからルーの方を見る。


「いいでしょう。お嬢さん、こちらへ来てください」


 彼はそう言ってから再び丸椅子へ腰掛け、少女を手招きした。

 これはもう最悪の状況である。後は彼女の正体が暴かれないようにとアサギは祈るしかなかった。



 リタと一緒に手遊びをしているルーを神妙な表情で眺めていたマツバが言う。


「アサギさん、彼女には()()退()()の症状が見られますが、どういうことでしょうか」


 強い口調で問いつめられて、男は額に冷や汗を浮かべる。どう言い訳をしようかと思考を巡らせていると、彼は眼鏡の奥の瞳を閉じた。


「口にできない事情も世の中にはありますね。まぁ、あなたはどうしようもない人間で()()()()もありますから、何かしらの理由があるのでしょう」


 さらっと罵ってくる弟に対してアサギは傷心したが、何とか彼なりに納得してくれたようで助かった。


 男が安堵したのも束の間である。マツバは意外な発言を始めた。


「僕が微力ながら協力しましょう。ルーさんの症状は放って置いていいものではありません」


「いや、あのな」


「彼女には専門的な治療とアドバイスが必要と判断します。アサギさんのことですから、詳しいことは何も調べていないのでは」


「だから、それは」


「……はぁ、いつもあなたはいつもそうですね。一人で抱え込もうとするから」


 そう言って視線を逸らすマツバを見て、男は「自分が本当に敬遠されているのかどうか」が、分からなくなってしまった。


「それとも、僕では信用に値しないとでも?」


「じゃあ、お願いするよ」


 アサギは誘導尋問かよと思いながらも、結局は根気負けしてそう答えてしまった。うなだれる男を後目にマツバは立ち上がる。


「では、また資料などを用意しておきます。後日、連絡しますので。リタ、帰りますよ」


「はーい。じゃあ兄さん、ルーちゃんもまたね」


 リタがマツバの後を追って玄関へ向かうのを眺めながら、男は頭を抱える。


 アサギがそうして、こめかみを押さえていると少女が、そーっとやってきて袖を引いた。心配そうな表情で首を傾げる彼女に言う。


「別に痛む訳じゃねぇよ。人生って思ったように上手く進まないって、嘆いているだけだ」


「うぇ?」


「全部お前のせいだからな」


「おーおぅ」


「てめぇ、バカにしてんのか!」


「んんっ?」


「……はぁ、もういい」


 難しい事はどうせ伝わらないとアサギは諦めた。ルーは口を開けて、腹部を撫でながら食事の催促をする。


「ああ、そういや。食わせる約束だったな」


 それを聞いた少女は鼻息を荒くさせた。


 男は「先に部屋を片づけさせてくれ」と呟きながら、めちゃくちゃになっていた洋間の掃除を始めたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ