*7 冬の奇跡
それは雪の降る寒い日。午前中の忙しない時間のことである。
キッチンで朝食の片づけをしていたアサギに、テレビの報道番組を見ていたルーインが問いかけた。
「アサギ、『くりすます』とはなんだ」
「え、クリスマスか? 祝いごとの名称だな」
「それは何を祝うんだ」
「国によって違うらしいが、神の誕生祭だ。簡単に言えばイベントか」
「ほぉ、それは何のイベントだ?」
洗い物を終えたアサギはソファの方へと移動して、テレビの前で座っていた彼女に声をかけた。
「ああ、良い子にはサンタクロースからプレゼントが貰えるぞ」
「そうなのか、私は貰ったことがないが」
「ははっ、お前は冬はどこで何してたんだよ」
「真冬というものはとても寒いだろう。朽ちた民家の下で毛布にくるまって凍えながら過ごすのだ」
「……なんだと」
それは衝撃の事実だ。あまりにも可哀想で、アサギは思わず目を覆う。
「じゃあ、今年はサンタクロースが来るかもな」
「なぜだ。これまでとの違いは何だというんだ」
「そうだな。ちゃんと住んでる家があるだろ。うちに煙突はないが、夜にはちゃんと窓から入ってきてくれるぞ」
「んー、それは不法侵入ではないのか。――そうか、『さんた・くろーす』というものは犯罪者で寝込みを襲いに来るのだな!」
「いや、違……」
「安心しろ、アサギ。甘い顔した不審者は私が一掃してやるぞ。はっはっはー」
任せておけと言わんばかりに胸を反らした少女を見て、男は「本物のサンタさんはどうか、我が家には来ませんように」と祈った。
それは午後のまったりとした時間だった。「アサギ、クリスマスが何か分かったぞ」というルーインの一言から始まる。
彼女は男の携帯電話を手にしていた。アサギは読んでいた新聞紙を折り畳む。
「なんだって?」
「クリスマスというものは、どうやら親にとっては非常に辛い行事らしいな。『苦シミマス』という造語まであるというではないか」
少女はインターネットでいらない情報にたどり着いてしまったようだ。アサギが頭を掻くと、ルーインは誇らしげに言った。
「安心しろ、アサギ。私が苦しみなどサンタごと消し去ってやるわ!」
「それは、ありがとうな。でもサンタを傷つけるなよ」
「どうしてだ?」
「ああ、実はな。奴は途轍もない凄腕の格闘家で、クリスティーナ同様に魔法使いだと噂だ。とてもじゃないが、適う相手じゃないんだぞ」
アサギがそんな冗談を言うと、少女は「そうだったのか!?」と目を見開いた。男は吹き出しそうになるのを、すんでのところで堪える。
「だからルーインは大人しく寝てろ。朝になったら全て終わっているから」
「……お前一人では心配だ」
「大丈夫だって、だから当日は早めに休むんだぞ」
「うむ、分かった。そうしよう」
納得したかしていないのか少女は頷いた。
******
クリスマス当日となった。夕方に携帯電話が鳴ってメールが届いた。それはハルからだ。
内容は『今日は聖夜なのに、僕は一人ぼっちです。実は先ほどタイランさんに裏切られました。衝撃、なんと彼には、妻が……いたのです。あっ、隊長はルーインさんがいて良かったですね!!』というものだ。
これはずいぶんと恨み節が効いている。怖いのでそっとしておくことにした。
夕食に山盛りのフライドチキンやピザ、それに加えてホールのケーキ半分を平らげたルーインは、満足そうに就寝した。
アサギは計画がある。少女たちのためにこっそりとプレゼントを二つ分、用意しておいた。
おまけにサンタクロースのコスチュームと白いヒゲまで調達したので準備は万端である。脱衣所でそれに着替えて、足音を立てずに洋間へ向かう。
エアベッドの膨らみを確かめてから、彼女に近づく。しかし、毛布から出ていたのは、クマのぬいぐるみである『ベアちゃん』の頭だった。
「(――なにっ、ぬいぐるみだとっ!)」
そこで背後から強烈な殺気を感じる。同時に、後頭部へ攻撃を受けた。
男が叫んで頭を押さえていると、股間に衝撃を受けてしまう。
強烈な一撃にて完全なるノックアウト状態だ。床に転がって悶えていると、ルーインが不思議そうな声を上げた。
「ん、アサギなのか?」
「そ、そうだ……バカ、野郎。殺す、気か……」
「何を言っている。本気で殺らなければこちらがやられるんだぞ。貴様の格好は、なんだ。アサギは本物のサンタなのか?」
「そんな訳ぇだろ。――ほら、お前にプレゼントだぞ」
震える手で、アサギはプレゼント袋の片方を差し出す。少女は「ん?」と言ってからそれを受け取った。
「わ、私に? あっ、開けてもいいか?」
「おう」
「……ほう、これは」
少女はそれを手にして眉間に皺を寄せる。アサギは鼻を鳴らす。
「お前が言ってた『うしゃぎしゃーん』だぞ! いつぞやに欲しがってただろ、そのぬいぐるみ。ちなみにルーと色違いでお揃いだぞ」
「――いらんわッ!」
ルーインは白いウサギのぬいぐるみを床に投げつけた。それはボイーンと跳ねて暗夜へと姿を消す。
「なんだ。喜ぶと思ったのにな」
「貴様ッ、私は幼児ではないのだぞ!」
「あれ、そうだっけ?」
ルーインは「ギャオ」と雄叫びを上げながら再び襲いかかってくる。
そして。
次の朝には二人揃って大家に頭を下げるはめになったのだ。




