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Call for help①


 早朝、男が目覚めてソファから起きあがると、少女がフローリングの床に転がっていた。


「……これは、何がどうなった」


 周囲に目を配るとソファ脇に置いていたアロエベラの茎部分が全てむしられて無くなっている。無惨なにも芯は丸裸となり、鉢植えの土が床に散乱していた。

 少女が青ざめた表情で胃の辺りを押さえている姿を見る限りでは、観葉植物を誤食してしまったのだろうと予想できた。


「(こいつは幼児うんぬんの前に、ただのバカだ)」


 男はそう確信する。彼はため息をつきながら、二つ折りの携帯電話を取り出す。

 呼び出しのコールが何度か鳴ったが、相手方に切れてしまった。

 男は無言のまま再度、同じ番号へ電話をかける。今度は無事に相手が出てくれた。


 スピーカーの向こう側から女の声がする。


「おかけになった電話主は現在、絶賛睡眠したい症候群です。発信音の後にご用件をどうぞ。ぴー」


「すまんが、起きてくれないか」


「……何よ、こんな朝早くから」


「えっと、アロエベラって食い過ぎるとどうなるんだ?」


「えっ何、もう一回言って」


「いや、緊急事態だ。すぐに俺の家へ来て欲しい」


 男がそう言うと、電話のスピーカーから甲高い声が響く。


「いやぁ、やめてぇ、夜勤明けでちゃんと寝てないの。マジで勘弁して」


「あー、少女が観葉植物を食って倒れているから、助けてくれないか」


「……少女って女の子のことよね?」


 その当然な問いかけに男は「おう」と答えた。上擦ったような女の声が聞こえてくる。


「少女なんかが、なんでそこにいるのさ」


「ちょっとした事情で預かってる。いいから来てくれ、頼むよ」


 そこで女の声色が明るいものに変わった。


「あの堅物、アサギ・フェイサー殿もついに未成年に手を出して逮捕かっ」


「嬉しそうな声を出すな。いいから早く来い」


 男、アサギは少女の方へ目をやる。彼女は苦悶の状態でピクリとも動いていない。


「いいわ、行ってあげましょう。どんな痴女か見てみたいし」


「おいこら」


 そこで通話が終了した。男はこめかみを押さえながら、彼女の到着を待つ事にした。



 電話口の女は、すぐに男の自宅へ駆け着けてくれた。彼女は看護師をしている古い知り合いで、アサギの弟の婚約者でもあった。


 一つに束ねた金髪を揺らしながら現れた彼女は、少女の哀れな姿を見て残念そうな声を上げる。


「これは、援交とはほど遠い状況ですな」


「そんな事実はない。それはいいから早く見てやってくれ」


「ペットならともかく、少女が観葉植物を食べて倒れるなんて前代未聞だわ」


 そう言いながらも彼女は素早くゴム手袋を装着し、少女の上半身を起こしながら状態確認をしている。


「ちょっと、大丈夫? お嬢ちゃん。ねぇ、吐きそう?」


 最後の言葉に反応したのか、少女の体が痙攣する。男は嫌な予感がして壁際へと後ずさった。

 予想通り、少女は胃の内容物を吐き散らす。緑がかったそれは看護師の足下ぶちまけられた。

 しかし、彼女もプロだ。冷静に震える背を撫でている。


「観葉植物って、種類は何なの?」


「お前が昔、いらないからって寄越したアロエベラだ。かなり育ってデカくなってたはずだが」


「一応は食用だけど、皮まで食べるものじゃないわ。消化不良を起こしてるだろうから、マツバさんに連絡するね」


 マツバという名前を聞いて男は焦り始めた。


「ま、待ってくれ。それはまずい」


「どうしてよ。っていうか私じゃなくてまずは頼りになる弟様を呼んでちょうだいよ。彼はお医者なんだから」


「いいから、あいつに連絡するのはよしてくれ」


 アサギの弟、マツバは医師であるが、彼は融通の利かない真面目な気質である。正義感が強く、虐殺者(スローター)を嫌悪している為、アサギとは関わりたくないと公言していた。


 その経緯もあり、彼女には少女の正体を暴露するしかないと思われた。男は吐瀉物を布で拭き取って袋に詰めている看護師へ顔を向けた。


「すまない、リタ。こいつはスローターなんだ」


 男の言葉に彼女、リタは真顔である。いまいち理解していない様子なので、アサギは少女を指さしながらもう一度、伝える。


「それ、スローター、だぞ」


「まさか。そ、それって虐殺者のこと!?」


 さすがの彼女も驚いた様子を見せた。少女をそっと床へ寝かすと、カクカクとぎこちない動作で立ち上がる。


 少女がカッと瞼を開くと、硬直するリタが男に助けを求めた。


「た、助けって、兄さ……きゃあ!」


 不機嫌そうに眉を潜める少女が唸りながら起きあがるとリタは悲鳴を上げて、男の背後へ身を隠した。

 彼女は「いやぁ、死ぬぅ、まだ嫌よ、結婚して人妻やりたいのにぃ」と叫びながら背中を必死に押してくる。

 一方、顔色がすっかり良くなっている少女は首を傾げていた。


「おぅあっ?」


「いやぁっ、怖い。喋ってるぅ」


「いや、普通に喋るだろ。リタはスローターを何だと思ってんだよ」


「む、無差別な殺人鬼、かな?」


「まぁ、正解だが。こいつはおそらく近世代だから襲ってこないぞ」


「なにそれ?」


「ほら、最近ニュースでもやってるだろ。危険だって言われている世代でない、安全圏で育った奴らのことだよ。性格も幼くて従順らしいから当てはまるしな」


 鉢植えをゴロゴロと転がして遊ぶ少女を見て、リタはゴム手袋を外しながら困惑した声を上げる。


「忙しくて新聞も報道番組も滅多に見ないわよ。でも殺人鬼は殺人鬼なんでしょ。恐ろしいってば」


「そういってやるな。こんな幼稚な奴は本当に希だぞ。まぁ、保護施設からの脱走者って所か」


「ってか、この子はなんでここにいるの?」


「一時的に預かってるんだ。あっ、脱走者ならリストが必要か」


 アサギは携帯電話を取り出して、部下の男にメールを打つ。内容は、「保護施設から捜索願の出ているスローターのリストが欲しい」というものだ。


 リタはニコニコと笑っている少女を観察している。


「ふーん、普通に可愛いね。名前はなんて言うの?」


「知らん」


「えー」


「気になるなら聞けばいいだろ」


「そうね。お嬢さんのお名前は?」


 そう問いかけるが、少女は目を瞬かせただけである。

 リタは少し考える素振りをしてから、自分を指さして「リタ」、その後に少女を指して「あなたの、名前は?」と言う。


 それに対して少女は両手を上げ、「ルー、ルー」と何度も声を上げた。リタは悩ましげな顔でアサギの方へ向き直る。


「これは、ルーちゃんでいいの?」


「いや、俺に聞くなよ」


 少女はリタを指さして「りひゃー」と声を上げる。それを聞いた彼女は笑う。


「おしい、リタでしたっ」


 愉快に笑い合った彼女たちは早くも打ち解け始めている。そのタイミングでアサギの携帯電話が喧しい音をたてた。


 画面に表記された発信者は『弟』となっている。滅多な事では連絡をしてこない者の着信に緊張しつつ通話ボタンを押すと、スピーカーからはいかにも不機嫌そうな低い声が聞こえてきた。


「もしもし、僕ですが」


「ああ、俺だ」


 それはなんとも言えない兄弟間のギクシャクとした挨拶だった。アサギは続ける。


「珍しいな、何か用か」


「リタと連絡が取れないのですが、そちらに伺っていませんか」


「ああ、来てる。リタ」


 携帯電話を渡すと彼女はそれを耳に当てた。そして「ダーリン」という、アサギが聞いた事もないような甘えた声を発する。しばらくして何やら話し込んでいたリタは通話を終えた。


「マツバさん、ここに来るって」


 アサギはその言葉にギョッとして両手をワナワナと動かす妙な動きをしてしまった。


「な、なんでそんなことになるんだよ。お前の迎えだけか? まさか、入って来ないないだろ?」


「私に聞かないでよ。だって近所にいるからってさぁ」


「こいつが居るんだぞ。こいつは、スローターなんだぞ。どうするんだ。って、もう近くにいるのかっ」


 取り乱しながら少女を何度も指すと、彼女は「ルー、ルー」と嬉しそうに跳ね回った。


「とりあえず、こいつは寝室に隔離する」


 アサギは彼女の腕を引っ張ると部屋へ放り込んだ。首を傾げる少女に向かって言う。


「お前、おまっ……ルー、いいか。お前は、ここに居ろ。出てくるなよ、絶対だぞ」


「うぇ?」


「少しの間おとなしくしてたら、後で美味しい物をたらふく食わせてやる」


 その言葉に、少女は目を輝かせながら何度も頷いた。リタが顔をひきつらせる。


「なんか兄さん、誘拐犯みたい」


「うるせぇ、こっちは死活問題だ。あいつにバレてみろ、罵倒だけじゃすまんぞ」


 そこで再び着信音が鳴る。アサギが扉を閉めつつ画面を確認すると、『ハル・ヤマモト』と表記されている。しかし、男は「それどころじゃねぇ」と携帯電話の電源を落とした。

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