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*1 幸運の兆し

※後日談として書いた短い閑話集です。*1から時が流れていきますので上からお読み頂くのを推奨します。


 三番隊(サード)の執務室には赤子の「ぎゃあぎゃあ」という泣き声が響いている。まるで天使のような可愛いらしい男児を、アサギが抱っこヒモで腹部に抱えていた。


「おーよしよし、泣くな泣くな」


 そう言ってあやしていると、パソコンに向かっていたハルが溌剌(はつらつ)とした声を上げる。


「隊長も大変ですねぇ」


「お前、人事だと思ってるだろう」


「ええ、思ってますよ。子育て頑張ってくださいね。パパ」


「おいこら、誤解を招く言い方をするな。言っておくが、この子はウムギの子だからな」


「知っていますよ。その間に僕は隊長の分まで働いているんですからね、同等です」


「あー、母親はまだ帰ってこないのか!」


 というのも、母親であるウムギはルーインと共にアイズが隔離されている施設を訪問しに出かけてしまったのだ。


 赤子の方は先ほどから親を捜している様子である。男児をまじまじと見つめてみると、急にピタリと泣きやんだ。


「(お、落ち着いたか?)」


「――うぎゃあああ」


「頼むからもうやめてくれよ。っていうか今、一回泣きやんだろ?」


「うぎゃあああ」


「クソッ、ウムギはまだか!」


 そこで執務室の扉が開いた。アサギは母親の帰還を期待したが、現れたのは黒づくめ服装をした男。休憩に出ていたタイランだ。


「外まで、隊長。響いてます。声」


「うああ、俺はどうすればいいんだっ」


 そんな嘆きを上げると、ハルが笑う。


「ははは、珍しく隊長がパニックになってます。タイランさん見物ですよ」


「している、混乱。――同情」


 タイランに目の前で合掌されると、アサギは赤子を抱え上げた。


「タイラン、命令だ。次はお前があやしてくれ」


「隊長、タイランさんにそれはちょっと無理じゃ……」


 ハルが焦った声を上げたが、タイランは「あい」と返事をして子を預かった。すると、男児はピタリと泣きやんで「きゃっきゃ」と微笑ましい顔をする。


 アサギは「……嘘だろ」と絶望感に苛まれた。


 しかし、赤子が泣きやんだのはタイランが問題ではなかった。


 その頭上からひらひらと一匹の鮮やかな蝶が舞い込んでいたのだ。どうやらそれを見て泣きやんだようである。


 男児は胸に抱かれながら、小さい手を伸ばしてそれを追っている。


「おお、珍しい。奇麗な模様の蝶々ですね。タイランさんの体に付いてきたのでしょうか」


「暖かい、日差し。最近、だから?」


「もうすっかり暖かくなってきましたからね。そういえば知っていますか。蝶が寄ってくるのは幸運の兆しなんですよ」


 タイランは「良い、幸運」と言いながら微笑む。そこで、再び泣き声が室内へ響き渡った。


「うぎゃあああ」


「これ、隊長。無理です」


 彼はすぐさま、赤子をアサギへと返した。

 その時だ。室内へ警報音が鳴り響き、緊急時の放送が流れる。


  ――SSエスエス各個隊へ、緊急放送。施設内へ、虐殺者(スローター)と思われる侵入者あり――。


「なんだとっ」

 アサギが蒼白な面持ちで叫ぶ中、放送は続く。


  ――なお、対象者は二階へ向かった模様、警戒されたし――。


「ハル、子供を頼む! ――すぐに武装準備。警戒態勢だ」


「ええっ!? 僕が子守り……」


 アサギが戦闘用ベストを羽織ると、タイランが武器を持ってきた。


「タイラン、行くぞ」


「了解」


 赤子をハルへと託して執務室から廊下へ出ると、他の隊員が対象者と思われる者陰に銃器を向けている。


 アサギも散弾銃(ショットガン)を構えながらそちらへ近づく。すると、対象者の姿が確認できた。

 それは薄汚れた格好の青年、その角膜と強角が逆という特徴的な瞳を見ずとも彼が何者であるかは分かった。


「――ダイナモか!?」


 アサギがそう声を上げると、隊員の視線が集まってきた。行方不明となっていたダイナモは、はっきりとした口調で言う。


「アサギ。ウムギはどこだ」


「あっ、今はいないんだが……」


「何、どういう事だ。ウムギは、子供はどうした!」


 ダイナモが珍しく声を荒げると、銃口が一斉に彼を捉えた。


「と、とにかくいったん落ち着けって」


「こんなもの、撃たれたところで効果など無い。ウムギはどこだ」


「今はルーインと施設見学へ出かけている。ちゃんと帰ってくるから安心しろ。子供も無事に生まれた」


「……そうか」


 そう言うと、ダイナモも落ち着きを取り戻した様子だ。そして隊員へ事情を話すと彼らは顔を見合わせ、銃を下した。皆は「またアサギの知っているスローターか」と呆れた顔をしている。


 騒ぎが落ち着いてからダイナモに消えた理由を尋ねた。どうやら、例の触覚頭(ムイタン)を完全消失させるためにいろいろと苦労したのだという。


 彼を連れて執務室へ戻ると、ダイナモは赤子を抱いていたハルに真顔で素早く近づいた。


「うわっ隊長、このスローター怖いです」


「おい、早く子供をこちらへ渡せ。さもなくば貴様は地獄を見ることになる」


「どうして僕が責められているんですか!?」


「ハル。いいから、渡してやれ」


「はい、どうぞ」


 ハルが男児を渡すと、彼は嬉しそうに目を細めた。その表情は今まで見た事がない程、穏やかである。蝶がやってきたことで幸運を掴んだのは赤子なのかも知れない。


「――ぎゃあああああ!!」


 いや、どうやらその解釈は違ったようだ。室内へ響きわたったのは最大級の絶叫だった。


 ダイナモが困惑した声を上げる。


「こ、この子はどうした。俺は、ど、どうすればいい」


 初めは誰でも初心者である。アサギは何となく先輩風を吹かしたい気分となった。


「もうすぐ昼だし、腹が空いているんじゃないか。まぁ他にもいろいろ原因が考えられるが……」


「何だと。俺はどうすればいい」


「よし、貸して見ろ」


 アサギは赤子を受け取って、紙オムツの重量を確かめてみる。どうやら大丈夫そうなので、腹の方だろう。タイランがすぐにミルクを作ってきてくれたので、それを飲ませるとようやく落ち着いてくれた。


「ぱ、ぱ、ぱ」


 そこで赤子が、アサギに対してそんな声を上げる。男は焦った。


「(……ま、まさかこれは『パパ』って言ってないだろうな!?)」


 恐る恐るダイナモを見るが、彼はいつも通りの真面目な表情を浮かべていた。ただ、その両手にはすでに短剣を装備している。その方が、逆に恐怖心を煽られた。


「ま、待て。落ち着こうぜ」


「……ぱ、ぱぁ」


 嬉しそうな赤子の様子を見たダイナモの眉毛がピクリと上がる。執務室にアサギの叫び声が響くまで三秒前だ。

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