その自由は本当に束縛されていたのか
ダイナモ曰く、エレベーターが到着したのはB棟だという。そこは舞台の付いたホールのような空間だった。舞台には深紅の幕が引かれている。
男がそう思った瞬間、その厚い布が左右に開き始めた。照明が点灯し、今までとは段違いの明さにアサギは目を覆う。
幕が引いた舞台上に倒れていたのは漆黒のドレスを纏った少女である。男は彼女の白髪を見て、その名を叫んだ。
「――アイズッ!!」
彼女はゆっくりと静かに立ち上がった。瞳を閉じたまま、両手を大きく広げると天井から十字架の板が下りてくる。
そこに拘束されていたのは黒髪の少女だった。ルーインは純白のドレスを身に纏い、ぐったりとした様子で吊されている。
「ルーインかっ!?」
アサギが叫ぶと、パチパチパチと手を鳴らす音と共に舞台袖から式服のムイタンが現れた。
「ようこそ、我らがパーペチュアルの舞台へ。今宵の題目は阿修羅の花嫁たち、血塗られた乙女の演舞でっす」
そう言って彼は華麗に一礼する。アサギが「ルーインを離せッ」と叫ぶと、ムイタンは鬼のような形相で地団太を踏んだ。
「何を言ってる略奪者め、彼女はボクのお嫁さんだぞ!」
「ふざけるなッ」
アサギは拳銃を向けるが、ダイナモが素早くその前に躍り出た。彼が「災厄は俺が滅ぼす」と言うと、ムイタンが今度は半笑いの表情を浮かべる。
「あれれー、ダイナモじゃんか。ボクを裏切ってもいいのかい? 三代目ともども子どもを殺しちゃうぞっ」
「うるさい。愛するものは自らの手で守ると決めた。貴様を切り刻んで、二度とウムギの現れないようにする」
ムイタンは腹を抱えながら「うへぇっ、あはっはっはー」という汚い笑い声を上げた。ダイナモが短剣を両手に装備して駆け出す。
アサギは二人の争いを見届ける前に迷わずルーインの方へと駆けた。走り出した男の前にはアイズが立ちふさがる。
「アイズ、お前はどうしてこんなことをしているんだ。今すぐにルーインを解放しろ」
「だって……マスター、が」
「その司令官は、ルーインから死んだと聞いている。騙されるな、お前は操られているだけだ」
「……いいえ。彼は存在する、わッ!」
少女が高速で迫まると、アサギは連続して銃弾を放った。
彼女は避けもせず、弾はドレスの肩や胸部に穴を開け、鮮血が飛び散る。これで何らかのアクションがなければ殺されるのは男の方だと思われた。
しかし、アイズはピタリと動きを止めた。少女は肩の傷に視線を落としてから、アサギの顔を見て、それから再び視線を傷へと向ける。
「……いやっ、いやあああ!」
そう叫んだ彼女は、目を見開いた。床に膝を付くと、頭を抱えて悶え始める。
「(なんだ、どうなってんだ)」
「――あああ、マスターッ、のドレスが、あああ」
どうやら彼女はその衣類に傷が付いたことにショックを受けたらしい。アサギは慎重に少女の横をすり抜けた。
舞台上へ跳び乗ると、少女を捕らえていた十字架の鎖部分を打ち落とす。ルーインを受け止めると、その体を揺すった。
「しっかりしろ、ルーイン」
虚ろな表情で目を開いた少女は、「あしゃぎ」と声を上げた。
「ルー。お前だったのか。もう大丈夫だからな」
空になった弾倉を入れ替える。少女が男の首元へギュッと抱きついてきたところで、断末魔のような叫び声が響いた。
ダイナモは宣言通りにムイタンを切り刻んでいる。その度に対象者の体がビクビクと痙攣し、真顔のダイナモの顔、体中に鮮血が飛び散っていた。そんな事は気にも止めず、彼は一心不乱に解体作業に没頭しているようだ。
アサギはアイズの方へ視線をやったが、そこに彼女の姿がない。少女は少し離れたところで何者かに寄りかかるように立っていた。
彼女が絡みついているのは男、いや青年だ。
アサギはその顔を確認すると、驚きのあまり拳銃を手放しかけた。少し緊張した面持ちの癖の強い巻き毛の青年。彼は死んだはずのジュンレイだったのだ。
「……この世には役に立たない屑ばかりが溢れている」
青年が眉を強く寄せてそんな声を上げると、アサギは身震いが止まらなかった。動揺して強張った両手が言うことを聞かず、照準が対象者から大きく逸れてしまう。
「ジュンレイ、お前、どうして、死んだはずじゃ」
「アサギ隊長、お久しぶりです。そういえば、私の葬儀が行われたらしいですね」
「お、前は誰なんだ」
「何を言っているんですか。私はジュンレイ・クラーク本人ですよ。偉大なる思想家、『トーマス・K・ヘンリー』一族の生き残りとして、この事件を陰で操っていたのは私です」
その言葉にアサギは息を呑んだ。ジュンレイは胸に手を当てながら声を上げる。
「なぜなら、私の曾祖父とその一族はトーマスの意志と遺伝子を受け継ぎ、この場所で極秘の研究を行ってきたからです」
「――曾祖父? それはスローターを生み出した奴、……司令官だった男のことか」
「ええ、そうです。彼の偉大な開発は成功し、我々は世界を牛耳る力をも手にした。それらは紛争や内戦にも役立ち、成果をあげたのです。そして一族は賞賛され、輝かしい未来が待っている……
はずだった」
彼はその体に寄りかかった少女を見つめながら、言葉を続ける。
「しかし、時が近代へ向かい始めると、国々はパーペチュアルに恐れをなし始めた。
そして次々と手のひらを返すと、研究員どころではなく一族は皆殺しとなってしまった。子供も女も関係なく、激しい拷問の末に亡くなったと聞いています」
「どうしてそんなことが、……俺はそんな事は聞いたこともない。知らない」
「ええ、そうでしょうとも。腐った組織というものは失態を隠すのが上手いものです。それは隊長自身も嫌というほどご存じではないですかッ」
アサギが銃器のグリップを握りしめると、ジュンレイは天井を仰ぎながら叫ぶ。
「しかしッ、しかし、天は我らを見放さなかった。なぜならこの私がいるからです!!
……私という子供は祖母と共に難を逃れ、この街で平和に暮らしていました。
全ての事実を知らされ、その復讐という大儀を担わされるまではね!!」
彼は声を上げて笑った。可笑しいというよりは、苦患を伴ったそれは、ホール内に響きわたる。
「そして、神は私にアイズという奇跡を与えた。だからこの狂った世界を終わらせると私は決めたのです。何を犠牲にしても、誰を利用しても、私は悲願を達成せねばならない!
――分かりますか、隊長、見えますか、幸福に溢れたその未来がっ!」
彼は恍惚の表情を浮かべながら、まるで演説のようにその理想を語っている。しかし、それは突然に闇に落ちた。
ジュンレイは表情を曇らせながら乾いた笑いを漏らす。
「……しかし私は、偉大な思想家や、勇ましい曾祖父には遠く及ばなかった。その思考は陳腐で、心はひ弱すぎた。こうして無駄に生きながらえている事すら辛く、苦しい」
「ジュンレイ、お前」
「もう逃れたい。静かに眠りたい。けど、そんなの悔しいではないですか。――だから、皆で一緒に天に召されましょう」
「ど、どういう意味だ」
「研究施設には爆薬を配置しました。この端末機を操作すればこの一体は地の底へと沈みます。基地もキャンザーもザジテリアズも全てを無に返す。スローターというバケモノをこの世から抹消するのです」
ジュンレイは手にした端末機を握りしめた。アサギは悔しさ噛みしめながら声を上げる。
「やめろ、ジュンレイ。そんなことをして何になるんだ! 地上にはお前が言った子供も女もいるんだぞッ」
「いいえ、少なくとも私は救われるし、今更やめたところで誰も浮かばれないじゃないですか!!」
ジュンレイが端末機を操作しようとしたところで、男は青年に銃口を向ける。それは威嚇ではなく、アサギは彼が持っていた端末を狙って発砲した。
しかし、ジュンレイは銃弾が当たる前に対象物を床へと手放した。放たれた銃弾はその胸部へと命中してしまう。
青年が傷口を確認して微笑みを浮かべている中で、アサギは床に落ちている端末機を手にした。
その画面は暗く、タッチパネルも反応しない。
「電源が入ってない。な、なぜだ。ジュンレイ!」
アイズが青ざめた顔で立ち尽くしている。青年はゆっくりとした動作で、床に膝をついた。
「ははっ、隊長、私の使命は偉大なものでした。……しかし、心の底ではずっと誰かに止めて欲しかった。もっと普通に暮らしたかった……隊長や皆といた時間は…………楽しかった、です」
避けられない宿命と独りよがりの運命を背負をわされた彼の瞳には、輝く希望の輝きが映った。仰向けで倒れたその生命は、未熟な宣託と共に薄れゆく。
そして最後にジュンレイは、泣きすがりつくアイズに「もっと自由に生きて欲しい」という願いを託した。
瞳を閉じたその表情からは安堵の色が読み取れた。
死してようやく、彼は緊張状態から解き放たれたのである。
******
研究施設は一番隊によって速やかに制圧され、アイズは捕らえられた。
ダイナモはムイタンと共に姿を消し、ウムギは三番隊とアサギが責任を持って保護する運びとなった。
後の捜査により分かった事は、爆弾の類は設置されていなかった事実だ。研究室から発見された資料からは全ての首謀者はジュンレイだけで、彼の単独行動だという記載が見つかったという。
そしてジュンレイの棺は、本物の死体と共に墓地へ再び埋葬された。
今回の事件を期に、虐殺者対策本部には国の一斉捜査が試行された。逮捕者も出る騒ぎとなったが、それは当然の結果と言えるだろう。
そして、基地内の体制も見直された。虐殺者討伐隊は『捕獲隊』へと名称が変更され、新たに管理課という部隊が結成されている。
数ヶ月が経過すると騒動も落ち着き、皆が日常を取り戻した。
その頃、ウムギは無事に男の子を出産した。子供は赤毛でなく、ダイナモと同じ灰色の髪をしている。相変わらず姫の王子は姿を見せないが、いつかは彼も愛する者たちを迎えに戻る事だろう。
先日、クロノスの管理者であるメアリから連絡があり、施設員の女が隔離されたアイズを引き取りたいと申し出たらしいと聞いた。
それが実現したとしてもしなくても、アサギは施設と密に連絡を取り合いたいと思っている。心の治療を始めたばかりだという少女には、まだ注意深く観察が必要だからだ。
そこまで、過去の情景を思い出していたアサギは暑い日差しを遮るように手を額に当てた。柵の中でヤギたちが大きな鳴き声を上げている様子を見ながら汗を拭う。
ヤギは舌を出して餌の催促をしてくる。アサギは持っていた葉物野菜を与えた。
飼い慣らされた動物という物は、動画で見るより大人しいものである。そんなことを思っていた男に少女の声がかかった。
「おーい、遅いぞ。早く来い」
明るい様子で砂利道を跳ねるルーインに促されて、男はヤギの柵から離れる。彼女は満面の笑みで次の目的地を目指す。
「アサギ、今度は馬だぞ。おお、実際に見るとずいぶん大きいな」
まるで子供のようにハシャいでいるルーインを見ていると感慨深い。少女は飼育委員が馬の背を撫でている様を真剣に観察している。
飼育委員といえば、ここは『どうぶつふれあいパーク』なのであった。
アサギは長期休暇を取って、ルーインと旅をする事にした。その間に寄ったのがここである。
動物と触れ合える施設というものは、大人たちにとっては飽き飽きとする場所かも知れない。夏の暑さも相まって子連れの親たちは消耗した様子を見せていた。
動物好きなアサギにとっては楽園……とまではいかないが、それでもほどほどには楽しめる。だがしかし、「また来るか」と問われれば、答えはノーだ。
そんなことを考えていると、揚々としたルーインが勝手に馬の乗り場の列に並び始めた。しばらく様子を観察していると、彼女は係りの者に何かを言われている。
彼女はポニーの乗り場で待っていた子供たちに紛れた。何を言われたかはまでは分からないが、大体の予想はつく。彼女は体が小さいので、年齢制限の問題だろう。
「ルーイン、なんでそっちに並び直したんだ?」
そう問いながら少女へ近付いてみると、彼女はしょんぼりとしている。
「馬は大人用だと言われた。むぅ、私は子供ではないのに」
「そうか、違いない」
アサギが笑い声を上げると、彼女は頬を膨らませた。そこで携帯電話が鳴る。発信者はハルだ。
「はい、アサギ」
「隊長、休暇中に失礼します。もしかして今すぐ戻られる予定なんてはありませんよね」
「どうした、何かあったのか」
「どうしてもこうしたも、ありませんよ。五番隊の新人共が言うことを聞きません。好き勝手しやがります。やっぱり、隊長がいないと駄目です」
「はははっ、甘えるな。頑張れ、ハル」
「あああ~、頑張るけどっ!!」
「明後日にはそちらへ戻る。それまで基礎から学んでおけよ」
「はい。……ま、大変ですけどね」
彼の落ち込んだ様な暗い返事を聞いて、「これは近々、ハルはキレるかも知れない」という直感が働いた。しかし同時に、それはそれでいいかとも思う。
いろいろと経験して、成長して欲しい。
それが青年の望んだ「隊長になりたい」という強い思いなのだから尚更である。
アサギは緊張した面もちでポニーに跨がる少女を視界におさめると口角を緩ませた。
彼女も、自分も含めてこれから沢山の事を体験するはずだ。それは考えていた理想からは遠いものかも知れない。
しかし、だからこそ。人生というものは、何が起こるか分からなくて面白いのである。願望を実現させられていなくても心はすでに満たされていた。
アサギは澄んだ空を仰ぎながら、眩しい太陽に目を細める。賑やかな人々の陰にあったのは、満足げな一人の男の姿だった。




