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覆い隠すもの

 アサギはクローンが出てきた部屋の中を捜索する事にした。ルーインが言うには「同族の気配はもうない」らしい。


 そこはずいぶんと朽ち果てていた。円柱型のガラスケースは割れ、道具や紙が散乱している室内には誰の姿もない。

 ルーインが床に投げ出されていた丸椅子を起こして腰掛けている。彼女が「疲れたぞ」と足を組んでいる最中、アサギは後ろに続いていたダイナモへと問いかけた。


「なぁ、ずっと気になっていたんだが。この施設は今も稼働しているのか?」


「近代の我々は個体を生むことに長けている。だから無駄な実験は必要ない。だから殆どの設備は稼働していない」


「だが、さっきのクローンといい、裏でそれを操っている組織が、誰かいるんだろ?」


「そうかも知れない」


「どういう意味だ」


「ここは俺たちの根城だ。密かに、そして静かに暮らしていただけだった。それが変わったのは一年ほど前だ」


「何が変わったんだ?」


二代目製造品(アイズ)が暴走を始め、我々は人殺しを再会した。利用されているのは分かっていが、俺とウムギは災厄(ムイタン)に屈してしまった」


「そう、だったのか。……だが、一体誰がそんなことをしているんだ?」


「俺は知らない。だが、災厄が妙な事を口走っていたのを聞いた。『神の思想によって、不滅のもの(パーペチュアル)が世界を救済する』と。俺には意味が分からない」


「……パーペチュアル」


 そこでルーインが、男に「アサギ」と声をかける。そちらに顔を向けると、彼女は細かい文字の印字された紙を壁から引き剥がした。


「この記事ではないのか」


「なんだ」


 ルーインの持っていた用紙を受け取る。ボロボロになっているそれは十年以上も前の新聞記事の切り抜きであった。

 記事には大きな文字で『不滅のもの。パーペチュアル信仰』という見出しが書かれている。


 そういえば、アサギが二十代の頃、そんなことを宣言していた団体があると聞いた事がある。


 教祖の男の名はトーマス・K・ヘンリー。彼は熱心な宗教家庭で育ち、おかしな信仰団体を操っていたらしい。

 しかし、事実が発覚するとすぐに国が介入して組織自体は解体され、メンバーも逮捕されたと当時はよく報道されていた。


 新聞の切り抜きには、同じように当時の状況が詳しく説明されている。


「(新興宗教、か……)」

 アサギはその内容に対し、心中で深い疑念を覚えた。



 ******


 三人はついに目的地へと到着した。そこは『研究室-A』と書かれた部屋の前だ。

 両開きの扉に手を付いたルーインが、複雑な表情をしながらおずおずと口を開く。


「すまない、アサギ。彼女の気配を感じない。ここにはいないようだ」


「じゃあ、アイズはどこに居るんだ」


「……いや、居る?」


「どっちなんだよ」


 ダイナモが静かに「災厄か」と呟くと、彼女は手を打つ。


「そうだ。これはムイタンの気配のようだ。どうやら奴がこの中にいるな」


「それなら奴がアイズの居場所を知っているんじゃないか?」


「ああ、その可能性が高い。よし、入るぞ」


 しかし、彼女がロックを解除する前に扉が開いた。その室内は、鮮やかな色をした風船に紙テープの飾りなどが飾られ、まるでパーティでも開催しているかのようである。


 触覚頭の男が、部屋の真ん中に置かれた椅子に座りながら両手を広げていた。彼は「パンパカパーン」とクラッカーを鳴らしながら声を上げる。


「ムイタン、アイズは何処にいる」

 ルーインが三歩ほど前に出て部屋へと足を踏み入れた。


「はーいはーい。いらっしゃい、ルーイン。ボクの花嫁さーんっ」


「もう一度だけ問う。ムイタン、アイズは何処にいるのだ」


「もうっ、ルーインってば照れ屋さんなんだから。いいんだよ、ボクに会いたかったって言ってくれても」


「ムイタン、アイズの居場所を今すぐ吐け」


「もう、焦らない、焦らない。パーティーは始まったばかりだよ!」


 ムイタンは一際大きなクラッカーを取り出すと、こちらに向けてくる。

 アサギは素早く狙撃の体制に入った。しかし、彼はそんな事など気にしていない様子で紐を引く。


「おめでとー、今日はボクとルーインが結ばれる日だよっ。という訳で邪魔者は消去でーす」


 その発言と同時にアサギとダイナモの立っていた床が抜け落ちる。驚いて声を上げる間もなく、二人でその中へと吸い込まれた。


 細長い筒状の管で掴まるところもない。それはこのまま地の底へ落ちて、男が絶命する未来を予期させた。


 だが、その前にダイナモがアサギの体を下部から支える事に成功する。

 彼は筒状の壁に指を突きながら速度を落とすと、広い空間に飛び出る瞬間にその鉄板部を蹴り上げて地底へと跳躍した。


 それでも衝撃をすべて回避することは出来ず、アサギはコンクリートの底へと投げ出されることになった。横方向に転がってそのまま壁に衝突する。

 男はしばらく痛みに喘いだが、体はどうやら無事なようである。頭を起こして悪態を付く。


「痛ってぇ……クソッ」


 頭上を見上げると、元居たところは確認できない程に遠い。長い距離を落ちたのに無傷だった事を神に感謝した。


「おい、立て。ぐずぐずしている暇はない」


 ダイナモが現れて、アサギはそちらへ視線を動かした。指のなくなった彼の様を見て、驚愕する。


「ダイナモ、お前指が」


「問題ない。すぐに治癒する」


 溢れ出た血液がコンクリートへ跡を残しているのに当人はけろっと平気な顔をしている。アサギは神よりも先に彼に感謝するべきだったと悟った。


「悪い、助かった。ありがとう」


「礼には及ばない。早く、行くぞ」


 アサギは側に落ちていた散弾銃(ショットガン)を拾い上げる。武器が無事かどうかの確認をするが、ハンドグリップが割れてしまっているそれはもう使い物にはならない。


「……駄目か」


 男に残されたのは懐へ入れていた小型の銃(ハンドガン)と残った注射筒(シリンダー)が五本だけである。この場所がどこかは分からないが、対象者が現れればひとたまりもない。


 アサギは周囲を見渡した。人工的な明かりが灯されているが薄暗い、洞窟のような空間だった。


「ダイナモ、ここはなんだ」


「施設の最下層だ。中央部分は廃棄場、先を進めばB棟へ上がれる」


「出口を知っているのか?」


「前にウムギが誤って落ちた際に、一度助けに来た。脱出ルートは覚えている」


「そ、そうか。……彼女はよく居なくなるのか?」


「そうだ。夢遊病が酷い」


 そんな会話をしながら、トンネル状の通路を進む。やがて鉄戸と小さな穴蔵のような通路の分岐点へ辿り着いた。


「穴の方は深海へ繋がっているらしい。扉から廃棄場へ入る。だが、気を付けた方がいいかも知れない」


「警備が多いのか?」


「いいや。差ほどの問題はない」


「じゃあ、何だよ」


「役に立たない、捨て置かねばならない廃棄がある。人間というものは、いつも器に蓋をして何も見ようとはしない」


「……んだそれ」


「無駄話はいい。ウムギが心配だ。俺は早く上へ戻りたい。この手で災厄をこの世から抹消するために」


「ああ、俺もルーインが心配だ。行こう」


 鉄戸を引き、二人で中へ入る。そこは両壁に檻のような鉄格子が続く通路だ。ダイナモが「この辺りは死者ばかりだろう」と言う。


 その通り、進む度に強烈な腐敗臭が鼻孔に進入してくる。吐き気を催す程の空気を出来るだけ吸わないように努めた。


 鉄格子の中は白骨した遺体や害虫、そして緑の苔のようなカビが生えている。辿っている道は古く、朽ちている箇所も多い。その証拠に、鉄戸も外されて無く、壁にはその痕跡だけが残っていた。


 静かな空間には二人の足音だけが鳴っている。扉の痕をくぐり続けると、徐々に広い場所へと至った。目の前には複数開いた円形状の窪みがあり、すべて編み目模様の鉄柵がかけられている。


 ダイナモが端の方にある工業用のようなエレベーターを指す。


「あれに乗ればB棟の実験場へ出られる」


「そうか。何も出なくて良かったぜ」


 アサギがエレベーターへ向おうとした時、鉄柵の隙間から青白い手が伸びてきた。それはバタバタと地面を叩いて存在を主張している。


 側へと近づいて、その姿を確認した男は思わず息を飲む。


 それは言うなれば人肉の塊だ。体が密着し、球型に合体したような謎の生物がそこにいた。


「なんだっ!?」

 背後へ飛び退くと、青白い手が一層その存在を主張するかのように地面を打ち鳴らす。


「これは生きているのか……」

 アサギが呟くと鉄柵から、か細い女の声で「たすけて、たすけて」と聞こえてきた。


「誰かいるのか」

 再び近寄ると、檻柵の向こう側に黒髪の少女が現れた。その姿はまさにルーイン、そのものである。


「お前、ルーイン!? どうしてこんなところにいるんだ」


 少女は悲痛な面もちで男を見上げていた。その姿はもしかしたらルーで、彼女は混乱しているのかも知れない。

 アサギが檻の鍵を壊そうと拳銃を取り出すと、ダイナモがそれを止めるように呟く。


「それは推奨しない。あの廃棄物が出てきてしまう」


「何、言ってるんだ! ――ルー、今出してやるからな」


 発砲して鍵を壊すと、少女は扉から男の懐に飛び込んできた。男がそれを受け止めると、少女の姿は確かにルーインで、彼女は涙を流しながら喜びを表す。


 しかし、抱きしめたところで違和感を覚えた。その背から何かが繋がっていることにアサギは気付いたのである。

 それは肉だった。人のような体が、先ほどの球体と少女を繋いでいる。驚愕したアサギは彼女を手放して後ずさる。


 ザワッと全身に鳥肌が立つ。汗が額から垂れ落ちる中で、ダイナモの「お前には残念だが、それは初代ではない」という言葉が耳に入ってくる。


 肉塊は扉からゆっくりと這いずるように出てきた。少女が不思議そうな表情を浮かべている間にそれは徐々に近づいてくる。


 アサギは再び拳銃を構えた。しかし、敵の方は攻撃をしてくる意志を全く見せなかった。


「たすけて、こわい、こわい、たすけて、たすけて、いたい、いたい、たすけて」


 球体はそんな叫びを上げる。先ほど聞こえていたものと同じ、それは思わず耳を塞ぎたくなるような悲痛の叫びだった。


 そんな悲しい嘆き声は続く。


「たすけて、たすけて、ころして、もうしにたいよ、たすけて」


 肉塊の叫びと、少女が立ち尽くして涙を流している様にアサギの心は囚われた。


「もう行くぞ」

 ダイナモの声で我に返った。アサギは腰に付けていたベルトポーチを探り、そこから五本の注射筒を取り出した。

 底のラベルは緑が四本、黄が一本。クローンに投与した分を除いて、もう残りはそれが全てだ。


「俺は君たちを助けてやれない。楽になりたいならばこれを使わせてくれ」


 少女は眉を下げながら首を傾げている。アサギは手にした薬剤を強く握り締めながら言葉を捻り出す。


「一つ一つの効果は薄いかも知れないが、全てを使えば死に至るだろう」


 それを聞いた少女は表情を明るいものへと変えた。必死に頷き続ける彼女に、まずは緑ラベルの薬剤一本を投与する。


 二本目は黄ラベルを投与した。少女はとたんに気絶してアサギの胸の中と身を預ける。

 やがて球体自体が動かなくなっていくと、男は悔しさで歯を鳴らした。

 ダイナモの落ち着いた声がする。


「薬剤の無駄な使い方だ。そういう奴らがどれほど生まれたと思っている」


「いいんだ。……これでいい」


 男は自分に言い聞かせるようにそう呟くと、静かに眠る少女の頭を撫でてから、小さな体を石床へと寝かせた。


「その偽善的な欲が満たされたというならば立て。先を急ぎたい」


「ああ、行こう」


 男は迷い無く、立ち上がる。漠然としていた自分の目指す先がようやく見つかったような気がした。

 こんな悲劇を二度と繰り返してはいけない。アサギは拳銃を懐へ仕舞い込むと、エレベーターへ乗り込んだ。

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