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ヒーロー

 二人が辿り着いた扉には、白いペンキのような塗料で『実験室』と書かれていた。アサギはルーインへ問いかける。


「研究室へ行くんじゃなかったのか?」


「仲間を救うにはここへ入る他に方法がないのだ」


 アサギは納得して「そうか、分かった」と声を上げた。ルーインは男に向けて人差し指を立てる。


「良いか、私が話している間は何があっても銃器を向けるな、近付くな。交渉が失敗しては困るのでな」


「お、おう」


 少女は入り口と同じように鉄戸についたパネルを操作した。ロックは解除され、扉はゆっくりと左右に開く。

 薄暗く錆びた鉄筋構造の室内はアンモニアのような酷い臭いが充満している。そして目を引くのが、拷問具と思われる錆びた器具だ。

 そして右端の方に一台の古びた機械、おそらくパソコンのようなものが画面を光らせている。


「アサギ、お前はここで待て。――おい、ここにいるのは分かっている。早く顔を見せろ」


 ルーインがそう声をかけると、天井から垂れるようにかかっていた大量の鎖が喧しい音を立てながら揺れた。

 そこから何者かが顔を出す。それは腰まで伸びたボサボサの赤毛に虚ろな瞳をした女だ。


「ウムギ、そこに居たか」


 少女が彼女の方へ近付こうとした刹那、右方向にあった機械の陰から青年が飛び出してきた。彼は猛スピードでルーインへと迫る。


 アサギの体は条件反射で動いた。散弾銃(ショットガン)を構えようとしたが、それより先にルーインに言われた忠告を思い起こした。


 「(銃口は向けるな)」と心で言い聞かせる。その判断は正しかった。


 青年はルーインに攻撃をしようとしていた訳ではなかったのである。彼は少女の目前で立ち止まって口を開く。


「貴様はこの間の女だな。一体何者だ」


「ダイナモか。我が名はルーイン。初代製造品といえば通じるか?」


「『災厄(ムイタン)の親』だと!? ――き、貴様らはまたウムギを傷つけようというのかッ」


 ダイナモは体制を低くして唸り声をあげた。その手に掴んだ短剣が小刻みに震えている。


「待て、ムイタンは確かに私の肉片から生まれたが、息子という訳ではない。私はウムギを傷付けるつもりはない」


「では、何をしにやって来た」


「ウムギが管理している制御装置(パソコン)を借りに来たのだ。A棟の入口付近で仲間が閉じこめられた。扉のロックを解除したい」


「そんなことは許さない」


「ダイナモ。貴様には聞いていない、退いていろ。――ウムギ、どうなんだ?」


 ルーインがウムギへ顔を向けると、女は微かな声で「ひかり」と呟く。それに対して、ダイナモの方が声を上げた。


「ウムギ、こんな奴に協力してやる義理はない。関わるな。それこそ災厄だ」


 ウムギは天井を仰いで「お願い、消滅して……」と嘆くような声を上げる。アサギはそれを聞いて今度こそ武器を構えようとした。



「アサギ、やめろといったはずだ」


 ルーインが手を向けて制してくる。何故なら、ウムギは言葉を続けていたのだ。


「……ルーイン、我れらが魂に永久なる休息を」


「うむ、協力に感謝する」


 少女が華やかな表情で礼を言い終えると、ウムギは再び鎖の陰へと姿を眩ませた。ルーインはアサギを部屋端にあったパソコンの前へと呼びつける。


「おい、アサギ。これを操作できるか? 解除コードは知っているが、この手の機械類は苦手なのだ」


「パソコンか、実をいうと俺もそうだ。すまない、全く分からん」


 男が頬を掻くと、彼女は憤った様子で地団駄を踏んだ。


「――何ッ!? お前はイザという時に役にたたん男だな」


「なんだとっ!」

 そんな言い争いをしていると、ダイナモが眉を寄せながらやって来た。彼はアサギの体を押しのけると、軽やかな手つきで機械を操作する。


「俺はウムギの決断に従う。ここへ解除コードを入力しろ」


 ルーインは指一本で英数字の入力を開始した。そうすると画面に地図が表示され、例の扉が開いたというような点滅が示される。


「これでロックは解除されたんだな?」


 ルーインの「そのようだ」という声で、アサギは安堵した。これで仲間たちは敵の軍団から解放されるだろう。


「アサギ、あいつらに連絡をしてやれ」


 男が無線を繋いで仲間に連絡を取った。ハルの返答では無事だという事だ。これで実験室へ誘導することが出来るだろう。


 その間に、ルーインは機械の画面に映った地図の確認をしている。そして彼女はダイナモへとアサギも予想できなかった言葉を投げた。


「ダイナモよ。我々の味方になっては貰えないだろうか」


 しかし、彼は即座に「断る」と返答する。ルーインはうんうんと頷いてから再び口を開く。


「私はウムギに戦闘を強いている訳ではない。ただ、お前が敵として現れるのは不利なのだ。分かるだろう?」


 何も答えないダイナモの代わりに彼女は続ける。


「そもそも、ムイタンを敵視しているお前たちが、協力をしているのは何故なのだ」


「……」


「答えろ、何故だ」


 そこで鎖の中からウムギの「ダイナモ」と呟く声がした。青年は視線を床へと落とす。


「……俺が協力をしている間は子供に手を出させない」


「はぁ? それはどういう意味なのだ」


「裏切れば、ウムギの腹にいる子を殺すと脅されている」


「ふむ、そういう訳か。それではそもそもの根元を絶つ、こちらがムイタンを捕らえれば言い話だ」


 彼は鋭い目つきでルーインを睨みつけている。


「俺は、ウムギを愛している。必ず幸せにすると誓った。だから、協力はできない」


 それでも彼女は冷静に対応しているようだった。ルーインはダイナモへ真剣な顔を向けている。


「私たちに危害を加えなければ、こちらは彼女に手を出さないと約束しよう」


 しかし、そこで彼女は組んだ腕を解いて薄ら笑いを浮かべた。


「言い換えれば、貴様がこちら側の人間に手を出せば、私はウムギと腹の子を傷つける事をも辞さない。意味は分かるな?」


「……初代、お前は悪魔なのか」


「それほどのものではない」


「そんなもの、承諾するしかないだろう。ウムギはここから一歩も出さないし、俺も側を離れない。それで納得して欲しい」


「うむ、賢明な判断だ。――喜べ、アサギ。交渉は成立だぞ」


 満足げに胸を逸らす少女に対して、アサギはガシガシと頭を掻いた。これほど酷い話はない。


「交渉ってか、脅しじゃねぇか」


「結果オーライというやつだ」


 親指を立てるルーインの頭を小突いておく。アサギは無言のダイナモへと言葉をかけた。


「俺は以前お前が言った通り、無罪の者を裁けるような人間ではない。だが、今は愛する者を守りたいという気持ちが分かる。

 だから俺も掛け替えのないものを守るためには武器を振るう。その相手が例え、何の罪も犯してなかったとしてもだ」


 ダイナモは強い視線を向けてきた。その大切なものを守りたいという想いはよく分かる。

 アサギにもようやく理解できた感情だからだ。そこには人間も虐殺者スローターも関係ない強い意志がある。


 ダイナモが「おい、初代」とルーインへ声をかける。少女が顔を向けると、彼は真顔でこう言い放った。


「やはり、先ほどの約束は守れない」


「――なんだとっ!?」


「俺を連れて行け。己の手でウムギを解放したい」


「なんだ、そういうことか。……いいだろう。代わりにこちらの隊員をここへ置いてやる」


 そんなルーインの身勝手な発言に、さすがのアサギも声を荒げた。


「お前、何を勝手なこと言ってるんだ!!」


「お前こそ何を言っている。アサギ、勇者は姫を守るために災厄という名の魔王を滅ぼしに行くのだ。素晴らしい話じゃないか」


 どうやら彼女はダイナモが言った突拍子のない提案を真剣に検討しているだ。アサギは呆れて「あのなぁ」と声を漏らす。


「ウムギを守る者が必要なのだ。ハルとクリスなんちゃらをここへ残すように手配してくれ」


「クリスティーナだ。はぁ、全く。そんな無茶な話にハルが納得してくれるといいが……」


「お前の命令なら青年は首を縦に振るだろう?」


「いや、最近は言うことを聞かないんだぞ」


 アサギが長いため息を漏らしたタイミングで、無線が入った。どうやら仲間たちが部屋の前まで到着したようである。


 ルーインは内側からその扉を開いた。オリバーに支えられた黒づくめの男を見て、アサギは声を上げる。


「タイラン、どうしたんだ!?」


「失敗、隊長、すみません。負傷した、です」


「そうだったのか……早く助けられなくてすまなかった」


「いいえ。不要です、心配。なので、大丈夫」


 タイランの言葉に続くようにオリバーが言う。


「アサギ殿、急を要するほどの怪我ではない。ただ、歩行は困難な状態だ。これ以上は進めないと思われる」


「そうか、オリバー。ありがとう」


「貴殿が気にすることではない。もう一つ報告するが、矢弾ダートを使い尽くした」


「そうか、他の銃弾はどうだ?」


 アサギの問いかけにハルが答えた。


「僕はまだ大丈夫です。タイランさんの分もありますので、隊長に同行できます」


「ああ、……ハル。その事なんだが……」


 仲間たちにこちらの事情を伝えると、ハルはもちろん反対した。

 しかし、ルーインは意見を曲げないし、ダイナモも着いてくる気が満々といった様子だ。


 結局、弾数のことも考慮した上でアサギはハルにに「タイランを守っていて欲しい」と必死に頼み込む事となったのだった。




 ******


 アサギ、ルーイン、ダイナモは実験室を後にした。


 薄暗い廊下に設置されている電灯がチカチカと点滅を繰り返している。そのまま一直線上に進んでいくと、アサギは前方に妙な鉄の扉があることに気づいた。


 その表面には乱暴な赤い文字で警告文と『KEEP OUT』のテープが貼られ、鎖でしっかりと施錠されている。

 男は不審に思いながら「ここはなんだ」と質問する。それに対してルーインが口を開く。


「ここは、確か。……なんだったかな?」


 眉を寄せた彼女の代わりに、ダイナモが真顔で「試験場だ」と答えた。


「そうか、私が居た頃にもあったのか?」


 やはり表情を変えず、彼は短く「ああ」と同意する。


 「(……おいおい、しっかりしてくれよ)」


 アサギがそう思った時だった。鉄の扉が膨張するように湾曲したかと思うと「アサギ!」とルーインに飛びつかれてその場に倒れ込む。それと同時に後方から凄まじい破壊音が響く。


「――んだよ!!」


「凄まじい勢いで、扉が飛んできた」

 壁際に背を向けて張り付くような格好のダイナモが冷静な声を上げた。


 その言葉で、先ほどの場所へ視線を向けると、鉄の扉が無くなっている。後ろを振り返ると壁に扉が衝突して、共々粉砕されていた。

 どうやら鉄の塊が体上を通過していったらしい。その事実にアサギは全身に鳥肌が立つ。


「ま、まじかよ」


「アサギ、立て。試験場から何か出て来るぞ!」


 珍しくルーインが焦ったような声を上げた。男が再びそちらへ顔をやると、扉の向こう側は暗闇で何も見えない。


「何が来るってんだ……」

 そう呟いた刹那、暗闇から何者かが現れた。


 それは灰色の髪に特殊な瞳の色をした青年。ダイナモと瓜二つの容姿をしている虐殺者(スローター)だった。


「ダイナモなのか!?」


 アサギが叫ぶと、ダイナモの冷静な声がかえってくる。


「違う、俺ではない。あれはコピー、つまりクローンだ。意志が無い分、能力が増しているはずだ」


 クローンの方は首を左右に一度ずつ傾げると、目を見開きながら高速で迫ってきた。標的はアサギだ。


「――ッ!!」


 男はすかさず散弾銃(ショットガン)を発砲した。クローンの右側腹部を削りとるように吹き飛ばす。

 しかし、それは無駄な攻撃だった。ダイナモが言った通り、男が弾を再装填している隙に、その傷は回復をとげている。


 クローンはすでにアサギの間近へ迫っていた。トリガーを引くと、今度は太股の一部を吹き飛ばす。


 一瞬、体制を崩したクローンの腰元へに曲剣(サーベル)が突き刺さる。ルーインが装備していたそれは横一線に薙払われ、敵の体を分断させる事に成功する。


 アサギは装着していたベルトポーチから注射筒(シリンダー)を抜き出す。黄色いラベルのそれを手に対象者の元へと駆けた。


 しかし、その刹那にはクローンはすでに起き上がっていた。アサギは強烈な回し蹴りを腹部に受けて、吹き飛ばされる。

 手放された注射筒が軽やかな音を立てて床を転がっていく。


 倒れたアサギの頭上に無情な鉄拳が振り下ろされようとしている。すぐさまルーインがその両腕を切り落とす。


 アサギが起きあがる頃には、それもすでに治癒し終わっていた。


「きりがない。早く薬剤を注射しろ!」

 敵の血に塗られたルーインが叫ぶ。アサギは再度、ベルトポーチから注射筒を抜き出した。


「ルーイン!! (そのまま敵の注意を逸らしておいてくれよ)」


 アサギは目で合図する。ルーインは「分かっている!」と叫びながら大げさに剣を振るう。


 どうやらクローンはそんな彼女へ標的を移してくれたらしい。敵が背を向けた瞬間に、アサギは駆け出した。


 後一歩。その薬剤が体に刺さる前にクローンは素早く体制を変えてそれを振り払う。投げ出された注射筒は、壁にぶち当たって破壊された。


 男の持ってこられた薬剤は全部で八本だった。残りは六本だ。――このままで、倒せるのか。アサギの脳裏に一抹の不安が過ぎる。


 ルーインが敵を傷をつけるが、クローンはその度に再生していた。そんな攻防が繰り返されると、彼女は徐々に荒い息をはき始める。


「初代は限界が近いようだ」


 そんな声が耳に入り、背後にいたダイナモの方を見やると彼は腕を組みながら壁に寄りかかっていた。その冷静沈着な態度にアサギは憤る。


「加勢を頼めないかっ」

 そんな救援を投げたが、彼はいつもの表情でアサギと目を合わせただけだった。


「(クソッ!!)」


 すぐさまルーインを援護しようと体制を変えた。それと同時に何かが、真横をすり抜けていく。

 それはダイナモだった。彼はルーインと争っていたクローンへと特攻する。


 敵とすれ違う瞬間にダイナモが手を振るうと、何故かあっさりと敵は倒れた。痙攣を開始する様子は薬剤投与された対象者のそれである。

 ダイナモはアサギの方へ何かを投げて寄越す。男の方へ転がってくるのは先ほど手放した黄色いラベルの注射筒だった。


「アサギ、他の薬も投与しろ!」

 ルーインの叫びで我に返ったが、アサギは薬剤を取り出すことを迷った。


 注射筒(シリンダー)はそのラベル色で薬品の濃度が違う。

 緑色は常時携帯の許可されているもので、効果は気絶させられるだけという弱いもの。黄色は緑よりも効能が高く、一定時間ならば相手を昏睡状態することが可能だ。

 黄色を二本投与すれば最悪、死に至る可能性がある。かといって緑色を数本、投与したところで余り効果は期待できない。


 なによりこれから何があるか分からないのだから、数を残しておくに越したことはないのだ。

 思いや悩むアサギに、ダイナモが「気にする事はない」と声をかけた。


「もう楽にしてしてもいいだろう。こいつ(クローン)はずいぶんと働きづめだ」


「……そうか」


 男は黄色いラベルの分を一本だけ投与することに決めた。一本では目覚める可能性もある。どちらに転ぶかは運次第だ。


 投薬された対象者の体が大きく跳ねる。その衝撃でカッと目を開いたクローンは、その後静かに息を引き取った。


「……」

 アサギが押し黙っていると、ルーインに肩を叩かれる。


「もう行くぞ。亡骸に縋っても意味はない」

 彼女の言葉で顔を上げる。男は強い眼差しでただ前だけを見つめていた。

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