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悲劇は突然に訪れる

 爆発音と共に大地が小刻みに振動している。遠くに見える煉瓦の塔を筆頭に、建物が順番に倒壊して白煙が上がっていく。


「(何がどうなってるんだ)」

 アサギはその光景を瞳に映すと、強く眉を寄せる。ハルとタイランも困惑した様子で立ち尽くしていた。


「一体、何が起こっているんですか」


「何ですか、これ、隊長」


 二人に続いてクリスティーナも焦った様子で声を上げる。


「アサギ、早く現場の方へ向かうであります!」


 しかし、男は一端体制を整えるために時間を取る事にした。何が起こっているのか分からない以上、迂闊に進行することは危険をはらむからだ。



 駐屯基地の方から、一番隊(ファースト)が対策隊として現場へ駆けつけると、電話で伝達を受けた。

 何故かは分からないが、四番隊(フォース)には連絡がつかなかった。男はこれからの行動を冷静に判断し、全員にその意を伝える。


三番隊(サード)の任務は、これより救護班の活動支援に移行する。DS(ダース)、お前たちの残弾数はどうだ。まだいけそうか?」


「三人共に余裕があるであります」


「よし。ならばクリスティーナはハルと、オリバーはタイランと組んで民間人を避難させろ。これ以降は二人班ツーマンセルでの行動とし、判断は任せる」



 ――了解。

 二班はメンバー同士で頷き合うと、別の方向へと足を向ける。アサギは残った青年へ声をかけた。


「ジュンレイ、お前は俺に着いて来い。遅れるな」


「はい、隊長」

 緊張ゆえか顔をひきつらせている彼を連れ、男は石畳を駆け抜けた。


 前方の歩道には無人の露店が並んでいる。地面に布を広げて商売をしていた形跡だけを残して、すでに主人らの姿はない。


「隊長、そこに誰か居ます」


 青年の一声で、地面に汚れた少女が座り込んでいるのを発見した。彼女は人の気配に気がつくと頭を上げる。

 アサギはその顔に見覚えがあった。長い白髪に翡翠色の瞳をした麗しい容姿の少女といえば、記憶上には彼女しか当てはまらない。


「――アイズ、こんな所で何をしている!?」


 ジュンレイの「隊長のお知り合いですか」という問いかけを残して、男は少女へと近付いた。


 彼女がそっと立ち上がると、そのワンピースタイプの着衣が緋色に染め上げられている。

 先日会った時とは違って真顔で暗い表情のアイズに、アサギは焦らず静かに問いかけた。


「怪我をしたのか? アイズ、それより早く避難しろ。ここは危険だ」


「ア……アサギさん、ですか」


「ああ、そうだ。大丈夫か」


 少女の肩に触れたところで、背後からジュンレイの短い悲鳴が上がった。振り返ると彼が、苦悶の表情で膝を付いている。

 その肩と太股に数本の短刀ナイフが突き刺さっていた。


「――ジュンレイッ!」


 アサギの叫びと同時に、男の方へも輝く飛来物が迫る。アサギが間一髪でそれを避けると、三本の短刀ナイフが壁に突き刺さった。


「ああー、避けられちゃったか」


 その声を共に建物の陰から長身の人影が現れた。それは虫の触角のような奇抜な髪型をしている若い男だ。彼は顎の無精ひげを撫でる。


「ボクは非戦闘員だし、投げナイフ初心者だからさぁ。まっ、一匹には当たったから、良しとしておこうかな」


 そこでアイズが「ムイタン」と若い男に声をかけた。彼女はアサギの隣をすり抜けて、彼の方へと歩み寄る。


「ああ、アイズ。ボクの可愛いアイズちゃん。害虫駆除は楽しめたかい」


「そん……なことより。ムイタン、対象は捕獲できた、の?」


「ごめーん、初代には逃げられちゃった。君が言った通りでなんか様子が変だったんだよねぇ」


「そう。ならば、行き……ましょう。マスターのご意志、よ」


 二人が会話している中で、アサギはジュンレイが苦しい息をしているのを間近に捉えながら叫ぶ。


「待て、どういうことだ。お前らはっ」


「あなた、には……関係ない」


「アイズ、さっきの害虫駆除ってのは何だ。ま、まさか。お前が、あの死体の山を――」


 そこで男、ムイタンが地団駄を踏みながら大声を上げた。


「ああああ、もう。うるさい、クソ蠅がボクの愛人に群がるな。こっちは殺すよ。いいね、アイズ?」


 そうして彼は懐から短刀ナイフを取り出す。少女はそれを無視して路地の方へと歩き始めた。


「ムイタン……早く、きて」


「はぁーい。もう、全く仕方がないな。はぁ、はぁ。本当にアイズちゃんはボクがいないと駄目なんだから、はぁはぁはぁ」


 ムイタンは気持ち悪い息をはきながら、少女の背に続いていく。アサギは歯を鳴らしながら、ジュンレイの上半身を支える。


「今、救護班のところへ連れて行くからな」


「……たいちょ、う。私は、構いません。奴らを追ってください」


「いや、お前を助けるのが先だ。痛むだろうが我慢しろ」


 肩を貸しながらアイズたちとは違う、基地への方向に向かって歩き出す。



 なんとか大橋の近くまでやってくると、低い建物の陰にジュンレイを下ろした。連絡を入れた救護班を待つ間に、男の無線機が点滅する。


「こちらアサギだ、どうした? どうぞ」


 そう問いかけたが、無線の先は雑音が多くて聞き取れない。


『ちら…………。ア、ギ。えるか?』


 無線機はオリバーが持っているはずだ。しかし、相手方は女の声のようである。


「すまない、上手く聞き取れない、なんだ。オリバー、いや。クリスティーナか?」


『わたし、ンだ。ど、にいる。…………はやく、どこ?』


「誰だ。どうした? どうぞ、おい」


 そこで無線は途絶えた。ぐったりとしていたジュンレイが眉を寄せる。


「隊長、オリバーさんたちが、危ないのですか? 向かって。助けて欲しい、です」


「分かった。救護班が来たらすぐに現場へ戻る」


「すぐに、行ってください、私は、一人でも大丈夫、です」


「バカな事を言うな。こんなところを襲われたら……」


「――早く、行ってください!」


 懇親の力を込めてそう叫ぶ彼に、アサギは傍に残りたい感情をひとまず堪える。


「ジュンレイ」


「隊長、お願いします」


 その揺るぎない意志を感じさせる眼差しに、折れざるを得なかった。


「分かったよ。すぐに救援へ向かう。お前はここでじっとしていろ」


「はい」


 アサギは決意を込めて拳を握りしめ、来た道を戻るために足を踏み出す。現場の方向では再び、大きな爆発音が轟いていた。



 ******


 アサギは細い路地を走り抜けて進んだ。現場の方へ近付くと突然、目の前に子供の手を引く男が現れる。


 スカイブルーの髪を二つに縛っている子供。それは基地と市場を襲った虐殺者スローター、セレナだった。


 彼女はうきうきとした嬉しそうな表情を浮かべている。男の方は後ろに撫でつけられた髪と、柔和な表情をしている長身者。

 その見慣れた姿を注視せずとも、誰かはすぐに分かった。


「……ケヴィン」


「ああ、アサギ。遅かったね」


「なぜ、お前がセレナと一緒にいるんだ」


 その質問に対して彼は答えなかった。しかし、セレナの方が陽気な声を上げる。


「ねぇ、パパ。セレナ、あのお兄ちゃん知ってるよ」


 ケヴィンは「ああ、そうだね」と答えてから、彼女の小さな頭を撫でた。アサギは唇が震えて、言葉が上手く出てこない。


「今……パパと、言ったのか?」


「ああ、アサギ。正確には、僕は彼女の父親ではないよ」


「それは、分かるが……」


 セレナとケヴィンの容姿は全く似ていない。そもそも彼らは虐殺者と人間である。

 血縁関係がない事ぐらいは分かったが、それでも疑問は残る。アサギはすぐに言葉を投げかけた。


「どういう事なんだ。説明してくれ、ケヴィン。そうだ、ジル。ジルはどうした?」


「……彼なら、ここにいる」


 ケヴィンはそう言ってから黒く焦げたような灰を周囲に撒き始めた。

 彼は柔和だった表情を曇らせる。


「一度目の爆撃に巻き込まれた。無駄死にしたから、こうして灰にしたんだ」


「なんで、そんなことになっちまったんだ」


 アサギが唇を噛むと、ケヴィンは悲壮な表情を一層濃くさせた。


「全ては僕の仕業なのさ。――なぁ、アサギ。愛するという行為は、誰かを傷付ける最初の一歩かも知れないね」


「どういう意味だ」


「すまないが、少しだけ昔話をさせてくれないか」


 アサギは「こんな時に、何を言っている」と声を上げたが、その言葉を無視するように彼は胸に手を当て語り出した。


「これは昔、昔の話だ。虐殺者(スローター)の少女に恋をした隊員がいました。彼は愚かで、情けない。そんな男でした」


「(……一体なんの話をしているんだ。まさか、俺のことじゃないだろうな)」


 アサギがそんなことを考えている間も、彼は語り続ける。


「それでも彼女は男を受け入れました。それはとても無謀な関係でした。まもなく

二人の間には、神様から掛け替えのない宝物が与えられたのです」


 ケヴィンは腕に絡みつくセレナの顔を見て、怪しげな笑みを漏らす。


「赤子に恵まれた母親は涙を流して、その喜びを表しました。それでも、父親の方はとても不安だった。嬉しい思いで覆い隠そうとしても、消えない恐怖心を抱えていたのです」


 彼の言葉はまるで演劇のように迫真で、身を震わせながらその話を続けた。

 アサギは以前の穏和な男とは違う異様さに「お前は……」と声が漏れる。


「男の恐れが現実のものとなるのに、差ほど時間はかかりませんでした。妻と幼子はある日、卑劣な隊員の男によって殺害されてしまったのです。


 その日から、父親には地獄のような日々が待っていました。彼は苦しい現実から目を背け、逃避をすることで精神を保っていたのです」


「……その話は、何なんだ」


 そう問いかけると、ケヴィンは初めて男から顔を背けた。


「僕はね、怖かったんだ。臆病で、愚かで、情けない男なのさ。分かるかい?」


 アサギが息を呑むと彼は目を吊り上げて、まるで鬼のような形相となる。


「それでも、僕は。僕の『大切なもの』を壊した盟友を、そして組織を、決して許しはしない。――許せないんだよ。なぁ、アサギッ!!」


 その悲痛な訴えは夕闇に木霊して、そして消えた。

 周囲が静寂に包まれると、ケヴィンの表情が柔和なものに戻っている。


「……だからって、君をどうこうしようと思っている訳ではないよ。だから、アサギはルーさんを連れて逃げて欲しい。


 その間に僕は、汚い手を借りて基地を、組織を破壊する。そしてすべてが終わったら、僕は堕ちるべき所へ逝くつもりだ」


 そこでケヴィンの手を握っていたセレナが、痺れを切らしたようにぴょんぴょんと跳ねた。


「ねぇ、パパ。そのお話、セレナむつかしくてよく分からないよぉ」


「そうだね、ごめんね」


 頭を撫でて貰った彼女は「えへへ」と頬を桃色に染めた。ケヴィンはそのまま踵を返そうとする。


「だから、それまで僕を放っておいてくれ」


 アサギは「グッ」と短い声を上げた。彼がした話が事実なら、男には決死の復讐を止める権利などない。

 ――それでも――。


「いかせない。行かせるものか、ケヴィン!」


 それでもアサギは銃器を構えた。「銃口を同僚へと向ける」という決断をした。これは決して脅しではない。

 ケヴィンはゆっくりと瞳を閉じてからそれを再び開いた。


「そうか。……残念だよ」


「お前は間違っている。セレナを使って人殺しをさせたところで何になるんだ。同じ不幸を作り上げているだけじゃないか」


 アサギは彼が改心するなどとは思っていなかった。それでも男は僅かな希望を捨てることができない。


「ケヴィン、もうやめてくれ。ジルは死んだ。もうそれでいいじゃないか、組織を壊して何が変わるっていうんだよ」


 セレナが不安げに『父親』を見上げている。ケヴィンは弱々しく眉を下げた。

 アサギは、その表情から一縷の望みを見いだせた気がした。


「……もう。もう遅いんだよ。アサギ、だって、か――ッ」


 そう言った彼の体がビクビクと痙攣する。口から鮮血を吐いたケヴィンの腹部からは細身の剣が突き出ていた。


「パパッ!?」

 セレナの叫にと同時に、彼の腹部から剣が引き抜かれた。ケヴィンは地面へと膝を付き、そして地面へと倒れる。



「これは、もう……いらない」

 その背後から人影が現れた。それは長い白髪を風に靡かせたアイズだ。


 セレナが「パパぁ、パパぁ」と声を響かせる中で、アイズは男の方へと濁った瞳を向けた。


 そこから読みとれた感情は、虚無である。そんな彼女へとアサギは散弾銃(ショットガン)を向けた。


「アイズ、どうしてこんなことを!」


「だって、マスターが、そう……しろ、と言ったから」


「マスター? それは誰なんだ。この間の施設員か!?」


「聞こえ、る。……マスターの声がッ!!」


 アイズが頭部を押さえながら金切り声を上げた。そんな少女へとセレナが突撃する。


「これいじょう、パパにひどいことしないでっ」


「……邪魔、はせさない」


 少女は冷静に剣を払う。セレナは攻撃をかわしたが、アイズのスピードがそれを上回った。

 幼い体は剣の威力に脆く崩れる。しかし、物理的な攻撃ではセレナを殺傷するは不可能だ。


 少女が懐から一本の注射筒シリンダーを取り出すまで、アサギはそう思っていた。


 筒底の白いラベルを見て驚愕する。それは対象者を確実に致死させる場合に用いる最高濃度の薬剤だったのだ。

 薬剤部が厳重に管理しているはずの注射筒を何故、少女が手にしているのか。男が声を上げる間もなく、アイズはそれをセレナの体へ投与する。


 幼い体は大きく跳ねると激しい痙攣を開始する。ケヴィンが体を引きずりながらセレナの方へと這っていく。


「もう、眠って……いて」

 ケヴィンの体にアイズが細剣を振り下ろそうとしている。アサギは迷わずトリガーに指をかけた。

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