表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/34

水面下で蠢く感情

 状況が好転しても男の悩みは尽きないようだ。早朝、ベッドの上で毛布にくるまっていた少女に声をかける。


「おいこら、ルー」

「うぉ、あしゃぎっ!」


「『うぉ、あしゃぎっ』 じゃ、ねぇよ。なんで毎夜、毎夜ベッドに潜り込んでくるんだよ」

「うぇ? なんでぇ?」


「いや、こっちが質問してるんだがな」

 首を傾げた少女にアサギはため息をはいた。そこである仮説を思いつく。


「(まさか、ルーインの嫌がらせか?)」


 大きな欠伸をしているルーを見て、そんな頻繁にコロコロ入れ替わるものでもないだろうなと思った。


「自分のベッドがあるだろ」


「あーい!」

 どうやら返事だけはよろしいようだ。昨日の朝にもこんな会話をしている事を思い出して、アサギは頭をガシガシと掻く。

 それから朝食を取って、基地へと赴くために支度をした。



 二人でアパートを出ると、例によってモノレールに乗車する。そしてターミナルへ、そこからはバスだ。結構な時間をかけて駐屯基地へとやってきた。


「(全く不便だよな。車が欲しいところだな)」


 そんなことを考えながら執務室の扉を開く。すると男の「ふざけんな」という怒鳴り声が耳に入ってきた。

 室内でジルが、鼻血を垂らしたハルの胸ぐらを掴み上げている。


「何やってるんだ。ジル、手を離せ!」


 アサギが彼の肩に手をかけると、ジルは青年を突き飛ばした。ハルは床に尻餅をつく。


「おい、アサギよう。部下の躾はしっかりしておいて貰わねぇと困るぜ」


「何か問題があったのか」


「このガキは、前々から生意気だと思ってたんだよ」


 ジルが声を上げるとハルは、ボソリと呟く。


「……っとに、単細胞はすぐ切れるから」


「んだと、コラァ!」


 アサギはまたもやハルに掴みかかかろうとするジルを止めるようと、二人の間に割って入った。


「やめろ、何があったかは知らないが。ジル、悪い。許してくれ」


 男が頭を下げ続けると彼は落ち着いてきたが、ハルは不満げな表情で鼻血を拭っている。


 ジルは不服そうな顔つきで腰に手を当てた。


「男の生意気盛りなんて需要ねぇよ。文句ばっか垂れやがって、そういうもんは実力を付けてから言え」


 彼はそう言い残すと、部屋から出て行った。アサギはハルに手を差し出す。


「どうした、ハル。喧嘩なんてお前らしくないな」


 そこで呆然と立っていたルーが、そっとやってきて心配そうに声を上げた。


「はる、らいじょーぶ?」


 ハルは「本当にらしくないですよね」と呟く。


 彼はアサギが差し出だした手を取らなかった。苦笑いを浮かべた後、頭を抱えて座り込む。


 どうも落ち込んでいる様子なので、出来る限り優しく声をかける。


「ジルのことなら気にするな。後でまた謝罪してくる。そんなに怒っちゃねぇよ」


「すみません、隊長」


 ハルが震える声を漏らしたところで、扉が開いてジュンレイが入ってきた。彼はうずくまる青年を見て何かを感じ取った様子を見せる。


「おはようございます。もしかして、何かありましたか?」


「いや、大丈夫だ。それにしても俺は思うんだが、タイランはいつも遅いよな。来たら存分に叱ってやろう」


 アサギが冗談めいた明るい声を出すと、ジュンレイも笑みを返した。

 噂をすれば陰である。そこでタイランが入室してきた。ハルもようやく起きあがって、いつも通りの姿を見せる。


「おはようございます。タイランさんってば最後ですよ。新人さんより遅れてくるのは問題です」


 青年の陽気な声かけに、彼は「悪い、それは。苦手、朝が」と片言の声を上げた。


「仕方ないですねぇ。まぁ、遅刻って訳じゃないですし、構わないんですが」


 それを聞いて、アサギは「おいおい」と呆れた声を漏らす。


「俺より先に来て準備している、ぐらいでないと困るんだがな。特にジュンレイは新入りなんだから、ハルみたいに気を使えよ」


 ジュンレイは急に自分へ飛び火してきて慌てたのか、背筋を伸ばして答える。


「わっ、すみません。以後、気をつけます!」


「よし。じゃあ、ミーティング始めるぞ」

 男のかけ声で、ハルがタブレットの端末を操作する。


「今日の連絡事項はっと……えっ!?」


「なんだ、今日もいつも通りの雑務か」


「いいえ。キャンザーの警戒任務……です。嘘だ、えっ本当に?」


 ハルが自分で自分に疑念を感じているので、アサギはその画面を確認する。


「珍しいこともあるもんだ。危険区任務か、しかもDS(ダース)まで派遣されて来るんだな」


「信じられません。臨戦体制で現場に臨めるなんて奇跡ですよ!」


「おいこら、あまり興奮するな。キャンザーに入るんだから、気を引き締めろ」


「はい、隊長」

 興奮冷めやらぬ様子で目を輝かせている青年に、アサギは一抹の不安を覚えた。



 ******


 男は新しく支給された散弾銃(ショットガン)を背負っていた。

 ハルは短機関銃(サブマシンガン)を、タイランは通常通り黒づくめな装いで突撃銃(アサルトライフル)を装備している。


 矢弾射撃部が派遣されたため、ジュンレイは第一隊(プロートン)と行動を共にしている。クリスティーナたちは移動する三番隊(サード)を追いながらも、一定の距離感を保っているはずだ。

 ルーは執務室で留守番をさせることにした。少々、心配ではあるが彼女にもそろそろ一人で居ることに馴れて貰わなないと困る。


 アサギはそんなことを考えながら仲間たちと煉瓦造りの建物間を縫って偵察ポイントを順に回って行った。

 冷静な様子で周囲の警戒を怠らないタイランを余所に、ハルの方はどうも気が散っている様子を見せる。


「何も起きませんね」


「おいおい、その方がいいに決まってるだろう」


「……うーん、それはそうなんですが」


 彼が言ったように、何も起きてはいない。ただ遠くの方で野犬が吠えているぐらいで、昼間だというのに辺りは静まりかえっている。

 アサギは妙な違和感を覚えていた。


「(どうも人の姿が見えない。どういうことだ)」


 その異変に気が付いたのは、荒れている空き地へ来た時だった。大地には血液が散布し、緑の草が茂った空間には死体が山のように積み上げられている。

 その光景を目にしてアサギは言葉を失った。


「う、嘘ですよね、こんな惨い……」


 背後からハルの声が耳に入った矢先、銃声が響く。それは最後尾にいるはずのタイランが銃弾を撃った音である。


 アサギの視界に入ったのは、タイランと争う虐殺者(スローター)らしき女だ。

 彼女は腰まで伸びたボサボサの赤毛と、脱力した様な体を揺らしながら素早い動きで銃弾を避けていた。


「僕なら狙えます!」

 ハルが銃を連射すると、女の体は血にまみれる。しかし、彼女はそれを気にも止めていない様子で、その虚ろな漆黒の瞳は何も映してはいない。


 男の胸部に装着していた無線機のアンテナが点滅する。それは第一隊(プロートン)からの狙撃合図だ。


「――ダート、後退しろッ!」


 アサギが素早く距離を取ると、部下の二人も彼女から離れた。

 頭上から矢弾(ダート)が放たれてくる。狙撃手が二人いるとい事は非常に有利な体制で矢弾は入れ替わるよう降り注ぎ、女に突き刺さった。


 その体に投与された薬剤は、これ以上ない効果が期待できるはずであった。

 しかし、彼女は先ほどと何も変わらぬ姿で佇み、気絶どころかふらつきもしない。男は焦って散弾銃(ショットガン)の狙撃態勢に入る。


 気が動転していた為、アサギは周囲の状況が見えていなかった。


「隊長ッ!」

 タイランの怒声が響くと、アサギの背後から新たな殺気の気配がして気づく。喉元に短剣が突きつけられていた。


「(もう一人、仲間がいたのか……)」


 身動きが取れないアサギの耳元で、男の低い声がする。「何故、ウムギを傷付けている」と聞こえきた。

 ハルがすぐさま銃口を向けたが、背後の男は冷静なトーンで言葉を続ける。


「お前たちは早く銃を手離せ。さもなくばこの男を殺す」


「くっ」

 ハルが武器を手放すという決断を下す前に、タイランが動いた。ぼーっとした様子の女、ウムギの背後へ回り込むと髪を掴んで銃器をその体にあてがう。


「――離せ、隊長を!」


 回復能力のある虐殺者(スローター)に銃を突きつけたところで、脅しの効果は薄いと思われた。だが、男はアサギをから刃物を離して女の方へと俊敏に向かって行ったのである。


 背後の男が離れたことで、その姿を確認する事ができた。角膜と強角が逆の色という特徴的な瞳を見て何者であるかが分かる。

 彼はキャンザーに続く大橋でアサギに襲いかかってきた青年であった。


 アサギはすぐに銃口を向けた。ハル、タイランと共に、対象者の二人を囲むように迫ったが、相変わらず青年は堂々とした態度でいっさい動揺していない。


「俺の回復能力が高いことは知っているだろう。そんなものは効かない、無駄撃ちになるだけだ」


 そう言った青年は女を庇うように前に出る。アサギはトリガーに指をかけるハルを制して声を上げた。


「この死体の山は、お前たちがやったのか」


「俺たちではない」


「そんなことが信じられると思うのか」


「信じるか、信じないかはそちらの勝手だが。お前は無実の罪を裁けるほど、偉大な存在だというのか」


 そう言われてアサギの気持ちは揺らいだ。「それは」と声を漏らす。

 一方の青年は落ち着いた態度で言い放つ。


「俺は愛する者を守る。それが理解できないお前たちは、こちらが何もしなくてもいつかは滅びる。その運命だろう」


 そこで女が体を横に振るわせた。小さな声で「嗚呼、災厄が来た」と呟いて身震いをしている。


 空から一つの球体が転がり落ちた。存在感を放つ黒塗りのそれは明らかに爆発物であった。


「――爆弾っ!?」


 アサギが叫ぶのと同時に閃光が放たれる。その白い光は一瞬で辺りを包み込み、男たちは視界を奪われた。

 目の前が激しく点滅する。眼球が正常な働きを取り戻すまでには時間がかからなかったが、その間に対象者たちは姿を眩ませてしまった。



 建物上から巨漢が降り立つ、その両脇には少女と青年が担がれていた。地面に足をついたクリスティーナが、駆け寄ってくる。


「アサギ、無事でありますか」


「ああ、問題ない」


「アサギ殿、喉元から出血しているようだが」


 そう言われて、アサギは首に触れた。ぬめりした感触がして、指先を見ると確かに血が付着している。

 クリスティーナが眉を吊り上げている。


「これは緊急案件と判断し、SS(エスエス)基地へ連絡を入れたであります。至急、四番隊(フォース)が駆けつけてくれると」


「そうか、すまない。こちらからもジルへ連絡しておく。ハル、タイラン、二人とも怪我はないか」


 そう尋ねると「隊長」と声をかけられた。ハルの方へ視線を向けると彼の表情は暗い。


「なんだ、ハル」


「どうしてあの時、奴らを撃たせてくれなかったのですか……」


「攻撃をする前に確かめておきたい事があったからだ」


「この死体の山を作ったかどうかという問いでしたら、そんなこと無意味ですよ。そんなの、スローターがやったに決まっているじゃないですかっ!」


 彼は珍しく声を荒げ、震える手で銃器を握りしめている。


「――以前から思っていましたが、隊長は、……隊長は甘すぎるんです。だから四番隊(ジル)にもバカにされたり、年下の隊員からもナメられるんですよ!!」


 狙撃手三人が困惑した顔で、アサギたちの様子を窺っている。ハルは言葉を続けた。


「あなたは虚しくならないんですか。悔しいと言う気持ちには? ――僕だったら、バカにする奴らを見返してやりますよ」


 普段なら言わないような毒々しい感情を吐き出したその様子を見て、アサギは苦笑した。

 もちろん、それは彼の気持ちが分からないからではない。自分に対しての失笑だった。


 ハルは要領がいいから、何でも先回りして一人で解決しようとする。そんな時に頼れるはずの上司が、ルーインの事で調子を崩していたことが余計に不安を煽っていたらしい。


 上司が頼りない態度を取る度に、彼は自分でも気づかないうちに惨めな思いを胸に中にため込んでいたのかも知れない。アサギが三番隊サードの隊長として他者から見て誇れるような人物でないことが原因だろう。


「すまない、ありがとう」


「……えっ」


「俺のなかなか口に出せない本音を代弁してくれた事だ。感謝する。どうも俺は悔しいという感情に鈍くていけない。いや、鈍いというか余り考えないようにしているのかも知れない、情けない話だが」


「……隊長」


「ハル。俺が頼りないせいでよけいな心配をかけて悪かった。こんな奴でも良かったらこれからも着いてきて欲しい」


 そう言うと青年は眉を八の字にしてから、湿った音を立てながら鼻を啜った。

 そのまま頭を下げた彼の行動には非礼を詫びたい気持ちや、期待を込めた懇願といった様々な感情が籠もっている。

 男はその強い思いを胸に刻み込んだ。


 その時だった。

 辺りに連発したのは爆発音だ。建物が倒壊し始めると、その場にいた全員が息を呑んだのがアサギには分かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ