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少女との出会い


 合衆国(エンパイアライン)にあるスターリー州は十二の地区に分かれている。

 その中でも、煉瓦造りの建物が密集しているのがキャンザー街区だ。

 浮浪者や犯罪者も多く住み着き、一般的には危険地域と認知されている。街中には警報のサイレンが鳴り響き、人影はほとんどない。

 人々は安全が確保されるまでの間、建物内でひっそりと息を潜めているのである。



 迷彩柄の隊員服を着た男が、石畳の通りを駆け抜けていた。彼は入り組んだ路地を慎重に進み、偵察ポイントの一つである広い裏路地へ辿り着く。


「(何か、異常は……)」


 男が刈り上げられた栗毛頭に触れていると、壁際にボロ布の塊を見つけた。

 近付くと布から白い足先が二本はみ出ている。死体でない事を祈りながら、彼は布を取り除いた。


 そこに十五歳ほどの年齢と思われる少女の姿が現れる。彼女は地面へうずくまる格好で腹部がゆっくりと動いていた。


 男の心境が『心配』から『疑心』へと移り変わるのに、大した時間は要さなかった。少女の肩上で切り揃えられた黒髪から覗く首筋に、円形状の注射痕を発見したのである。


「(――スローターかっ!)」


 虐殺者(スローター)。それは凶悪な殺人鬼で説明が付く、男が所属する部隊の駆除対象者だ。


 しかし、近代において駆除というのは時代遅れの名称でもある。対象者を愛護する団体の保護運動が活発で、殺傷せずに捕獲するのが常識となりつつあった。

 ただ、一つ気になるのは少女に打たれた注射痕だ。それは隊員が持つ注射筒(シリンダー)を投与された証であり、彼女が人を襲う可能性を暗示していた。


「(……このまま、気絶してくれていればいいんだが)」


 男のそんな願いとは裏腹に、少女は目を覚ました。

 彼は条件反射で腰元の曲剣(サーベル)を引き抜くが、少女は襲いかかって来なかった。緋色の瞳に涙を溢れさせたかと思うと泣きわめき出したのである。

 てっきり戦闘になるものとばかり思っていた男は拍子抜けしてしまう。


「やめろ、なんだよ」


 少女は男に向かって、掴んだ土や小石を手当たり次第に投げつけた。更には地面に生えていた雑草までもを引きちぎって攻撃する。

 ふわふわと宙を舞う草を見ながら、彼は眉を寄せた。


「(こいつ、まさか近世代なのか?)」


 男は装着していたベルトポーチから拘束用の手枷を取り出そうとしたが、少女が唐突に飛びかかってきた。素早く剣を振り払うと、彼女は体を仰け反らせる。


「――びゃああ!」

 その情けない悲鳴と共に、地面へ水滴が垂れた。


「おいおい、まじかよ」


 あろうことか、少女は失禁していた。残虐と名の付く怪物の異様な行動に、男は唖然とするしかない。

 立ち竦んでいると、胸部に下げていた小型の無線機が点滅した。それを手に取ると、「対象者が沈黙、警戒令を解く」との通達であった。



 ******


 すでに日は沈み、丸い月が顔を出していた。


 対象者の少女がベッドですやすやと寝息をたてている。彼女の腕には手枷がはめられ、金属製のベッド枠に繋がっている。

 そんな様子を、男は寝室扉の隙間から見つめていた。


 少女を見つけた過程を含めて、災難が続いている。


 男が所属する虐殺者(スローター)対策部・討伐隊では、対象者を捕獲した際のマニュアルが詳しく定まっていない。

 部隊長格ともなると個人的に保護施設へ連絡を取って空き状況を確認したり、秘密利に殺傷する場合もよくある。


 あの後、男もすぐに本部と連携している施設へと連絡を入れたが、空き状況を確認したいから早朝まで軍部で預かって欲しいと告げられてしまった。

 しかし、男はその選択を迷った。古参隊員の中には対象者に対する憎悪の念が未だに根強く残っている。そんな猛獣らの檻へ幼稚な少女を放り込めば、彼女の辿る末路など決まっていた。


 男は悩んだ末、駐屯基地に備えられている小型車を借りてこっそり帰宅したのである。偶然にも明日は休暇を取っていたので、すぐにでも少女を施設へと連行できるだろう。


 しかしながら彼女の汚れた衣類を着替えさせるのにはかなり苦労させられた。脱衣場からも半裸で脱走するし……と、これは消し去りたい記憶だ。


 そんなことを思いながら男は扉を閉めた。キッチンと一つになっている洋間で、ソファに寝転ぶと片手で瞼を塞ぐ。


「(……ああ、疲れた)」


 男は今年で三十五歳になる。壮齢の上官たちからはまだまだ現役だと言われるが、無鉄砲な若者の頃に比べて体力的な衰えを感じ始めていた。


 無理をすると筋肉痛が次の日といわず三日後ぐらいに起こるので、そろそろ退役して第二の人生という選択もありだろう。


 男は盛りの年代であっても酒などの嗜好品や恋愛にも無関心だった。これといった趣味もなく、有意義な金銭の使い道もついに見いだせなかった。

 ひたすら働くだけの日々だったので、貯蓄は十分にある。田舎で放牧しながら犬を飼ってのんびり暮らすという願望もいつかは実現したい。


 そんな理想に浸っているとフローリングの床をひたひた歩くような音が耳に入る。

 ――幽霊なんてないさ。幼い頃に母親から聞いた気がする歌が脳裏を過った。「いや、そんなものは怖くない。それより眠い」と男は用意していた毛布を被る。


「うがぁーっ!」


「なんだっ」


 ソファのすぐ側で奇声が上がり、目を開いた。慌てて体を起こすと、例の少女が間近に立っている。

 彼女は丈の長いTシャツから右肩がはみ出しているという情けない格好だったが、男は肝を冷やした。


 この対象者は襲いかかってくる気配を一向に見せない。渋い表情を浮かべながら、腹部を擦っている少女に声をかける。


「なんだ、腹でも痛いのか」


 彼女はそれを否定するように首を横に振った。言葉の意味は分かる様なので、ひとまず安堵する。


 少女は口を大きく開けて、その中を指す。男はそれだけでも彼女の意志を理解できたが、反応を見るには良い機会なので意味が分っていないふりをする。


「口ん中が痛いんだな」


「うぎゃ!」


 少女は悲痛な表情で腕をバタバタとした。どうも伝わらないのがもどかしいのか地団駄を踏む。


「おい、こらふざけんな。下の階は大家なんだぞ」


 彼女は、ぎゃあぎゃあとわめきながら頭を振る。どうやら少女は、中身が幼児のままで成長を止めてしまっているらしい。


「分かった。何か食わせてやるから大人しくしろ。こんな時間に暴れてたら、追い出される」


 彼女はその言葉を聞いてパッと顔を輝かせた。嬉しそうに頷いているので、約束通りにキッチンへ向かう。


「(しかし、繋いでいたはずなんだがな)」


 鉄枷から運良く手が抜けたのか、はたまた破壊してきたのかは定かではない。そんな事を考えつつ、男はパンの袋を開いた。

 すでに傍らで待機していた少女に、五枚に切りそろえた一枚分を渡す。彼女は茶色い耳の部分を持ち、それを回転させていた。


 冷蔵庫を開いたが、ピーナッツバターの小瓶しか見あたらない。それを渡そうとしたが、すでに少女の手の中にはパンが存在していなかった。


「(こいつ、一瞬で食いやがった)」


 男が関心していると少女は無理矢理、瓶を奪ってきた。その蓋を開けようとかじりついている。


「がうっがう」


「おい。それじゃあ、開かないだろ」


「――がっ!?」


 少女がしっかり閉じられた蓋に勝つ事はできなかった。

 ガラス瓶に当たっていた歯が折れると、鮮血と唾液が床に垂れた。そのショックで彼女は泣き叫ぶ。


「(痛てぇ、俺じゃないけど……)」


 その痛々しい姿を見て、男は引き気味ではあるが同情した。

 しかし、少女の傷はその一瞬で治癒を開始する。新しい前歯が再生する様を見て、男は腕を組む。


「(いつ見ても凄まじい回復力だな)」


 虐殺者(スローター)は不死治癒力という強い再生能力を持つ。


 基本的に物理攻撃では殺傷できないが、男も所持している注射筒(シリンダー)を複数回投与すれば絶命する。また、彼らを確実に死に至らしめる薬剤濃度の高い特注薬品なども存在した。


 少女は痛みが引いてきたのか、徐々に泣き止んだ。彼女は恐る恐るといった様子で前歯が無事かどうかの確認をしている。

 不思議そうな表情を浮かべる彼女を見て男は眉を寄せた。


「お前。まさか自分がスローターだって分かってないのか」


「すーろぁー?」


「スローターだ。バケモノめ」


 そう悪態をついたものの、男はそれらを憎悪している訳でも、殲滅させたいと思っている訳でもない。ただ、犯罪者と善良者の区別は人間同様に必要だろうとは思う。


 少女が首を傾げている。

「ばぁ?」


「バケモノな」


「――ばけものなぁ!」


「おい、変なこと覚えるな。後で面倒だ」


 対象者の愛護や保護を謳う団体というものは、そういう事に過敏な人間が多い。

 男が少女を怪物(バケモノ)呼ばわりしていると最悪、軍事本部の方へ「差別的だなんだ」と面倒くさい言いがかりが行きかねないのである。



 男は「ほら、中身だけ食えよ」と注意してから瓶の蓋を開けた。

 彼女は真剣な表情でその中身をせっせと舐め取り始める。程なくしてベトベトになった口元を緩ませて満足そうに微笑む。

 全てのパンを平らげた少女を連れて男は寝室へ入った。


 予測通り、鉄枷は破壊されてしまっているので、仕方なく「起きてくるなよ」と言い聞かせる。

 ベッド上の少女は毛布を被って静かに目を閉じた。


 男はふらふらと寝室を後にする。ソファへもたれ掛かっていると眠くなっていく。

 しばらく微睡んでからその意識は途切れた。

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