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心の依り所

 少女が豪雨の中で剣を構えている。

 ここは銃弾と怒号が飛び交う戦場だ。彼女は戦乱の最中を駆けていたが、豪雨で視界が悪く、泥濘に足を取られてしまった。


 その小さな姿は汚泥の中へと消えた。泥水で顔も衣服も汚れてしまうと、少女は立ち上がることを諦めた。


「(この体は血にまみれている)」


 何度、傷つけられてもそれは治癒してしまうのに、露わになってしまって隠しきれない心には簡単にヒビが入る。苦くても、辛くても他者が助けの手を差し伸べてくれることはなかった。そんな混沌の中に精神を貶めた。


 そんな時だ。雨で重く濡れた白髪が視界の端に映った。

 見上げると、戦友が手を差し伸べてくれている。その隣には司令塔が立っていた。

 無言の威圧に耐えられなくなって体を起こす。そこで少女は、酷い耳鳴りと頭痛がして額を押さえた。


 映像のように場面が暗黒へ切り替わると、幼さの残る自身の姿が見える。闇に呑まれながら、少女は必死にもがく。「やめろ、これは私の体だ、渡すものかっ」と叫んだ。


 ――しかし、本心は違う。


「(争うのは怖い。人間が嫌い。傷付けられるのは、とっても痛い。……幼くても許されるというならば、絶対にその方がいい)」


 だから少女は『あの娘』と入れ替わることを本当は望んでいた。そうしていれば無条件で愛して貰えるからだ。


「――ッは!」

 そこで少女は目覚めた。荒い息をはきながらベッドに横になっていると、見ていたものは夢であったという事に気付かされる。


 天井にある照明が暖色の淡い光を放っていた。

 傍らにあるのは柔らかい毛布、くまのぬいぐるみ、読みかけの絵本。そこまで確認したところで、彼女は安堵して息を漏らす。


 しかし、体は身震いをしていた。早くあの娘へ戻らねばと思ったのである。男が起きてくれば、また落ち込ませるかも知れない。

 だが必死に息を整えている隙に、彼は起床してしまったようだ。


「ルー、おはよう」


 そう挨拶をされて、少女は微妙な笑みを浮かべた。馴れていないせいか頬が引き吊って上手く表情が繕えない。

 男の顔を見ると同じように微妙な表情を浮かべていた。彼は「ルーイン」と一言呟くと、それ以降は無言のままでキッチンへ向かう。

 少女は思わずいつも通りの声を上げた。


「わ、私で悪かったな!」


 アサギは足を止めてから振り返った。その顔からは悲痛さが読み取れる。


「(そんな顔はやめてくれ。私ではいけないんだと分かっているから)」


 そう考えたが、出てきた言葉は気持ちと裏腹な事である。


「――喜べ、ついにあの女は消えたぞ」


 そんなことを口走ると、アサギは焦った様子で近づいてきた。それでも、一定は距離を保たれている。


「なんだと」


「ふん、冗談だ。お前は本当に気持ち悪い男だな」


 冷ややかな笑みを浮かべてやると男は怒ったように睨みつけてきた。


「(アサギはお前を待っている。今の内に早く返ってこい)」


 そんなことを心の中で唱えたが、別人格は一向に姿を現さなかった。ルーインは最近、気付いたことがある。

 あの娘が出てくる頻度が減っているのだ。その事に関しては、焦燥を感じられずにはおれなかった。


 幼児と入れ替わることで、少女は心の平穏を保っている。そうしていれば、自分には安心できる居場所があって愛されていると実感できた。

 今更そんな居場所を手放すのは不可能である。寒い孤独の日々へ戻る事などもうできないのだ。


 少女は自分を抱きしめるように両腕で体を包み込む。アサギはもうその場にはいなかった。



 ******


 ぎこちないながらも二人で朝食を終えた。そこで男が口を開く。


「ルーイン、お前に聞きたいことがある。……――おい、聞いているのか」


 ルーインは「答えてなんかやるもんか」と考えて腕を組んだ。彼も同じように無言となると、洋間に静寂が訪れる。


「……聞きたい事とは何だ」

 少女は重い沈黙に耐えきれずにそう口走ってしまった。


 後悔した時にはもう遅い。アサギは何かが切れたようにテーブルに両手を付いて、まくし立てるように声を上げた。


「アイズを知っているな、どういう関係だ。お前はどうしてずっと気を失っていたんだ。それから、ルーはどうした。どこにいるんだ、答えろ」


 ルーインは、アサギが女性に好かれない理由が分かる気がした。肩を落として深く息をつくと、その行動に男は何か誤解をしたようである。


「なんだ、黙り込むつもりか」


「違う。はぁ、うるさい」


「なにっ!」


「少し、落ち着いたらどうだ」


 自分のような者に諭されるとは、アサギも大した器がないとルーインはしみじみ感じる。そんな男に少なからず惹かれている自身を恥じた。


「ルーイン、お前である間に聞いておきたいことがある」


 アサギは椅子に腰掛け直すと、真剣な眼差しを向けてくる。


「アイズとはどういう関係なんだ」


「ノーコメント」


「なぜだ」


「お前は、他者においそれと私情を暴露されて良い気がするのか?」


 少女は意地の悪いことを言っていると自分で分かっていた。だが、それでも全てを男に話す義理はないのである。


「知り合いではあるのか」


「そうだな、古い友人という事にしておこう」


「じゃあ、お前がずっと目を覚まさなかった理由はなんだ。どうしてルーが生まれてしまったんだ」


「それは私の方が聞きたい。……自分で分かっている範囲では、どうも薬が絡んでるようだが」


「シリンダーか?」


「いや、違う。あれだ。なんて言ったか、ダ、ダー、ダズ?」


DSダースか。ということは矢弾ダートが関係しているのか」


「そう、それだ。私はあの矢を打たれるのがどうも、苦手らしい」


「らしいって、お前。自分のことだろ?」


「仕方がない、記憶が曖昧なんだ。――ふん、お前に詳しい話をしてやる義理なんてないんだがな」


「……さんざん世話になっておいてか?」


 それを聞いて少女は、ルーであった時の行動をいろいろと思い出して、顔が熱くなった。「なにをっ」と声を荒げる。


「お前も落ち着けよ」


「(くそう、アサギのバカ野郎めっ)……お前、嫌いだ」


「そうか。悔しいが俺も同意見だ」


「――貴様はそんなに死にたいか!」


「やれるもんなら、やってみろ」


 グギギギと歯を鳴らす。道化のように踊らされている気がするので、呼吸を整えて落ち着くことにした。


「アサギ、ルーの件だが」


「なんだ?」


「もう戻って来ないかも知れない」


「はぁ、またそれか。もう騙されんぞ」


「いや……ああ、そうか」


 少女はズキズキと痛む頭を押さえる。絞り出す声が震えそうで、誤魔化そうとソファに横になった。


「私は少し寝る。起きたらあの娘にであるようにと、せいぜい祈っていろ。変態野郎」


「うるせぇ、よけいな罵倒するな」


 その言葉を聞き流して、ルーインは瞳を閉じる。起きたら、自分は陽気な少女に戻っていると祈りながら夢の世界へ落ちていった。



 「(……暖かい毛布にくるまれている感覚は、なんて気持ちがいいんだろう)」

 少女はそんな風に微睡みながら目を覚ます。


 起きあがると、体にかかっていた毛布がずり落ちた。アサギが被せてくれたのか、なんだかんだと文句を言っている割には情け深い男である。


「(まぁ、それが甘さに繋がっているのだろうがな)」


 窓の外を見ると、早くも夕焼け模様である。午前中からなので「我ながらよく眠ったものだ」と関心した。

 残念ながら幼い彼女ルーが出てきた気配はない。静まりかえった室内で大きな欠伸をした。


 そこで玄関の鍵が開く音が鳴る。重い足取りのドンドンドンという音で、少女はそれがアサギであると分かった。

 予想通り、買い物袋を抱えた男が短い廊下からキッチンの方へと入っていく。

 対面型のシンクから男の顔が見えている。その目がこちらを捉えた。


「で、お前はルーに戻ったのか」


「その質問をしている時点で、私だと気付いているんだろ」


 それに対する返答はなかった。彼は黙ったまま、食料品を冷蔵庫へ仕舞い込んでいる。

 ルーインはソファから足を投げ出して座った。暇つぶしに足を揺らしていると声をかけられる。


「ルーイン」


「なんだ」


「体調は、もういいのか」


 意外な事を言われて驚いた。「えっ」と声を上げると、アサギがミックスジュースのパックを片手に言う。


「だから、もう頭痛は治ったのかって。まだ痛むのか?」


「い、いいや。痛くない」


「ふん、そりゃ良かったな」


 男は相変わらず素っ気ない態度である。それでも何となく感じるその気遣いに口角を緩めた。

 高揚した気分を悟られないように、再び横になる。しばらくそうしていると、男が近付いてくる気配を感じて起きあがった。


 アサギは腰に手を当てながら口を開く。


「辛いなら正直に言えばいいだろう」


「いや、別にそういう訳じゃない」


「じゃあなんだ。眠いだけか」


「う、うん。まぁ、ゴロゴロとしたい気分ではあるな」


「ふん、なんだ。心配して損したぜ」


 心配してくれていたのかと思うと、つい口から「へへへ」という情けない声が出た。少女は誤魔化そうと、慌てて毛布を被る。

 そうするとその上から頭に軽く触れられた。とたんに体が硬直してしまって動けなくなる。


 それから解放されたのは、しばらくしてアサギの気配が遠のいたからだ。

 ドアの閉まる音がして、どうやら彼は寝室へ入ったらしいと分かった。ルーインは素早く起きあがって扉を目指す。


 その隙間から顔を覗かせると、アサギはベッドに広げた洗濯物を畳んでいる。その背から哀愁が漂っていた。

 男は手を休めずに呟く。


「何か用か」


「あの、アサギ」


「なんだよ」


「明日はルーでいられると思う。そうする、だから泣くな」


 アサギは「あのなぁ」と大げさにため息を付く。少女はたまらず洋間へと撤退した。


 涙が溢れてきたのはルーインの方だった。寝室から出てきたアサギが、それを見て眉を寄せる。


「なんでお前が泣いてるんだよ」


「うるさい、仕方がない。私だってこんなの不本意なんだよ。だって、お前はあいつの方がいいんだろ!」


 これではまるで恋人を取られて嫉妬している女みたいじゃないかと思った。

 しかし、感情が止めどなく溢れて止まらない。わーっと泣き出すとアサギは一瞬戸惑った様子を見せた。


 それから、男はなんと大声で笑い声を上げ始めた。腹を抱えるその姿に涙はすぐに枯れてしまう。


「――笑うな!」


「わ、悪い、悪い。だってよ、お前。初めて会った時と同じだぞ」


「なんだとっ」


「あん時もビャービャー泣き喚いてたからよ。あははは」


「そ、それは私じゃない!」


「いや、お前だよ。間違いない」


「グギギギ」


 フンと顔を背けると、アサギが頭に手を置いてきた。「なにをするんだ」と怒ると、彼は言う。


「悪かった。お前も、まだ子供だもんな」


 ルーインは頭を撫でられると気分が良くなって、子供とバカにされた事も気にならなかった。目を細めていると、今度はアサギの瞳が潤んでくる。

「すまない」


「おい、みっともないから涙を拭け」


「いや、泣いてない。ルーイン、ずっと当たり散らしていて悪かった」


「ああ、そうだな。大人げない奴だ」


「はははっ、そうだな。本当にそうだった。はははっ」


 アサギは豪快に声を上げた。そんな彼を見ていたら、ルーインもくよくよと悩んでいた事がバカらしくなる。

 こうしてアパートには楽しげな笑い声が響きわたった。部屋の中は照明の光と同じような暖かな雰囲気で満たされていたのだ。

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