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虐殺者(スローター)


 あの日からルーインは何度も姿を現した。

 その頻度は、月日が経つ度にどんどん多くなっている。彼女が説明する事を要約すれば、少女の体はルーインが元の主である。

 いうなればルーは、強い衝撃によって生み出された別人格にすぎないという。


 アサギはルーインが現実世界へ戻ってくる毎に、言葉では表せないような胸の圧迫感を覚えた。

 それはルーがいつか消えてしまうのではないかという漠然とした不安感か、それとも彼女の冷酷さをどうしても受け入れられない自分が存在するのかも知れない。


 男は不安に煽られると、彼女に厳しい態度を取った。「ルーを返せ」と口癖のように告げる。最近ではルーインも、目覚めればためらう様子を見せていた。


 いつも彼女は顔を背けながら言う。

 私で悪かったな、アサギ、と。

 そんな態度を取られるとさすがに罪悪感が芽生えてしまう。だから余計に二人の関係はギクシャクとしていた。


「あしゃぎ」

 グイッと袖を引かれて、男は顔を上げた。ずっとソファに座り込んで考え込んでいたようである。


「おにゃか、しゅいた」


 その声で壁掛け時計を見ると、もう二十一時を回っていた。ルーは困ったように腹部を撫でている。


「ああ、すまん。すぐ作ってやるからな」


 頭を撫でると、彼女は嬉しそうに目を細めた。アサギはキッチンへ向かう。冷凍食品をレンジへ入れながら、長いため息をついた。



 翌朝、アサギはある決断をして目覚めた。

 それは以前に薦められた虐殺者(スローター)の保護施設を、見学に行くという決意だ。もちろん、ルーを施設に預けるためではない。


 アサギが今までよく知ろうとしてこなかった虐殺者(スローター)の事と、ルーインとの溝を埋めるための手段としてそれを選んだ。本心としては藁にも縋りたい気持ちであった。


 施設、クロノスの管理者であるメアリ・アダムズに携帯電話で連絡を入れてから、ルーと共にザジテリアズ地区と足を向けた。

 その地区の一帯は高い外壁に覆われている。門は開け放たれており、門番もいない。


 しかし、そこをくぐると検問官のように黒服の男たちの姿が現れる。その先には虹配色の立派な建物が立っていた。


 ここが施設、クロノス。この地区では一番大きな関所としての役割を持つ場所だという。そこまでは事前に受けた説明の通りであった。

 施設の入り口には、待ってましたと言わんばかりの笑顔を湛えた女が立っている。彼女はまだ二十代前半の若年者に見えるので、メアリではない。


「アサギ・フェイサー様とルー様ですね。ようこそおいでくださいました。本日はわたくしがメアリ様の代わりとして、お二人をご案内いたします。よろしくお願いします」


「ああ、よろしく」


 ルーにも軽く頭を下げさせてから、彼女に続いて施設内へ入った。

 内部は静かなものである。フローリングも壁も鏡の様に磨き上げられ、ロビーは埃も舞ってない。後は受付のような窓口がひっそりと設けてあるだけだ。


「こちらが正面玄関と受付窓口となります」

 女が当然の事を堂々たる態度で口に出した。


 アサギは頷く。

「隔離施設、できればスローターを見たいんだが」


「はい、そのように伺っております。しかし、隔離レベルの高い施設のご見学は許可が下りませんでした。ですので、まずはクロノスをご見学いただき、それから特別なチルドレンをご紹介しますわ」


「そうか、分かった」


 少女の手を引き、ゆっくりと歩きながらクロノスの説明を受ける。彼女が饒舌に喋る内容は以前にメアリから聞いていた話が大半だった。


 ここでは対象者たちの斡旋のような事をしている。個々の性質を調査と分析し、より良い施設へと預ける架け橋のような存在だという。


 それは一見すると善良な事に思えた。


 この美しい館内もさることながら、ニコニコと満面の笑みを浮かべる施設員らや、中庭の芝生で戯れるチルドレンたちのどこを取っても「素晴らしい」と絶賛せざるを得ない。


 しかし、それがアサギにとっては不快だった。まるで別世界にいるみたいに錯覚しそうなほど完璧である施設は表向きの体裁に過ぎない。

 何故なら、ここには楽園もあれば奈落も存在することを知っていたからだ。


 隔離レベル、そして軟禁のように閉じこめられるという凶悪な虐殺者(スローター)たちの存在を忘れてはならない。

 そんな事を考えていたアサギに女の声がかかる。


「施設の外側もご案内いたします」


「ああ、頼む」


 外へ出ると、そこには街が広がっていた。壁の中とはいえどあまり変わり無い風景に思える。建物はの四角い施設や十字架を掲げた教会が目立つが、その数は多くない。


「意外と建物が少ないな。こんなんで対象者を保護しておけるのか?」


「はい、実はほとんどが地下の施設となっております。管理のレベルが上がるほど、下層に誘導する体制を取っております。ご安心ください」


 彼女が口にする安心とは何に対するものなのだろう。もしも、ルーを施設に預ける選択をしていたら、太陽の光すら浴びさせてやれなかったかも知れない。そう考えて、男は強く拳を握った。


 女はそこで「チルドレンの一人に会わせますわ」と言ってアサギをある保護施設へと案内した。そこは隔離というよりは個室でのびのびと対象者を管理している所だという。


 男の目の前には麗しい容姿の少女がいた。十六歳ほどだろうか、覇気は薄いが苦痛を感じているような圧迫的な雰囲気は感じない。

 翡翠色の瞳が、本人に意思があると言わんばかりに輝いている。少女は長い白髪を揺らしながら一礼した。


「彼女の名前はアイズ、ここを管理している職員の一人です」


「――なんだと?」


「驚かれるのも当然ですわ。彼女はとても明瞭です。言い方が悪くなってしまうかも知れませんが、その性質を生かさない手はないのです」


 アイズは男から視線を逸らしながら「こん……にちは」と小さな声で挨拶をした。

 施設員の女が微笑む。


「彼女は少々、恥ずかしがりな性格ですので、そこはご容赦くださいませ。しかし、アイズは何事にも真面目で一生懸命に働いてくれます」


 ルーだって幼いところはあっても、普通の人間のような生活ができる。それならばこうして人と共に肩を並べて働く対象者がいてもおかしい話ではないと思えた。


 アサギは頬の筋肉を緩める。


「アイズ、俺はアサギだ。君と話がしたいんだがいいか?」


 少女は頷くと、下を向いて顔を赤らめた。



 庭園でルーが施設員の女と一緒に小鳥へ餌を与えている。その間に、アイズと話をすることにした。

 向かい合いながら一人掛けのソファに座ると、少女は視線をきょろきょろと動かす。


「君はスローターで間違いないのか?」


 少女は「うん」と頷く。アサギは早速、聞きたいと思うことを上げてみる。


「アイズはここでの暮らしはどう思っているんだ。何か苦痛なことは?」


「ありま、せん……楽しい、から」


「じゃあ、外に出たいと思ったことはないのか?」


 アイズは首を横に振った。


「お外は……怖いです。ここは好き、なの」


「そうか。皆、良い人なのか。優しくしてくれるのか?」


 少女は「えへへ」とはにかむ。その柔和な表情は嘘や偽りを言っているようには見えない。


「それは良かった。人と暮らして困るようなことはないんだな?」


「ええ」


 そう返事をしたアイズはもじもじと体を動かした。照れたような彼女の表情からは何かしらの訴えを感じる。


「なんだ」

「……あのう。聞いてもいい、ですか」


 どうやら男へ質問をしたかったらしい。アサギは笑みを浮かべて「いいよ」と答えた。

 少女はのんびりと間を置いてから口を開く。


「えっと、あの子……は、私とおんなじ、ですか」


 そう言ってアイズはルーの方へ視線を動かした。アサギは少し考えてから「仲間といいたいのならば」と思つき、「そうだな」と答える。


「そう。やっぱりそう……ですね」


 少女は目を細めて静かに笑い声を漏らす。緊張していたアサギの心も徐々に和んでくる程、彼女の雰囲気は穏やかだった。人間と接していても不快さを感じる相手はいるものだ、それにくらべたらアイズはなんて心地よい相手だろう。


 彼女は手を口にあてがいながら笑む。


「だって……ルーインですもの、ね」


「はっ!? 今、なんて言った!!」


 アサギが身を乗り出したことで、少女は「ひゃっ」と驚いてソファからずり落ちた。


「アイズ。今、ルーインって言ったな」


「ううん」


「いや、確かに聞いたぞ」


「ううん」


「――おい、アイズ!」


「ううん」


 少女はおびえた様子で眉を下げている。小刻みに震えるその姿を見て、アサギは少しだけ冷静になった。


「……すまん、動揺した。怖がらせて悪かったな」


 アイズは首を横に振ってからソファに腰掛け直す。しかし、それ以上は何も語らず、彼女はアサギからずっと顔を逸らし続けていた。


 施設員の女にもその名前を聞いてみたが、彼女は首を傾げて「わたくしは存じ上げませんね」と言い切った。アイズが嫌がったので強制的に面会も終了してしまう。


 残された手段は、ルーイン本人にアイズの事を尋ねてみるしかないと思われた。


 施設の外まで見送られながら、男はまた不安感に侵される。それは、払拭できそうだった疑惑の念が再び浮上してくる嫌らしい感覚だった。


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