違和感の正体②
――大丈夫ですか、隊長?
そんなハルの声がかかって、考え込んでいたアサギは我に返る。
「あっ、いや。特に問題はないぞ」
「そうですか? なんだか顔色が悪いですよ」
「大丈夫だ。少し考えていただけだからな。それで、どうかしたか」
「はい。これから矢弾射撃部の第一隊がいらっしゃるとの伝達です」
「クリスティーナたちか、直接ここへ来るなんて珍しいな。何の用なんだ?」
「それが、あの人が言ってる事ってよく分からなくて、すみません」
「そうか。まぁ、来れば分かるだろう」
そこで明るい表情のルーがやってくる。少女は翌朝にはすっかり元気になっていたのだ。
机で大人しく絵を描いていた彼女が差し出した絵は相変わらず何が描いてあるのか分からない。
「こりぇ、あげりゅ」
「ん、何を描いたんだ?」
「――ベアしゃん、れすっ!」
「そうか、ありがとうな」
よしよしと頭を撫でると、嬉しそうにしていた少女は急に表情を曇らせた。そのまま暗い顔をして机へと戻って行く。
「(ルーは急にどうしちまったんだ)」
そう思った所で、執務室のチャイムが鳴る。
ハルが戸を開くと、そこにはオリバーと、相変わらず目を半開きにしたクリスティーナがいた。
「失礼するであります」と敬礼をした彼女に声をかける。
「クリスティーナ、どうした? 珍しいじゃないか」
「今日は、アサギに紹介したい人物がいるでありますよ」
仁王立ちする彼女の背後から現れたのは、癖の強い巻き毛の青年だった。
ハルと同年代と思われる彼は、緊張したような面もちで声を張り上げる。
「初めまして、これからお世話になります。よろしくお願いします!」
深々と頭を下げた青年に対してアサギは「世話? どういうことだ」と眉を寄せた。その疑問に対してはオリバーが答える。
「アサギ殿。この青年は狙撃手としては新人ということもあり、現場で経験を積む必要がある」
「それで討伐隊にというのは、極端すぎないか。狙撃手はそっちが面倒を見てるんだろ?」
「それは十分承知の上で、アサギ殿に頼みに来た。青年の面倒をお願いできないだろうか」
「別にそのことは構わんが、三番隊の出動回数を見ろよ。現場で経験を積みたいなら一番隊が適任だと思うが」
「いいや。青年は初陣にて相棒を失っている。体の負傷は回復したが、心の問題もあるだろうと思う。人数の多い大隊よりも、小隊で且つ信頼の置ける者に託したいのだ」
「……そうだったのか」
青年を見ると落ち込んだ様子で眉を下げている。アサギは大きく頷く。
「分かった。再度確認しておくが、うちの隊が出動できるかは運だ。事務作業ばかりでも構わないというなら面倒を見よう」
青年は顔を上げ、「はい、よろしくお願いします」と声を張り上げる。「こちらこそ」と握手を交わすと、それを見終えたクリスティーナが颯爽とした態度で去って行く。
オリバーも「ではしばらくの間、青年を頼む」と言い残して後を追う。二人が居なくなると、アサギは頭を掻いた。
「しかし、うちの隊に射撃手が加わる日が来ようとはな。新人。――俺は、アサギ・フェイサーだ」
男の自己紹介に続いて、ハルが嬉しそうな声を上げる。
「僕は、山本晴です。あと、今はいませんが、隊員の林泰然さんがいます」
「はい。自分はジュンレイ・クラークと申します。元は薬剤部に所属していた研究員です。その後、専門学科を出て狙撃部へと入隊した次第です」
「薬剤部って言えば、選良職じゃないですか。そんな所からわざわざ現場を選択するなんて、僕だったら考えられないです」
「えっと、日陰の生活のも飽きていたので」
ハルは「そんな理由で? もったいない」と頭を抱えて嘆いている。ジュンレイは言葉を続けた。
「いいえ、本当の所を申しますと。自分は素質があると上司に担ぎ上げられ、調子に乗った結果なのです。お恥ずかしい話なのですが」
そこでジュンレイは絵を掲げて喜んでいる少女へと視線を向けた。
「そちらの彼女はどちら様ですか?」
「彼女はルーさんです。隊長の保護しているスローターですよ」
「――スローターッ!? そんな……」
「彼女はとってもいい子で、害はないから大丈夫ですよ」
「害のありなしなど、関係ありません。あの日、スローターのせいで先輩は殉職し、自分も大怪我を負ったんです」
ジュンレイが震える手を握りしめている。
アサギは自らと仲間の命をかける隊員が虐殺者を許せないのは仕方がないと思った。男も身に覚えが無い訳ではない。
「……ジュンレイ。気持ちは分かるが、スローターにも善良な者はいる。ルーは身を挺して俺を守ってくれた。優しい奴だよ」
彼は「納得できない」というような複雑な顔をしていたが、最終的には小さく頷いた。
午後から執務室へ通達があり、珍しく外回りへ出る運びとなった。
外回りと言っても、駐屯基地とキャンザー地区を繋ぐ大橋の付近を警戒するという初歩的な任務である。この辺りでは、虐殺者の出現が殆ど確認されていない。
アサギは持っていた無線機を繋いだ。
「ハル、そちらはどうだ。問題ないか?」
『はい。視界は良好ですし、ジュンレイさんも問題ないそうです。ルーさんも大人しくしています』
無線機からはそんな元気な声が返ってくる。
ジュンレイは大橋が見渡せる基地の高台に待機させた。何かあればそこから狙撃させるという算段である。ハルも補助役として彼の側に付かせ、ルーもそこへ置いておいた。
「よし、じゃあ、何かあったら援護は頼んだぞ」
『はい。僕というよりはジュンレイさんにお任せください』
「ああ、よろしく」
短い言葉を返してから、今度は背負っていた銃器を手にする。その相棒の背を撫でた瞬間、どこから出現したのか両手に短剣を装備した青年が現れた。
「(――なんだ!?)」
彼は人ならざるスピードでアサギの真横へと飛びかかって来る。
「スローターッ!」
男はすかさずトリガーを引く。至近距離で放たれる散弾の威力は凄まじく、対象者は一撃で倒れるはずだった。
しかし、突然の奇襲で手元が狂っていた。銃弾は彼の右肩上部を吹き飛ばしていたが、対象者の腕はまだ繋がっている。
左側面からの短剣が向かってくると、アサギは瞬時の判断で銃器を掲げた。その剣激を防いだ相棒は無惨にも切断されてしまう。
そこで無線のアンテナが小刻みに点滅した。それを見たアサギが対象者から距離を取ると、予想通りに矢弾が発射されてきた。
「(――駄目かッ)」
青年が無駄のない動きでそれを打ち落とし、その間に肩部の裂傷はみるみる塞がっていく。その冷静な態度と的確な判断力に、アサギは「こいつは修羅場をくぐってきている」と確信した。
対象者の瞳は角膜と強角が逆の色という奇妙なものだ。彼はその目に映る矢弾を的確に打ち落とし続ける。
男に残された武器は曲剣、懐に拳銃がある。アサギは迷わず銃に手を伸ばしたが、その前に曲剣を引き抜く人物がいた。
いつの間にか側に出現していたルーが、黒髪を乱れさせながらそれを構えている。
「――なんっ、ルー!?」
アサギの叫び声を背景に、少女は一心不乱な様子で青年へ向かって駆け出した。
彼女は剣を横に払うが、それは当然のように打ち返されてしまう。しかし、少女は迷うことなく素早く逆手に持ち変え、一瞬の隙を狙い、刃を青年の胸部へ突き立てた。
そのまま体をひねらせながら、その胸から腹下へ振り降ろす。二撃目は、青年の首元から血しぶきが上がった事でようやく分かった。
さすがの彼も辛かったのだろう、苦悶の表情を浮かべながら体制を崩す。少女はその腹部に蹴りを入れて押し倒すと眉間に剣先を突き刺した。
そうして、血にまみれた少女はアサギの方に顔を向ける。
「注射を」
「――なに!?」
「早く薬剤を打て、回復してしまう」
青年の方へ視線を戻すと、その傷はすでに治癒を終えていた。そして、彼は一瞬のうちに目覚める。
少女が舌打ちをして武器を向けるが、青年は後退しながら逃げるように橋から飛び降りて姿を眩ました。
アサギに冷ややかな目が向けられる。そこでようやく、それが『彼女』で無いことを悟った。
男は少女を睨みつける。
「お前は……?」
「私はルーインだ。安心しろ、『お前の女』は眠っている」
「どういう意味だ」
「どうもこうもない。奴は私が気を失ったのをいいことに、この体で勝手に行動していたのだ」
「なんだと、ルーはどこだ。彼女を返せ!」
「――ふざけるな。乗っ取られていたのは私の方なんだぞ。アサギ」
男は名前を呼ばれた違和感に強く皺を寄せた。
「気を失っていた割には、俺のことを知っているんだな」
「当然だ。私はずいぶん前から目覚めていた……から、な」
そこまで言ったところで彼女は白目を剥いて倒れる。次に起きあがった時にはいつものルーに戻っていた。彼女はとぼけた様子で「うぉ、あしゃぎ?」と首を傾げている。
「ルー……」
「なぁに?」
「お前、ルーインっていう奴を知っているか」
「だりぇ?」
ルーはまだ首を傾げている。そこで、ハルが他の隊員を引き連れながら走ってきた。
アサギは頭を押さえる。信じたくもない現実が押し寄せてきて、どうしようもなく苦しくなった。




