違和感の正体①
市場の襲撃事件から二週間が経った。時刻は六時、日はすでに落ちている。
勤務を終わらせたアサギは、ハルとルーを引き連れて駐屯基地の最下層にあるレストランへとやってきていた。
そこは国種を問わずメニューが豊富で人気の場所である。
酒類も一緒に楽しめるため、地上階にある食堂よりも夜の利用者が多い。この日も任務終わりの隊員たちが肩を並べながら食事を楽しんでいた。
ルーがハンバーガーをかじって口の周りをソースでドロドロにしている。そんな少女の隣に座ったハルは、チキン入りのパイを丁寧な手つきで一口大に切り分けていた。
「今日って、タイランさんは要請があって四番隊に派遣されたんですよね」
アサギはミートローフを口に運ぼうとしていたが、その手を止めた。
「そうだが、どうした?」
「いえ、少し心配で。なにせあの隊ですから、不自由してないといいんですが」
「そうか、まぁ。今はケヴィンもいることだし、大丈夫と思いたいんだがな」
「タイランさんが居てくださるのと居ないのじゃ安心感が違う気がしませんか?」
「ああ、そうだな。無事に任務を終えてくるといいが」
「でも、実はその辺りの心配はしてないんです。タイランさんって大量のスローターに囲まれても怯まなさそうじゃないですか」
アサギはその最悪な状況を頭に浮かべて笑う。
「そんな状況じゃ、誰も生き残れないだろう」
「でも、何度も窮地を脱してるなんて噂があるんですよ。あの顔の傷はその証だと言われてて」
「あれは古傷じゃないのか。スローターにやられたかどうかは分からんぞ」
「いいえ、絶対にそうですよ。彼はスローターと因縁があって恨みを持っているとか、そういう秘められた過去が……」
そこで、男はハルの後ろに背の高い人物が立っていることに気づいた。額から顎にかけて一本傷のある出で立ちはよく知っている。
「よう、タイラン。いつからそこにいたんだ」
アサギが声をかけると彼は「お疲れ様、です」と頭を下げた。
「――タイランさんっ!? すみません。気づかなくて」
振り返ったハルが声を裏返させるが、タイランは気にしていないような態度で口を動かす。
「あい。終わって、任務。来ましたから、食事」
「そうか、お疲れさんだったな。お前も一緒に食うか?」
「あい、隊長。メンバー、他にも」
そこで見慣れた男二人もテーブルへとやってきた。ジルとケヴィンだ。
ケヴィンの方が柔和に微笑む。
「やぁ、アサギ。みんなもお揃いで、僕らもご一緒していいかな」
「ああ、もちろんだ。ハル、席を合わせてくれ」
ハルが引いてきた空きテーブルに、三人は椅子を用意して腰掛けた。ジルが顎髭に触れながら、口の周りが汚れた少女を見て声を上げる。
「こりゃ、可愛らしいお嬢さんが台無しだぜ。なぁ、相棒」
「ジル。彼女がこの間、話をした。アサギが保護しているスローターなんだよ」
「おおい、まじかよ。こりゃあたまげたな。これじゃあ、『対象者さん、敵の巣窟にようこそ』だぜ」
そう言いながら注射筒を回し振る相方に対して、ケヴィンは苦笑いを浮かべる。
「すまないね。これでも彼に悪気はないんだよ」
「酷でぇぞ、相棒。ま、三番隊は相変わらずってこったろ。アサギがいれば、家内ならぬスローター族は永遠に安泰ってこった。なぁ?」
ジルが足を組みながらそう声を漏らすと、不機嫌そうな顔をしたハルが彼を睨み付けた。
ケヴィンは神妙な面もちでテーブル上の両指を絡めている。
「アサギ、この間の件だけど……」
ジルが「それを言っちゃうか」と椅子にふんぞり返った。
「はははっ、どこぞの善良者さんが討ち漏らしたスローターが市街地で暴れ回ったって、冗談にもならねぇ話だぜ」
そこで彼は笑みを浮かべた表情から一転して真顔となった。拳をテーブルに叩きつける。
「――俺はな、アサギよりも上層部の奴らに腹が立って仕方ねぇ。俺らが汗水垂らして現場で粘ってやってんのに、彼奴らは空調の効いた部屋で胡座かいてやがるんだぞ。おまけに、隠蔽なんてふざけた事しやがって」
怒りを露わにするジル。一方のケヴィンは冷静な様子で言う。
「うん、その話だけど。本当に本部はスローターが脱走してた事実を隠していたのかい?」
その問いに、アサギは神妙な面もちで頷く。
セレナが本部の尋問室から脱走していたという事実が、上層部から伝達されたのはあの事件の後だ。
もちろん、他の部隊員たちもそんな情報は一切、知らされていない。後になって基地内でも様々な憶測が交錯していた。
重大なミスを犯した本部も、それを公にできない事情があったかも知れない。それでも被害の大きさを考えれば、隊員たちもやるせない思いだった。
アサギは「自分がセレナを殺さず、捕獲するという決断をしたから」そう自負の念に襲われている。男は足下が揺らぐような気持ちに支配されていた。
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アサギは早朝から執務室でいつもの事務処理作業を行っていた。紙の上を滑るペンを止めて昨夜の事を思い出す。
レストランで食事を終えた後、アパートへ帰宅してからルーの体調が芳しくない。彼女はソファに腰掛けながら、険しい顔で額を押さえていた。
「ルー、どうした頭痛がするのか?」
男がそう声をかけるが、その言葉も耳に入らないようだ。
「(心配だな、薬を飲ませるか……。だが人間の薬剤で効果があるのか?)」
そんなことを考えていると、少女が「あ、さぎ」と声を上げた。
「なんだ、ルー。大丈夫か?」
彼女は頷いてから、エアーベッドへ向かっていった。その毛布に潜り込むと動かなくなる。
「(おいおい、本当に大丈夫なのか)」
様子を窺うように彼女の側へ寄った。顔を見てみると辛そうな顔で目を閉じている。
「ルー?」
「ほうって、おいて」
「そうか?」
「あさ、ぎ」
「なんだ」
「……なんで、もない」
普段より、スムーズに会話が出来ている気がしたが、それよりも心配が勝ってアサギはその頭を優しく撫でた。




