懐かしい記憶
こちらは閑話です。
その夜、アサギは洋間でテレビを観ていた。その内容は家族についてのドキュメンタリー番組だ。
番組内のシングルの親と子供たちに密着した場面を眺めていた男は、ふと昔を思い出したのである。
――それはまだ男が学生の頃、十七歳の記憶だ。
アサギは活発な性格で、スポーツが好きな一般的な青年であった。
一方、弟のマツバは頭の回転がよく利口な子でいつも本を読んでいた。
対照的な兄弟だったが、五歳も年が離れているせいか、喧嘩もあまりすることなく仲の良い日常生活を送っていた。
そして、偶然にも彼らの家の隣に引っ越してきたのが八歳の少女、リタである。
彼女の父親は医者をしているシングルファザーで、少女の面倒はいつも世話人が見ていた。
当時のリタは内気な大人しい性格をしていた。
いつも一人ぼっちで庭のブランコに乗りながら寂しそうにしていたのを覚えている。
それはある蒸し暑い日だった。マツバが「隣の家からから女のヒステリックな叫び声が聞こえてくる」と言ったのは、アサギが地区対抗のベースボール観戦から戻った矢先の事である。
アサギが窓辺で隣家の様子を窺っていると、キッチンに繋がる裏戸からちょうど少女が飛び出して来るところだった。
彼女は長い金髪で顔を隠しながら、庭先でただじっと自分の服の裾を掴んで立っている。その悲壮感が溢れる表情を見たアサギは急いで庭へと出た。
「どうしたの、大丈夫?」
庭にある垣根の上から少女に声をかけると、彼女はきゅっと唇を噛みしめながら頭を横に振った。アサギが「嘘だ。今にも泣き出しそうな顔をしているのに」と思ったところで、マツバが同じように玄関から駆けて来た。
少年は垣根の上から顔を出せないので、彼は兄の指先をそっと掴む。
アサギはすかさず少女に疑問を投げかけた。
「女の人が叫んでたけど、お母さん?」
それに対して、彼女は再び無言で頭を大きく振る。
アサギはとたんに心配になってきた。できるだけ優しく語りかけるように配慮しながら言葉を紡ぐ。
「君はいつも庭でブランコに乗ってるけど、一人で留守番をしてるの?」
「ううん、シッターがいる……から」
「じゃあもしかして、その人が叫んでた?」
「……うん」
小さく頷いた彼女の話を詳しく聞いてみると、世話人が酷い女でいつも携帯電話で私用の電話をしながら、仕事を放棄しているらしい。
それに加えて、少女が何か失敗をすると切れて怒鳴り散らすのだという。だから少女は彼女に遠慮しながら庭先で大人しく過ごしているのだった。
その話を聞いてアサギは苛立たしさを覚えた。嫌な胸のムカつき感を払拭したくて、少女にある提案をしてみる。
「よかったら弟と遊んでくれないかな」
彼女は小さく「えっ」と声を上げた。戸惑っている様子なので笑顔で手招きをする。
「うちの庭に入りなよ、おいで」
少女は迷ったようだが、しばらく間を置いてからそれに従ってくれた。ニコニコと嬉しそうな微笑みを浮かべたマツバの姿を見つけると、恥ずかしがりながらはにかんだ。
少年と少女はすぐに仲良くなり、リタは度々フェイサー家を訪ねて来るようになった。アサギは友人との付き合いもあったが、それでも出来る限りは二人の側に居るように勤めた。
それが縁となって彼女の父親もアサギの家へ訪ねて来くるようになり、家族同士の関係も深まったのだ。
少女が父親に心配をかけまいと隠していた世話人の件はアサギから現状を話した。その事により女は解雇処分となり、少女は辛い日々から解放されたのである。
最終的には兄弟の母親が少女の面倒も見るようになり、彼女は他人から家族のような存在に変わっていく。そしてリタは見違える程に明るい性格に変わっていったのだ。
アサギは学校を卒業してからすぐスローター対策部専門学科の寮へと移る事となった。少しの間しか一緒に居なかったが、その時にはもうリタは本当の妹のような存在になっていたのである。
しかし、弟が婚約するからと彼女を連れてくる事になるとは予想して無かったが……と、そこまで思い出した男は急に故郷が懐かしくなってきた。
アサギは久しぶりに両親へ電話をかけることにする。母親は普段通りの陽気な雰囲気で電話に出た。
父親の方は兄弟よりもリタの事ばかり心配しているようである。彼にとっても彼女は実の娘のような存在なのかも知れない。
男が電話口で皆元気でやっていると伝えると、母親に「たまには実家に顔を出しなさいね」と言われてしまった。また長い休暇が取れたら、里帰りするのもいいかも知れないとアサギは、ぼんやりと思う。
今はルーがいるので、なかなか簡単に約束もできない。というか、実家に着く前に詳しく事情を説明しないとあらぬ疑いをかけられそうで怖い気もする。
「長めの休みが取れたら戻るよ。じゃあまた」
男は当たり障りのない別れの言葉を伝えて電話を切る。そのタイミングで脱衣所からルーが呼んでいる声が響いた。
アサギはソファから立ち上がって、まだまだ世話の焼ける少女の元へと急いだ。




