第二話
この世で一番好きな音楽を一つあげろといわれたら、俺はお昼ご飯を知らせるチャイムをあげるだろう。
その福音が鳴り響く中、クラスメイトたちは教師の合図を待たずしてガタガタと教材の後片付けの音を立てはじめた。
ほどなくして彼女たちの目が、壇上の教師に訴えかける。
早く授業を終われと、獣の光を帯びながら。
そんな様子を苦笑しつつ眺めながら、教師はパタンとその分厚い教科書を閉じた。
「では、今日の授業はここまで。 各自、後片付けが終わった者から解散!!」
その声が響くなり、一部の生徒たちは廊下へとなだれ込む。
「ねぇ、今日のお昼どうする?」
「んー 学食でパスタかな」
「じゃあ、先にいって席取っておくから、Aランチよろしく!」
とまぁ、台詞だけ並べればいかにも女子学生らしいのだが、その目は血走っており、その身にまとうオーラは完全にアマゾネスだった。
そして立ちはだかる者にたいして、彼女たちは一切の容赦をしない。
たとえそれが、教師であってもだ。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ!?」
その恐ろしい性質をウッカリ忘れていたのか、職員室に帰ろうとした被服史の教師がアマゾネスの雪崩に巻き込まれて悲鳴を上げながら遠ざかって行く。
「愚かな。 そういえば、あの先生は今年からはいった新人だって言っていたっけ。
いや、まてよ? あれは女子学生に足蹴にされるためにわざとやっている可能性もあるな……
だとしたらなかなか侮れない奴だといえよう。 名前知らないけど」
なお、この学園の学食は、貴族の生徒がいるせいか非常に質はよい。
だがその貴族のための席を確保したことで一般の生徒の席はかなり少なくなり、その場所取りは常に戦争だ。
あまりにも苛烈なその戦いに耐えられず、ほとんどの女子生徒は入学三日目にして弁当を持参して教室で食べる事を選ぶようになるらしい。
「さてと、俺も今日は学食でメシをすませよう……かな?」
なお、俺の狙いはその席の確保の際に頻発するラッキースケベである。
女生徒と密着したままもみくちゃにされる俺、実にいい!!
だが、まだ見ぬオッパイの感触を想像しつつ手をワキワキとさせながら廊下に出ようとした俺の前に、Bカップのオッパイ……じゃなくて純白のローブ姿が立ちはだかった。
しまった、遅かったか!?
「どこへゆくの、ライナルト」
「うげっ……や、やぁ、ユーディット」
それは俺の幼馴染である少女、そして学園でも指折りの白魔術の使い手でもあるユーディットであった。
彼女の家は牧場であり、俺の実家である仕立て屋に羊毛をおろしているため、両親同士の仲が非常によい。
「はい、今日のお弁当」
「い、いつもありがとう……」
差し出されたのは、白地にピンクのハート模様が散りばめられた手作り弁当の包み。
寮生活をしている身としては、非常にありがたいのだが……
彼女には一つ大きな問題があった。
「なぁ、開けてみてもいいか?」
「いいわよ? 今日のは自信作なんだから!」
俺は死刑執行を待つ罪人のような目で包みの結び目をほどき、神話にある禁忌の箱を開けるような気持ちで楕円形の弁当箱の蓋を開く。
するとそこには……
「えっとね、今日のメニューは……ほうれん草のおひたしに、小松菜入りの卵焼き、青唐辛子とキャベツの炒め物にアスパラガスと水菜のサラダ、アーティーチョークの煮物グリーンソース和えと、あとはピーマンの濃縮ピーマン詰めよ」
さて、お分かりだろうか。 この弁当箱、中身は完全に緑一色である。
卵焼きですら、大量にぶちこまれた野菜によって黒に近い緑色だ。
ちなみに味のほうはひたすら青臭いとだけ言っておこう。
「えっと……ちなみにパンは?」
「あら? パンがほしかったの? じゃあ、明日来ほうれん草を練りこんだパンを焼いてくるわね!」
ご覧の通りユーディットは家庭的で面倒見がよくて、クラスの連中からもいつ婚約するんだとよくからかわれる間柄である。
おまけに文句なしの美少女だ。
だが……だが、その食生活だけは勘弁してくれ!
周りが彼女のことをその乳白色の髪と天職ゆえに"白の乙女"と呼ぶのに対し、俺を含む一部の人間が"緑の魔女"と呼ぶ理由がお分かりだろうか。
なお、彼女のこの恐ろしい食事はわりと有名で、気がつけば廊下の向こうから知り合いの戦士科の奴らが哀れむような目で俺を見ている。
ちなみに前に巻き込んだ戦士科の奴等のいわく――ユーディットの手料理は数年前に賞味期限が切れた野戦食よりキツかった。
おい……お前ら、同情するなら代わってくれよ!!
いや、そこまでは期待しないからこの弁当を俺と一緒に食ってくれ! 先っちょだけでいいから! 卵焼き一個でいいから!!
だが、心の中でそう叫んだ瞬間、奴は焦ったかのような動きで目をそむけた。
このっ、薄情者ぉぉぉぉぉぉ!!
「は、ははは……いつも手間をかけるな」
「まぁ、しょうがないわよね。 ライナルトに任せておいたら、学食で肉ばっかり食べるようになっちゃうし。
おば様からも、よろしく頼むって言われているのよ? 感謝しなさいよね!」
「ははは……でも、たまには肉も食べたいかなーなんてな」
「何か言った?」
「い、いいえ、なんでもありません」
あぁ、俺の平和な昼飯はいずこ?
「と、とりあえず、教室の中は飲食禁止だし、外で食べようか」
「あ、賛成! 午前中雨だったから、急いで座る場所確保しないと」
弁当組は学食組の戦争……もとい食事が終わった後に、空いた席を利用するのがこの学園の暗黙の了解だ。
だが、さすがにそれまでこの死刑直前にも等しい時間を味わうのは嫌である。
そして外に出て座る場所を探すと、思ったとおり今朝の雨のせいで腰を下ろすことの出来る場所がほとんどなかった。
泥まみれになることに躊躇の無い戦士科の連中はそれでも構わず腰をかけて砂でも混じっていそうな固形食をモリモリと食っている。
いかにも美味しくなさそうではあるのだが、彼らに言わせるとこれも野戦に備えるための訓練らしい。
他にも……水魔術の得意な魔術科の生徒なんかは、水を動かして乾いた場所を作り出しているし、土魔術の使い手は岩を呼び出してその上でランチを楽しんでいる。
一方で不遇なのは火魔術を得意とする生徒だ。
水を蒸発させるような魔術は火災を防ぐという観点から禁止されているし、よしんば出来たとしても熱せられた地面からの輻射熱がすごくてランチを楽しむような環境にはならないからである。
ちなみにユーディットは治癒や防御を中心とした神聖魔術の使い手なので、彼らのように自然元素を操るようなまねは出来ない。
さて、我らが被服科の生徒はというと……布地に魔力をこめて自在に操る力を利用し、木の上に布で出来た即席のツリーハウスを作り出している感じだ。
見た目で言うならば、一番優雅かもしれないか、足場は意外と不安定で心とも無いとだけは言っておこう。
うちの同級生も、先輩たちも、被服科の連中はとにかく見た目にこだわるのだ。
あと、たまに下から見上げるとパンチラが拝めるので、要チェックである。
他にも様々な学科の生徒が思い思いの方法でランチに適した場所を作り出しており、見ているだけでも実に飽きない。
中には調理科の連中のように、生徒に弁当を売りつけている連中までいる。
さて、やや出遅れた俺たちはと言うと……
「じゃあ、ライナルトはいつもの奴お願いできる?」
「へいへい。 じゃあ、戦士科が試し切りにしたあとの青竹を貰ってくるかね」
少し寄り道をして戦士科のグラウンドの隅に行くと、俺はおもむろにカバンを開けて能力を発動するキーワードを唱えた。
「いらっしゃいませ。 ライナルト手芸店、オープンでございます。
……この詠唱、毎回口にしないと能力が発動しないんだよな」
続いてあたりに転がっている青竹を拾って次々とカバンの中に放り込んで行く。
明らかにカバンの中に入る量ではないが、カバンが一杯になるどころかいっこうにに膨らむ気配は無い。
それもそのはず、いまこのカバンの中は俺の支配する亜空間になっているからだ。
「いつ見てもその能力でたらめね」
「余計なお世話だよ。 別に望んでそうなったわけでもないし」
俺の能力は、織姫たちと同じく魔力のこもった布を織り上げたり、その布を自在に操るだけでは無い。
むしろその本質はこの特殊な亜空間の創造にあるといってもよいだろう。
そして俺の能力は、この亜空間に材料を放り込むだけで、材料さえそろっていれば服だろうが帽子だろうが数えるほどの時間で作り上げてしまう事が出来るのだ。
ただし、作成できるのは手芸に関したものだけで、間違っても盾や剣を作り出す事はできない。
あくまでも"手芸屋"なのだ。
なお、今回作成するのは竹を細く削って編み上げた、三人がけほどの大きさのソファーである。
材料には余裕もあるし、せっかくだから大きめに作ったほうが使い心地がよいしな。
つづいて、俺はグラウンドの裏に生えていた草を大量に亜空間へと放り込んでクッションに変えた。
これは俺の力じゃなくても織姫であれば数秒ほどで出来る芸当で、野外実習ではみんな重宝している。
まぁ、しょせんは即興なのでしばらくほっとくと腐っちまうから売り物には出来ないけどな。
ついでに出来上がった椅子やクッションを、場所にあぶれた哀れな連中に売りさばき、俺はちゃっかり小銭を稼ぐことに成功する。
せこいと言うなかれ。
……被服科は生地とか購入するから、色々と物入りなのだ。
「さ、そろそろ十分だろう。
ライナルト手芸店、閉店いたしました。
またのお越しを心からお待ち申しております」
俺は能力の発動を止めるキーワードを唱えて亜空間を閉じると、自分たち用に確保しておいたソファーの上にどっかりと腰を下ろした。
一仕事したあとは、腹が減るねぇ。
「お疲れ様ライナルト。 じゃあ、お弁当にしようか?」
「あ……うん」
そしてそのタイミングを見計らったかのようにユーディットが弁当を広げる。
げ……この弁当のこと、忘れていたよ。
できれば永遠に忘れていたかったのに!
「ねぇ、おいしい?」
「……うん」
「じゃあ、これは?」
「……うん、オイシイヨ」
「どれが一番美味しかった?」
「ドレも美味しくテ、一番ナンテ決メラレナイヨ」
そして俺は、満面の笑みを浮かべたユーディットの隣で、父さん直伝の『弁当を食ったときの対応マニュアル』をただひたすら暗誦するのだった。
え? 味?
キオクニゴザイマセン。
……父さん、俺、久しぶりに肉が食べたいです。