2 幼なじみと一緒に見る感想
「それじゃあ何? 和郎、おまえは人違いで受賞しちゃったってことかよ」
「……そうなるな」
「ギャハハハハハハ! 何それ! 最高! 超受ける! ギャハハハハハハ」
「おい、渉。笑いすぎだろ、いくらなんでも」
和郎は腹を抱えて笑い転げる目の前の幼なじみを苦々しくにらみつけた。
「ギャハハハハハハ、だって、ひひっ、お、おかしいじゃないかっ、こ、こんな笑い話、漫画だって、滅多に、ひゃは、ねえよっ! ギャハハハ」
本や漫画、ゲーム、はたまた食べかけのスナック菓子などが異常なほど散乱する畳の床を、渉と呼ばれた人間は器用に転がっている。
「おい、いい加減にしねえとさすがに怒るぞ」
「ぎゃは、ギャッハ。いやはや、ごめんごめん。だって、おかしいんだもん、仕方ないだろ? ふひひ。あー面白い。一生分は笑ったね、これ」
ようやくその人物は起き上がって姿勢を正した。
もうすぐ夏だというのに冬用の厚手のはんてんをまとい、さらにその下も重ね着している。体型が完全にわからない。その上、肩のあたりで無造作に切ってはいるものの、髪の毛も伸び放題で前髪は目を隠すほど長い。また白いマスクをつけているため顔も完全にわからなかった。
綿貫渉。和郎の古くからの友人である。
ここは和郎と同い年ながらも、ある事情で一人暮らしをしている渉のアパートである。
「それはそうとさ」
必死に笑いを押さえながら、渉は和郎に尋ねた。
渉の声は少女とも少年ともとれる特徴的なものだった。
衣装や頭髪でまともに姿を判断できない友人を、和郎が唯一判断できるものはこの声だけだ。
逆に言えば、たとえば渉が髪を切りこざっぱりした格好をしていたとしても、口を開けなければ渉だとわからないだろう。
幼い頃の顔はなんとなく覚えているが。
「おまえ、自分の作品の評判、なにかで見た?」
玉青からとんでもない宣告を受けてから一週間と一日が経っていた。
つまり、和郎の本が出てからまる一週間である。
「近所の書店で山積みになっているのは見た」
「お、売れっ子っぽいじゃん」
「一週間、山の様子がまったく変わってないがな」
「ぷーっ! ギャハハハ。笑える! 超、笑えるっ!」
「うるせえ。ってか、おまえもたまには外に出ろよな」
「ギャハハハ! それはもっと笑える! あり得ない! このぼくが外に出るなんて! 食料日曜雑貨、ゲーム、漫画、ありとあらゆるものがネットで頼める時代だぜ? なんで外に出る必要があるよ」
「相変わらずのニートさまだな、おまえは」
「ほめ言葉だね。ありがとう」
「ほめてねえよ」
渉は中学から一人暮らしをしているが、現在は高校に行かず、大絶賛ニート中である。
元々、渉はこのアパートに母親とふたりで住んでいた。しかし、その母親が小六のときになくなると、それ以来ずっと一人で住んでいる。
母親の死というショックから渉は中学時代、一度も部屋から出ることがなかった。
義務教育の卒業が危うかったり、ご近所の目などがあって、あわや福祉施設に入れられそうになったとき、突如現れたのはある国会議員の秘書だった。
渉の母はその国会議員の元愛人で、渉は隠し子だったのだ。もちろん綿貫は母の名字である。
些細なスキャンダルも事前につぶしておこうと考えたらしい渉の父親は、渉と交渉し、ほとんど一生分の財産を与える代わりに、一切その件を口外しないことを誓約していると聞く。
そんな秘密を和郎が知っているところから、渉という人物が和郎に対してかなりの信頼を抱いていることはうかがい知ることができる。
「まー、ぼくのことは別に良いだろ? ニートなのは昨日今日に始まったことじゃあないし、和郎がここにくるのも別に珍しいことじゃない。日常だよ、日常。今、日常系がブームなんだからさ。ぼくたちもブームに乗っちゃおうぜぇ」
和郎は渉が何を言っているのかいまいちよくわからなかった。首をひねる。
「はあ。もう少しライトノベルとかサブカルにも手をだそうよ、和郎」
「いらん」
「ラブコメとか面白ぇよ? なんつーの、ありえない! 的なところが」
「いらんと言っている」
「男だと思ってたクラスメイトが実は女の子だったり」
「普通はわかるだろ、体型とか、仕草とか」
「ヒロインの秘密を知ってしまったために命を失うか結婚するかに追い込まれたり」
「そのヒロインは将来を考えて、早急に主人公を殺すべきだな」
室内を見渡せばそういったものはいくらでも目に入ったが、和郎はほとんど見たことがなかった。
「ちぇー。楽しいのにさ」
「内容はともかく、俺はああいう手合いの本そのものが苦手なこと、知ってるだろ?」
「萌え絵アレルギーだもんな、和郎。もったいないねえ」
以前、和郎は渉に進められて「ラノベには珍しいガチミステリ」を読もうと試みたことがある。だが、挿絵のせいで読み進めることができなかった。なぜだか体がかゆくなったのだ。
渉はそれを『萌え絵アレルギー』と呼び、からかった。
「それより、本当にネットの評価見る気?」
もそもそと着ぶくれた渉がPCデスクに座る様はなんとも滑稽である。
「頼む。俺はいまいちインターネットの使い方がわからないんでね」
「メールできるくせに?」
「メールは電子版の郵便だろ? 宛名を書けば向こうに到着する。簡単じゃないか」
「あいかわらずよくわからない線引きだなー、メールができるのに、グーグル先生のお世話になれないとか、意味不明すぎる」
あきれたように言うものの、渉の声自体は弾んでいる。
キーボードをたたくと、画面上にインターネット用のブラウザが立ち上がった。
「はっきり言ってさ、ネットのエンタメ関係のところは、おまえの話題でもちきりだぜ? すっかり時の人だよこじまかずろうはさ。検索とかしなくてもすぐにわかりそうなもんだよ」
「そうなのか」
時の人などといわれ、少し嬉しくなる和郎。
だが、「もちろんマイナスの方向でだけどね」という渉の追い打ちですぐに平静を取り戻す。
ふと、先週のことを思い出した。
玉青にあんなことを言われながらも、和郎は次の日、本屋へ足を運んだ。
そこで店頭に自著が並べられているのを見た瞬間、感慨深い思いに包まれた。
ようやくここまで来たんだ、と。
そして、玉青の言葉は冗談だったのではないか、とか、たとえ真実だったとしても、一般の読者には地味に受けたりするんじゃないだろうかとか、そういう淡い期待がふくらんでいた。
「受賞したって話を聞いたときからおかしいと思ってたんだよね。和郎が受賞!? そんな馬鹿な、あり得ないって。思わずショックで寝込んじゃう程にさー」
「人の慶事で寝込むとかどういうことだよ」
「だってさ、和郎。ぼく昔から言ってたじゃん。お前の小説は面白くないって。ぼくぐらいだと思うよ? 全部の小説目を通して、心底つまんないって言ってあげてるの」
綿貫渉は和郎にとって大切な読者だった。
読者歴は和郎の執筆歴と等しい。つまり、和郎が幼稚園時代に書いた正真正銘の処女作から、つい最近の作品まで、渉はすべてを読んでいるのだった。
「前にも言ったけどさ、ほら、中学んときも和郎が毎週毎週つまらねー小説もってくるからさあ、こいつの作品はぼくくらいしか読んであげられねーなーと思って、同情したわけだし」
「よく言うぜ。毎週毎週、ドアの外に『つまらん』なんて付箋貼った原稿を置き去りにしやがって」
「面白くないって書いたこともあるぜ?」
「一緒だろうが」
「ま、どっちにしろ、和郎が受賞するなんて間違ってるとぼくは思ってた。しかもイグノーベル賞ならぬイグノベル賞とかならともかく、遊ミスとか伝統のある賞でなんて……」
イグノーベル賞というのは、ノーベル賞とかけたお遊びの賞で、人を笑わせたり、考えさせてくれる研究に与えられるものだ。
渉の比喩はそれとさらに小説をかけたものである。
「ぶっちゃけさ……」
渉は少しだけ抑えた口調で言う。
「こうなるってわかってる評価や感想ばっかりだよ。当然、大賞だからって期待して読まれているわけだし、さらにお金出して買ってる人がほとんどだからね」
「……理解はしているつもりだ。立ち読みをしかけた人間がたった数ページで眉をしかめて本を戻したり、あまつさえ、吐き気を催したように口元を押さえてトイレへ駆け込む者さえあったからな。……正直ショックだが、俺の小説はつまらんのだろう」
「うわー。何時間本屋で張り込んだのさ、根暗ぁ」
「ものの数分だが」
「ぼくが悪かったよ和郎。ぼくもそこまでひどいとは予想できていなかったかもしれないかもしれなくもない」
「どっちだよ! って、もういいから早くやってくれよ」
「ええ? 何があ」
「渉。これは俺なりのけじめの付け方のひとつでもあるんだ。頼む」
「……頭下げるとか、ずっこいよね」
渉は渋々といった様子で、それでもかなり躊躇いながら、感想サイトを開いた。
▽第七回想大社ミステリー小説大賞
『名探偵の事情~名探偵は千度死ぬ~』著者、こじまかずろう、感想まとめサイト
『つまらない』『面白くない』『くだらない』『金返せ』『ふざけるな』『ゴミ』『評価は下の下』『評価に値しない』『作者おかしい』『しねばいいのに』『まじあり得ない』『いい加減にしろ』『さすがにこれはない』『バカ野郎』『むかつく』『うざい』『読者なめんな』『ゴミ箱へ直行』『マウスパッドかと思った』『メモ帳にもならない』『想大社は読者をバカにしている』『たき火の燃料にちょうど良い』『これに比べたら俺の作品の方がまし』『←さらせバカ』『死ねよぼけ』『お前作者だろう』『作者乙』『編集乙』『工作員が多いな』『なんのだよw』『もちろん……。すまん、俺が悪かった』『ほめるところがない』『けなすまでもない』『漬け物石代わりにもならない』『拷問だった』『罰ゲームだった』『二作目に期待しない』『生まれて初めて壁に投げつけました』『子供が泣いた』『借金つらい』『この本を刷るお金でいったいどれだけの子供が助かると……』『これは小説じゃない! 詩として読めば……、それでも無理! ならば日本語を並べたものだと思えば! ……俺はなんのために時間を割いたのだろう』『ここまで無駄な時間を過ごしたのは始めてだった』『古本屋にも悪くて持って行く気がおきない』『←安心しろ。在庫多すぎで買い取ってもらえねぇ』『金払うから引き取ってくれない?』『どうしてこうなった』『責任者出てこい』『史上最低』『??』
それは和郎の目に入ったごく一部のものであったが、なんと見事な罵詈雑言だろうか。脳天にまで届くような、かつてない衝撃だった。
渉からPC前の座席を借り受け、和郎は画面に見入る。
「まあ、ここのサイトはこれでもおとなしい方だよ? ちょっと思い込みの激しい作家志望者とか、殺害予告とか出してつかまったりしてるしね」
「そんなことがあったのか」
「……ワイドショーとかでも持ちきりの話題なんですけど?」
「俺は基本、昼は学校。学校でも授業以外はひとりで図書室に行って執筆しているし、夜も家に着いたらすぐに執筆する生活だからな。新聞は一面を見るくらいだ」
「学校では話題にならないの? ペンネームがこじまかずろうって、疑うひといそうだけど」
「とぼけたらすぐに納得していた」
「まあそんなもんか。クラスに全国的な有名人がいるとか思わないもんだよね、フツー」
渉と会話をしながらも、和郎はひとつひとつ感想を追いかけていった。
もちろん心に刺さるし、体がばらばらに引き裂かれるようにつらいものだったが、それでもたくさんの人間が自分の本を読んでくれたことに感謝をしながら目を走らせた。
「全部見るの? そこだけでもけっこうあるけど」
「俺なりのけじめをつけたいんだ。しばらく好きにさせてくれ」
「はいはい。和郎はまじめっていうか、マゾだよな」
「暇だったら、俺の鞄の中に新作がある。また読んでくれ」
「まじで?! こんな状況でも書き続けてるの!? 偉いを通り越してもはや変態だね」
「うるさいな。好きなんだから良いだろ、別に」
「ジャンルは?」
「密室ものにアリバイものを混ぜたミステリだ」
「うっわー、超楽しみ。最高につまんなそうだね。たまにはラブコメでも書いたら?」
「無理だ」
「うっそ。昔書いてたよ。しかもちょっと面白かった」
「いつの話だ」
「幼稚園」
軽口をたたきながらも鞄をあさる渉の気配を背後に感じながら、和郎は一新不乱に、決して賛辞のない苦しくてつらい感想を読み続けた。
「……ふぅん、特別顧問の竜宮院玉青ね。……綺麗なひとらしいね……」
渉が何かを見て、そんなつぶやきをもらしたことにも気づかないまま。