1 小説大賞に受賞→間違い
「すまない。キミを受賞させたことは間違いだった」
初対面の女性編集者は、開口一番そう言った。
ゆったりとした、というよりは覇気のない口調。抑揚も少ない。
「間違い?」
和郎はその言葉の意味を理解することができなかった。
「えっと、冗談……、ですよね?」
女性編集者はどう見ても十代、それも自分と同年代くらいにしか見えない。
『想大社 特別顧問 竜宮院玉青』という名刺をもらっていなければタメ語を使っただろう。
「いいや」
編集者、竜宮院玉青はゆっくりと首を振った。美少女である。
一本一本がピアノ線のように細く、向こう側が透けるようなきれいな銀色の髪が揺れる。
顔の前半分の頭髪はおろしていたが、サイドや後ろは結ってまとめてある。
シニヨンと呼ばれるものだ。
「残念ながら私は嘘をつかないんだよ、虎島和郎君」
和郎は、学校の教師以外から初対面で君付けで呼ばれたのは初めてだった。
クラスメイトに「虎島君」と呼ばれることはある。
しかしそれは同年代の気安さからのものだ。
対して、編集者、竜宮院玉青のそれは違う。
あくまでも呼称。純然たる接尾語。
それ以上でも以下でもない、無機質な響きだった。
だが、そんなことは小さな問題だ。
それよりも今の虎島和郎には理解しなければならないことがあった。
「本当……、ですか……。つまり、俺の受賞は……」
口で、ただ復唱する。
思考が停止。心が理解を拒絶していた。
「俺の、第七回想大社ミステリー小説大賞の受賞は」
それでも、銀髪の編集者の静かな威圧感を前に、和郎はいやでも事実を受け入れる。
「作家デビューは間違い……、だったってことですか」
小説を書く仕事、作家。
作家になるのは和郎の幼い頃からの夢だった。
物心ついたときにはすでに、将来は作家になると決めていた。
ジャンルはミステリ。
名探偵が活躍する、あれだ。
母親が寝物語に読み聞かせた絵本のホームズの影響かもしれない。
とにかく物語を自分で綴ること、そしてそれを仕事にしようと思っていた。
だから、和郎はたくさんの物語を考えてきた。
ノートや原稿用紙、あるいはちらしの裏。あらゆるところに和郎は自身の物語を綴った。
だが、いくら物語を作れても、それだけでは作家になれない。
作家として生活をしていくためには、だれかに価値を認めてもらう必要がある。
一番簡単な方法は、出版社が主催する小説賞に投稿することだ。
そこで賞を取ればいい。
気づいたのは六歳のとき。
その日から、和郎はひたすら投稿を続けてきた。
全国からの投稿数に対し、受賞者数はおよそ千分の一。
決して門戸は広くない。
それでも和郎には自信があった。自分の物語は面白いと信じて疑わなかった。
だが、結果は常に落選。
三段階程度の選考があるものだが、その一次選考にすら通過しなかった。
今日までに落選した数は優に百を超える。
普通の人間ならあきらめるレベルだ。
しかし、和郎は違った。
決してあきらめなかった。
自身の才能を信じ、いつか花開くと思い投稿を続けた。
そして投稿生活十年目。
高校生活を始めておよそ一年が過ぎた頃、ついに夢が叶った。
『第七回想大社ミステリー小説大賞』
伝統のある大手出版社、想大社。そこが主催するミステリー大賞の大賞に輝いたのだ。
受賞の連絡は電話だった。
ペンネームの『こじまかずろう』が、新聞にも載った。
和郎は喜んだ。家族も喜んだ。友人には一部以外には照れくさくて内緒にしたけれど。
しかも異例の即月出版。
和郎は一度だけゲラの誤字脱字を添削しただけで、受賞連絡からわずか一月で作家デビューの夢を叶えるにいたっていた。それが明日。
明日には和郎にとって人生初の著作が発売する。
そんな記念すべき日の前日に。
想大社の会議室に呼び出された和郎は、死刑宣告に等しい言葉を受けていたのだ。
「……や、いやだなあ、竜宮院さん。冗談ですよね」
信じられない、いや、信じたくない和郎は笑おうとする。
しかし、顔面の筋肉は引きつり、またのどが乾き切っていてうまく笑えなかった。
ひひひ、とかそんな音が漏れただけだ。
「冗談ではないよ」
編集者、玉青は和郎をまっすぐに見据えたまま、真顔だった。
よく見れば、玉青の瞳は名前と同様に深い青色をしている。
流暢に日本語を話しているところと、名前からすれば日本人であることは間違いない。親族の誰かに、外国人でもいるのだろうか。
「で、でも、明日発売ってことはもう本になってるんですよね?」
「これだよ」
玉青が一冊の本を差し出した。
『名探偵の事情〜名探偵は千度死ぬ〜』
和郎が受賞した作品を書籍化したものだった。
「お、おお」
妙なことを言われて内心不安になっている和郎だが、やはり人生初めての自著だ。
わずかに興奮しながら、本を手に取り感慨深く眺める。
「本来は出版よりも前に作家の手元に届くのが慣例なのだけれどね」
本に集中する和郎に、玉青はたんたんと語りかける。
「今回はいろいろと異例なのだよ。そもそも発表からたったの一月で本になるというのがすごいだろう?」
自著の出来が気になっている和郎は上の空だったが、頭の片隅で考える。
確かに、多くの小説賞では発表から刊行までにはそれなりの時間を有するのが普通だ。
「はっきり言うよ。宣伝だよ。話題作りだ」
「話題作り……」
和郎は少しだけそこに引っかかりを覚える。
「私はね、虎島君。常々商売は宣伝がすべてだと思っているんだ。宣伝さえすれば、どんなものでも大抵はヒットする。ヒットしにくいものであれば、さもヒットをしているような宣伝をする。私は今までそうやって利益を出してきた」
本も気になったが、今は玉青の話を聞いた方が良さそうだ。そう判断した和郎はデビュー作のページを閉じた。
「無論、いくら宣伝の力を借りても、商品に魅力がなければいずれ限界が来る。めっきがはがれるんだ。しかし今の世の中はコンテンツの流動が早いからね。めっきがはがれるまでに次のものを仕込んでおけば何も問題はない。我々の会社が損をすることは滅多にないんだよ」
「……竜宮院さん、それってつまり」
ショックは残っているものの、和郎は幾分ましになった頭で考える。
そして行き着いた答えに、憤りを感じた。
「作品の善し悪しは関係ないってことかよ」
丁寧語を使う余裕はなかった。
「ふむ。なかなか勘が良いな虎島君。その通りだよ。私にとって作品の内容は二の次だ。もちろん最低限、商品としての質は必要だけれど、そこさえクリアすれば大した差はない」
「ふざけるなっ!」
和郎は机をたたいて立ち上がっていた。
「作品を……、作家をバカにするな!」
和郎にとって作家は夢だ。
その仕事に理想があって、希望がある。
それに世の中には作家になりたいと願う者は五万といる。従って、作家やその作品はそういった人間のあこがれの集大成ともいえる。
それを玉青はまるで血の通わないもののように、使い捨ての効く部品のように言った。
和郎が激高するのは当然のことだった。
「それじゃあ何か? 俺の今回の受賞も……」
和郎はもはや事実を受け入れた。
その上で文句を言う決意が瞬時に固まっていた。
「受賞を取り消された、とかいう話題性で売ろうってのかよ」
受賞が間違っていたこと。そして話題作り、宣伝、金儲け。そこから、和郎はその発想にたどり着いていた。
だが。
「それは違うぞ、虎島君」
立ち上がり憤怒の表情で自分よりもはるかに上から見下ろす和郎に気圧されることもなく、さらには微動だにすることもなく変わらない調子で玉青は言った。
「何が違うんだよ!? だったら、受賞が間違いってどういうことだよ!?」
「落ち着いてくれ、虎島君。話は最後まで聞いてほしい。最後まで聞いてそれでも納得がいかなければどんな罵りも誹りも嘲りも受けよう。なんなら、この体で払ってもかまわない」
「か、体!?」
不意にそんなことを言われ、和郎は面食らった。
和郎も、作家志望であることをのぞけば、ごく普通の男子高校生である。
そして、目の前の玉青は、どう見ても同年代の、しかもさらによく見てみれば、かなりどころかとんでもなく端整な顔立ちの美少女だ。
体躯が小柄で、折れそうなほど線が細いことをのぞけば、とても魅力的だ。
いや、玉青の場合、銀髪碧眼という特徴的な容姿に、肌の色も透明度が高い乳白色をしており、繊細な体型はむしろプラスの要素だった。
「ああ、好きにしてくれてかまわないよ。そのくらい今回のことは私もショックを受けているからね……。とにかくまずは座ってくれ、虎島君。なんならお茶も用意しよう」
玉青が内線電話で飲み物を注文する様子を見ながら、和郎は渋々と着席した。
ほどなくして、玉青よりずっと年配の女性が紅茶のセットと茶菓子を持ってくる。彼女は玉青にうやうやしく頭を下げると、部屋を後にした。
「それで……、宣伝だとか、あんたが作家や作品に対して失礼な人間だってことはわかったが、俺の受賞が間違いだったっていうのはどういうことなんだ?」
もはや和郎には、丁寧にしゃべろうという気はなかった。
「うむ」
玉青はお茶と言ったが、彼女のカップにはミルクしか入っていない。それを一口すする。
「正直に言おう。まさかキミの作品がそこまで駄作だとは思っていなかったんだ」
「……は?」
和郎は思わず脳内の辞書を引く。駄作、駄作。
駄作。多分、駄目な作品のこと。くそ面白くない作品。
「審査員の先生方や社内の反対を押し切ってキミの作品を大賞に推薦したのは私だ」
「え……、あ、そりゃ、どうも」
こんな状況ではあったが、その言葉は少し嬉しいものだった。
「って、でも間違いだったんだろ?」
一瞬は、気をよくしたものの、すぐに和郎は事実を思い出す。
「厳密に言うと間違いではない。キミが第七回想大社ミステリー大賞を受賞したのは事実だし、我々想大社もその事実を覆すことはない。間違いだったというのは言葉の綾だ。私がキミに謝罪をしたかっただけだよ、虎島君」
「どういうことだよ? 本は出るってことか?」
「ああ。出る。それは間違いない」
「じゃあ、何が間違いなんだ?」
和郎は混乱していた。意味がわからない。
「さっき言った通り私はこの世の中は宣伝がすべてだと思っている。宣伝さえすればコンテンツの善し悪しは関係なく、ある程度の利益を出せると、そう信じてやってきた」
「……言ってたな」
さきほどの憤りが戻りかける和郎。
「だから今回のミステリー大賞も、どれでも適当に選んで宣伝をかければ、それなりの利益は出るものと信じて疑わなかった。そう、どれでも良かったはずなんだ」
玉青はほんの少しだけうつむいた。前髪の銀髪がそれに伴ってさらりと揺れる。
「だが、キミの作品はダメだった」
「は?」
「宣伝部と広告会社に完全にさじを投げられた。どうあがいても宣伝のしようがない、売りにするポイントもほめるところもない、とね。コンテンツとして史上最悪なほど駄作だそうだよ、キミの本は」
「ど、どういうことだよ」
「結果だけを見れば、キミの作品は最低限の商品としての質すらなかったということだろう。そこに私が気づかなかったんだ。もちろん周囲の人間は気づいていたよ? だけど、たとえそういう反対を受けたものであっても、今までは売ることができたから聞く耳を持たなかった」
視線を机の上に向けたまま、玉青は小さく首を振る。
「初めての失敗だよ。もう一度言う。まさかキミの原稿がそんな駄作だとは思わなかった。広告会社の人間がなんと言ったと思う? この作品を宣伝するくらいなら死んだ方がまし、だそうだよ。金のためなら何でもやるような会社だったのだけれどね……」
「つまり、あんたが適当に売ろうと思った俺の作品は、あんたの戦略じゃあ、どうあがいても売れそうもないってことか?」
「せっかくの受賞だが、発売されればキミは誹謗中傷の的だろう。笑いものも良いところだ。下手をすれば街を歩けなくなるかも知れない。明日以降、くれぐれも道中は気をつけたまえ。キミが受賞したことで落選した作家が刺しにくるかもしれん」
「だからごめんなさいってか?」
「それから、出版社や宣伝会社のすべてから私のところへある通達がきた。宣伝と牽制の意味を込めて各所に配布したし、あるいは広告会社から噂を聞いたのだろう。キミの作品はどうしようもない……、誰もどうにもできない作品らしいとね」
「どんな通達なんだよ」
気丈に返すものの、和郎の心はすでにぼろぼろである。
「各社にキミの本名などのプロフィールが広まっている。この業界はそういうところは早いからね。今後、キミの作品はどこの出版社でもお断りだそうだよ」
「……ど、どういうことだ?」
「今回の本のせいで、たとえ別の作品を投稿しようと、その際にペンネームを変えようと、キミの作品は金輪際他の出版社からは出せないということだ」
「なんだって?」
「そしてうちの会社も、もはやキミの作品には触れたくないそうだ。私の権限で無理矢理本にすることはできるだろうが様々なところで協力は得られないだろう」
「ちょっと待て。それはつまり業界全部が俺を拒絶したってことか」
「そういうことになる。このデビュー作が最初で最後の作品になるということだ。だから、今日は謝ろうと思ってね。キミを受賞させたことは私の間違いだった。すまなかった」
そう言って、玉青は丁寧な所作で頭を下げた。
その姿があまりにもきれいで、思わず和郎は謝罪を受け入れそうになった。
しかしすぐに首をふり、煩悩を打ち払う。
「……じゃあどうしてあんたは俺の作品を推したんだ。それなりの理由があるんだろ!?」
「そ……、それは」
それまで饒舌だった玉青が急に口ごもる。
和郎はそれを攻める好機と見た。
「少なくともあんたは俺の作品を面白いと思ったんじゃないのかよ! はは! 万人がつまらないというものを面白く読めたってか? たいそうセンスのない編集者だな、あんた」
言っていることは自虐的だが、和郎の怒りはすでにそんなことはどうでも良い領域に到達していた。ただ文句を言いたかった。ただ叫びたかった。ただ何かを攻めたいだけだった。
「……理由はふたつある。……その前に聞いておきたいことがある」
「なんだよ! 俺は聞かれたくねえよ」
「私はキミと逢ったことがあるような気がしたんだが、キミは覚えていないか?」
「逢ったこと……!? ないね。あんたみたいな派手な女、一度でも見れば忘れねえよ」
「……そうか」
深い海のような双眸が、まっすぐに和郎を見つめている。それに、僅かに気圧された。
「そ、それがどうしたんだよ。それと俺を推薦した理由になんの関係があるんだよ?」
玉青は和郎の答えから、しばらくたってため息をついた。
「……わかった。すべて私の勘違いだっんだな」
「だからっ!」
「理由はふたつだ。まずひとつめ。私はキミの作品を読んだ。読んだが面白いかどうかはわからなかった」
「面白いかどうかわからない? なんだよそれ。どういうことだよ」
「そう、いきり立たないでくれ。私は幼い頃からこの業界に関する英才教育を受けてきた。その反動か、エンターテイメントが理解できない。面白い作品というものがわからないんだよ」
「面白いが……、わからない?」
「だからこそ私は宣伝に頼るだけの不格好な商売しかできないんだ」
玉青はうっすらと笑いを浮かべていたが、それは自嘲だとすぐにわかる。
「それからもうひとつの理由。ここにキミの応募原稿があるんだが」
玉青は茶封筒を持ち出し、そこからコピー紙の束を取り出した。
和郎はそれに見覚えがある。たしかに自分の原稿だった。
玉青が、その一番上の書類に手をかけた。
「キミ、プロフィールに変な物を添付したろう。賞によってはこれだけで審査を通らないよ」
その紙には和郎の名前や学歴、趣味、特技が書いてある。
要するにそれは履歴書だった。
「私はね、虎島君。これを見てキミが知り合いではないかと思ったのだよ」
玉青の細くしなやかな指先が、書類の一点を指し示した。
「彼は私にとって特別の人間でね」
履歴書につきものの、スピード写真機でとった写真がそこにある。
「作品もきっと面白いに違いないと、そう思っていたんだよ」
そこに、かちこちに緊張した和郎の顔写真があった。
「簡単に言えばね、虎島君。私はキミをこの写真だけで選んだんだよ。そう、顔だけでね」
「…………はぁっ?」
和郎は怒りを通り越してあきれそうになった。
そこで内線が鳴り、玉青が受話器を手に取った。いくつかの話をして、切る。
「……と、いうわけだよ虎島君。キミには大変すまないことをしたと思っている。だから気持ちとしてはこの体で払ってさえ良いと思っている。だが、重ね重ねすまない。ちょっと急用が入った。キミの本をいち早く入手した書店や読者からのクレームがひどいらしい」
「クレーム……」
発売さえすれば読者の反応は違うんじゃないかと、心の片隅で思っていた和郎は、その言葉で一気に毒気を抜かれてしまった。
「今後のことは市場や社内が落ち着いてからでも良いだろうか」
玉青は腰を上げる。
「どんな責め苦でも受け入れる。ただ刷ってしまった本の対応が、ある程度終わるまで待ってほしいんだ」
「……そう、かよ。わかったよ」
和郎は振り上げかけた拳を下げると、玉青に背を向け出口に向かった。
「その、虎島君」
「あ!? なんだよ」
振り返らずに怒声を上げる和郎。
「結果は残念だが、私は同じ年齢の人間がこうして本を書ききったということは素直にすごいと思っている」
「ああ、そうですか……」
和郎はさらに何か言おうとしたが、それ以上言葉が見つからない。ただ、拳を強く握りしめて、会議室をあとにした。
扉を乱暴にしめて。