第2章 4
あぁ、私は夢を見ているんだと、ぼんやりとした思考の中で確信した。
これは私が一番幸せだった時の記憶。大好きなママがまだ側にいて、誰よりも私を愛してくれていた。ママは物凄く美人で、優しくて、頭も良くて、非の打ち所が無いような女性だった。そんなママが世界で一番大好きで、ママの娘である事が私の誇りだった。
あれは、私が七歳の誕生日を迎えた日の事だった。
何度も何度も約束したのに、結局パパは仕事が忙しいと言って帰ってくることは無かった。別に、珍しいことでは無かった。それでもその時の私は納得出来なくて、悲しくて、そんな私を困ったように慰めるママに申し訳なくて、自分でも訳がわからなくなってしまっていた。
気付いたら、ママが私を強く抱き締めていた。部屋が滅茶苦茶になっていた。何が起きたかわからなかった私に、ママが教えてくれた。“希少種”という存在を。
希少種は遺伝等が全く関係ない突然変異で産まれる存在で、不思議な力を持っている。細かい事はあまり解明されていないが、その強過ぎる能力は有意であると同時に危険で、悪用させないように、その存在を国が管理しているという。
当時の私には、ママの言っている事が難しくてよくわからなかった。そんな私に、ママは透き通った瞳でまっすぐ見つめて言った。
「この力を絶対に使っては駄目よ。アメリアがこんな凄いことが出来るとわかってしまったら、もうママ達と一緒に暮らせなくなってしまうの。だから、これはママとアメリアの二人だけの秘密。約束できるわね?」
ママの目がとても真剣だったから、よくわからないまま私は頷いた。
それから間もなくして、ママは亡くなった。非の打ち所がないママの唯一の弱点が、身体の弱さだった。当時、もうすでにママの身体は病に蝕まれていて、手の打ちようが無かった。ボロボロの身体なのに、私を気遣って、強く気高く振る舞っていたんだろう。
ママが亡くなって、お葬式をして、数ヶ月が経った頃。
新しい“ママ”がやってきた。彼女には連れ子がいた。私より三つ年下の、半分血の繋がった妹。その“意味”を理解したのは、ずっとずっと後の事だった。
彼女は私をあまり良く思っていなかった。初めて会った時から、私を見る目はとても冷ややかだった。
そこから先は、あまり思い出したくない。
彼女は妹を愛し、私を敵視した。何かあれば私のせいだった。妹が勝手に転んで膝を擦りむいた時だって、彼女は私を物凄い剣幕で叱った。
その一方で、妹は私によく懐いていた。金魚の糞のようにくっついて回った。それが私は疎ましかった。だって妹が私に近づくことを彼女は良しとしていない。妹が一緒にいるだけで、彼女の私に対する当てつけは倍増した。
一刻も早くここを抜け出したかった。けれど何の力も持たない幼い子供が一人で生きていけるほど、この世界は甘くない事も理解していた。周りの大人も、唯一の肉親であるパパも、誰もあてには出来なかった。
だから私は、大人になるまで我慢すると決めた。大人になったら、ここから遠く離れた地で生きていくことを夢見ていた。
それから三年後、私が十歳の時。
妹が、橋から落ちそうになった。
全てはこの妹の自業自得だ。パパの書斎から勝手に花の図鑑を持ち出して、山に咲く花を気に入ったから取りに行こうと言い出して、私が止めると一人で行くと言って家から飛び出した。妹がどんな我儘を言っても、私が強く止める事を許されてはいなかった。でも何かあったら怒られるのは私だから、放って置くことも出来ない。結局私は妹の後を追うしかなかった。
そもそも、幼い子供に山登りなんて無理に等しかった。最初は意気込んでいた妹も、すぐに弱音を吐き始めた。私も疲れていたから相手にしないでいると、今度は癇癪を起こした。面倒になって帰ろうと言うと、負けず嫌いの妹はムキになって走り始めたのだ。
その結果、足を踏み外して妹は橋から落ちそうになった。あまり人が出入りしない山だから、橋の整備がちゃんとされていなかったのかもしれない。慌てて妹を引き上げようとしたけれど、不安定な橋の上で、子供を引き上げれるほどの力は私には無かった。あまり人が出入りしない山だから、助けを求める相手もいない。街まで大人を呼びに行っている間に、妹の腕力は尽き果てるだろう。
いっそ見殺しにしてしまおうか。
一瞬どす黒い感情が芽生えた事は否定しない。弁明をするなら、それくらい私は疲れていた。
けれど、そんなことになったら彼女は私を許さないだろう。それに、妹は悪くない。今回の一件は自業自得だけれど、私を邪険に扱っているのはあくまで彼女であって、妹は私にただ懐いているだけ。ちょっと我儘ではあるが、それも彼女が甘やかしたせいだ。
私を慕ってくれる妹を、見殺しになんて出来ない。
その時、私は初めてママとの約束を破った。
何をどうしたかはよくわからない。私はただ、心から妹を助けたいと願った。その瞬間、妹の身体がふわりと風で浮き上がったのだ。
橋に上がった妹は、私にしがみついて大泣きした。その背中をぽんぽん叩いて宥めてやった。一瞬でも見殺しにしようと思った自分自身にゾッとし、同時に無事で良かったと心から安堵した。
今考えれば、私は本当に浅はかだったと思う。妹がおしゃべりなのを知っていた筈なのに、私はその時の出来事を口止めするのを忘れていた。
その日、夕食の席で、妹はまるで武勇伝のようにその時の出来事を語った。妹にしてみれば、『私のお姉ちゃんは凄い』という自慢だったんだろう。けれど、その瞬間室内の空気が凍り付いたのを肌で感じた。もともと妹の服が泥で汚れていたのを、彼女は不審に思っていた。彼女の中ではきっと、私は『大事な娘の命を脅かした重罪人』だろう。それ以上、食事が喉を通らなかった。
その夜、ベッドに潜り込んだ私は不安でたまらなかった。
彼女は私を叱らなかった。どんなにくだらない事でも口喧しかった彼女が、娘が死にかけたのに、私を叱らなかった。激しい叱責を浴びる事よりも、その事の方が私は恐怖を覚えた。
あれ以来、私は叱られなくなった。それどころか、奇妙な事に、彼女は私に優しかった。妹と同じお菓子を与え、妹と同じように褒めた。突然の変貌にどうしていいかわからず黙り込む私に対して、「照れてるのかしら」と言って笑った。
とても、嫌な予感がした。
そして、それは的中した。
あの出来事から一週間ほど経ったある日、パパは仕事と言って家を空けていた。彼女はその日を待っていた。
この時、私はようやくママが言っていた言葉の意味を理解した。何があっても、“力”を使ってはいけなかったんだ。
私は、人買いに売られた。
***




