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第2章 2

 煌びやかな表通りから脇道にそれ、どんどん細い道に入っていくと、薄暗い路地に辿り着く。建物の陰に隠れ、陽の光がほとんど届かないそこは、二人が最悪な出会いを果たしてしまった因縁の場所だった。


「どこに連れていかれるのかと思えば、馴れ初めでも語り合うつもりですか?」


 行き先も告げずに連れてこられたアディが、冗談混じりに先を行くアメリアに問いかける。


「冗談じゃないわ。叶うなら記憶から抹消したいぐらいよ」

「うわ、酷い言い草。そんなに嫌わなくても良いのに。仲良くしましょうよ」


 それが殺したい相手に言う言葉なのだろうか。冷たく突き放した態度をとるが、アディは全く意に介した様子もなく、にこにこと楽しそうに笑っている。

 ストーカー宣言をして以降、彼の暗殺者としての顔はすっかり鳴りを潜めてしまった。胡散臭い笑顔は相変わらずだが、ゾッとするような冷たい眼差しがまるで夢であったかのように、彼がどこにでもいる普通の少年に見える。

 普通に接している分には人懐っこくて愛らしい彼から目を逸らすと、アメリアは例の現場に近づき、片膝をついた。


「やっぱり……」


 そこには何も無かった。男の死体はもちろんの事、周囲を見渡しても血の一滴すら見当たらない。人が殺害された痕跡が、綺麗に葬られているのだ。


「死体が無いのがそんなにおかしな事ですか?」


 彼女の背後から同じ光景を見下ろして、アディが問う。


「状況にもよるかしら」


 振り返らずにアメリアが答える。視線を横にずらすと、コンクリートの壁と地面の隙間から生えた雑草は枯れていた。ここから少し離れた場所では生命力たくましく成長しているというのに。

 膝のあたりを払って立ち上がり、アメリアは壁にもたれかかった。ようやく彼を見れば、興味深そうにアメリアの次の言葉を待っている。


「あんた達、仕事が終わった後の死体はどうするの?」

「と言いますと?」

「どうやって処理するのか聞いてるのよ」


 こちらの意図がわかっているのかいないのか、相変わらず飄々とした態度を取る暗殺者へ向ける眼差しに、剣呑さが混じる。


「そんな怖い顔しないでくださいよ。――時と場合によりますね。例えば、対象を行方不明に仕立てたいなら専門の人間に依頼して隠します。逆に、死体を確認させたいのなら、そのままにするか、相応の場所に移動させますね」

「今回は?」


 矢継ぎ早に質問を浴びせると、アディはわざとらしく肩を竦めた。


「依頼人のご意向で、そのまま残しました」

「そう」


 ずっとおかしいと思っていた。殺された男は、街でも有数の資産家だ。そんな人物の死体が見つかったとあれば、普通なら街全体が大騒ぎになることだろう。

 しかし、街はいたって平和だった。どこかに殺人犯がいるかもしれないのに、年若い娘が女だけで歩き回り、街の明かりは深夜になっても絶えない。ここ最近はコルトの店によく出ていたが、噂好きが多く集まる酒場で一度もそんな話を聞かない。

 誰も男が殺された事を知らないのだ。


「暗殺者は何もしていないのに、死体は見つかっていない。つまり、見つかって困る人間の手によって隠されたって事でしょ?」


 それも、ただ移動しただけでは無く、その痕跡自体も消された。現場近くの雑草だけが枯れていたのは、血を洗い流す際に薬品が付着してしまったせいだろう。


 では一体誰がそんなことをしたのだろうか。


「彼、この先にある屋敷によく出入りしてたわ。何をしているのかまでは教えてくれなかったけど、こんな人目につかない場所に、わざわざ資産家が出向くなんておかしいじゃない」


 それを確かめようと追いかけていた途中で、男は殺された。

 更に根本的な話をするなら、そもそも彼はどうして殺されたのだろうか。彼は暗殺者に依頼をされるような何かをしていた。


「それを知って、どうするんですか?」


 背筋が凍るような、冷たい声音だった。思考に耽りかけていた意識が一気に戻ってくる。声の方に視線を向ければ、アディは先ほどと変わらない姿勢で、しかし紛れも無い暗殺者の顔で、アメリアを見つめていた。


「彼が何をしていたところで、仕事を終えた貴女には関係の無い事でしょう?ただの興味本位ならやめておいた方がいい。行き過ぎた好奇心は身を滅ぼしますよ」


 これが年若い少年に出せる威圧感だろうか。

 普通の人間なら、恐怖で声も出なかったかもしれない。アメリアも一瞬怯みかけたが、すんででそれを隠すと、挑むように口角を釣り上げた。


「本性が出たわね。知られて都合の悪い事でもあるのかしら?」

「いいえ。ただの警告です」


 アメリアは、腕を組みながらじっとアディの様子を窺う。こういう時に腕を組むのは自己防衛本能だったか、などと頭の片隅で考えながら。

 やがて両手を頭の横に上げると、アメリアは降参のポーズをとった。


「何でマジになってるのか知らないけど、落ち着きなさいよ」


 壁から背を離し、アディに歩み寄る。彼の前で足を止めると、アメリアは片手で髪を掻き上げながら、悩ましげに視線を足元へ落とした。ぽつりぽつりと、選ぶようにして言葉を紡いでいく。


「別に、興味本位なんかじゃないわ。ただ、気になるの。女のカンってやつかしら。……嫌な予感がするのよ」

「嫌な予感?」

「ええ。すでに関係ないで済まされない所まで来てしまったような、ね」


 確信もない、ただの憶測。

 本来アメリアは事なかれ主義で、自ら事件に巻き込まれたがるほど馬鹿じゃない。今回のことも、アディの主張は当然の内容であり、それは彼女自身も理解していた。それでも、このまま放っておいたら取り返しのつかない事になってしまうような、そんな気がするのだ。


 二人の間に言いようのない沈黙が流れる。

 先に沈黙を破ったのは、アディの方だった。


「……え?ちょっ!」

「しっ!」


 突然、強引に腕を掴まれると、無理矢理走らされた。表通りとは反対方向、例の屋敷へ向かう道を行くと、突き当たりを左に曲がる。咄嗟の事に訳もわからず抗議の声を上げようとするが、それをアディは短く制した。

 状況を把握しきれていないアメリアだが、ここは彼に任せた方が良さそうだ。こくりと頷いて見せると、アディに身を委ねた。


 角を曲がった直後、アディは素早く周囲を見渡すと、ゴミ箱なのか何なのか用途不明な樽の物陰にアメリアを座らせ、自らも覆い被さる様にして身を潜めた。


(身体はちゃんと男の子なのね……)


 互いの体を密着させ、息を殺した状態で、ふとそんなことを思う。見た目は可愛らしくても、仕事柄鍛えているのだろう。ほんの少しだけ胸が高鳴ったのは、きっと気の迷いだろうが。


 彼の体温と圧迫感に息苦しさを覚えた頃、人の気配がした。足音からすると、恐らく二人。何かを話しながら近づいてくる。声の主は突き当たりに到着したのだろうか、それまで近づいていた声が、今度は徐々に遠ざかっていく。突き当たりの右側、例の屋敷がある方角へ。


 それから暫くして。

 人の気配が完全に無くなった頃、ようやくアディは立ち上がった。


「いきなりすみませんでした。大丈夫ですか?」


 申し訳無さそうに眉尻を下げた顔で、手を差し出してくる。アメリアは彼の手を取り引っ張り起こしてもらうと、服についた砂埃を払い落としながら屋敷の方を見た。


「さすが暗殺者様。全然気づかなかったわ」


 話に気を取られ、すっかり周囲に気を配るのを失念していた。あのまま鉢合わせていたら、面倒な事になっていただろう。


 でもおかげで確信できた。


「どうやら、女のカンは馬鹿に出来ないみたいね。警告は受け入れれそうにないわ」

「……みたいですね」



 アディもまた屋敷の方を眺めながら、年相応の少年の顔で、諦めたように笑った。





***

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