第2章 1
「アメリアさん」
「また来たの?」
入店を告げる鐘の音と共に姿を現した暗殺者を視界に認め、アメリアは顔をしかめた。そんな事は微塵も気にしていないのか、アディはにこにこと天使の微笑みで受け流し、いつもと同じテーブルにつく。
言いたい事は山のようにあるが今の彼女は喫茶コルトの店員であり、どんな相手であろうと彼は客。そう割り切って、アメリアは水の入ったコップをトレイに乗せ運んだ。店内にいる客は彼を除いて数名。ランチタイムも過ぎているため、人の姿もまばらで空席も目立っている。だからこそ店番をアメリア一人で預かっていられるのだが。
「ご注文は?」
木製の円テーブルにコップを置き、棒読みで問い掛けた。通常ならメニューを選ぶ猶予を与えるものだが、彼にその必要がないのはすでにわかりきっている。
「苺タルトと特製ココアで」
「……かしこまりました」
連日通りの注文を受けると、アメリアはあからさまに顔をしかめながら踵を返した。相変わらず聞くだけで胃のもたれそうな組み合わせだ。スイーツのお供はコーヒーか紅茶なんて定番は彼にはないらしい。あの身体は糖分で構成されているんじゃないかとさえ疑いたくなる。
厨房に引っ込むと、アメリアは手早く準備を整えていった。彼専用に砂糖を大量投入したココアを淹れ、先程作ったばかりのタルトを切り分ける。
「リアちゃん」
小皿に取ったタルトとココアをトレイに乗せた所で名前を呼ばれ、アメリアは顔を上げた。店が混む時間を避け、遅めの昼食を取っていたはずのコルトが階段を降りて来る所だった。
「あの子また来てるのかい?」
「そうだけど。何でわかったの?」
「そりゃあその組み合わせを見ればねぇ」
「ああ、激しく納得」
長年飲食店を経営しているコルトがそう言うのだから、やはり珍しい組み合わせなのだろう。改めて自分の感覚に自信を持ち直していると、階段を降り終えたコルトが隣に来て、ぽんとアメリアの肩を叩いた。
「彼、確かアディ君だったね。随分とアメリアちゃんにご執心ねぇ」
「やめてよおばさん。そんなんじゃないから」
そんな可愛らしい理由ならどれほどいいか。真実を彼女に話す訳にもいかず、にやにやしているコルトから逃れるように、アメリアはトレイを持って厨房を出た。外見だけは可愛らしい少年に近付くと、やはり棒読みでお決まりの台詞を言う。
「お待たせ致しました。苺のタルトと“特製激甘”ココアでございます」
棒読みの中でも『特製激甘』の部分を強調する事は忘れない。しかし彼は嫌味を気にした様子も無く、顔色一つ変えずに出されたココアのカップを手に取った。カカオの香りを堪能するよう口元に寄せ、やがて傾ける。ほんの一口含んで数秒、視線をアメリアに向け上目遣いで一言。
「もっと甘い方が僕好みですね」
「まだ足りないの!?」
彼の予想外のコメントにアメリアは頓狂な声をあげた。その声量が思いの他大きかったらしく、周囲の客が一斉に振り返る。気まずさを紛らわせようと咳ばらいをする最中、何やら視線を感じてそちらを向けば、面白いものでも見るようなアディと目が合った。
「何よ?」
「いえ、別に。可愛らしいなぁと思って」
まるで他人事なアディの態度に口元の筋肉がぴくりと痙攣する。と同時に口をついて出そうになった台詞を咄嗟に呑み込むと、代わりに周囲には届かないように声を潜めて。
「一度医者にかかることを勧めるわ。絶対に味覚崩壊してるから」
アディはテーブルに頬杖をつくと緩く首を傾げた。その表情は柔らかく微笑んでいるが、口元に浮かぶ笑みがなんとも胡散臭い。
「まぁ自分が甘党である事は認めますけどね。そういうアメリアさんは甘い物は苦手ですか?」
「そりゃ好きよ。女の子にとってスイーツは別腹だもの。でも限度ってものがあるでしょ?」
少なくとも、ケーキと激甘ココアだなんて組み合わせは問題外だ。
アディは頬杖を解くとタルトにフォークを当てた。サクッと香ばしい音を立てて生地が割れる。一口大に切り分けたタルトをフォークで刺し、眼前に持ち上げながら彼は小首傾げた。
「おかしいですね。僕にとっては限度内ですけれど」
「あーそう。もう勝手にして」
どうやら二人の味覚が折り合いを見せることはなさそうだ。
疑問を呟きながらタルトを頬張る暗殺者を横目に、アメリアは力無く頭を振った。視線が壁にかかった時計を捉える。時刻は午後三時を回った所。そろそろ学校に行っていたハイドが戻ってくる頃か。
時間を確認してアメリアがテーブルから離れるのと、来客を知らせる小気味のいい鐘の音が鳴るのとがほぼ同時だった。反射的に振り返れば、そこにはちょうどドアを開けたばかりのハイドがいた。店の扉をくぐり抜けた彼は、タンクトップにパーカーといったラフな格好で、荷物があまり入ってなさそうな薄い鞄を持っている。
まるで何処にでもいる普通の学生。優秀なバーテンダーという夜の顔をすっかり潜めたハイドは、アメリアと視線が重なると罰が悪そうに目を細めた。
「おかえりハイド。学校はどうだった?」
「別に。あ、いや、えっと……普通」
「そっか」
すかさずアメリアが声を掛けると、ハイドは顔を背けながらぶっきらぼうに答えた。その反応が自分でも素っ気ないと感じたのだろう。慌てたように何度か言い直すも言葉を形成するには至らず、頭を掻きながらぼそぼそと呟く。
その不器用な反応がおかしくて肩を揺らすアメリアから、ハイドは目を背けた。その双眸が、一瞬の間を置いて見開かれる。
「こんにちはー」
異様に明るい声音で挨拶をしたのはもちろんアディ。にっこりと天使の微笑みを携えて頭を下げる動作は愛らしく、その瞬間は中性的な容姿が女性側に傾いて見える。
そんな彼を見て今日もまた頬を染める男性客が一人。フォークを口にくわえたまま、恍惚とした熱い眼差しで見つめる憐れな男性客を視界の端に捉え、複雑な思いを抱えながらアメリアは二人に視線を移した。
「……どうも。最近よく来てるんだな」
「はい。彼女にちょっと野暮用があるんですよ」
「野暮用、か」
濁した物言いに、ハイドの眉根が寄る。
ここ数日のアディの言動を見ている限り、どうやら互いの関係を他に漏らすつもりはないようで、こういう状況になった時、彼は大体話をはぐらかした。そのせいか、コルトはともかく、ハイドの方はアディを不審の目で見ているようだ。
もっとも、警戒してくれた方がアメリアにとっては都合がいいのだが。
アディから視線を外したハイドは、自宅に続く階段の方へ歩き出した。その背中をアメリアが慌てて呼び止める。
「あ、ハイド!」
「何?」
またも返事は素っ気ないものだったが、今度は言い繕うつもりも無いようだ。ハイドは半身のみを振り向かせると、気怠げに聞き返してきた。
「もう昼食は済んだ?」
「当然だろ」
「じゃあ悪いんだけど店番変わってくれない?」
ハイドの傍まで歩み寄ると、アメリアはトレイを胸に抱きながら、顔の前で両手を合わせた。眉間の皺が深くなるのが見えたが、気付かない振りを決め込む。
どんなに警戒していようと、やはり必要以上に身近な人間に暗殺者を近付けたくはない。早く彼をこの店から遠ざけたかった。それに一つ、確かめたい事もある。
暫しの沈黙の後、ハイドは片足に重心を置いた姿勢で緩く腕を組むと、アディを一瞥した。
「そいつと出掛けるのか?」
「うん。ちょっと野暮用で」
そう言って肩を竦める。溜め息にも似た声がハイドから漏れた。少しだけ目線の高い相手を見ると、彼は顔を背けた状態でぼそぼそと呟く。
「……二人揃って野暮用か」
「え?」
「何でもねえよ。着替えたら変わってやるから、ちょっと待ってろ」
背を向けるハイドを慌てて呼び止めようとすると、それよりも早く気怠げな台詞が耳に届いた。思わず口角が緩む。少し言葉遣いが乱暴ではあったが、きっと優しさの表現が下手なだけなんだろう。
「本当?ありがと。埋め合わせに今度何か奢るわ」
「別にいいよ。元々うちの仕事な訳だし」
「照れなくてもいいのに」
「照れてねえ」
「素直じゃないわねー」
からかい混じりに言葉を投げ掛けると、ハイドは足早に自宅に続く階段へと行ってしまった。心無しか丸まった背中を見送り、交代の準備へ取り掛かろうとアメリアも踵を返す。視界の端で、いまだに少女のような少年に熱い視線を送る男の姿を捉えたが、当然ながら見ない振りをした。
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