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第1章 4

「そう怖い顔をしないでください。少なくとも今はまだ、貴女に危害を加えるつもりはありませんから」


 胡散臭い笑顔で彼が口にしたセリフはまさに本末転倒。怪訝に思ったアメリアは眉を顰め暗殺者を睨み据えた。無言で先を促す。

 すると暗殺者は何を思ったのか、自然な動きで先程は断ったはずの隣のスペースへと腰掛けた。同時に口を開く。


「僕の所属する組織の掟では、仕事を見られた者は例外無く消さなければいけません。人の口ほど信頼出来ないものはありませんからね。だから僕は、掟に従って貴女を始末します」


 すぐ隣で、同じ景色を視界に映しながら、暗殺者は淡々と言葉を紡いでいく。その内容はお世辞にも穏やかとは言い難い物騒なものだったが、言葉にしている当の本人の表情は柔らかい。


「でもその前に一つ、やる事があるんです」

「やる事?」

「借りを返す事ですよ」


 ようやく暗殺者はアメリアを見た。いつの間にか目元に浮かぶ冷徹さも消えている。今この瞬間だけで判断するなら、どこにでもいる普通の少年だった。それ程に彼の浮かべている表情は幼く見えた。


「あの時貴女は、無防備な僕を手に掛ける事もできたでしょう。暗殺者を見逃したりしたらどうなるか、わからないほど愚かではない筈です。でも貴女は僕を見逃した」


 背もたれに寄り掛かりながら空を仰ぐ彼を、アメリアは横目に眺めた。両手の指を絡めながらぐぐっと伸ばす仕草は果たして、素の彼自身なのか、敵を油断させる演技なのか。


「この借りを返すまで僕は貴女に手を出しません。その代わり、目的を果たすため貴女に付き纏わせてもらいます」


 暗殺者の目が何処か遠くを見つめるように細められ、やがてアメリアを捉えると無邪気に口角を釣り上げて。


「だから、それまで仲良くしてくれませんか?」


 笑顔で提案する暗殺者に、アメリアは言葉を失った。彼の口から紡ぎ出される言葉のどれもが、混乱を与えるには十分な威力を放っている。

 よくよく考えれば考えるほど、この提案は非常識過ぎる。命を狙われている相手と行動を共にするのもそうだが、まして友好を築こうなどと理解の範疇を越えている。


 かたや涼やかな笑みで、かたや呆れ顔で見つめ合う二人。少し間を置いて、アメリアは真顔で尋ねた。


「何それ、寝言?」

「おかしいですね。目は覚めているつもりですけれど」

「じゃあ起きてる夢でも見てるんじゃないの?」

「なるほど。夢かどうか試していいですか?」

「冗談じゃないわね」


 どうやって、なんて疑問は声に出さない。嫌な予感しか浮かばないから。

 ばっさりとアメリアは切り捨てると、ベンチから腰を上げた。気がつくと周囲にちらほらと合った人影が無くなっている。会話に意識を傾け過ぎていたせいか、あれだけ賑やかに騒いでいた声が無くなっている事にすら気が付かなかったらしい。この状態なら暗殺者は有利に事を運ぶことも出来るのであろうが、彼が動きを見せる気配はない。


 アメリアは一歩前に進むと、その足を軸に身を反転させた。こうするとまるでさっきと逆の立場だ。見上げようとも見下ろそうとも意図の読めない、相変わらず胡散臭い笑顔を見つめながら、アメリアはため息混じりに呟いた。


「まさか、こんな場所に来て堂々とストーカー宣言されるとは思わなかったわ」

「でしょうね。予測していたらアメリアさんの神経を疑います」

「どういう意味……」


 さすがと言うべきか、皮肉に返る皮肉にため息を逃がしながら言い返そうとして、彼の呼び方の変化に気付いた。今、彼は『貴女』のような二人称ではなく、名前で呼ばなかっただろうか。

 言葉を途切らせ注視するアメリアに、暗殺者はおかしそうに肩を揺らした。


「これから仲良くしていくなら、いつまでも“詐欺師”と“暗殺者”ではいろいろ不便かと思いまして」

「私まだ了承してないんだけど?」

「知った事ではありませんね」


 余裕の態度が気に入らず眉を顰めるが、彼の顔が歪む気配はない。

 暗殺者はアメリアを追うようにしてベンチから腰を上げた。彼が距離を詰めると、互いに向き合う形となる。


「僕はアゾットです」

「それは仮名?」

「仮名であり、実名です。僕達に親から授けられた名前はありません。それぞれ組織に与えられた武器がコードネームとなるんです」

「それが“悪魔を宿す短剣(ア ゾ ッ ト)”……か」


 不意に昨日の出来事が脳裏に浮かび上がった。一連の出来事のそもそものきっかけである、“詐欺師と暗殺者(二人)”の標的を貫いたナイフ。妖しい宝石のついた、悪魔を宿すと謳われる短剣。


 決して気分の良い映像ではないそれを振り払うように小さく頭を揺らすと、アメリアは自分よりも少し小さい彼を見下ろしながら。


「――アディ」


 ぽつりと呟かれた台詞に暗殺者は一度目を瞬かせたが、それ以上の反応は見られない。その様子に聞こえていなかったのかと訝しみながら、アメリアは続けた。


「アゾットなんて露骨な名前呼びたくないもの。嫌とは言わせないわよ」


 言い分が多少強引な気がしないでもないが、お互い様だろう。相手の変化の一つ一つがよく窺えるこの距離で暗殺者の反応を待っていると、数秒の間の後、彼は大きな瞳をそっと伏せた。


「どうぞご自由に」


 肯定の意を伝えて数秒、ようやく瞼を押し上げた暗殺者――アディは、さして気に止めた様子もなく答えると、アメリアの横をすり抜けて噴水の前に立った。


「しかし愛称をつけて頂くということは、今回の提案に了承を得たと受け止めていいんですね?」


 留まる事を知らない水の揺らめきに視線を落としたままアディが問う。アメリアは半身を翻すと彼の背中に答えた。


「別に了承した訳じゃないわ。でも私が何を言ってもどうせ聞かないんでしょう?なら好きにすればいいじゃない」


 アディが振り返る。アメリアは胸の前で腕を組んで彼を見返した。互いに無言のまま視線を重ねる。睨み合い、とまではいかないが、暗黙の探り合いの中で、今回先に折れたのは彼の方だった。


「随分と投げやりですね」

「利口と言ってくれる?無駄な問答なんてしたくないだけ」

「なるほど。どちらにしても僕にとっては都合がいい」


 あまりに潔い反応が可笑しかったのか、アディは俯き気味に頭を垂れ、くつくつと喉を鳴らした。細めた双眸でアメリアを一瞥した後、優雅に一礼してみせる。柔らかそうな茶髪がさらりと揺れ、彼の表情を隠した。


「用件はそれだけです。今日はこれで失礼しますね。付き合って頂いてありがとうございました」


 やがて頭を上げたアディは別れを告げると、早々に踵を返した。付き纏うと宣言しておきながらさっさと立ち去ってしまった彼の背中を目で追い掛けながら、一人残されたアメリアは半ば呆然とその場に立ち尽くす。


 公園の舗装された道のりを進んでいく彼の後ろ姿が見えなくなった頃、アメリアはベンチに座り直した。言葉に出来ない胸の内の代わりに、盛大に溜め息を零す。

 あの暗殺者は借りを返すなどと言っていたが、果たしてどこまで信用できるのだろうか。彼をよくは知らないアメリアだが、そんな律儀で良心的な性格には思えなかった。何か裏があるような気がしてならない。

 そこで思案を停止し、緩く頭を振りながらアメリアは立ち上がった。


「ここでうだうだ考えていても仕方ないか」


 所詮、物事はなるようにしかならないのだから。

 自分自身に言い聞かせるように呟くと、アメリアは一人コルトの店までの帰路を辿った。




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