第1章 3
「何を話していたの?」
少年が店を出ると同時に、店先で待っていたアメリアは問い掛けた。会話の内容は聞こえてこなかったものの、二人が何かを話しているのは扉の隙間越しにも窺えた。接点がないはずの彼等の密談は、嫌な想像を掻き立てるには十分な要素を持つ。関わりの深い知り合いは、弱身として十分に成立する。
「別にたいした事では無いですよ。彼をどうこうするつもりはありませんから、そう怖い顔しないでください。折角の美人が台無しですよ?」
暗殺者はやんわりと否定したが、到底信じられるものではない。不審を募らせるアメリアから視線を外すと、彼は肩を竦めた。
「まさかこんな店先で話を始める訳じゃないですよね?デート先は任せましたよ」
冗談めかした物言いに含まれた、遠回しな促し。アメリアは今この場で答えを得ることを不可能と悟ると、無言で踵を返した。歩き出す彼女の後ろを、少し距離を置いて暗殺者が追い掛ける。
表通りへ出ると、途端に景色がガラリと変わった。さすがは栄光の街と称されるだけはあり、下町の雰囲気を漂わせる旧表通りとは違って上品な佇まいの建物が軒を連ねている。
富豪向けの高級レストランや、上等な品物を揃える服飾店。オーダーメイドしか仕事を受けない装飾屋に、会員制の遊戯場。
彼らの気まぐれにいつでも対応できるよう、昼夜問わず明かりの絶えない表通りに出たアメリアは、周囲の商品や呼び込みには目もくれず街の北側に向けて歩いていく。昼時を過ぎ、優雅な食後のお茶を楽しむ時間帯のせいか、人通りはまばらだ。元々彼らは人混みを嫌うから、賑わう時間だとしても肩をぶつけながら歩く事もないだろうが。
歓楽街を抜けると、視界の開けた空間が広がった。そこだけを円形に切り取ったかのような優雅な庭園。円の中心には白い石造りの噴水があり、それを取り巻くのはタイルを敷き詰めた通路。道の傍らを彩る華美な花や、密談にはもってこいの、あえて死角をつくるためだけに植えられたような樹木。
富豪達にとっても絶好のデートスポットと呼べる庭園を歩いていたアメリアは、噴水の近くにあるベンチの前でようやく足を止めた。何処かの有名なデザイナーがデザインしたであろう鉄製のベンチに腰掛ける。
「座れば?」
暗殺者を見上げて試しに聞いてみると、彼は首を横に振った。互いの微妙な関係を考えればそれも当然の事か。強く勧める理由も無く、アメリアは一つ頷くと周囲に視線を走らせた。
噴水を挟んだ先のベンチには、話に色を咲かせ此処まで聞こえるほど甲高い声で話す若い女性が三人に、通路を歩く恋人らしき若い男女と老夫婦がそれぞれ一組。
何らおかしな所はない、日常的な風景。絶好の環境だった。
「ずいぶんと警戒されているみたいですね」
アメリアの視線に気付いたのか、暗殺者は困ったように微笑んだ。年相応の幼い表情で、しかし冷静に状況を分析していく。
「ギャラリーが多ければ人ごみに紛れて事を起こす事は簡単。その逆もまた同じ。この人数なら何かあればすぐに気付かれるでしょうし、距離的に話を聞かれる心配もないでしょうね。なかなかの選択です」
まるで思考を読み取ったかのようにピンポイントで特徴を挙げていく。仕事柄なのか、その観察眼はさすがのものだ。ついでに言外に何を考えても無駄と含みを持たせてくる辺りも、相手の余裕を奪うという意味で随分と効果的な話術なのかもしれない。
「お褒めの言葉ありがとう。でもそんな事今はどうでもいいわ。わざわざ人の居所を調べてまで会いに来た理由を聞きましょうか。ねぇ、暗殺者さん?」
挑むような目付きでアメリアも対抗する。こういう場合においては特に、弱みをみせれば呑まれるだけだという事を彼女はよく知っている。彼のように笑顔を絶やさない人間は、特に警戒が必要だという事も。
「単刀直入ですね。回りくどいのは嫌いですか?」
「少なくとも、あんたと話してるとペースを崩されそうだから嫌ね」
「それは光栄です」
ああ言えばこう言う。お互い上っ面だけ笑顔を張り付けて皮肉の攻防を交えるも、この分では勝期どころか終わりすら見えてこない。暗殺者もこのやり取りを無意味と悟ったのか、小さく肩を揺らすとアメリアと向き合うようにして正面に立った。
「それではご要望通り、手短に用件を伝えましょう」
わざわざ前置きを添えたかと思った次の瞬間。
暗殺者はそれまで浮かべていた笑みを消し去ると、アメリアの座る鉄製のベンチ、蝶を模した背もたれに手を掛けた。そのままの勢いで上半身を倒し、片膝を彼女の太股のすぐ側に乗せ、前屈みの体勢で耳元に顔を近付けながら、冷たい声音で囁く。
「貴女の命、頂きにきました」
それはアメリアにとって予想通りの展開だった。こうなるかも知れない事は、コルトの店に彼が姿を表した時からーーいや、最初に彼を見逃した時からわかっていた。だから今更驚くような事ではない。もちろん目の前で死刑宣告をされるのは決して気分のいいものではないが。
アメリアは身動ぎせず、視線のみを横に滑らせた。互いの息遣いすら感じられる至近距離。些細な表情の変化とて、隠し通す事は不可能だろう。だがその悪条件は彼も同じ。
「できると思う?」
「それをやってみせるのが僕の仕事です」
アメリアの問い掛けにも暗殺者は表情を崩さない。しかしそれは彼女も同じだった。互いに状況は違えど、場数は踏んだ経験は負けていない。
噴水を挟んで向かい側にいる少女達や、小道を歩く恋人や老夫婦。平和に満ち足りた穏やかな表情を浮かべる彼らの誰もが、こんな身近で命の駆け引きが行われているなど思ってもみない事だろう。
「随分と余裕ね。油断してると痛い目見るわよ?」
「油断?まさか。一度遅れをとった相手を甘く見て掛かるほど愚かではないつもりです」
「ふぅん……」
暗殺者の右手は相変わらず細い鉄の棒に掛けられ、もう一方は手持ち無沙汰に宙ぶらりんとしている。彼が何処に武器を仕込んでいるか定かではないが、それを取り出すまでには僅かに隙ができる。一秒に満たない時間でも、反撃に移るには十分だ。
「確かに、人目につくこの場所で僕は下手に動けない。けれど、貴女だってなるべくなら“力”を使いたくはないんじゃないですか?」
「何が言いたいのよ?」
アメリアの声音に苛立ちが混じる。直後に彼女は後悔した。この場の駆け引きにおいては余裕を崩した方が負け。うっかり感情的になってしまった自分自身こそが、状況の優位さに驕っていたのかもしれない。
アメリアがその事に気付くとほぼ同時、暗殺者はくつくつと喉を鳴らした。至近距離だからこそ聞こえる彼の余裕。その事にアメリアが何か言うより早く、暗殺者はようやく彼女の耳元から顔を離した。ベンチに掛けていた手も引っ込めて元の体勢に戻ると、憎たらしい天使の微笑みを浮かべていた。
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